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写真とカメラ雑感

 カメラがなぜ面白いのか聞かれたと仮定して,はて何故なんだろうと思って,ふと考え込んでしまいました。いろいろ思うのですが,やっぱり自分が見せたいと思うものを整理して記録するという行為に創造性を強く感じているからだと思います。

 我々の見ているもの,あるいは脳が最終的に知覚したものは膨大な情報を持っています。これを2次元にするだけですでに奥行きの情報が落ちてしまいますし,色や明暗も同様に削られます。

 細かい部分も裏側も記録されませんし,大きさだって形だって正確に記録されません。もっというと重さも臭いも,柔らかいか硬いか,冷たいか暖かいかも記録されませんし,もっと大事なもの,つまり時間の経過が落ちてしまうので,変化している状態がまったく残せません。

 こう考えると情報の大部分が欠落する静止画の写真は極めて不完全で窮屈な記録方式だと言えるのですが,人間がすごいと思うのはここから先の話で,そんな小さな器にどうやって自分が知覚したものを入れ込むのかを必死になって考えるのです。

 できるだけたくさんの情報を入れられるように,技術的な進歩もさることながら,どの情報を入れ込んだらいいかを長年かけて模索し確立して,写真はハードとソフトの両面で進歩してきました。特に後者は先行する絵画との親和性もあって,すでに表現としての芸術として認知されています。

 芸術ですから,あるレベルからはその人の能力や才能による個性の勝負になるわけですが,それまでは学習と経験が必要なものであることに他の表現方法となにも変わることはなく,その習得も容易ではありません。

 ただ,写真が絵画とちょっと違うと思うのは,写真は芸術であり趣味であると同時に,記録を残すという実用的な性格が強いことです。カメラが自動化の道を歩んできたことの理由は,確実に意味のある記録を残すためという明確な目的があったからです。

 とはいえ,完全自動化などはやっぱり無理で,自動化できるところから自動化を進め,そのことで空いた手を人手でやらねばならないところに振り向けてきたのが,今に至る写真事情ではないかと思います。

 そして,これがとても楽しいわけです。面倒な事は誰だってやりたくないし,面白いと思う事をじっくりやりたいと思うのも,また当然です。

 考えてみると,多くのことが自動化され,デジタル化される事により,面倒な事,時間のかかること,難しい事から我々はどんどん解放されてきました。今急に暗室に入って写真を焼いてこい,といわれたら,私は断ると思います。

 その昔のダゲレオタイプなんか,感剤の劣化が早かったため,銀メッキした銅版を持ち歩き,撮影直前でヨウ素の蒸気にさらしてすぐに撮影,何十分も露光にかかるから被写体は動かないように固定されて,撮影が終わったらすぐに水銀蒸気で現像,そして定着という,本当に生ものを扱う大変な作業だったわけですが,それが今やパソコンの中で出来てしまうんですから,どれほど省力化が進み,どれほど失敗なく記録出来るようになったか,思い知ります。

 話を戻すと,実物から多くの情報を削り,器の小さい静止画の写真に落とし詰め込んで,それがなお記録や芸術として成立するためには,見る側にそれを見て想像し理解する力がなくてはなりません。本を読むために文字と単語が読めねばならないというのと同じで,そこにある写真を読み解くための方法を知る必要があります。

 こうしたリテラシーを身につけると,確かに写真を鑑賞できるようになりますが,そうした機会はなかなかなく,特に日本は写真を鑑賞するという文化がないなあと思います。私もそうした習慣は持っておらず,若いときにやっておけば良かったなあと後悔している口です。

 例えば,時間の流れを記録出来ない写真で時間を表現するためにはどうすればよいかが撮影者に問われるのと同時に,見る側にもどういう画像になっていたらそこに時間の経過があると解釈するのかを知っておいてもらう必要があります。

 それ以外に,すでに柔らかいと知っているものが写っていればそれが柔らかいと想像するにたやすく,それがとても大きいものであるなら,写真にあるものはとても大きいものであると理解でき,かように実は見る側が知っておかねばならない事というのは,多岐にわたるのです。

 多くは我々が普通に生活をしていれば理解出来るものですが,例えば凄惨な戦場であるとか,宇宙であるとか,顕微鏡写真であるとか,あるいは100年前の写真であるとか,ごく普通の人達にとっては想像も出来ない状況で撮影された写真は,とても理解が難しいと言わざるを得ません。

