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その名はちょぼ

 あけましておめでとうございます。2011年になってしまいました。

 年を経るごとに,年末年始へのわくわく感が削がれていくことに寂しさを感じていますが,私はというより世の中全体が正月気分云々を声高に言えない雰囲気があるように感じます。

 それはそれとして,実家の母が,とうとう猫を飼い出しました。

 私が小学生の頃に猫がやってきて以来,我々家族は猫好きということになったのですが,その猫も私が社会人になったときに亡くなり,実家を新築してしまったこともあって,長く猫のいない状態が続いておりました。

 母は猫をずっと飼いたいと思っていたようですが,ペットショップで飼ってくる猫と言うより,何かの縁で家にやってくる猫がいれば,是非一緒に暮らそうと思っていた所がありました。

 そしてそれは年末に突然やってきました。

 母の仕事場の知り合いが通う乗馬クラブは,捨てネコが多いそうです。スタッフはみんなしてその猫を飼うなり飼い主を捜すなりで世話をしますが,どうしても1匹だけもらい手が見つからず,年末年始を寒空の下で過ごすことになりそうでした。

 見かねてその知り合いが家に連れて帰ったところ,家族から反対され困り果てたところで,母に相談しました。母はこれぞ縁と思ったのか,自分の家で飼うことにしたというのが経緯です。

 電話で母にどんな猫かと聞いてみましたが,2歳の雌,不細工な猫,人なつこい,しっぽがハート型,と,なにやらつかみ所のない説明です。私は今年は実家に戻りませんでしたので,戻っている弟に写真を送ってもらいました。

ファイル 437-1.jpg

かわいいじゃないですか。

白黒の猫ですが,お腹と手足が白く,その手足も短く太く,このあたりが不細工らしいです。顔はまんじゅうのように丸いのですが,模様のせいでとがって見えます。

 家に来るなりすりすりしてきたそうで,性格はおとなしいと思いきや,この猫はなかなか人に慣れず,実は一度もらい手が見つかったのに,あまりに暴れて僅か一晩で返されたという話です。そんな話がウソのように,とても甘え上手なんだそうです。

 2歳という年齢は人間で言うとそろそろ大人という感じでしょうが,実は一度出産をしているそうです。乗馬クラブのスタッフがそれを「かわいそう」と感じて,避妊手術は済んでいるとのこと。健康状態もよくて,その辺は心配ないらしいです。

 しっぽですが,最近の猫は直角に曲がったり短かったりと,しっぽが長くて綺麗な猫は少なくなりました。この猫も先端がくるんと丸まっていて,さながらさきっちょにハートマークがあるかのようです。

ファイル 437-2.jpg

 まあ正直,この写真でもよくわかりません。太いしっぽの先端が割れているようにしか見えないですね。弟曰く,しっぽを触ると少し痛がるようですので,やっぱこういうねじれ方なんでしょう。

 それで,名前は弟が候補を作り,母が最終的に選んだところ,「ちょぼ」になりました。

 口の部分に白い模様があり,これがその由来になったとのこと。いいんじゃないですか。

 もとが野良猫ですし,一度外に飛び出せばもう二度と戻ってこなくなるでしょう。それは母も分かっているようで,いかに家から出さないようにするかを,腐心することになりそうです。弟がいうには,その点でいつまでこの猫が家にいるか分からないので,早めに見に行くことをおすすめするとのことでした。

 母は,現在一人で暮らしています。帰宅しても誰もいない家に寂しさを感じるのは想像に難くなく,小さいとはいえ,そこに自分を頼り,暖かく,動くものがいるというだけで,随分を部屋の空気が変わることでしょう。家が心配,家が気がかり,そういう意識が,生きていく上で支えになるのも確かなことです。
 
 だからこそ,この猫には,長くいて欲しいと私は思います。

 弟は,「今年の正月はひと味違った,猫のおかげで楽しかった」といっていました。誠に猫の存在感というのは,はかり知れません。

さらばT-ZONE,そしてすごいぞパーツランド

 かつて,IBMからPC110という,文庫本を少し大きくしたくらいの
サイズのモバイルPCが出ていました。私もこれには随分
はまって,Windows95を入れて持ち歩いていましたが,
T-ZONEはこのPC110のオリジナルオプションを作ってくれるほど
熱心で,増設メモリやら内蔵モデムなど,いろいろ
買いました。

