エントリー

カテゴリー「できごと」の検索結果は以下のとおりです。

古時計

ファイル 279-1.jpg

 この小汚い時計は,セイコーの「TIME PORT-7」という名前の時計です。1980年の発売といいますが,私が父からプレゼントされたのは1981年であったと記憶しています。プレゼントされた理由は定かではありませんし,当時小学生だった私も,なぜもらえるのだろうかと疑問だったことを覚えています。

 あれから28年。何の変哲もない時計ですが,学生時代は机の上に,社会人になってからは目覚ましにと,常に私の傍らにいた時計です。

 星の数ほどあるデジタル時計の中で,「TIME PORT-7」でググると,何件かヒットします。当時においても,そこそこ個性的な時計で,現在も大事に使い続けている人が日本にも海外にもいることに,妙な親近感を感じました。

 私にとってこの時計は,もはやこれでないと困る時計です。近所迷惑なのではないかと思うほど大きな音がするアラームは確実に私をたたき起こしてくれますし,ストップウォッチ機能は置き時計ならではの安定感と操作のしやすさに秀でています。これまでの膨大なネガの現像は,すべてこれが刻んだ時間で処理されています。

 物持ちの良い私でも,さすがに30年近く使い続けたものというのはこれくらいでして,モーターやギアのない時計ですから,壊れるはずもないとラフに扱っていたのが災いしたのでしょう。

 写真でも分かりますが,LCDの左側が,黒くなっています。

 経験的に,LCDは遅くても20年,早いと数年で,こうして黒くなってしまいます。最初は端っこの小さいエリアでも,徐々に広がっていってしまいます。指で触ったり,水がかかるとさらに広がるのが早くなります。

 もうこうなると復活の方法はLCDそのものの交換しかありませんが,すでに30年近くが経過した時計が修理出来るはずもありません。事実,修理を断られたという体験談をホームページに書いている方もいらっしゃいました。

 昨年くらいに左上が黒くなり始めたのですが,仕方がないで済ませていたのです。ところが先日,ちょっとした振動で時刻がリセットされてしまう状況に業を煮やし,分解して修理することにしたのが運の尽き。

 LCDの偏光フィルムも劣化するので,新しいものに交換しようとしたところ,どうも厚さが変わったらしく,基板をネジ止めしてもうまく導電ゴムと端子が接触せずに,綺麗に表示がなされません。別のフィルムを敷いて厚みを稼いで解決したのですが,これに気が付くまでにすでにネジ山はなめてしまい,LCDもより広い範囲で黒くなってしまっていました。

 これにはがっかりです。余計なことをしなければ良かったです。

 しかも,AMとPMの表示部が黒くなってしまったので,PMの時だけ,Mの左下のわずかな部分だけが点灯しているかどうかが,AMとPMを見分ける唯一の手段です。アラーム時刻のセットでAMとPMをよく間違えてしまう私にとっては,この問題は致命的と言えるでしょう。

 まあ,後継機がきっとあるさ,と探してみますが,これに代わって使えそうなものは見つかりません。修理しようにもそれは出来ないといわれています。オークションを探してみるのも手ですが,30年前の,それも普通の時計がそうそう簡単に手に入るとも思えません。

 ポケコンもLCDが黒くなってしまいましたし,ゲームウォッチも黒くなっています。LCDという自分の寿命よりも短い命の部品を使った製品を大事にするには,自ずと限界があるようです。

 ACで動くものなら,思い切って別のディスプレイに交換してしまうのですが,単三電池一本で1年以上動く時計ですから,素人が手に入れられる部品で修理するのは難しそうです。

 なってしまったものは仕方がありません。とりあえず,わずかに判別できるPM表示を頼りに使い続けることになりますが,これも次第に見えなくなることでしょう。そうなるまでの間に,なにか良い方法を考えついて,実用レベルで修理が可能になっておく必要があります。

 使われている時計用LSI「uPD1991」については,全然データシートが見つかりません。本気で使えるレベルにするための工夫を,遠からずやってくる「使い物にならなくなるとき」のために,考えておこうと思います。

