エントリー

カテゴリー「できごと」の検索結果は以下のとおりです。

みみもと

ファイル 178-1.jpg

 フォステクスというと,MTRのメーカーという人もいればヘッドフォンのメーカーという人もいるし,長岡先生のスワンについて熱く語り出す人もいたりと,なにげに音に関わるメーカーとして,知る人ぞ知る存在です。

 しかしてその実態は,なく子も黙るフォスター電機です。ヘッドフォンやスピーカーの製造元で知られ,「これにも」「あれにも」フォスター電機のスピーカーは入っています。ヘッドフォンなどはそのものずばり,OEMで供給されていたりします。

 私の場合,フォステクスというと自作派を見捨てないスピーカーユニットのメーカーであることと,個性的なヘッドフォンRP50のオーナーであることで,ちょっと特別な存在ではあるのですが,先日RP50のイヤーパッドを直販サイトで購入したことがきかけになり,時々メールが届くようになりました。

 なんでも,リニューアルするとか。

 リニューアル予定の日時を過ぎても準備中と,おいおいこのまま閉鎖するんか,と心配になっていたのですが,ちゃんとオープンしました。

 リニューアル記念に安い物も出ていたのですが,ヘッドフォンのデモ品などは気持ち悪くて却下したところ,結局なにも買う物を見つけることが出来ませんでした。

 ただ,プレゼントキャンペーンがあったので応募してみます。私の場合,大体の場合こういうのに当たった試しがありません。今回も外れるだろうと思いつつ,非売品の「みみもと」というヘッドフォンに応募してみました。

 そんなこともすっかり忘れていた金曜日,なんと当選した「みみもと」が届いておりました。

 いやー,うれしいものですね。ありがとうございます。

 改めて確認してみると,20名に当たるというものでした。応募者がどれくらいいたのかわかりませんが,中に入っていたメモも手作りっぽくて,良い意味でうれしくなります。

 「みみもと」と書かれた包み紙に,簡素なビニル袋に入ったそのヘッドフォンは,非常に軽く,若干粗雑な作りです。しかし,フォステクスのヘッドフォンによく見られる白を基調に,オレンジのFOSTEXロゴが,コアなマニアからの視線を釘付けにしそうです。

 ヘッドフォンですから,なにより音が大事。ということで,早速使ってみましょう。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・これはいかんです。

 一瞬,耳がおかしくなったのかと思いました。次にiPodが壊れたのかと思いました。でも,いつも使っているオーディオテクニカのCK7に差し替えて,そのどちらでもないことを確かめて,ほっとしました。

 いや,大多数の人が好む低音バリバリのブーミーな音が出てくると思っていたのですが,実際はそれを含んで,高音がさっぱり出ていない。しかもかなり歪みが大きい上に,中域の山が大きくて,とてもではないけど長時間聞いていられません。

 CK7は,やや低域に偏りがあるものの,基本的にどの帯域にも公平な音です。モニタを目指したと言うだけのことはあります。

 一体,これと同じ物がどのメーカーにOEMされ,なんという型番で売られているのかわかりませんが,仮にこれを2000円とか3000円で買うと,私ならかなりがっかりすると思うのですが,世の中の人はそんなこともないのでしょうか?

 ということで,残念ながら実用機にはなりませんでした。

 ぱっと見ると,おそらく展示会のお土産か取引先へのノベルティだろうと思われるのですが,失礼ながらこれを配るのは自殺行為では・・・と心配になりました。

 誤解のないように書いておきますが,せっかく頂いたものですし,感謝はしてます。フォステクスも好きだし,そこが私にプレゼントですからね,うれしくないはずはありません。

 しかし,音は別です。

 おそらく,好みの問題を通り越して,ちょっとつらいという音になっていたことが,私にとっては残念でした。

 とりあえず,このヘッドフォンのOEM品を買わないように,気をつけたいと思います。

目の前に伝説の人がいるという驚異

 先週土曜日は,かのバート・バカラックのコンサートに行ってきました。大ファン(というかいわゆるポピュラーミュージックに触れるきっかけになった特別な存在だそうです)の友人が「もう80歳だからね,今回の来日は奇跡だ」と声をかけてくれたのです。

 出不精の私としても,せっかく東京近郊に住んでるわけですし,これはやはり見ておくべきだと,そのお誘いにのることにしました。

 繰り返しますが御年80歳。存命なのは普通の話として,失礼ながらステージに立てるのでしょうか・・・それも東京で2回,神奈川で1回,大阪で1回も,です。

 しかし,そんな心配は杞憂でした。2月16日18時。予定通りそのステージは幕を開けました。

 オーケストラに囲まれ,グランドピアノの前に座るその人は,間違いなくバート・バカラックでした。いやー,全然80歳にみえん!