 それ以上に,私のように,学生の頃にアキバに来ることが
出来なかった人は,アキバには亜土電子という店があるらしい,
ここはビル1つが上から下まで全部電子部品の店らしい,と
言う話に,まるで外国の話を聞くような驚きと憧れを
感じた記憶のある人もいたはずで,今回の廃業は,
感傷的な気分にならざるをえないものがあります。

 いささか旧聞になりますが,アキバの名門ショップ,T-ZONEが廃業しました。私が電子工作に興味を持ち,お手本にしていた初歩のラジオやラジオの製作がおよそ秋葉原で手に入る部品を基準に記事を作っていたころ,大阪にいた私は,日本橋と秋葉原の間にある,高い山を意識せざるを得ませんでした。

 もちろん,当時の日本橋も電子部品を手に入れるのにそれほど苦労はなく,ニノミヤは本店とエレホビーの最上階が電子部品の売り場,ジョーシンの1番館も最上階が電子部品売り場でした。

 シリコンハウス共立も三協電子もテクニカルサンヨーはもちろん,個人的には親切にしてもらった記憶しかないアークエレクトロニクスももちろんあって,これらを一回りすれば概ね部品は揃いましたが,ケース,コネクタ,ジャック,スイッチといった機構部品のたぐいは,秋葉原とこんなに違うものかと思うほど,別の部品が売られていたものでした。

 年齢と共にノウハウも付き,スイッチなんて電気を入り切りするだけ,ケースなんて基板がおさまりゃなんでもいい,コネクタなんか単純に線を繋ぐだけ,と割り切って,手に入るものを使いこなすことを覚えるのですが,半導体に至ってはそういう工夫も難しく,秋葉原と日本橋との間と同時に,自分の未熟さにくずおれたものでした。

 1980年代後半のことだと思うのですが,今のツクモexのビルが完成,亜土電子という電子部品とパソコンのお店が入って,上から下までエレクトロニクス一色の「T-ZONE」というお店になったことを知ります。

 電子部品などという,ニッチな商品だけでビルが1つ出来て,上から下まで埋まるものなのか!,アキバというところはなんとマニアックな街だ!と,さも外国の話を聞くような驚きと憧れを感じた記憶が私にはあり,まだ箱根の山を越えたことのない当時の私は,まだ見ぬ秋葉原を,いつしか聖地と考えるようになったわけです。

 時は流れ東京で暮らすようになり,アキバに足を運ぶようになりますが,この時すでにT-ZONEはPCパーツのお店になっており,電子部品は売られなくなっていました。当時,電子部品の大型店舗であったヒロセ無線もつぶれてしまっており,むしろ日本橋の方が部品の入手が容易な印象さえ持ちました。

 ただ,T-ZONEにはその後も度々お世話になることとなります。私はPC110という小型のPCにはまった時期がありましたが,T-ZONEはこのマシンを強烈にバックアップしていて,オリジナル周辺機器を作るほどの力の入れようでした。増設メモリ,高速なモデム,そしてオリジナルカラーの外筐。これらを買いに,土曜日の早朝から出かけてみたり,会社の帰りによってみたりと,よく立ち寄りました。

 そういえば,初代iPodを予約したのもここでした。そう,このころは今のドンキホーテのビルが,T-ZONEだったのです。懐かしいなあ。

 盟友(といっていいかどうかわかりませんが)のツクモはヤマダ電機の一部となり,新興勢力ソフマップはビックカメラの傘下に入って,T-ZONEはCSKの支援を受けたり,ファンドの餌食になったりといろいろあったのち,最後に1つだけ残ったお店が,今回の廃業と共に姿を消すことになりました。

 このお店,決して広いわけではありませんが,それでもいつもお客さんでいっぱいでしたし,品数も品種も決して悪くはありません。価格も安く,多くのマニアが巡回ルートにしていたお店でした。

 廃業の理由について,公式な理由はさておき,PCパーツという業態が,それだけで食べていくのが難しい世界になっていることは疑う余地はありません。かくいう私だって,その昔大きなデスクトップマシン(といってもAT互換機というわけではありませんでしたけども)を何台も持っていましたが,今はほとんど全てがノートPCです。

