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カテゴリー「できごと」の検索結果は以下のとおりです。

まさかの復活の噂

 6月で廃業したニノミヤですが,売り尽くしセールも結局行われることはなく,日本橋の店舗のシャッターが開かれることはありませんでした。

 私は大阪に住んでいるわけではないのでこの目で見ているわけではないのですが,情報によると,模型などホビー分野は倒産品(大阪で言うところのバッタもん)としてとある業者に引き取られたようです。事業の継続というわけではなかったようですね。

 下馬評ではむしろ引き取り手が見つからないだろうと思われた電子パーツは,なんと奇跡の復活の噂が流れています。

 ソースがアレなのでどこまで信じていいのか分かりませんが,ニノミヤの電子パーツの小売りと法人営業を担当していた外商部の有志4人が新会社「パーツランド株式会社」を立ち上げたとのこと。

 業務範囲は旧ニノミヤの外商部と同じでパーツの小売り,通信販売,そして法人営業ということです。にわかに信じがたいのは法人営業で,一度倒産した会社の残党が立ち上げた先行きの分からない会社を出入り業者にするなんていうことが,実際にあり得るもんなのかと思ってしまいます。本当なら余程前任者の信用が厚かったか,あるいは逆に今回の立ち上げが取引先からのバックアップによるもの,という話だったりするかも知れないですね。

 ただ,これははっきりしているのですが,旧ニノミヤでもいわゆるこの外商部というのは黒字部門で,極めて堅実なビジネスをやっていました。規模は大きくありませんが安定度は抜群で,それはなにかと手間のかかるパーツ販売を最後まで残したということからもよく分かります。

 パーツランド株式会社はすでに発足しているという話もありますし,小売店舗も今月末に日本橋でオープンという情報も出てきています。

 ただ,無線機がどういう扱いになるかはわかりません。取り扱いはないという話が大勢を占めていますし,今さら積極的に無線機を扱う理由もありませんから,仮に関連商品を扱うことがあったとしても,特定小電力トランシーバとマルチバンドレシーバくらいのものではないでしょうか。

 この話が本当だとして,彼らにそこまでさせた物というのはなんだったのかなあと思います。他に再就職先が見つからなかったからですかね,それとも意地ですかね,あるいは好きだからですかね・・・好きだからであって欲しいですね。

 以前ここにも書きましたが,利用者として,ニノミヤにしかなかったものが結構ありましたし,今にして思えば部品も探しやすく買いやすかったことを覚えています。値段も安めだったこともよかったです。

 それが有志によって復活ということですから,私は個人的に応援したいです。

 彼らがパーツ店の復活を目指して立ち上げたということは,これで一儲けしようとか,大きなお店にしようとか,そういう野心はなかったのではないかと思います。こういう真面目な人たちがあえて苦労を背負い込むことが,報われる世の中になってくれればいいなあとそんな風に思います。

 ガセネタだったらどうしよう・・・

宝探し

 実家も建て直しをしてそれなりの時間が経過しました。以前の家から運び出した荷物のうち,一度も開けたことがない箱もいくつか残っており,そろそろ中身を確認しないと,そういう箱が存在することすら忘れてしまいそうになったので,宝物探しか遺跡の発掘調査の気分で開けてみることにしました。