 だからこそ撮影者の腕が問われるわけですが,果たして戦場を扱う報道写真が見る人に寄り添っているのか私には疑問がありますし,一方で見る側は報道写真を見るためのリテラシーを学べていないように思うのです。

 そう考えると,写真というのは,撮影者と見る人との間のコミュニケーションだよなあと考え至るわけで,さらに見る人というのは未来のまだ見ぬ人さえも対象にするんだと気が付き,私などは足がすくんでしまうのです。

 

富士フイルムがフィルムフィルムメーカーでなくなる日

 少し前から噂になっていた,富士フイルムの黒白フィルムと黒白印画紙の販売終了が公式にアナウンスされました。

 やはりフィルムが深刻で,最後の砦となっていた135と120のネオパン100ACROSが今年10月に出荷終了となります。

 ISO100の白黒フィルムというのはとにかく写真の原点ですが,個人的にはこれほどその役割が変わってきたフィルムもないんじゃないかと思います。

 ISO100でも高感度,超微粒子と呼ばれたその昔,最新技術としてもてはやされました。やがて日常に使うフィルムとなりもっとも身近な存在となります。ネオパンSSといえば,戦後のカメラブームを支えた立役者です。

 カラーネガが普段使いフィルムになると安価で自家現像ができるメリットから,写真の学校や学校の部活動で入門用に避けて通れない存在になりますし,現在のようにデジタル全盛になると,白黒でしか表現出来ない芸術性であるとか,長期保存性の高さから重要なアーカイブ用にと,役割が変わってきています。

 色情報を持たない写真がそれでもしぶとく生き残っているのが不思議なくらいですが,やっぱり白黒には白黒の良さがあります。

 ただ,これを産業として維持することは現実的に不可能なほど,需要が減っているのも想像に難くありません。具体的な数字を見ているわけではありませんが,フィルムを死に追いやったデジタルカメラが,スマートフォンによって急激に数を減らしているというのも,因果な話です。

 とはいえ,フィルムも印画紙もこなれた工業製品といえますし,コストを考えなければ手作り出来るものでもあるので,数を絞れば細々と続ける事が出来るんじゃないかと思います。そもそも,製造が始まった頃のフィルムの需要は非常に少なかったはずです。

 なので,ちょっとうがった見方をすると,富士フイルムの公式リリースにある「需要の継続的な減少により安定的な供給が困難になった」というのは,彼らの事業規模において採算を維持できる数を割り込んだ,と言うことであり,もっと少人数,もっと小さい工場,もっと小さな規模なら,生産を終了することはなかったのかも知れません。

 なら規模を小さくしろよといいたいところですが,そこは工業製品である以上,ある程度の規模がないとダメで,こういう化学製品はそれなりの規模で一度に作らないと,製品の品質も安定せず,コストも下がりません。想像ですが,富士フイルムの製品はどれも高品質,高性能で,規模を小さくするとこれらを維持できなくなってしまうのでしょう。

 もっと現実的な話をすると,すでに白黒フィルムでは儲からないわけで,今後事態が好転するとは考えにくいです。すでに余計な費用はかけられない状態であり,規模を縮小するために設備を変更したり,あるいは製品の性能を変更したりと言った後ろ向きな変更でもお金がかかってしまうわけですから,何もせずにやめる,が最善策であるという考えに,反論しにくいものがあります。

 おそらく,事業の売却や移管なども検討されたのではないかと思いますが,文化を支える,ファンを支えるという理由で火中の栗を拾うような人は少ないわけで,このあたりが工業製品でありビジネスであるフィルムの限界かなと思うのです。

 とはいえ,ホビーとアートとしての銀塩写真は必ず残ります。経済的合理性だけでいえば,どう考えてもデジタル写真の勝利ですが,経済的合理性など問題にせず,面倒な事をむしろ楽しむのがホビーでありアートです。そこに楽しさがあったり,手間をかけないと手に入らない「何か」があれば,ずっと支持されるはずです。

 あまりに昔の話で的確とは言えないのですが,その昔,画家というのはお金持ちの肖像画を描くのが仕事でした。しかし写真の発明によって,彼らの生計を支えた肖像画の仕事はほぼ消失しました。