 半世紀以上にわたって,まさにポピュラーミュージックシーンの先頭を走り,まさに道なき道を切り開いてきたその偉大な「発明者」は,演奏する曲があまりに多すぎて,フルコーラスを演奏した曲は少なく,何となく気ぜわしいメドレーが中心です。

 しかし,そのメドレーも違和感なくスムーズに繋がるのはさすが。あれよあれよといううちに,彼の世界に引き込まれていきます。

 注意力が削がれてしまうような夢心地に浸りながら,私は彼の「節回し」に思いを巡らせていました。

 私見ですが,バート・バカラックほど,受け手によって評価するポイントが大きく違う人もいないのではないでしょうか。ある人はコード進行の素晴らしさ,ある人は美しいメロディー,ある人は独特のリズム,という具合にです。

 それは受け手の勝手な解釈によって意見が割れるという意味ではなく,まして評価が定まっていないという事でもなく,これらすべての完成度が一様に高く,受け手がたまたまどれに感動したのか,という「第一印象」によるところが大きいという,そういう意味です。

 私の場合,コード進行でバカラック節」を意識するようになりました。

 面倒臭いのでキーをCにしますが,

C -> F -> G7 -> C

 という3コードは,あまりに普通すぎてつまらんのですが,これを,

Cmaj7 -> Fmaj7 -> FonG -> Cadd9

 とするだけで,随分中間色になる,といいますか,雰囲気が変わるんですね。

 私は,これを誰が最初にポピュラーミュージックに投入したのか,すごく気になっていたのですが,ひょっとするとバート・バカラックがその先駆者ではないかと,今回思ったりしました。本当にところは専門家に任せますが・・・

 同じようなコード進行は,カーペンタースにもよく見られますし,コードとして確立される以前には,オーケストラ出身のアレンジャー達によって普通に行われていたのですが,コンポーザーがこれを意識してスコアに明記するようになった現代とはちょっと事情が違うと思われ,アレンジの1つとして和音を組み立てるのではなく,作曲家が意識してこれらのコードを使いこなす時代が来たのは,やはり彼がきっかけになってるんではないかだろうかと思うわけです。

 カーペンタースについても濃いマニアがいるので,彼らからの異論は当然あると覚悟の上であえて言いますが,結局リチャード・カーペンターも,バート・バカラックのフォロワーに過ぎないということです。そして,それがカレン・カーペンターの声と組み合わさって,彼らの世界として定着しました。私の理解は,あくまでバート・バカラックが源流にあります。

 今回,彼の最初のヒット曲を演奏してくれました。まるで子供向けの音楽のような無邪気な曲だったのですが,彼が演奏前のMCで言うような「私の曲とは思わないかもしれない」という言葉と裏腹に,きちんとコード進行は後のバカラック節を彷彿とさせ,これはどう考えてもバート・バカラックの作品だと思わせるものでした。

 これを半世紀以上も前にやってるなんて,と私は絶句しました。

 今回のコンサートで耳にしたコード進行として,

Fmaj7 -> Em7 -> Fmaj7 ->Em7

 みたいな,坂本龍一が大好きな進行も

F -> GonF -> Em7 -> Am7add9

 みたいな,「威風堂々」のような進行も

C -> Cmaj7 -> C7 -> Fmaj7

 のような,ビートルズ(つかジョージ・ハリスン)の「Something」のような進行も,彼の引き出しから出てくる出てくる。

 あと,

C -> F

 なんかも,いきなりいかず,

C -> Gm7 -> C7 -> F

 ときちんとつないでいく丁寧さ。CからFだとトニックからサブドミナントへの移行に過ぎませんが,Fの前にC7を置くと,ここでCmajからFmajへの転調風味を加えることが出来て,ダイナミックな場面展開を印象づけることができます。

 でも,いきなりすぎるので,お客さんは戸惑います。そこでC7の前のGm7を入れて,CmajとFmajへの変化に階段を付けてお客さんを丁寧に導くのです。

Gm7 -> C7 -> F

 という後半部分はFmajだったとすると結局Fに着陸していますけど,もしこれがCmajだとすると,

Dm7 -> G7 -> C

 となり,この部分だけで独立して,きちんと終止形に落ち着くように構成されていることがよく分かります。Dm7は機能としてIVと同じですから「これからいくぞ」と思わせ,G7で終わりを予見させて,そして予定通りCできちんと終わるという道筋ですが,これを本来の「CからF」という流れの中に劇中劇として組み込むことで,さらにドラマティックになるんですね。