 最初に言っておくと大したものはなにも出てきておらず,ただ面白かったということだけでした。

・ハンドヘルドコンピュータのたぐい
 PC-8201,HC-20,PC-1600K専用のプリンタとフロッピーディスクドライブが出てきました。電源は入れていませんが,PC-8201はかなり程度が悪くなっており,本当に動くかどうか怪しいところもあります。
 PC-8201はB5サイズ,大型液晶にフルスペックのBASIC言語を搭載したパソコンで,単3電池4本で動作します。当然CMOSで作る必要がありますが,当時はZ80のCMOSは存在せず,唯一沖電気製の8085があったのみで,PC-8201が8085を使っていたのはそのせいです。
 RS-232Cを標準で持っているので,大学時代はシリアル端末として使っていたこともあります。今でも使えるはずですが,日本語が全く駄目ですので使い道が限られますね。
 PC-1600Kのオプションは,A4サイズの80桁カラープロッタプリンタPC-1600Pがまずあり,これの左下にポケットドライブという小型フロッピーが備わっています。このポケットドライブ,一見するとクイックディスクのように見えるのですが,ランダムアクセスが可能なので,一応フロッピーディスクみたいです。予備のメディアも全くないので,ついてきた1枚だけが頼りですね。
 HC-20は説明の必要もないくらい有名なハンドヘルドです。一度内蔵バッテリを交換してあるのですが,またダメになっていることでしょう。

・A-450のメインベルト
 私のエアチェックを支え続けたカセットデッキ,TEACのA-450。友人から譲ってもらって使い始めたときには製造後既に15年が経過していたのですが,フライホイールとモータをつなぐゴムベストが伸びてしまい,滑るようになりました。交換しようとTEACに相談したところ,100円かそこらで売ってくれるというので2本購入,1本は修理にすぐ使ったのですが,もう1本が行方不明になっていました。それが発掘されたという話です。ぱっと見たところ劣化もないので,安心しました。

・メタルテープ
 すでに世界中どこを探しても生産がされていないと言われるメタルカセットテープ。3.8mmの幅でで4トラック,4.8cm/secという低いテープ速度でハイファイには無理と言われたカセットテープが,音質という観点で棲み分けできていたオープンリールやエルカセット(こちらは棲み分けできていたか疑問ですが)を完全に駆逐したのは,メタルテープの登場があったからだと言われます。
 80年代後半に技術的頂点を極めたカセットデッキとメタルテープの組み合わせは圧倒的な音をたたき出しますが,いかんせんメタルテープが手に入らず,マニアの手元で余生を送る多くのカセットデッキはその性能を持て余している状態です。
 いきおいメタルテープの取引価格は上昇を続けており,高値で取引されているSuperMetalMasterやMA-XGなどがまとまって出てきたら一財産作れると言われているほどです。そして田舎にある個人経営の電気店に眠るデッドストックを求め,マニア達は明日も彷徨うのです。
 私も大量にカセットテープをストックしていたのですが,ほとんど使うことがなくなって以降,どこに新品をしまい込んだか忘れていました。
 発掘されたメタルテープは全部で100本近く。TDKのMA,MA-X,AIXAのAU-IVx,PA-Metal,MaxellのMXやMetal-UDが出てきました。ソニーが全然ないのは品質が悪く信用してなかったから全く買わなかったためです。
 特にAU-IVxなど,10本入りカートンがそのまま未開封になっていました。60分未満の短いテープはあまりなく,ほとんどが74分や80分などのテープです。
 先日,今手元にあるA&DのGX-Z9100EVにMAの組み合わせで録音してみましたが,その音の良さにちょっと驚きました。CDそのままとは言いませんが,比べてようやく分かるレベルという感じでしょうか。

・山盛りの半導体
 焼き海苔の缶に山盛り入っていた半導体を見たときには,その重さもあって正直引きました。死屍累々とはまさにこのこと・・・思い出してみると,実家を壊すとき,多くのパソコンやゲームの基板を処分するのに,半導体だけ外して取っておこうと試みたことがありました。
 しかし,4層スルーホールの基板から多ピンパッケージのLSIを外すのは至難の業。そこで庭でカセットコンロであぶって根こそぎ外すという暴挙に出たわけです。
 ガラスエポキシに火が移り,毒ガスにまみれながら何千個ものLSIを外したことを覚えています。やけどもしましたが,今なら異臭騒ぎで事情聴取されたでしょう。
 ざっと見ると,68000-10MHz,uPD7261,uPD3301,uPD72065,68B09,68B50,uPD7220,DRAM各種,YM2151,YM2203,MB8877,uPD70116,i8087というあたりです。
 PC-98RL,FM-77,そしてセガのSystem24を生け贄に捧げた記憶が蘇ります。