新しいiPodShuffleにアップルの姿勢をみた

 新しいiPod Shuffleが出ました。従来のShuffleも「小さい」という印象を持ったものですが,今回のものはさらに半分の大きさになったと言いますから,かなりのものです。

 操作ボタンは本体からは姿を消し,代わりにヘッドフォンケーブルの途中にあるリモコンで操作をします。ということは,ヘッドフォンを自分の使っているものと交換出来ないということになります。

 まあ,そこまでこだわるべきモデルかどうか,そこまでこだわり人が買うのかを考えると,そこそこの音がするヘッドフォンが利便性を優先して「専用化」することは,そんなに否定的な話ではないでしょう。

 容量は4GBです。価格は8800円です。ちょっと高いかなあという印象は拭えませんが,これだけ小さいサイズになると,競合は音楽プレイヤーではなく,Bluetoothのステレオヘッドセットになってしまうような気がします。

 今回のiPodが私の琴線に久々に触れたのは,VoiceOverです。

 4GBという容量は,初代のiPodが5GB,あるいは初代のiPodNanoが4GBであったことを考えると,かなりの大容量であると考えて差し支えがありません。128kbpsのビットレートならざっと1000曲ですので,「シャッフルする面白さ」と刺し違えてディスプレイもプレイリストも廃止したiPodShuffleという画期的な商品としても,さすがにこのくらいの数を相手にシャッフルするのはちょっと多すぎるという印象があったのでしょう。

 さすがだなと思うのは,そのNANDフラッシュの低価格化という追い風に乗って大容量化したストレージが,むしろシャッフルの面白さをスポイルするという商品の根幹を揺るがす事態に,とてもスマートな解決策を搭載したことです。

 1つは,プレイリストへの対応,そしてもう1つがVoiceOverです。

 曲数が増えたのですから,プレイリストという「ユーザーによる範囲選択機能」を搭載することは,至極自然な発想です。おそらく誰でも思いつくことです。

 ただし,プレイリストに対応すると,操作が複雑になることと,どうしてもユーザーに情報を伝達する手段を持たなければならなくなるのです。

 日本のメーカーなら,ここで小さいLCDなり有機ELなりのディスプレイを無理矢理のせたんじゃないかと想像できるのですが,それはnanoとの棲み分けの問題もありますし,画面を廃止するという最初のコンセプトに矛盾します。

 大事なことは,そのコンセプトは広く受け入れられ支持されているという事実です。ディスプレイを廃止したことは同時に,ディスプレイが持つデメリットも消え失せたことになります。価格が上がる,大型化する,割れやすくなる,消費電力が下がり電池を小さくできる(ということは安く小さくできる),などです。

 アップルは,自らの提案した考えを曲げず,優先度としてディスプレイの復活を選びませんでした。冷静に考えると,もしここでディスプレイを搭載したら,必要がない,むしろなくてよかった,と考えている多数のユーザーのためというより,容量が増えてプレイリスト対応が必要になった,メーカー側の都合のため,ということになってしまいます。

 私見ですが,日本のメーカーには,こういう「自分達の都合」を優先する空気が蔓延しています。アップルがさすがなのは,こういう難しい状況で,原点がぶれないことだと思います。

 さて,そうはいっても,表示はなし,あるのは数個のボタンだけ,LEDを1つ2つ付けたくらいではプレイリストへの対応など無理です。そこでアップルが採った作戦がVoiceOverです。

 確かに,iPod側からユーザーに情報を出す方法として,表示がなければどう転んでも音しかありません。音で伝えるには,もうそれは「しゃべる」ことしかありません。

 ここに気が付いてしまうと,実は技術的にはなにも問題がないことに気が付きます。まず,肝心なプレイリストですが,iPodはiTunesと一緒に使わねばなりませんので,処理の重い音声合成はiPodでやる必要がありません。プレイリストもiTunesが持っているわけですから,音声合成に必要な情報は全部iTunes側にあります。

 MacOSX10.5については,音声合成エンジンに非常によいものが搭載されていて,10.4以前に比べてはるかに自然な声を合成できます。TTS(Text To Speech,つまり音声合成のことをこう略します)はMacOS7の時代から入っていたように記憶していますが,障害者への対応という機能以外で大々的に使われるようになるのは,これが初めてではないでしょうか。