 音楽というのは,聞き手の期待に沿いつつ,適度に裏切ることが心地よい条件だと言われていますので,こうした組み立て方は聞き手に感動を呼び込みます。これに覚えやすいメロディーと印象的なドラム,そして美しいアレンジが加わることで無敵の曲が完成します。

 考えてみると,バート・バカラックの曲は,どれもこれに該当します。

 いやー,参りました。

 ・・・とそんなことを考えながらじっと彼のパフォーマンスに聞き入っていたわけですが,他にも,特にベースとドラムがうまかったということ,ストリングスに全くバラツキがなく,まるで1つの楽器のように鳴っていたことが素晴らしかったことも
付け加えておきます。

 しかし,なにより素晴らしかったのは,彼の肉声です。私はボーカリストとしての彼が大好きで,もっと彼の歌を聴きたかったのですが,もう80歳ですからね,あれだけ歌ってくれただけでも感動的でした。「Make It Easy On Yourself」を聞けなかったことがとても残念ではありましたが・・・

 ただ,3人のボーカリストは私の好みに合いませんでした。声も歌い方も好きではありませんが,なによりあの美しいメロディーを勝手に変えて歌っていることが受け入れがたいものでした。まあ,バート・バカラック自らの意志で彼らを選び,やりたいことを表現しているのでしょうから,私がとやかく言えるわけではありません。


 やはり,あらゆる世代から尊敬を受ける彼のような存在は,あまりに大きすぎるとしか言いようがありません。貴重な公演でしたから,きっと有名人もたくさん見に行かれたんだろうと思いますが,あの場所では少なくとも観客全員が「ファン」として同じ立場に立てたわけで,バート・バカラックという人の存在なくして味わえない連帯感のようなものに,改めてその特別さを痛感した次第です。

 一緒に行った友人は,ボロボロ泣いていました。感動というのは素晴らしいものです。

 コンサートでは,昔の曲だけではなく,新しい曲も聞くことが出来ました。アレンジも楽器も今風で,コード進行はより挑発的なものでしたが,こうして過去の栄光に安住せず,新しい挑戦をする彼のスタンスに,本当の「発明者」の姿を見たような気がしました。

愛されるマシンと処分費用

ファイル 168-1.jpg

 年末年始に実家に戻っていたのですが,母親から「このへんも来年の4月から,パソコンの処分費用がとうとう有料になるので,いらないものは処分したい」と言われました。
 
 実家を建て替えるときに,かなりの古いパソコンを処分したのでそれほど残ってはいませんが,それでも台数で言えば7,8台もあるでしょうか。

 弟いわく「そんなもん,最近のパソコンだけの話で昔のパソコンは関係ないだろう」というのですが,それこそパソコンの素人がどこまでを古い,どこからを新しいと判断出来るわけもなく,結局外観で判断するしかない(つまりキーボードがあってそれっぽいディスクドライブがあって,これみよがしにPersonalComputerとか,MacintoshとかNECとか書かれていたりする)ので,おおむねアウトになるはずです。

 といいますか,今までパソコンの処分費用が無償だったという自治体があったことを私は逆に驚いていて,もしこれが広くアピールできていれば,全国から自作派の人々が移り住んだのではないのかと思ったりしました。

 母親の一番の心配は,実はCRTモニタだったようです。見た目に「いかにも」ですし,すでにテレビは有料化されています。大きいし重たいし,邪魔なことこの上ないものが,これからは好き勝手に捨てられないというのは,確かに面倒な事です。

 それはもちろんのこととして,私は,これを機会に価値のなくなったもの,すでに動作しないものを処分するきっかけにしたいと考えたので,弟と母親の3人で作業を始めました。

 方針として,以下の条件に合致すれば残すこととしました。

・我々兄弟がまともに購入し,原点として特別なお思い入れがあるもの,もしくはその予備機
 -> PC-6001,X1turboIII,X68000PRO,PC-6001mk2

・今後も使用する可能性があるもの
 -> MacintoshG3DT

・歴史的価値があると判断されるもの
 -> Apple][ J-plus,MZ-80C,MacintoshSE/30

・所有権が我々にはないもの(つまり借りパクってやつです)
 -> M5jr

・ハンドヘルド機
 -> PC-8201,HC-20など(これは私が引き取りました)


 これに外れた周辺機器は原則処分,またこれに該当しても故障して動作しない場合は処分とします。

 とまあ,私の心の中でこうしたルールを密かに作って分類をしたところ,以下の機種を処分することになりました。

・PC-9801BX3,X68000compactXVI,PC-PR401,PC-9801NV,DELLのマルチシンクCRTモニタ

 ついでに,もう必要がないと思われるものも捨てることにしました。

・A-450(TEAC:カセットデッキ),DP-990SG(KENWOOD:CDプレイヤー),QX5(YAMAHA:MIDIシーケンサー),MV802(YAMAHA:8chミキサー)など