 写真によって高価な肖像画しか選択肢がなかった時代が終わり,誰でも自分の肖像を残し,家族の記録を残すことの出来る大衆化の時代がやってきましたが,では食い扶持を失った画家はどうしたかというと,写真では出来ない表現を編み出して,写真と対抗(共存)する道を模索したわけです。

 そして,現在も絵画は芸術として残っていますし,画家を目指して頑張る人も絵画を趣味に嗜む人も多くいます。

 きっと銀塩の写真も同じでしょう。肖像画や日常の記録と言ったマスを狙えるマーケットはすでにデジタル化が完了しました。でもフィルムでないと出来ない事,フィルムの写真を楽しむ人は,必ず存在し続けるでしょう。

 大きな需要に応えるための製造設備は,現在の縮小した市場では維持できないかもしれません。しかし,世界中にまだまだ小さなフィルムのメーカーは存在します。だから,私はあまり悲観的に考えていません。

 ただ,富士フイルムの撤退はもう少し後で,まだその良質なフィルムは安価に手に入るものと思っていました。そのための作戦として,消費期限を延ばすということも考えてくると思ったのです。

 ご存じのように,フィルムも印画紙も化学製品であり,製造時点から時間の経過と共に劣化の進む「生もの」です。たくさん作っても期限が切れてしまえばゴミになります。

 今の生産規模ならたくさん作られることは避けられず,一方で売れる数は減っているので,かなりの数が廃棄されてしまう現状があります。ならば10倍の価格に出来るのかといえばそれも出来ない,と言う八方塞がりが製造中止の理由であるなら,期限を2倍3倍に延ばし,販売店を絞って市中の在庫を減らすという作戦は,なかなかいい方法だと思ったのです。

 口では簡単に言いますが,期限を延ばすのは昔から検討されていたことでしょうし,難しい事だったのだと思います。

 技術力も高く,かつ商売上手な富士フイルムなら,技術的な工夫と他の事業で稼いだお金で銀塩写真を支えてくれるものと思っていただけに,あっけないもんだなあと思います。

 2006年に富士フイルムは銀塩の生産継続を発表した際に,「写真文化を守り育てることが使命」と宣言しています。文化を語っておきながらわずか12年でやめます,というのはちょっとずるいというのが,おそらくこのモヤモヤの原因でしょう。

 一方,公式リリースには出てきていませんが,実は現像剤などのケミカル用品は,まだ当分製造が続くという話です。富士フイルムのケミカル用品は安価で性能が良く,どこでも手に入るという素晴らしいもので,私も随分お世話になりました。

 いずれ自然になくなっていくのだろうと思いますが,それでも「やめます」とこの機会に宣言しなかったことに,私は安心しましたし,富士フイルムの良心に感謝したいと思いました。

 こういう話をすると,自分との関わりを書くものなんでしょうが,実は私は白黒のフィルムはコダックのユーザーだったので,フジのネオパンはほとんど使った事がありません。ネオパンはあまりに凡庸で,わざわざこれを使う理由がなかったということと,中高生にありがちな話ですがコダックの方が格好いいと勘違いしていたからです。

 印画紙もフジではなく,月光(私の時はGEKKO)を好んで使っていました,

 とはいえ,1980年代から90年代は日本の工業製品が圧倒的な性能と持った時代です。カラーフィルムはどう転んでもコダックよりフジの方が性能が良く,反骨精神あふれる当時の私をもってしても,フジのカラーネガを選ばざるを得なかったのです。

 コダックはコダクロームを持っていて,フジは結局外式のリバーサルには参入しなかったですから,コダックが選ばれる理由にはコダクロームにありました。しかしそのコダクロームは戦前の生まれであり,新しい製品や技術で選ばれているわけではありませんでした。

 こうなると,次はカラーフィルムがいつまで残るのか,心配になります。カラーネガフィルムについていえば,フィルム単体の話ではなく,現像とプリントを安価に短時間に,しかも失敗なく行う仕組みがインフラとして維持されています。

 しかしそれも,需要の減少によって20年前のようにはいかなくなっています。

 現像液などの薬品は保存が利かず,次々と現像やプリントが行われないと低コストを維持できません。だから廃業する写真屋さんが相次いだのです。

 まず最初に,こうした当たり前だったインフラが崩壊し,気が付いたら現像とプリントに2週間かかると言われるようになるでしょう。価格も高騰してしまうでしょうし,品質も安定しないかも知れません。