・ソノシートとレコード
 雑誌の付録によくついていたソノシートの大半は,Beepの読者であった弟のものではあるのですが,管理を一括しようということから,レコードプレイヤーの近くのレコード置き場にまとめてありました。
 ここが引っ越しの際に私の担当箇所になっており,中身を見ずにまとめてしまってあったことをすっかり忘れており,なにやら分厚い紙袋の中身を見て,その保存状態の良さにびっくりしました。
 あったソノシートは,Beepの付録,PIOの付録,RAMの別冊でムーグシンセサイザで演奏されたオーケストラのソノシートです。Beepのソノシートも,復刊時にCDになりましたから今時珍しいものではありません。
 ただ,ドーナツ盤が1つ出てきました。
 私が最初に買った(買ってもらった)ビートルズは,このシングルでした。80年代初期に売られていたオリジナルとは全く異なるシングルで,A面がYesterday,B面がI should have known betterという,謎のカップリングです。
 入っているバージョンもアルバムのそれと同じですのでレア度はゼロでしょうが,私の音楽の歩みがこの1枚からスタートしたことは確かであり,「人に歴史あり」と唸ってしまいました。

・YMOのビデオ
 「YMO伝説」というタイトルのビデオです。こんなの買ったかなぁと首をかしげたのですが,あまりにも記憶がないので調べてみると,1993年に発売になったビデオで散解コンサートのビデオだそうです。そういや恥ずかしい格好の人たちが粋がって鍵盤弾いている映像をかすかに覚えていますが,おそらくはこれでしょうね。
 DVDになっていないということで期待しましたが,カスみたいな値打ちしかないとわかり,燃やしてしまおうかと考えましたが,何をするかわからんことで知られるYMOフリークに背中を刺されることを恐れてやめました。

・自作のパソコンパワーアップ基板
 私が愛したX1turboは基本的には弟の所有物であり,優先権は弟にありましたし,改造などもってのほかということで,X1Fを中古で買い,これを改造して自らの鍛錬を行っていたのですが,その時自作したパワーアップキットがいろいろ出てきました。
 まずMIDIボード。Z80SIOとZ80CTCという贅沢仕様でMIDI機器と繋がる基板です。拡張スロットに入れます。Z80CTCはturboのアドレスにあわせたと思うので,CTCを使ったタイマ割り込みの恩恵にあずかることが出来ます。しかし,MMLでMIDIを扱えてもそれ程うれしくないことを知り,ほとんど使わずに終わりました。
 次はZ80DMA基板。Z80CPUを外し,ここにDMAとCPUを搭載したドータボードを差し込みます。Z80DMAは拡張スロットには取り付けできないのでこうするしかなかったのですが,当然turboと同じ使い方が出来ますので,Z80DMAというCPUをも黙らせる強力なICを使うという,まさにノーマルX1ユーザーの夢を叶える逸品でした。
 しかし,2HDドライブやHDDをサポートしないX1でDMAを使ってうれしいシーンはなく,,結局私も爆速スクロールをやっただけでした。
 あと,弟が格安で手に入れてきたPC-9801VM2のオプションVRAMの自作互換基板も出てきました。いやはや,こんなものはもうゴミ以下ですね。41464が4つだかついていて,128kByteのボードです。これで4096色中16色が使えるようになったのですが・・・

・5インチフロッピーディスクドライブ
 真っ先に壊れるフロッピードライブも,捨ててしまうに忍びず,取ってありました。FD-55BV,FD-1157C,FD-1157Dといったあたりが10台近く出てきました。動くのかどうか分かりませんが,これだけあれば80年代のパソコンの修理は安泰です。ところで,さすがに500円で買ってきたフルハイトの2DドライブYD-274は捨ててしまってました。