 まあ,A-450などは中学生の頃に友人からもらい,回路図を手に入れて改造や調整に心血を注ぎ,これで録音したテープが数百本もあるような,私の青春そのものですから捨てるのは忍びないと思いましたが,すでに動作せず,また修理しても音質だって今使っているAKAIのGX-Z9100EVに全然かなわない状況では,もう処分するのが妥当でしょう。

 DP-990SGも,いかにも80年代中盤らしい重厚な作りで,筐体を叩いても全く音が響かないという今時のエントリー機種には考えられない贅沢っぷりです。PCM56を使ったシンプルなDA変換とあいまって,実はこの世代のKENWOODのCDプレイヤーは,意外にゴミ扱いされてないらしいです。

 とはいえ,回転モノですしね,動くかどうかもあやしいものです。これ買った当時,まさか捨てる日が来るとは全然思いませんでした。

 当初,プリンタはPC-PR405という日本語熱転写プリンタも捨てる予定でした。しかし,一応第2水準のROMまで増設して文字の汚さを除けば現在でも一応使えること,また古いマシンで文字を印刷したい場合に使えるプリンタを1台くらいは残さないと,と捨てるのをやめました。

 さて,ずっと屋根裏の物置に置いてあったMacintoshSE/30です。

 このSE/30は,私がずっと使っていたものではありません。とあるところで1年ほど使ったものが廃棄処分されるのを見かねて,私が1台引き取ったものです。

 思えば,私が初めて買ったMacintoshは,SEでした。今時の若者はしらんやろうなあ。

 これを数万円で中古で購入,system6.0.7は不安定でしたが狭い画面でもかわいらしく動いてくれて,私はMacでの作業の比重を増やしていきました。

 無理矢理CPUを68030にするアクセラレータまで購入しましたが,処理速度の壁,メモリ搭載量の壁に限界を感じ,SE/30への買い換えを決意したのは,徹夜で飲んで泊まったカプセルホテルで迎えた朝のことでした。

 ちょうどSE/30がディスコンになって,それぞれのお店で新品の最終入荷があったころの話で,中古で20万円。メモリもHDDもなく,なんにもない本体だけのSE/30でしたが,それでも当時としては破格の安さでした。

 自動車が買えると言われた32bitのMacintoshがようやく我が手に,とわくわくしましたが,当時すでに時代遅れの性能であったことは事実で,高価だったゆえの設計のまじめさが,スペック以上の体感速度とチューニングのしやすさの理由でした。

 Xceedという24bitフルカラーボードと内蔵CRTのグレイスケール化改造という定番に始まり,DAYSTARの33MHzのアクセラレータを購入,メモリもフル実装で32MByteをMODE32で使う,という今となっては懐かしい構成まで育てた私のSE/30も就職を機に売却,メインマシンをCentris650のロジックボードをIIciの筐体に入れたオリジナルマシンに切り替えました。

 コンパクトな筐体に素性の良さから来る拡張性の高さ,そして本当の意味でOldMacintoshの完成形であったSE/30は,今考えても良いマシンだったなあと思います。

 で,数年前に無改造のSE/30を引き取った私ですが,面倒でそのままにしてあったのが悪かったのでしょうか,今回初めて電源を入れてみると,悲しいことに動きません。

 起動音もせず,画面にランダムなパターンが出ているだけです。はて,メモリがないと起動音もしないんだっけな???と当時ならすっと出てくるはずの事もすでに忘却の彼方へ。この時点で私はこのSE/30のオーナーとなる資格を持ち合わせていなかったと言えるのかも知れません。

 筐体を開けようにも,トルクスドライバなど気の利いたものが実家にあるはずもありません。よってメモリがあるのかないのか確認することすら出来ずに,もう壊れたと判断して捨てることにしました。

 日焼けも少なく,たばこのヤニも付着していないプラチナホワイトの筐体を,最後のお別れに撮影。おそらくSE/30をこの先手にすることはないでしょう。

 母親によると,実際に捨てるのは2月だそうで,まだ実家には残っているのですが,私がそれまでに実家に戻ることはありませんし,それにこのSE/30にはちょっとした嫌な思い出もあったりして,それをすっかり消去する機会と割り切りました。

 考えてみると,古いMacintoshを愛でる習慣はマニアの間でも連綿と続いているようで,我々の世代にとって愛されるマシンとはSE/30やQuadra700です。やっぱフロッグデザインですよ。

 ですが,私の後の世代では,ColorClassicIIだったりします。うーむ,あんな中途半端なマシンのどこが・・・SE/30と同じレベルで語って欲しくないなあ・・・と。