 PCが日常品になり,自分では手に入れようがないノート型が主流となった今,余程好きな人しか,アキバでパーツを買うことはないわけで,今後今以上にPCパーツの世界が大きくなることは難しいと考えると,T-ZONEのようなお店は,確かに難しい選択を迫られたのかもわかりません。

 皮肉なことに,かつてアキバの後塵を拝していた日本橋は,電子部品のお店が破竹の勢いです。

 数年前に福井のマルツ電波がやってきたかと思うと,続いてアキバから千石電商がお店を出します。

 老舗のシリコンハウス共立は堺筋に面したジョーシンの旧J&Pメディアランドのビルに進出し,文字通り上から下まで電子部品というお店になりました。

 ジョーシンは電子部品から撤退して久しく,かつてこのお店がラジオと電子部品からスタートしたことを知る人も少なくなったと思いますが,盟友(これもそういっていいのかわかりませんが)ニノミヤは,本業以外の躓きからファンドに骨までしゃぶられて倒産した後,電子部品部門がスピンオフ,パーツランドとしてまさかの復活を遂げます。

 パーツランドはひっそりと営業を続け,素人目に持って数年かなと,心配していたわけですが,なんと旧丸善無線,後のOAシステムプラザ日本橋店のビルにこの12月から入り,リニューアルという情報が入ってきました。

 え,上から下まで電子部品のビルが,日本橋に2つもあるわけ?

 アキバがダイナミックに街の様子を変化させ,やってくる客層も大きく変わってしまったこの10年で,変化する元気すらなかった日本橋の地盤沈下は凄まじく,電気街という形態を維持することすら難しくなるのでは,と思っていましたが,リーマンショックから土地価格の下落がかえって大阪の都心部の再開発を遅らせることとなり,パソコン関連のお店が撤退した後,急激に目立って来た電子部品専門店が,こうも力を付けてくるとは,私も想像だにしていませんでした。

 今や,シリコンハウス共立はその名を全国に知られるお店になりましたし,東京の人からもうらやましがられるお店になりました。日本橋に足りないお店は,秋月電子と真空管の専門店くらいではないでしょうか。

 しかし,新しくできたお店だったり,大きなビルに引っ越したお店というのは,古い部品の在庫がなかったりします。電子部品はライフサイクルが長いですし,早期に処分しないといけないようなものでもないので,古い店には30年前の部品が当時の値段のままで売られているのが普通です。

 アマチュアの工作の世界では,30年前の部品でも十分現役だったりしますから,実は今も昔も変化なく地道に商売を続けている電子部品専門店をみていると,心なしかほっとするものがあります。川崎のサトー電気もその1つで,私の場合なんだかんだで通販での利用率は,秋月よりも高かったりします。

 電子工作を支える電子部品専門店こそ,時代の波にさらわれて消えゆくものと思う人が多いとは思いますが,電子工作の世界も日進月歩ですし,工作を楽しむ人だけではなく,芸術や服飾関係の人もお店にやってくるようになりました。確実に裾野は広がっています。それだけ新しい技術が生まれ,応用もされているあるわけで,こうした流れを楽しむことが出来れば,まだまだ十分,面白い趣味であり続けると,私は思っています。

 ところでところでHC-20ですが,検討がさっぱり進みません。

 マスクROMを27256と見なして,本物の27C256にコピーしてみましたが変化無し。ここにいたって,CPUやROM,RAMといった基幹部品に不良がないことが分かったと言うだけで,全然原因が見えてきません。

 昨日も,アドレス線とデータ線のパターン切れがないかと確認しましたが,これも見つからず。電解コンデンサが液漏れしているので,どこかが切れている可能性も高いと思うのですが,なにせディスクリートで作られた回路ですので,追いかけるのも一苦労です。いやはや,ゲートアレイを使った1980年代中盤以降のPCが,以下に修理しやすいかを痛感しています。

 現在,先程のサトー電気に,交換用のゲートICを注文しています。74HCシリーズの在庫は若干ありますが,4000シリーズはほとんど手持ちがないので,壊れていたとき交換する手段がありません。4000シリーズのDIP品など,これからもっと手に入りにくくなるでしょうから,これを機会に少し在庫を持つようにしました。