 その後,フィルムと印画紙,薬品の製造がなくなるでしょう。

 それがいつになるのか,私も少し気にしておきたいと思います。

 お,ヨドバシで注文した「FUJICOLOR SUPERIA PREMIUM 400」の3本パックが届いたようですよ。CLEとSuperAに詰め込んで,1枚1枚大事に撮影してみましょう。

 

 

痛い体は邪魔

 最近,自分の体の具合が良くなくて,すっきりしません。

 以前から体は邪魔で,意識だけ(精神だけ)で生きられればなんの心配もせずにいられるのになあと思っていましたが,これまで特に大きな病気をしたこともない私としては,劣化していく自分の体にありがたいという気持ちはあまりなく,肉体など所詮器であり,大事なのは人が人であるための精神や意識,人間性であるという気持ちがかなり強くなっています。

 とはいえ,現段階で肉体を持ち,これを器にしている以上,器の破損は困るわけで,痛いのも気分が悪いのも動かないのもなんとかしたいと思う訳です。

 今出来ていること,今感じていること,今面白いと思う事の大半がちゃんと維持できるのであれば,特に肉体にこだわらないというのが私らしいと思うのですが,まだまだそんなのは先の話になりそうです。やっぱり,人間は人間である前に,動物であり生ものなんだなあと思います。あー面倒くさい。

 閑話休題。

 そんな私の肉体ですが,特に大きな病気もせず,大きな爆弾もなくこれまで生きてきて,それが当たり前となっているためか,体をあまり大事にしているとは言えません。体を機械にたとえて考える癖が付いていますが,あまり大事にして使わないで置くとかえって傷んでしまうということで,日常生活はラフです。

 そのせいか,お腹の中は大丈夫なのですが,運動に関する部分で頻繁にトラブルが出ています。腰痛はここにも何度も書きましたが,今は首と肩に困っています。

 事の起こりは3月5日の朝です。

 朝4時頃に,首の激痛で目が覚めました。これは尋常じゃないと思うほどの痛みで,右の首から肩甲骨のあたりまで,広範囲でかなり痛いです。

 違和感は痛みだけではありません。右の力が入らず,素早く動かす事が出来ません。石鹸で手を洗うとき,あるいはタオルで拭くときに右手を左手で包むようにしますが,こうすると右手に力が入らず,全く動かないのです。キーボードも満足に打てません。

 しかも,横になると痛くて,眠ることが出来ません。どうにか痛くない姿勢を見つけたりしても,夜中に激痛で目が覚めます。これはつらいです。

 5,6,7日と出社しましたが,日に日に痛い場所が変わり,また痛みの程度も一定ではなくのですが,とにかくじっとしていても痛くて,気分が悪くなる始末。昼休みに貼り薬を買って張りましたが気休めです。

 とうとう我慢できなくなり,このままではまずいと8日に会社を休んで病院へ行きました。いつのの整形外科が木曜日に休診しているので,あいている病院を探していきました。

 とにかく痛みを取ってくれとお願いすると,レントゲンのあとにいわゆるブロック注射を3本,バンバンバンと売ってくれました。ロキソニンなど痛み止めがでて帰宅しましたが,痛みは全然消えません。あげく,電気治療とかいって,低周波治療器の強烈な奴をされて,ますます痛みが増しました。

 そして,まずいのは痛みに影に隠れている,しびれです。しびれも度を超すと,鈍痛になるんですね,だから痛みだと思っていたし,あちこち痛くて仕方がなかったわけですが。後に痛みが取れてくると,実はしびれだったことがわかったりします。

 10日ほど様子を見て再度同じお医者さんに。この時には痛みが少し治まっていて,本当に痛い場所が特定出来るようになっていました。場所は首の付け根の部分で,右側の方の背骨の近くです。

 首を上げることも出来ず,右に回すと痛くて,しびれも強くなります。

 お医者さんは,この痛い部分に1本だけブロック注射をしてくれました。これはよく効いて,痛みがなかり和らいでいます。

 そして,しびれがある事を伝え,右手が握れないという話をすると,握力を測定することになりました。左は約50kg。一方の右手はわずか20kgです。

 いろいろ確認してくれましたが,結論は,どうもレントゲンの写真から,首の骨が神経を押しつぶしているんじゃないかという話になりました。

 ここから神経や筋肉を修復するビタミンB12を追加し,様子を見ることになりました。

 ちょうど1ヶ月経過した現在,痛みはかなり和らいでおり,仰向けになることも出来ますし,日常生活で痛みを意識することも減ってきました。

 しかし,しびれはずっと残っていて,親指の先がピリピリします。

 力が入らないのもかなり良くなってきました。以前はカメラを右手で持つことが出来ず,手首が萎えてしまったのですが,今は力が入らない姿勢は限られていて,そこだけ気をつければカメラも握れます。