 G4Cubeに至っては,それってつい最近のマシンやんけ,と思ってしまいます。一方私の前の世代からは,やっぱ初代だろうとか,Lisaだろう,いやApple][GSだろうとか・・・参りました。

 ふと,G4Cube以降,そんな愛されるマシンが出てないことに気がつきます。まずいですね。このままではMacintoshも,ただ消費されるマシンになってしまいます。

 そんなことをつらつらと考えながら,私はSE/30にお別れをしたのでした。

世界遺産・日光

 さる21日,22日に,日光に旅行に行ってきました。

 関東に来て10年以上たちましたが,日光という世界遺産を見ることもなく過ごしてきたことに対する反省が常にあり,きちんと見ておきたいという気持ちがあったことと,もし日光を見るなら冬だと決めていたこと,そして年末に休みが取れたことが理由です。

 そもそも旅慣れない私は,日帰り旅行のつもりでいました。しかし,せっかくだからと一泊することにしたのです。しかし,これまで宿を「雨露をしのぐためのもの」としか考えておらず,それ以上のことを全く期待しない私としては,ホテルに泊まることそのものにも抵抗がありました。

 同行する友人と旅行代理店のカウンターに座り,どうしましょうかねと相談を持ちかけたところ,無難にパンフレットを広げられた私は,「金谷ホテル」というホテルの名前をちらっと店員さんがするのを耳にしました。

 明治から続く日本最古の西洋式ホテルで,主として外国人観光客を相手にしてきた名門であることは,私も何故か知っていました。驚いたのは,そんな名門がなぜこんなけばけばしいパンフレットにプランを載せているのか,ということでした。

 とはいえそこはさすがに老舗。ややお高い金額ではありましたが,私は思いました。ここならホテルに泊まるという事そのものが,目的に出来るのではないだろうか,と。

 いわゆるホテルというところは,採算性を考えて最低限の造りにするようです。見た目の豪華さとは裏腹に,見え透いた低コスト体質がアンバランスで,私にはむしろ欺かれているような錯覚にさえ陥ります。新しいホテル,バブル以降のホテルはそんな傾向が顕著であり,私としてはそこに過度な期待をすることがそもそも誤りだと思って割り切っています。

 私のような旅慣れていない人でもこう感じるのですから,達人はもっと感じているんではないかと思います。それくらい,上っ面だけよく見せようとするホテルがなじめないということです。まあ,私がこれまでにろくな宿に泊まってこなかったか,ってことですね。

 行きと帰りの電車の座席を予約して,当時を迎えました。幸いにして21日は晴れて穏やかな天気,22日も曇ってやや寒かったのですが,雨には降られずにすみました。

 ホテルには昼過ぎに到着,荷物を預けて早速徒歩で東照宮に向かいます。なにせ初めての場所ですから,距離感もありません。歩いていいのかどうかは,デフォルメされた地図をあてにする他ありません。

 ホテルは私の想像通り。ひんやりとしたコンクリートでがしっと作られた小さな建物は,これまでの年月を物語っているようです。私は別館(別館とはいえ昭和10年の建物です)の4階でしたが,エレベータがなく階段であるというのが,私には新鮮な喜びがありました。

 部屋は天井が高く,広く,ゆったりしているものでした。壁の薄さも感じることなく,体の芯から暖かくなるスチームヒーターが実に快適です。室内にあった資料などに目を通すと,ホテル全体に見所が散見されるようです。さすがに歴史があり,それを大事に守ってきたホテルだけあるなあと,そんな風に感じます。

 さて,4時も過ぎると暗くなってくるのであわててホテルを出ます。まず目にはいるのが,神橋。朱塗りの橋が晴天を映す川の上に豪快に架かっています。

ファイル 167-1.jpg

 予定通り東照宮まで歩くのですが,中国や韓国の団体さんによく一緒になりました。これが日本だと思って帰ってくれると私もうれしいし,数ある観光地のうちわざわざ日光のような場所を選んで来てくれたことも,うれしいと思って見ていました。よく言われるようにマナーの悪さもなく,とてもよかったと思います。

ファイル 167-2.jpg

 陽明門,唐門,有名な猿や象の彫像を見て,建物は意外に小さいんだなあというのが率直な感想でした。かの徳川家康が作ったわけですから,さぞや大きいのだろうと思っていたのに,そうでもなかったようです。絢爛豪華であったことは事実ですが,これはむしろ当時がどうのこうのというより,現在もその豪華さを維持している事の方が重要ではないかと思います。