 オリジナルでは,TC40Hシリーズが使われていますが,これはHC-MOSが登場するまでの過渡期の製品で,速度も遅く,74HCシリーズの登場で市場から消え去りましたが,電池駆動のコンピュータというと,この頃はこれくらいしか使えるICがなかったので,良く見る物です。

 HC-20では,いろいろ検討してみると,多くの部品が74HCシリーズにそのまま置き換え可能です。ですので,とりあえず74HCを発注してあります。

 この時,ちょっとびっくりしたのですが,C-MOSのロジックによくあった,アンバッファタイプが,WEBから買えないんですね。74HC04にしても,4049にしても,4011にしても,アンバッファと間違うなという注意書きが必ず初心者向けの電子工作雑誌にあったものですが,今時アンバッファなんて使わないんでしょうか。

 仕方がないので,アンバッファタイプは,壊れてない限り流用です。

 今後は,アドレスデコーダやちょっとした信号の生成に使われているグルーロジックの故障の可能性と,パターン切れの可能性の2つから,原因を追い込んで行くしかありません。データバスのショートや出力の衝突があることは波形からも明らかですが,その根本原因ははっきりしないままです。

 時間もかかってますが,やっぱりHC-20はあきらめるわけにはいかないマシンです。もうちょっと頑張ろうと思います。

感謝とお別れ

 今日で9月も終わりです。

 私の背中側に座ってらっしゃる方が,今日をもって定年退職されることになりました。

 詳しいことは伺っていませんが,サラリーマンですから,それはそれは山あり谷あり,いろいろおありだったことと思います。

 ともあれ,1つのことをやり遂げる,それも短時間の努力や我慢で成し遂げられるようなものではなく,日々積み重ねていくことでしか完遂できない物事には,ゴールにたどり着いたという事実が,直ちに賞賛されるものとなります。

 個人的事情ですが,ちょうどふさぎ込んで,誰とも話をしようと思えなかった時に,その方が近くの席においでになり,なにかと話しかけて下さったことで,少しずつ話をするようになり,それが私という人間を周囲に認知せしめたという,とてもありがたいきっかけを作って下さった方でした。恩人の一人と言ってよい方だと思います。

 60歳で仕事を辞めて,そこから一体なにをして過ごすのでしょうか。はたまた,生活の糧はどうするのでしょうか。確かに自分の人生設計ですから,定年後,年金をもらうまでの間をどう生きるか考えておくべきというのは分かりますが,そういう心配をしなくて済むならそれが一番いいわけで,もう少しどうにかならんもんかな,とそんな風に感じました。

 私としては,この方が思っている以上に感謝をしているのですが,普段から肩肘張らない話を気楽にさせて頂いただけに,改まってきちんとお礼を申し上げていません。もうそんな機会が何度もあるとは思えず,焦りに似たような気分をここ数日味わっていました。

 それにしてもリアリティがありません。明日の朝,また職場にいる姿を見つけてしまいそうな気がします。

 特に感傷的になるものでもなく,入れ替わり立ち替わり,世話をした若い人や,同僚の方々が次々にお別れの挨拶にやってこられます。おかげで片付けがさっぱり進まないご様子ですが,さすが人望のある方だなと思います。

 私は,定年を理由に親しくして頂いた方とお別れすることは実は初めてです。悲しいことでも残念な事でもなく,めでたいことなわけですし,今生の別れとなるわけではありませんから,通過点の1つとして,私も捉えたいと思います。

 とても長い時間を過ごされた大先輩に,心から感謝したいと思います。ありがとうございました。そして,ご苦労さまでした。

新生シリコンハウス共立と本の山

 昨日の続きです。そう,新しくなったシリコンハウス共立を目指して,北側にガシガシ歩いて行きます。眼前に,それらしいお店が見えてきました。

 私が初めて日本橋に足を踏み入れた頃は,すでに日本橋の南側に大きなパソコン専門店であるJ&Pテクノランド(かつてのテクノランドは今の半分ほどの大きさで,2階へは階段で上がるような感じでした)が存在し,中程にあったお店はメデイアランドを名乗っていました。メディアランドは小さく地味で,日替わり特価品などは最後まで残っている,いわば穴場でした。これが後にスーパーキッズランドにとなり,私も何度か鉄道模型やプラモデルを買ったことがあります。