 MacはOSがTTSをサポートしているのでよいとして,ではWindowsはどうするのか,ですが,これはもうiTunesと一緒にインストールしてもらうしかありません。アップルのホームページにある音声サンプルは,MacOSX10.4とWindowsは同じものですので,同じエンジンが使われているのでしょう。

 ただし,これは英語の話であり,日本語を含む他の言語については,すべてのMac,すべてのWindowsで共通のエンジンのようです。残念ながら日本語はかなり苦しいです。他の言語についても,お世辞にも綺麗とはいえないと感じました。

 私は以前,仕事の関係で日本語を含む多国語のTTSにかかわったことがあり,その当時のレベルでもはるかに綺麗なTTSに成功してた例を知っています。それを考えると,ちょっと残念だなあというのが本音です。まあ,アップルのことですから,次のテーマとして考えていることでしょう。幸い,iTunesで実現しているわけですから,本体を買い換えること無しに,そのTTSのクオリティが向上することは大いに期待が持てます。

 電池残量も話すそうです。ただしこれはさすがにiTunesで作るわけにはいかないでしょうから,2つなり3つなりの音声を録音しておき,これを再生するようにしているだけだと思います。その場合,多国語対応はどうなっているのかと疑問がありますが,各国語で3つほど録音するとして全部で50ほどのスピーチですので,実は大した容量ではありません。

 こうして4GBの大容量ストレージをプレイリストで使いこなすことは可能になりましたが,一方でAppleLosslessにも対応したことで,NANDフラッシュの価格低下という恩恵を,利便性にあてるか,音質にあてるか,エンドユーザーに選んでもらおうという姿勢が見て取れます。

 ということで,質感の高さと余計なものを持たないシンプルさ,そしてシャッフルが楽しいというコンセプトを維持したまま,4GBという初代iPodに匹敵する大容量を見事にねじ伏せた新しいiPodShuffle,私は脱帽です。もう買うしかありません。

蔵書を棚卸し

 Macで動くフリーウェアに,Booksというものがあります。

 名前の通り,蔵書管理ソフトです。

 図書館や本屋さんなら管理する必要性もあると思いますが,私も個人で「蔵書」などという仰々しい言葉で指し示すようなものを持っているという自覚はありません。

 このソフト,存在は昔から知っていたのですが,打ち込むのに手間がかかる上,その結果出来上がったデータベースは結局「自己満足と達成感」を得る事にしか使い道がなく,データの二次使用が思いつかないため,いまいち使ってみようという気が起きませんでした。

 しかし最新版は面白いですね。内蔵のカメラでバーコードを読み取る機能があり,読み取ったISBNコードからamazonなどのサイトを探して,その本の書名などのデータと表紙のイメージを取得してくれます。これならあっという間にデータが入力できそうです。

 ファイルへのリンクが可能になっているので,私のように蔵書の半分をPDF化した人にとっては便利でしょうし,しかもその蔵書のリストをhtmlで書き出してwebで公開する機能も持っています。

 ここまで敷居が下がって,かつお遊び機能が付いてきているなら,せっかくだし試して見ようと思ったのが先週のことです。

 しかして元来凝り性の私は,先週1週間,地獄のような日々を送りました。とにかく片っ端から入力していき,持っている本の棚卸しをしようと,そんな風に考えが変わったからです。

 実はこのBooksというソフト,なかなかクセのあるソフトで,決して使いやすいものではありません。例えば新規登録を行う場合,新規登録ボタンを押すとデータの入力フィールドが出てきますが,実はすでにこの段階で新規作成という名称の本が登録されています。だから,入力を何度も途中でやめると,やめた回数だけ「新規作成」という書名の本が登録されてしまいます。この理屈を理解するまで,なぜか知らないうちに冊数が増えて困っていました。

 同じような理由で,データの修正を行おうと入力フィールドに文字を書くと,その段階でデータが上書きされています。保存とか上書きとかそういうボタンも操作もなく,修正を途中でやめるとやめたところでデータが出来上がっています。これも最初は分からなくて困りました。