 奈良や京都だって,出来た当時は絢爛豪華でした。しかし現在,奈良や京都にそれらをイメージすることは少ないでしょう。

 そんな中で,とても東照宮らしいなあと思ったのが,これまた有名な「眠り猫」です。

ファイル 167-3.jpg

 奥宮の門に彫られている猫の彫像ですが,右から見ると眠っているように,左から見ると飛びかかろうとしているように見えます。猫が眠るほど安全で穏やかな場所であるということと同時に,ネズミ一匹通しませんよと言う意思表示だともいいます。

 猿にしても何にしても,彫像が見事でして,特に動物が多く使われていることがユーモアの表れだろうと感じました。奈良や京都,そして鎌倉,今回の日光と時代を進めて思ったのですが,東照宮ほど日本人独自の茶目っ気がでている建築物はないんじゃないかなあと,うれしくなりました。

 さて,輪王寺に足を伸ばします。三仏堂で仏像に圧倒され,鳴き龍が本当に鈴を転がしたように鳴くのを聞いて素直に面白いなあと思っていましたが,どうも拝観券をもぎる人が無愛想なんですね。みせてやってるという感じがありありと見えて,中には無言で引きちぎるような人もいます。無論接客業ではないし,過度なサービスは無用ですが,一人だけ「行ってらっしゃい」と背中を押してくれたお坊さんがいて,みんなこういう方ばかりならよいのになあと思った次第です。

 一年で一番日が短い時期ですので,日光も入場は3時半まで,4時には追い出されてしまいます。確かに周りも暗く,ひんやりしてきました。都会に住む我々とは,どうも時間の進み方に差があるようです。

 ここでホテルに戻ります。少し休憩し,東照宮の近くにある洋食屋さんに夕食の予約をします。7時半閉店・・・やはり時間の感覚が違います。

 明治の館というこのお店は,もともと外国人の別荘だったところをそのまま洋食屋さんにしたものだそうで,お昼時には行列が出来る人気店だそうです。

 5時半過ぎ,すっかり日が落ちた日光は,街灯もなく,ひっそりとして恐ろしささえ感じます。そんな中我々は明治の館を目指します。なんかどんどん山道を入っていきますが,人もいませんし,明るくないのが心配です。道を間違うことで困ったことが一度や二度ではない我々は,過信せずに店に電話をして場所を確認しました。

 声を出して確認をして,友人にも覚えてもらうようにしながら案内を聞き,ようやく到着しました。

 洋館のホールにいくつかのテーブルがあり,大きな暖炉には桜の木が炎と独特の香りを立てて,寒く不安だった我々の気持ちを暖めてくれるようです。

 ここで5000円ほどのコースを頼みましたが,食べきれないほどの量,そしておいしさに,都心という所の不経済さ,不合理さを感じました。

 ホテルに戻り,大理石で作られたという部屋にあるホテルのバーに向かいます。別の友人にこのホテルに泊まるといったところ,ホテルのホームページのバーの紹介に反応し,その雰囲気の良さに私も興味があったのです。

 カウンターは先客がおり,私たちは暖炉の前の椅子に案内されました。またも暖炉です。のぼせない程度の距離をおいて燃えている薪を眺めながら,のんびりと過ごします。外で飲むお酒でこんなに緊張をしないで済んだのは初めてでしょう。加えて暖炉の前でお酒を飲むというのも,もう生涯ないんじゃないかと思ったりしました。

 翌朝,ホテル自家製のパンを朝食に摂り,部屋に戻る途中ですれ違った,まだあどけなさの残る部屋の清掃係の従業員の,たどたどしく,しかし基本に忠実な「おはようございます」というお辞儀に感動を覚えつつ,チェックアウトを済ませていざ華厳の滝に出発です。

 帰りの電車までの時間はたっぷりありましたが,欲張らず,見るべき所を絞り込んでゆとりを持って行動することにします。

 華厳の滝までは路線バスでいきます。いろは坂を登り,標高1200mの場所にそれはありました。バス料金は片道1000円。路線バスとしては高いなあと思ったのですが,歩けるようなものでもないので,妥当な所でしょう。

 道中,バスの中でクリスマスのキャンペーンが案内されました。華厳の滝に到着してから,サンタの格好をした人たちがドカドカと乗り込んできました。なんでも降りる前にくじをひけとのこと。

 友人はなにもこんな時に引き当てなくてもいいのに,一等です。ホテルの特製チーズケーキがあたりました。私は一口羊羹の四等です。冗談で「荷物増やしてどないすんねん」と友人をからかったのがどうも彼らに聞こえたらしく,バスを降りるところで「荷物を増やしてすみません」と謝られてしなったことは内緒です。