 一方,シリコンハウス共立は恵美須町駅のそば,今はマクドナルドが入っている場所の2階と3階にあり,狭くて急な階段を上がると,狭い店内に電子部品が所狭しと並べられていました。余談ですが当時のシリコンハウスの店長さんが,後にデジットの店長さんとして,アルバイトで入った高校生の私を随分かわいがってくれました。

 そしてこの7月,スーパーキッズランドがシリコンハウス共立に生まれ変わったわけですが,いくら日本橋が変化する街とは言え,この変化を誰が予想できたでしょうか。

 かつてのパソコンのメッカ,かつてのオモチャと模型のお店として,何度も出入りしたこの扉をくぐるときの感覚の不思議なこと。案外広くて閑散とした印象があるのは,電子部品という小さなものを売っているからでしょうか。

 1階を一回りし,かつてのシリコンハウスの1階と似たような感じであることを理解して,用事のある2階に行きます。うー,電子部品を買うのにエスカレータを使うなんて,ニノミヤが元気だったころ以来です。

 2階に行くと,確かに広いし清潔なのですが,時間が経つにつれて「あれ」という違和感が強くなります。かつてプラモデルを売っていたフロアに電子部品があることが違和感というのではなく,売り場も大きくなったのに,売っているものがほとんど変わっていない,はっきりいうと品物がちっとも代わり映えしないという感じなのです。

 かつてのシリコンハウスになかったものが揃っているとか,そういう印象は非常に薄く,なんだかんだで昔と同じか,と言う残念な気分が支配的になると,もうそういうモードで見てしまうようになります。これはもしかすると,失敗の序章なのか・・・

 確かに,ストロベリーリナックスをはじめとするキットも充実しています。カウンタの中にあったIC類が自分で探せるようになりました。人とぶつかることもなく,ゆったり買い物が出来るようになったことも大変便利です。

 しかし,店が広くなっただけに,かえって寂しく見えるところもあるのです。例えばケース。テイシンやタカチといったメーカーはありますが,リードやアイデアルのケースは少ないか,あるいは全然ありません。そもそも,選ぶほどの品物がないので,相変わらずケースはシリコンハウスでは調達できません。ここは旧ニノミヤのパーツランドやマルツ電波の圧勝ですね。つまみも全然少なく,昔のシリコンハウスの方がいいものが買えました。

 3階はオーディオのジャック類やコネクタ,中古測定器のフロアなのですが,なぜ中古測定器を含む測定器や開発環境専門のフロアにしないのかなあと思いました。それだけ,中古測定器が面白いのですね。

 個人的には,キットと測定器は3階に集めてもいいと思うし,2階は電子部品を集めて,エース級店員さんを集中配備すべきではないかと,思いました。

 まあ,でも平日の昼間にもかかわらず,作業服を着た人たちを含め,結構な繁盛ぶりでした。これが休日や夏休みになると,どんな混雑になるんだろうと想像すると,ちょっとうれしくなりました。

 考えて見ると,日本橋にはこのシリコンハウス共立にデジット,パーツランドといった地元資本の老舗に加えて,マルツ電波に千石電商と,今やアキバよりも面白い街になっているような気さえします。(秋月がないのが致命的ではありますが,その秋月もかつての面白さを失っていますし,デジットと似たところもあるので,通販で補えるレベルだと私は思います。)

 結局,シリコンハウスだけでは揃わなかった部品を探しにデジットに出向きます。デジットが近くなったのはありがたいですが,結局ここはさらに部品が少なくなっており,デジットでなければならない魅力が随分と薄れてしまった印象です。誇るべき店員さんのレベルも下がったなあと思わせることもあったりして,生まれて初めて,デジットを手ぶらで出ることになりました。残念至極です。

 ケースは結局,マルツで買いました。現品限り半額ということで,アイデアルのCL140というちょっと変わったケースを1000円ちょっとで買いました。これには,TA1100のアンプを組む込む予定です。つまみはパーツランドで調達。ニノミヤ時代の在庫を売り切ったら,この店は一体どうなるんでしょうか。

 あと,今回はフィルムコンデンサの入手が難しくなってきたと感じました。今年1月頃にはまだニッセイ電機の1%品が難なく買えたのですが,今回デジットに行って話を聞くとニッセイ電機は倒産したとのこと。調べて見ると今年5月に倒産したんですね,残念です。