 例えば続けて登録を行う場合,新規作成ボタンを毎度毎度押さないといけないわけですが,うっかり押し忘れてバーコードをスキャンし,amazonからデータを取り込むと,前のデータが失われます。なんのデータを上書きしたかさっぱりわからないので,何が足りないのか手作業で確認しないといけません。

 まだあります。検索はこの手のソフトでは一番重要な機能ですが,どういう規則で検索が行われるのかさっぱりわかりません。私としては,そのデータに少しでも含まれている語句を入れればとりあえず表示してくれると思っている(spotlightが割とそういう感じになっていますからね)のに,そうならないで見つからないとか,検索した結果の一覧からあるデータを1つ選び,これを複製するとなぜか検索フィールドが空白になり,今作ったデータがどこかにいってしまって探し回る羽目になるとか,とかく信頼を置けないのです。

 こうやって,手間がかかってしまう操作も多くて,申し訳ないですがこのソフト,随所にこうした「無駄な操作」が多く,非常に効率が悪いです。Macらしくない部分も散見されて,ちょっと使いにくいかなあと・・・

 さて,そんなこんなで手元に実体のある蔵書が約500冊,スキャンして実体がないものが300冊,実家に置いてあるもので記憶に残っているものが100冊と,約900冊がデータベース化されました。この数には,いわゆる月刊誌は含まれていませんし,実家にはもう数百ほどの本があると思われるので,合計で1500冊くらい,雑誌まで入れれば2500冊程度に膨れあがるものと思われます。

 今回のデータベース化で何が素晴らしいというと,その本が手元にあるのか実家に送ったのか,それとも友人に貸しているのか,その在処が分かるようになったことです。もちろん,動かすときにデータも更新するというのが大前提ですが,逆にそれさえ守ればどこにあるのか,あるいはスキャンをして捨てたのかどうかも,一目瞭然です。

 htmlに書き出して自宅サーバに置いておくと,世界中どこででも自分の本の状況を把握できます。そんな必要性がどこにあるのかといわれればそれまでなのですが・・・

 それで,改めて今回の件で自分の持っている本を棚卸ししたわけですが,ほとんどが技術書でした。私が毎日のように本屋さんに足を運び,そこで見つけた本を躊躇せず手にとって買うようになった結果なのですが,これも言い訳すると技術書特有の事情があります。

 とにかく,本が買いにくくなりました。特に技術書などの専門書は重傷です。見つけたときに買っておかないと,次はもう手に入らないかもしれません。いや,むしろその時偶然見つかったことが,すでに奇跡的だといってもいいでしょう。

 初版3000部(よくは知りませんがもはやこの部数では採算ラインギリギリなんじゃないでしょうか)で増刷なしとして,全国の本屋さんに何冊ずつ配本されるか,考えてみましょう。そう,amazonなんかの通販は何冊も在庫を持つので,まずすべての本屋に行き渡りません。大都市の大きなお店でも,数冊あれば御の字ですね。

 となると,そういうお店に欲しい人はみんな集まってきますから,発売日から数日間が勝負だったりする本も結構あります。

 うっかり買い逃すとそれっきりになることも多いので,油断できません。講談社のブルーバックスなんて,専門書でもなんでもなくて,どの本屋に結構な在庫があったものですが,今そこそこ大きいお店でも以前の半分程度の在庫しかない,というのは普通のことです。これではここ半年くらいに発売された新しいものしか手に入りません。ブルーバックスは雑誌じゃありません。

 そんなわけで,簡単に品切れになってしまう専門書は,後で惜しいことをしたと思うくらいなら,買っておいた方がよいという判断になってしまいます。専門書は単価も高いので,3000円とか4000円もする本を,あまり考えもせず買うことを続けてしまった結果がこれだった,というわけです。ついでにいうと,そこに「買い支え」というマイナーゲーム機,マイナーパソコンをこよなく愛した私の過去の行動原理が反映されていることを,あえて否定しません。