 どうも鍋を持つように握ることが出来ないようです。

 先週土曜日の握力は22kg。ほとんど回復していないとお医者さんはいっていました。

 気になってamazonで安い握力計を買って毎日調べていますが,ようやく20kg後半になってきたところです。

 とまあいうわけで,神経をやられ,悪化すると,動かないつかめないだけではなく,おしっこを漏らしたりするそうで,さすがにそうなると手術です。

 結局の所,日常生活に支障があるかないかで治療方針が決まるのが医療な訳ですが,私の場合,痛みは取れているし,しびれも悪化せず,ちょっとずつでも改善しているようですから,そんなに積極的な治療はせず,気長に経過を見ましょうということになっています。

 痛みがひどいとき,悪化するかもしれないことに怯えていたとき,精神的に参りました。こういうとき大事なのは,ほんの僅かでも改善の兆候が見られること,良くなっていることを体感することです。

 そうすると,明日への希望が持てます。朝起きるのが楽しみになります。

 単なる肩凝りや筋肉痛ではなく,骨に神経を挟んでいるんですから,放置していては完治しないでしょう。そういう意味ではこの状況と上手に付き合っていくことになります。そういう割り切りが出来るくらいに痛みもしびれも軽くなってきて,ようやくにして気分が楽になってきました。


 で,今朝,持病であるぎっくり腰をまたやってしまいました。動けないほどひどいものではなく,歩けるので助かっていますが,気分はもう最悪です。

 右の白目が出血して真っ赤になり,まるで魚を捌いたときの,はらわたのような赤黒い目をしています。6歳の娘に「怖いからこっち見るな」と言われた時には,ちょっとへこみましたが,自分で鏡を見て「さもありなん」と思いました。

 なんかねえ,つくづく体が面倒くさいです。これがないと意識を維持できないから大事にしますけど,他に選択肢があるんなら,そっちも検討しますよ。

 なまじ体なんかあるから,痛いしかゆいし眠いし,お腹はすくし,食べたからには出さないといけないし,生臭いし,爪も髪もひげも伸びるし,場所は取るし移動しないといけないしで,根本的には体をなくせばいいんだと思います。

 とはいえ,繰り返しますが,人が人であるための意識を入れる唯一の器が体ですので,今は粗末に出来ません。体の維持には手間もお金も時間もかかるわけで出来ればやりたくないし,百歩譲って自動化できるといいなと思いますが,思えば成長過程での生き生きしたその体は,共に生きるのが楽しく,子供の時は体がないといかんなとも思います。

 もう,40歳以降は精神だけで生きられればいいですよ・・・あ,でも,肉体と共に生きる子供を育てないといけないですね。うーん,人間もやっぱり動物だなあ。

 

どうした,ヨドバシ!

 ヨドバシ・ドット・コムの配達遅延が,今度は大手ニュースサイトや新聞で報道される事態になってきました。

 今度は,というのは9月末にも配達遅延が起きていて,配達予定を過ぎても届かなかったり,配達予定日が数日遅くなっていたりといったことがあったからなのですが,この時には徐々に回復,1週間ほどで正常化し,ヘビーユーザーでありファンである私は,胸をなで下ろしました

 その後,「もしかしたら私の地域ではスピード配達をやめるのか」「この状態が常態化するのではないか」と心配していることをメールで問い合わせたところ,そんなことはない,正常化に向けて頑張っていると,そういう返事をもらったので,とりあえず安心したというわけです。

 ところが10月末からまた配達予定日が後ろにずれ始め,私が11月4日に頼んだプリンタのインクの配達予定日は,最短でなんと11月9日の18時以降でした。仕方がないのでこのまま頼んだのですが,一向に出荷される気配がありません。