 さてその華厳の滝ですが,これはすばらしいの一言に尽きます。

 気温は3度。寒いですが,うっすらと雪で姿を隠した岩肌に,豪快にしぶきを上げる滝を見ていると,なんだか大きなものに包まれているかのような気分になります。昔から,滝のあるところには宗教的な意味合いの場所が多くあるものですが,その理由が少しわかったような気がします。

 500円払うと,岩の中を100m掘り下げて作ったエレベータで,水が落ちる場所を間近に見ることが出来ます。ここは迫力と言うより,100mの華厳の滝を見上げて見る事がミソのようです。

ファイル 167-4.jpg

 帰りのバスまで少し時間があるので甘酒を飲もうと,バス停の前の店に入りました。私たち以外はみんな外国の方。オバチャンは英語も堪能で,私にも英語でお礼をいってました。

 また東照宮の近くまで戻ってきました。金谷ホテルで食べることが出来なかった100年ライスカレーを昼食にし,その後家光の廟がある輪王寺大猷院をみます。

ファイル 167-5.jpg

 祖父家康を尊敬する家光は,東照宮を超えないようにと地味に作ることを命じますが,その実見えないところで高い技術が使われており,技術バカの私には琴線に触れる場所です。

 確かに色遣いなども落ち着いていますし,その模様や様式などを見ていると,300年続く江戸時代の実質的スタート地点は,家光の時代だったんだなあと思いました。

 いずれにせよ,この日光の派手さを見ていると,これが江戸時代の基準だったんだろうと思います。だから,質素倹約が尊ばれた時代,吉宗なぞは,随分異質で嫌われたんじゃないだろうかと思ったりします。

 そして最後に,二荒山神社をみて駅までもどります。すみません,この神社はあまり印象に残っていません。

 そういえば,帰りの電車では,ちょっと変なことがおきました。私たちが北千住行きの特急に乗っていると,春日部あたりでおばさんが我々のところにやってきて,そこは自分の席だと言い出します。

 私も切符を見せると座席の番号は全く同じ。「バッティングしてますね」とおばさんはいうのですが,そんなわけはありません。よく見ると,おばさんの電車はもう1つ後の電車です。

 指摘すると「ありがと」と言い残して踵を返し去っていきました。しかしドアはすでにしまっています。結局この電車の空いた座席に座っていたようですが,人を疑う時にはそれ相応の覚悟を持ってもらいたいし,万が一自分のミスなら素直に謝る勇気も持ってもらわないといかんと思いました。正直,この不愉快さは筆舌に尽くしがたく,楽しかった旅行がふいになってしまったような気さえしました。

 一泊するような旅行は,次にいつになるでしょう。今回,本物を見るというテーマで旅行に出かけましたが,やはり冬に日光という私の判断は正しかったと思っています。ただ,写真を撮るという行為は集中力を落とし,感受性を分散させてしまいますね。

 撮影禁止だった場所の記憶が残り,そこでの観察力の鋭さを感じた私は,観光地とカメラは実は相性が悪いのではないかと,気が付きました。

 次はほどほどにしないといけないですね。

 そんなわけで,近くて遠い日光,思い切って時間をかけて見て回って,私はよかったと思います。

土曜日の午後

 いつも昼まで布団の中で惰眠をむさぼるのが至高の楽しみである土曜日,しかしその日は朝から半蔵門まで出かけることになっていました。

 曇り空のお天気は暑くもなく寒くもなくというほどよい感じで,用事が済んだお昼の12時過ぎには,近くの中学校の学生達が帰宅の途につき,親しい友人達と休日を迎える開放感を楽しんでいました。

 ふと気が付くとおそば屋さんが目に付きます。お昼時ですし,こんな機会はもうないんじゃないかなと,あるおそば屋さんの扉を開いてみることにしました。

 土曜日のオフィス街は,会社の多くが休みになる代わりに,工事や引っ越し作業があちこちで行われています。扉の向こうに見えたのは,たくさんの注文を裁ききらねばならない緊張感に修羅場と化した店内です。お客さんは皆一様に薄い緑か青の作業服を着ています。

 挨拶もなく顎で2階に上がるよう指示された私は,そのまま階段を上っていきました。「どこでもどうぞ」と言われた私が選んだのは座敷で,柱のせいで4人が座るにはちと狭いと敬遠され,ぽつんとあいていたテーブルです。

 11時30分から14時まで禁煙と書いた張り紙をよそに,たいていのテーブルで紫煙が上っています。見ればどのテーブルも食べ物が来ていません。注文してから食べ物が出てくるまでの時間は,貴重な喫煙タイムなのでしょう。

 ちょうど牡蠣のシーズンで,店内のポスターは牡蠣そばに牡蠣鍋に牡蠣フライと,どこをみても牡蠣ばかりです。あいにく牡蠣が大嫌いな私にはまさに地獄絵図といったところです。