 再販制度の見直しが議論されると,その度に専門書の存続が危ぶまれると反論が出ますが,すでに専門書は崩壊の直前にあるのではないかと,そんな風に感じることがあります。果たして,再販制度が最後の砦なのか,それとももはや再販制度は関係ないのか,私にはわかりません。わかりませんが,印刷技術によってかつては宝物であった書物が広く安価に庶民に行き渡るようになり,それが民主主義の定着や階級社会の消滅の理由になっていると考えると,本が売れない,あるいは出版の世界の荒廃がもたらす我々庶民の未来が,私は恐ろしくて仕方がありません。庶民は再び,知識から隔絶された世界の住人に,しかも今度は自らの選択によって成り下がる事になるのでしょうか。

メルクリンが破産申請

 ちょっと心配なニュースです。

 鉄道模型にかかわるものなら,知らないものはいない,ドイツの老舗メルクリンが2月4日,破産申請をしたそうです。

 メルクリンにとって2009年は創業150年の記念の年です。にもかかわらず資金繰りに行き詰まり,破産するとはなんとも残念な事です。

 日本の鉄道模型も,かつては子供のおもちゃだったわけですが,当時の子供達が大人になり,少しずつ年齢層が上がって大人の趣味になってきたかなあと思うことがあります。

 HOゲージのような昔から高価だったものは今でもそうですし,Nゲージでさえも,最近は子供経済力ではついて行けないような金額になってきています。鉄道模型はおもちゃではないという主張がこういう形で裏付けられるのは,ちょっと複雑な気分です。

 メルクリンと言えば,やっぱりZゲージでしょうか。線路幅6.5mmの超小型模型ですが,ディテールはしっかりしており,しかも大した牽引力でなめらかに走行します。もはや精密機械といっても過言ではないと思いますが,よく考えてみると老舗のメルクリンのレベルに追いついたような模型を,私はまだ見たことがありません。

 Zゲージは,メルクリンの1万円ほどの最小キットを持っているにすぎませんが,世界のリーダーだったメルクリンには,早く再建し,また世界の模型人を唸らせて欲しいものです。

「アップルを創った怪物」と「バトルオブシリコンバレー」

 昨年末,Appleの創始者の一人Steve Wozniakの自伝「アップルを創った怪物」が書店に並んでいました。

 AppleはSteve JobsとSteve Wozniakの「二人のスティーブ」によって作られた会社で,今さら説明の必要はないと思いますが,Jobsのなにかと派手な人生とカリスマ性の影で,もう一人のスティーブについては,あまりよく知られていないところがあります。

 私はエンジニアですので,JobsよりもWozに親近感がありますし,彼の偉業については彼の仕事(あるいは作品)を通じて深い感銘を受ける機会もありましたが,それ以外の事については,彼自身があまり公にしなかったこともあり,良くは知りませんでした。

 Jobsは今や世界中のビジネスマンのお手本ですから,彼のことを記述した本,彼を分析した本はあまたあります。しかしWozは彼の価値観が「技術的かそれ以外か」という人ゆえ,ビジネスマンのお手本にはなりません。

 しかし,我々エンジニアにとって,偉大で尊敬する先輩であると共に,親しい友人でもあり続けてくれています。

 ですから私に言わせれば,もうそれで十分じゃないか,いまさら自伝とはちょっと無理があるんじゃないかと,そんな風に思いつつ,新刊の棚に列んだ彼の本を手に取りレジに向かったのでした。

 温厚,無垢,天才・・・そんなイメージで語られるSteve Wozniakという人は,果たしてその通りの人なのでしょうか。

 この本は自伝ですが,彼自身が文章を書いた訳ではなく,彼へのインタビューをまとめたものです。日本語訳もこれを意識し,誰かに話しかけるような口語を使って綴られています。このあたりが若干ひっかかりつつ,年末から年始にかけ,読み進めました。

 Wozがこの本を出そうと思った理由が,とても重要です。Wozは,Appleを創業した一人であり,パーソナルコンピュータを画期的なアイデアと技術で完成の域に高めた技術者です。故にAppleを語れば好むと好まざるとに関わらずWoz自身について触れないわけにはいきません。

 JobsとWozの役割分担は非常にステレオタイプに,企画屋と技術屋の組み合わせで会社が成功した一般受けする例にはめ込まれてしまい,ソニーの井深大と盛田昭夫,ホンダの本田宗一郎と藤沢武雄のような見え方がする人もいるでしょう。