 公式サイトに10月27日付で「時間がかかっている」と書かれていましたが,この件でその後の更新は行われておらず,ちっとも好転しない状況にどうなってるんだろと思っていた所,昨日ニュースサイトや新聞で報道され,追いかけるように公式サイトの情報が更新されたのでした。曰く,10月31日午前8時以降の注文は順次出荷,それ以前の注文については出荷停止とのこと。出荷停止とは随分大変なことになっています。

 実は,子供部屋の照明を買いたくてヨドバシ・ドット・コムを見たところ,電話で注文すると下取りをするというので,試しに電話で買い物をしてみたのです。すると納期は明後日の朝とのこと。

 ヨドバシ・ドット・コムよりも数日早く,連休中に決着が着きます。これはありがたいことだと思ったついでに,なんで電話だと早いのかを聞いてみたところ,今回は倉庫が混乱していて時間がかかっているが,電話での注文は手動で処理できるので優先して出荷出来るのだそうです。

 実際,ヤマト運輸が指定時間に持ってきてくれて,古い照明器具を引き取ってくれました。値段もポイントも同じ,下取りで100ポイントもらえて,送料もゼロという事で,今回は一番よい選択だったと思います。

 一方のインクはというと,納期が「最短」とだけ出ており,注文時の納期が見えなくなっています。

 公式のコメントが出るまでは,きっと送料無料のヨドバシにamazonから流れてきた人が増えたせいだとか,ヤマト運輸の値上げに伴いゆうパックが激増し,そのせいで大口のヨドバシにも影響が出たからとか,いろいろな憶測が出ていました。

 ですが,川崎にある物流センターの引っ越しのせいだと一応詳細が出たことで,今回のひどい状況が特別な事であることがわかったわけです。

 まあ,普通これだけの失態をやらかせば,担当者は無傷ではすみませんわね。大丈夫なんでしょうか。

 ヨドバシは目の前のお客さんに対してはとても誠実だと感じていますし,店員さんも印象の良い方が多いです。特にカメラコーナーでは,カメラを好きなんだなと思うお店の人と会話が出来ることも多く,このあたりから自分達はカメラ屋なのだという矜恃を感じたりするわけですが,唯一引っかかるのが,直接のお客さんではない人には興味がないんじゃないかと思われることです。

 例えばヨドバシカメラの経営陣が雑誌や新聞に出てくることは少ないですし,彼らがどういう考えでいるのか,これからどうしようと考えているのかを知る機会はほとんどありません。

 我々のようなお客は,売り場や施策を見て実際に利用し,彼らのメッセージを受け取ることになるわけです。個人的にそれは好ましいものが多く,また利用させてもらおうという気持ちになるので,このことが問題だとは思いません。

 しかし,同業他社はもっと経営者が表に出来ますし,メッセージを社会に向けて発信することも忘れません。

 もちろんヨドバシカメラは株式を上場していない会社ですから,別に社会に話しかける義理はないのですが,すでのこれだけの規模の企業となり,多くの人の消費活動を支え,様々な商売相手の生き死にを握る存在になったわけですから,すでに社会の公器としての役割は大きなものになっていると考えなければならないでしょう。

 amazonやヤマト運輸の動勢がNHKの夜のニュースで取り上げられるのは,それらがすでに多くの人の知りたいという欲求の対象となっており,もっといえばそれらの動き振り回されてしまう人が増えたという事です。

 数あるカメラ量販店や家電量販店がインターネット通販に乗り出しては今ひとつ波に乗れなかった10年前,ヨドバシカメラは頭1つ抜け出して,私の見るところamazonの唯一の対抗馬に勝ち上がった思うのですが,目の前のお客への誠実さとは裏腹に,直接見えにくい相手に対する配慮が,まだ大企業のそれではないと感じるのです。

 もっとも,表に出まくる経営者を私はあまり好みませんし,そうした派手さがないことも私がヨドバシカメラが好きな理由の1つでもありますが,それはトラブルなく,お客さんとしての我々がなんの不満も感じない場合にはよくても,一度トラブルや不祥事を起こした場合には裏目に出ることが多く,それまで無関係だった人たちからも批判を受けることになります。


 私が一連のトラブルで心配しているのは,そうした表向きの対応の手際です。今回の件でいえば,9月末のトラブルが比較的静かに沈静化したことを1つの教訓とし,今回のトラブルについては「聞かれる前に説明する」という姿勢を取ってくれれば,我々ファンは安心出来たのにと思ったりします。