 無難に天ザルを頼み,ぼーっとしていると,私の顔の真横にある窓が少しだけ開いていることに気が付きました。外の様子を伺うのが大好きな私としては,そーっと15cmほどにその隙間を広げて,外を眺めていました。

 10人通ればそのうち8人は工事関係者と思わしき人々。一人くらいが学生で,残りはお年寄りという感じの情景を,少し湿った空気にあたりながら眺めていると,そのうちに頼んでいた天ザルが届きました。

 ありがとうとオバチャンに声をかけて,早速食べてみますが,実のところいまいち。そばはあまり香りがせず,かまぼこでも食べているかのようです。

 出汁もそれほどおいしいわけではなく,これならコンビニのざるそばの出汁といい勝負だなあと思う程度のもの。天ぷらはもっと残念で,衣が油で透き通るほど。グニャグニャとした食感で,大阪なら2週間でつぶれるなこの店は,と思いながら店を出ました。

 まだ1時前です。

 来るとき,半蔵門駅の案内板に,「日本カメラ博物館」への案内が出ていました。時間もあるし,話の種に一度いってみるか,と歩き出します。

 ところが下調べもなにもせずにいきなり行動を起こしてうまくいった試しがありません。案の定自分の位置が分からず,また博物館の場所もわからないという最悪の状態で,時間が過ぎていきました。

 不思議と散歩が楽しいので,時間の浪費に焦ることはありません。

 交番で聞いてみようと,先ほど通り過ぎた交番まで戻ってみると,中学生を連れたお母さんがなにやら警察官と話をしています。何かあったのだろうか,と心配になってよく見ると,地図を広げていますので,大した話ではなさそうです。

 お母さんは余程急いでいたのか,警察官にお礼も言わずにそそくさと娘の手を引いて立ち去りました。

 警察官が私に気が付いて,私も「すみません,日本カメラ博物館というのがこのあたりにあると聞いたのですが,おわかりになりますか?」と軽い会釈と同時に話しかけます。

 若い警察官は「えーっと,そういえばきいたことがあるなあ」と言いながら,このあたりの地図を広げます。

 しかし,その指先はどうも要領を得ません。日本カメラ博物館など,知らなくても一度も困ることなどなかったのでしょう。

 一応携帯電話で地図を記録しておいた私は,「土地勘がなくこれを見てもわからないんですよ」といいながら,それを見せます。

 やや間があって地図の上に「日本カメラ博物館」という文字をほぼ同時に見つけた二人は,あぁこれかこれか,と言いながら,ほっとした空気に包まれました。警察官はその場所までの道程を丁寧に説明し,私は「助かりました」とお礼を言って,その場を離れます。

 起伏の激しい街を上ったり下りたりしながら,目的地に到着したのはちょうど1時頃です。

 入り口で300円という安い入館料を払い,中を歩いていきます。

 ここは,世界的にも貴重と言われるダゲレオタイプのカメラをはじめ,その狭く小さな館内に不釣り合いなほど,多くの資料を収蔵していることで知られています。

 それこそ写真でしか見たことがないような歴史的なカメラを目の前にして,私は簡単に満腹になってしまいました。

 開館が1989年ということですので,バブル真っ盛りという感じでしょうか。この頃提供を受けたと思われるメーカー謹製の資料などが「いかにも」という感じを醸し出しています。

 写真が庶民から遠く,一部のお金持ちしか写ることの出来なかった時代の写真に残された当時の女性達の綺麗さにため息をつきつつ,一回りして図録を購入し,帰途につきます。係の人はとても丁寧で,常に笑顔を絶やさず,来館者とのコミュニケーションを楽しむことを厭いません。

 1時間ほどいたようです。相変わらずの曇り空の下を歩き,数時間前に出てきた駅に入っていきます。なぜか足取りは軽く,とてもいい気分で家まで帰り着きました。

 今にして思うのは,それが土曜日のお昼時だったということです。土曜日が半分学校,半分休みという時代を過ごした私は,完全週休二日の社会人になって以降,土曜日独特の開放感の味をすっかり忘れてしまっていました。

 朝は普通通りで緊張感があり,しかしながらそれはお昼まで。午後からはすっかり開放された気分が,「明日も休みだ」というお得感によって増幅されます。加えてきちんと朝から用事を済ませたという実績が,時間を有意義に使ったという満足感を作り出します。

 完全週休二日もいいですが,土曜日の「半ドン」も,なかなか味わい深いものだと思います。

 寒くなると布団から出るのが億劫になる朝。今ならちょっとお得な土曜日を過ごせる時期なのかも知れません。

ページ移動

ユーティリティ

2020年05月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

新着エントリー

過去ログ

Feed