 代わりということなのでしょうが,WIMAのコンデンサが入荷していました。でもデジットは種類も少なく,さすがにシリコンハウスの方が品揃えも豊富でした。在庫を切らしてしまうことは,私がデジットにいた頃は御法度だったんですがね。

 結局デジットからまたシリコンハウスに戻り,ここでコンデンサをいくつか買いました。そして,ちょっと気になっていたストロベリーリナックスのL/Cメーターキットを買って帰りました。

 これ,店頭には在庫がなかったのです。カウンターできいてみると,1つだけあるという話になり,それを買ってきたのです。

 このL/Cメーター,4600円とちょっと微妙なお値段で,AVRを使った無調整で高精度な今時の測定器キットです。容量計を作ろうかなと思っていたところでもあり,キットなら楽だろうと飛びついたわけですが,これについてはまた後日。

 さて,嫁さんの飛行機は離陸が30分ほど遅れたらしく,到着は15時をまわってしまいました。この日,大阪も強烈な暑さで,私は直射日光に顔を焼かれて,ひりひりしていたほどです。今年の暑さは,まさにあの日が最後だった,ということです。

 23日は8箱の本のうち,5箱の発送手続きを行ってからのんびりと過ごし,24日にこちらに戻ってきました。そして24日の夜には,5箱の本がちゃんと届きました。150kgをえっちらおっちらと自室に運び込んで,怖い目をした嫁さんのご機嫌を伺います。

 この土日で,Oh!Xの2年分をスキャンしました。実家の近くのスーパーで買った砥石で切れやんだ裁断機の刃を研いで,これから続く厳しい戦いに備えた後,Oh!Xを4冊まとめて,背を切り落とします。

 こんなに頑張ってスキャンしているのに,全然山が小さくなりません。途方に暮れながらも,しかしもうコツコツやっていくしかありません。

 記念に,その5箱分の本の山を,挙げておきます。

ファイル 409-1.jpg

 いやはや,心が折れそうです。

長い大阪での滞在

 9月17日に急に叔父が亡くなり,翌日から実家のある大阪に戻っていました。翌週は偶然にもお休みを取ってあり,他の用事もあって結局1週間まるまる,実家に滞在していました。今後,これほどの長期間実家にいることはもうないのではないかと思います。

 せっかくの長期滞在といろいろ予定を立てたのですが,そのうち大きなものは子供の頃から蓄積している大量の本や雑誌を,自宅に持ち帰り電子化するという作戦です。

 これまで,スキャンをしても紙を捨ててしまえばもうオシマイ,となかなか捨てられずにいたのですが,スキャンしたデータは必要に応じてプリンタで印刷することも,あるいはKindleやPCで読むことも十分可能であることがわかり,オリジナルの紙にこだわる気持ちもかなり薄れています。

 そうなると,実家もいつまでもあるわけではありませんし,今回の不幸のように,これから私の親にもなにか急なことがないとは限りません。その時がやってきてしまうと,もう本どころの話ではありません。今だから出来る事があるというわけです。

 まあ縁起でもない話をするのはやめときますが,年々紙で残す本の基準が上がり,余程の本でないと電子化を免れない昨今,改めて屋根裏部屋の本の山を眺めてみると,むしろスキャンした方がメリットがあるのではないかと思うような本がたくさんあることに気が付きます。

 そんなこんなで,現在の基準で残す,スキャンするを区別し,スキャンするものを躊躇なく自宅に送るのに,期せずして得たこの長い実家での滞在を利用することにしました。

 まず,Oh!X(mz)。1984年から休刊までほぼ揃っていますので,11年分ですね。130冊ほどありますが,ゆうパックで受け付けてもらえる30kgを1つの箱につめると,ざっと2箱分です。レア度の高い「それゆけX1」もスキャン決定です。

 1980年以前の古い古いトラ技も貴重という事で残してありましたが,むしろ電子化して手元に置いておいた方が面白いでしょう。これも1箱ほどあります。

 1980年代前半のI/Oの別冊も,今や技術的な価値はなく,技術史の資料としての側面が大きいでしょう。そうなると紙で残すべきなのですが,私は裕福ではないので,スキャンするのが限界です。だって,RANDOM BOXの総集編やら,8ピンドットプリンタの使い方やら,自作ワンボードマイコンのモニタプログラム集やら,そんなものがあっても,おそらくほとんど役に立たないでしょう?