 報道機関に取り上げられてようやく出たコメントによって,ようやく私は自分の商品が出荷されないことを知ったわけです。これを,マスコミの役割だと実感する向きもありますが,やはり残念なのは,ここまで話が大きくなる前に自主的に情報を公開してくれなかったことでしょう。

 ヨドバシカメラは10年前よりさらに強くなりました。新宿のカメラ量販店だったヨドバシカメラが,全国で強さを誇り,ネット通販でも他を圧倒する強さを持つに至っています。

 私が感心するのは,こうした強さを手に入れた企業というのは勘違いして奢るものなのですが,ヨドバシカメラはその強さを,目の前のお客さんのために使うことを忘れません。

 例えば転売対策です。同じ名義で複数の注文があったり,異なる住所に配達する場合には,転売の可能性ありと一方的に注文をキャンセルしてしまいます。

 聞いた話に過ぎませんが,実際には転売ではないケースであっても,事前に話し合うチャンスもなく,いきなりキャンセルされるそうです。

 もし本当なら,奢りの最たる例である「嫌なら他で買って下さい」という商売人の禁じ手が「大多数の普通のお客さん」のために使われているわけで,力を持ってもぶれないことは,なかなか出来る事ではないなあと思う訳です。

 取扱量が増えて,以前に比べると一人一人の客の印象は薄くなっていると思いますが,それでも万が一指定時間に届けられない場合には必ず電話をして謝罪し,そこから超特急で持ってきてくれますし,持ってきた人は丁寧で,またよろしくお願いしますとお店を背負っている自負を表明して,気持ちよく帰られます。

 ヤマト運輸はamazonの人ではありませんが,ヨドバシの配達員の方はヨドバシの人です。この一体感に私が安堵するのは,それがおそらく自然な事だからでしょう。

 これまでにも自転車やベビーカーなども買いましたが,不思議なくらいトラブルもなく,問い合わせにも丁寧に答えてもらいました。ありがたいのは無理なものは無理,出来ない事は出来ないとはっきりいってくれることで,だからこそ出来るといったことを信じて待つことが出来るのです。
 
 ヨドバシ・ドット・コムの勝因は,送料無料に配達速度,そして品揃えですが,私はそれ以上に約束を守ることにあったと思っています。信頼は安心に繋がります。ネットショップがお店と同じ安心感を維持するのは並大抵のことではないだけに,個々が踏ん張りどころと頑張って欲しいと思います。

 

LA音源30周年

 「世界よ,この音がローランドだ」で世界が衝撃を受けた,ローランド初のデジタルシンセサイザーD-50の発売から,なんと今年で30年になりました。

 今ひとつ盛り上がらないのは,D-50がプロ用の機材であり,1980年代を生きた人の間でも,身近に感じる人が限られているからじゃないかと思います。

 誰もが知るヤマハのFM音源は画期的でしたし,プロ用の機材から8ビットパソコン,果てはゲームマシンや携帯電話にまで入り込んでいたのですから,身近に感じるマニアがたくさんいるのもわかります。

 しかし,LA音源は何かに内蔵されることはなく,MIDIで繋がるものがほとんどでした。パソコンを中心に考えたシステムでは周辺機器として知られたにとどまりましたし,D-50に至っては鍵盤が弾けること,ライブで使うこと,そしてこれが重要なのですが,他にもシンセサイザーを持っていなければ,欲しいとすら思わないシンセサイザーだったと思います。

 ですが,その音は必ずどこかで耳にしたはずです。

 技術的に面白いのは,D-50はローランドで最初のデジタルシンセだったわけですが,同時にMT-32も同じカスタムICで開発されており,心臓部であるLA音源チップ「LA32」はプロ用のシンセサイザーと,ピアノの拡張音源であったMT-32の両方に使われていたのです。

 さらに興味深いのは,同じ音源チップを使っていながらも,D-50とMT-32や後のD-10/20系列とは,音そのものも異なりますし,パラメータも違い,音作りの考え方にもズレがあって,全く別物と考えなくてはならなかったことです。

 理由を考えて見ますと,LA32というチップはPCM片の音出しとサウンドジェネレータを32備えたチップに過ぎず,LA音源の音の個性はLA32の外に置かれたROMに格納されたPCM片によって生まれることから,D-50とMT-32とで異なるPCM片を持たせて異なる個性を与えることは,容易であったということです。