 そうした「周囲の期待」から,事実とは異なる話が定説になっていることがあるのは想像に難くありません。しかし寡黙なWozはそうしたことをいちいち訂正するようなことはしないでいたようです。

 ただし1つだけ,彼はJobsとケンカしてAppleをやめたのではないこと,そもそも現在もAppleの社員であり続けていることだけは,はっきりと訂正したかったのです。

 実は,私も彼はAppleをやめたのだと思っていました。彼がその後CL9社を立ち上げるとき,Appleをやめていたと考えるのが普通でしょう。

 ここに,Wozの人間性を2つ見る事が出来ます。まず,親友であるJobsと仲違いをしたわけではないことをはっきりさせたい,そして自分が作ったモノには(会社も含め)愛着があるのだということです。なるほど,実に彼らしいです。

 彼はシャイな人ではありますが,自分の名声について隠そうとするほど謙虚な人でもなさそうです。というより,なにより技術者として尊敬されることが何より大好きな人ですから,自分の実績を隠したりはしません。

 子供の頃のWozは電子工作といたずらが好きな少年で,実はエンジニアの多くは,古今東西を問わずこうした少年時代を送っていただろうと思います。しかし,ただ好きで終わるか,自分で技術を身につけてレベルを上げていけるかでその後の人生は決定的に変わって来ます。

 彼がHPに入社し,その居心地の良さに満足して,一生エンジニアをやっていたいと心底思っていたこと,より小さな回路で作り上げることが楽しくて仕方がないことなど,いずれもエンジニアなら共感できるでしょう。

 そして彼自身が「生涯で最高の設計」というApple][のフロッピーディスクシステムが完成するあたりは,もう私もワクワクしてたまりません。実にスリリングです。Wozが作り上げたこのシステムは,実はMacでも使われ続け,ワンチップになったシステムには「Integrated Woz Machine」を略したIWMというチップ名が付けられていました。

 お金に固執しない無垢で最高のエンジニアが語るその人生は,くよくよしない,いいことばかりを考えよう,そして人を悪く言うのはやめよう,で一貫しています。もしかすると,こんな不景気で絶望的な世の中だからこそ,広く読まれるべき本だったりするのかも知れません。

 さて,そんなわけでこの本を読んでいると,一部の人の間で有名なドラマ「バトルオブシリコンバレー」のことを思い出さずにはいられません。

 アメリカのテレビドラマとして制作された「バトルオブシリコンバレー」は,パーソナルコンピュータの進化の歴史を,AppleのSteve JobsとMicrosoftのBill Gatesの二人を軸に描いたドラマです。

 方や自分を見失ったヒッピー,方や医者を目指すハーバード大のエリートだった二人は,それぞれ別の場所で出会った「パーソナルコンピュータ」に大きな可能性を直感し,自らの人生を賭けて猛スピードで走り始めます。やがて世界が彼らを中心に回り始め,大きな成功を手にしたJobsに,チャンスをうかがうGatesが大勝負に出ます。そしてJobsの凋落とGatesの成功を暗示しながら,物語は閉じます。

 放送当時,なかなか面白いドラマになっていたことや,登場人物があまりによく似ていたこと,そしてAppleにJpbsが戻り,復活ののろしが上がった頃だったこともあり,日本でも話題になりましたが,残念な事にレンタルオンリーのビデオテープでしか見る事が出来ませんでした。(CSやNHKのBSで何度か放送されたらしいのですが,ぜひDVDでの発売を期待します)

 Jobsサイドの進行役はWoz,Gatesサイドの進行役はSteve Balmerなのですが,特にJobsサイドの話が,今回のWozの本をそのまま使ったんじゃないかと思うくらい,一致しているのです。

 例えばJobsがアルバイトで「オズの魔法使い」の着ぐるみショーをやったとき,子供相手に嫌気が差したことなど,完全はないにせよこの本とよく一致しています。また,BlueBoxを売っていた時に警察に職務質問され,ウソを言って逃れたシーンなども同じ記述がありました。