 マイコンBASICマガジンは弟の管轄なので,今どうなっているのか分かりませんが,私たち兄弟が毎月買うようになった以前の記事は,BASICマガジンデラックスという別冊で確保しました。この別冊をVol3まで買うと,とりあえず創刊号からのプログラムが全て網羅されるはずですが,この3冊については私の管轄なので,私の判断でスキャンします。

 廣済堂出版のRAMも,今や伝説の雑誌です。1980年とか1981年とか,かなり古いものも数冊あるのですが,これは私が学生の頃こまめに古本屋に通って買ったものです。全然数が揃っていないので,ほとんど価値はないでしょう。同じ理由で電波新聞社のマイコンも,数冊しかないのでスキャンします。(1983年2月号は私が生まれて初めて購入したコンピュータ雑誌なのでちょっと惜しいのですが)

 エレクトロニクスライフは,かなり迷いました。1986年ごろから,面白い記事があると買うようにしていましたが,これもそんなに数が揃っておらず,その内容にこそ価値があるのは明白です。断腸の思いでスキャンすることにきめます。揃っていないとはいえ,休刊までの20年ほど間に,箱に半分ほどの量はありました。

 むー,バックアップ活用テクニックが大量に出てきました。Vol4からVol30くらいまであります。結構な分量です。個人的には,Vol5からVol20くらいまでが最も面白く,勉強(なんの?)になったと感じていて,それだけに思い入れもあります。

 実際,このあたりのバックアップ活用テクニックにはそれなりの値段が付いていた時期もあったそうで,そういう事情からもスキャンすることはしないでいました。しかし,ペンキをこぼしたりしてかなり程度が悪く,この状態では価値などありません。といいますか,そもそも現在はそんな高値ではありません。

 というわけで,バックアップ活用テクニックもスキャンします。

 あとは大人になってから買った本ですね。ハードカバーの本が2箱ほど,ブルーバックスをはじめとする新書のたぐいや文庫も大量にあって,これでまた1箱ほどありそうな感じです。

 ということで,2011年の基準でスキャンする本を集めたところ,30kgの箱に8箱出来てしまいました。合計240kg・・・よくもまあ,これを屋根裏部屋から降ろせたものです。

 こうして,紙で残すことになったものは,1982年から1984年までの子供の科学,1983年から1988年までの初歩のラジオ,そして1983年から1986年までのI/Oまでになりました。子供の科学と初歩のラジオはリアルタイムで毎月買っていて,数も揃っています。I/Oは後に古本屋でまとめ買いしたもので,これもかなり数が揃っています。これは今のところは残しておきましょう。全部で6箱ほどです。

 この,本と雑誌の選別と整理,そして梱包に,20日と21日両日をあてました。

 22日は嫁さんが短期滞在の予定で実家に来てくれることになっていたので,迎えに行きます。といっても,伊丹空港までは面倒臭いので,阿倍野までバスで来てもらうことにします。

 この時,もう1つの目的である,新しくなったシリコンハウス共立を見てみようと考えました。嫁さんの飛行機が到着し,阿倍野までやって来る14時頃まで,のんびり買い物をするため,11時半頃に日本橋に到着。

 するとなにやら,堺筋に面した小さいお店が騒がしいです。恵美須町駅のそば,かつてのシリコンハウスがあったあたりです。

 この街で働いていた人間にとって,シャッターが閉まったお店の前に人がワラワラいるのは,おおむね倒産や夜逃げです。集まった人たちには怖い人も混じっているので,目を合わせると取り返しが付かなくなります。

 そーっと眺めていると,報道用のテレビカメラ,大きな一眼レフに腕章と,完全に報道関係の人たちのようです。怖そうな人はいないようですが,なにやら騒然としています。こういう場合,おおむね火事なわけで・・・

 しかし,それも違うようです。50cm程上がっただけのシャッターの隙間にカメラを突っ込み,中の様子を撮影している人もいます。これは結構大きなニュースのようです。

 その日の夜のニュースで,それが違法無線LANを売っているお店の摘発だったと知ります。この手の摘発としては全国初とのことで,NHKの9時のニュースでもちらっと放送していましたので,びっくりしました。もしかしたら私が写っていたかも知れません。

 長くなったので,続きは明日。シリコンハウス共立での買い物のお話からです。

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