 そのPCM片も,D-50が音色の一部分を作るのに最適化されているのに対し,MT-32系列ではそれ単独で音色になるようなものを中心に用意されています。これはMT-32がマルチティンバー音源であり,できるだけパーシャルを少なく音を作らねばならなかったという事情があります。

 D-50はライブ用のシンセサイザーで,16音ポリなら2パーシャル,8音ポリでも4パーシャルを1つの音色に使っても演奏に支障がないですから,一部分だけをPCMで作るなどの贅沢が許されるのです。

 また,一番大きな音質の差の原因が,エフェクトだったように思います。D-50とMT-32のエフェクタの音質差は大きく,D-50はさすがに高品位でしたし,EQもコーラスも搭載されていました。MT-32ではリバーブとディレイだけで設定の範囲も限られていました。

 こうして考えていくと,あくまで今にしてみれば,と言う話ですが,アナログシンセとFM音源が人工的で自然な楽器にほど遠い音だったのに対し,サンプラーは自然な楽器そのもののリアリティを備えていた中で。D-50のLA音源はちょうどその中間にあり,人工的でも自然でもない,どちらでもありどちらでもないという,つかみ所のない音だったといえるのではないでしょうか。。

 これがD-50の個性であり,LA音源がその時代を代表するシンセサイザーであった理由ではないかと思うのです。

 それは,きっと生い立ちからそうだといえて,FM音源のような既に理論として完成しており,開発はそれを半導体に実装することだったわけでもなく,サンプラーのように技術的に目処が付いていながらもコストが理由で作る事が出来ず,開発はコストを下げることだったわけでもなく,LA音源はどういう音源にするかという根本部分から開発された,完全スクラッチの数少ないものであったことも,影響しているのではないかと思います。

 つまり,開発中はどんな音が出てくるのか不明,そもそも完成するかどうかもわからない状態だったはずで,手探りで進んだ開発は困難だったとは思いますが,何かに似せる必要もなく,どんな音でも許され市場に出る可能性があった,とても恵まれた状況であったとも言えます。

 FM音源の開発のゴールは,FM理論に従ったシンセサイザーが動作することですから,FM理論に従った音が出ることが求められます。サンプラーの開発のゴールは,いってみれば安く作る事がゴールですので,何回作っても音そのもののゴールは変わりません。LA音源はそうではなく,開発者,設計者が思い描いた音がゴールであり,偶然出てきた予想外の音もゴールです。

 当時開発に大きく関わったEric PersingとAdrian Scottの個性や傾向がD-50を支配していたことはその音を聞いても明確で,ここで定まったローランドの音は,しばらくの間不動の個性として君臨することになります。おそらくですが,FM音源でもサンプラーでも彼らの個性を表現する事は難しく,LA音源のようなゼロから作った音源だからこそ,彼らの創造力が具現化されたのではないでしょうか。

 そして筐体のデザイン。それまでの何にも似ていない洗練された新時代のデザインは,これまでのローランドはもちろん,他社のシンセサイザーとも明らかに違う音を期待させました。いやー,格好良かったなあ。

 そして誕生から30年。当時のCDとその後のCDを聞けばいかにD-50が画期的で,その後の音楽の方向を作ったかを思い知らされるわけですが,D-50そのものはなくなっても,音は引き継がれ,時代に関係なく使われていることを考えると,それが単に流行のものではなかったことを思わせます。そんな楽器に,そうそう出会えるものではありません。

 ただ,当時もその個性が万能ではなかったゆえに,好き嫌いがはっきりしたシンセサイザーだったとは思います。使われ方も,流行っているから使っていると言うだけで,その音で新しい音楽を作ろうというアプローチを,あまり目にすることはありませんでした。

 その後出てきたM1となにかと比較されたD-50は,リアルさから評価が低かったこともありますが,それでは30年後の今,M1の音と言われて思い出す音があるかと問うと,案外思い浮かぶものがないことに気が付きます。M1は確かに音楽制作の現場を変えたほどの影響を与えた歴史的名機でしたが,それは現場での即戦力として高次元でバランスしており,それ1台で何でも出来た事が理由で,D-50のように強い個性で記憶に残り,歴史に名を残したものとは,対極にあったと考えて良いでしょう。

 そんなわけで,D-50の30周年,おめでとう。あなたも歳を取りましたが,私も歳を取りました。

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