 もともとこのドラマは,おかしな誇張や脚色が少ない(言い換えると事実がそれ程面白いということになる)のですが,それゆえあまり突っ込むところもありません。

 XEROXのパロアルト研究所でデモを担当したエンジニアは女性でしたが,彼女は実在の人物でAdele GoldburgというSmalltalkの大家です。分からず屋の本社の指示でJobsにデモをするよう指示された時,涙を浮かべて激怒し,真っ赤な顔をしてデモを行ったと言われています。こんなところまできちんと史実に沿っているのは,かなりこだわっていると感じます。

 そしてこのドラマは,非常に難しい判断を投げかけて終わります。

 「Macをパクった」と怒るJobsにGatesが言ったとされる「先にテレビを盗んだ奴が後からステレオを盗んじゃいけない,というのはおかしいだろう」という反論についてです。

 この発言はなかなか意味深で,GatesはWindowsのGUIをパクったことを認めながら,Macだってパクリじゃないか,五十歩百歩だよ,というのですから,パクったことについては否定していません。

 ただ,Gatesはパクったにはパクったが,Macをパクったのではなく,XEROXのALTOをパクったと言っているわけです。

 この発言は比喩であり,泥棒は言い訳無用の犯罪であることに議論の余地はありませんが,もし自分が先にALTOを見ていたら,Jobsと同じように感銘を受け,ビジネス化しただろうという悔しさもあったのではないでしょうか。

 しかし,このIFは残念ながらありえません。JobsがXEROXを見学した1979年(もしくは1980年)当時,Jobsはすでに億万長者で,一方のGatesは中小企業の社長に過ぎません。XEROXはAppleに投資したがっていて,それがきっかけでパロアルト研究所への見学が催されたといわれていますので,JobsがALTOを見る事が出来たのは,彼の成功あってのことです。

 しかも,Jobsはこの後もう一度見学を希望しています。この申し出にXEROXの役員は快諾するのですが,この時彼は周囲にいた天才的プログラマーを引き連れ,かなり突っ込んだ議論も行っています。そして出来上がったLisaはGUIとビットマップディスプレイを採用しながらも,ALTOとは異なるGUIを実装し,ALTOよりもずっと低コストなマシンに仕上がっていました。

 GatesはLisaを見て「これと同じモノを作りたい」と言い出すわけですから,明らかにLisaがWindowsのきっかけになっています。また,Gatesの当時の力では,パロアルト研究所を見学し直接ALTOをパクる事など,どう転んでも実現しなかったでしょう。

 しかも,Microsoftが当時Appleに説明したというWindowsは,まだオーバーラップウィンドウが実現していないVersion1.0だったといいますから,LisaやALTO,MacのGUIとは違うものです。後にWindows3.0や3.1を持ち出して「Appleの了解は得た」というのは,少々苦しいでしょう。

 それでももし,Gatesが先にパロアルト研究所の見学に成功し,ALTOについて直接議論する機会があったとしたら,もしかするとWindowsは最初からもっといいものが出来上がっていたかも知れません。注意しないといけないのは,PC-ATの80286やEGAは,初代Macの68000の8MHzや512x384ドットのグラフィックというスペックと比べても決して見劣りしてはいないということです。

 実はXEROXも,Appleをパクられたと訴訟を起こし,負けています。XEROXもAppleに対してはパクられたと考えていたことがわかりますが,そのAppleがMicrosoftを訴えた際にも,Appleは負けているのです。

 まあ,GUIを普遍的な技術として特定の会社の所有物にしなかったという裁判所の判断は,後のパソコンにどれほどの貢献をしたかはかり知れません。結果論ですが,これがアメリカ,なのかも知れません。

 そしてWozは,自らが生み,育て,そしてApple躍進の原動力となったApple][の開発者で,本来ならLisaもMacも素直に喜べない立場の人でありながら,MacもiPhoneも大好きという,とても公平なエンジニアです。

 訴訟?軋轢?

 いいものはいい,ただそれだけという純粋なエンジニアであること,そして周囲がそれを許すことに,私はとても憧れます。

ページ移動

ユーティリティ

2020年05月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

新着エントリー

過去ログ

Feed