・フロッピーディスク
 そしてフロッピーディスクも大量に発掘。なんと5インチ2Dのノーブランド10枚入り未開封が発掘されました。いやー,今時の若者はノーブランドなど聞いたことも見たこともないじゃろうな。白い箱にはいっておるのじゃぞ。当たり外れが大きくてな,ワシぐらいになると箱を見ただけでどんな中身かわかるのじゃ。
 書き込み済みのものもいろいろ出てきて,Apple][のProDOS,FM-7用のOS-9やBASIC09,PC-8801用のCP/MやMS-FORTRANなど,8ビット全開でした。もちろん2D。
 さらに日立が開発し,5インチ2Dとの論理的互換性を持っていた3インチコンパクトフロッピー版X1のシステムディスク(CZ-8FB01)が出てきたりしました。
 未だに謎なのですが,Verbatimのもので,堅いジャケットで保護されて,シャッターで窓が閉じられている,3.5インチのような5インチフロッピーが出てきました。容量は9,3MByteと書かれていたように思うのですが,こんなもの調べても全然ひっかかりません。何が書いてあるんだろう・・・ソ連のスパイが持ち出したFBIとかCIAの最重要国家機密だったりしたらどうしようとか心配になるところです。

・PC-PR405用JIS第二水準漢字ROMボード
 PC-PR405という24ドットのプリンタを格安(9800円)で手に入れて,とりあえずX1turboを日本語ワープロとして使えるようになったのですが,このPC-PR405,第二水準が入っていません。
 NECの24ドットプリンタは伝統的に160dpiであったため,24ドットといいつつ22ドットくらいで文字を構成していましたから本質が低く,一見してNECのそれと分かるものでした。そこへいくとEPSONのVPシリーズなどはちゃんと180dpiで,非常に美しい文字を印字できたのですが,このPC-PR405は異端で,180dpiの熱転写プリンタでした。文字も綺麗で,当時の標準的なワープロと比べても遜色なしです。
 まあ,アホな高校生だった私は第二水準など使うわけもなく困ってなかったのですが,ある時どうしても旧字体が欲しくなり,仕方がないので外字として登録することにしたところ,デザインが思った以上に難しく,あまりの不格好さに悔しい思いをしたのです。
 しばらくして,Oh!MZの巻末に毎号広告を載せていたアイビット電子さんで9800円で処分されているのを見つけ,購入したのがこれなのですが,さすがに自力でデザインしたフォントに比べて格段に美しい印字が得られたときには軽い感激を覚えました。

・AppleKeyboard
 Macintosh用のキーボードです。といっても星の数ほど種類がありますから特定していきますが,ADB,標準キーボード,MacintoshSEの時代のものといえば分かるでしょうか。これが新品で2つ,1つは元箱入りで出てきました。あとADBのExtendedKeyboardIIが1つ。これも新品だったはずです。元箱入り。
 今となってはゴミにもならないんじゃないかと思われますが,フロッグデザインによる美しいデザインとお金のかかったメカニカルスイッチは今なお輝きを放っていました。ADBでなければ使うんですけどね。そういえばHDDなしのSE/30も1つ発掘されました・・・

・自作ワンボードマイコン
 ワンボードマイコンといいつつ,アルミのケースに入っているのですが,プリント基板を作ることから始めて自作したマイコンが出てきました。とはいえ,初歩のラジオに出ていた記事をそのまま作ったもので,作ったときにはなにも分からず,ただコピーをしただけのものです。
 その名をSR-05。今も時々名前をお見かけする松本悟先生の設計によるもので,Z80-1MHz,2kByteのSRAM。これだけ。モニタはもちろんBootloaderなどありませんので,スタックポインタの初期化を忘れるとまず暴走します。
 パラレルI/Fには8255が使われ,メモリへのアクセスはずらっとならんだトグルスイッチによりDMAで直接SRAMに書き込んでいきます。おかげさまで2進-10進-16進数の変換が縦横無尽に出来るようになり,まさに「指が覚えた2進数」という感じでした。それでも,2kByteというメモリ空間の砂漠のようなとてつもない広さに愕然とした覚えがあります。
 私は少し大きめのケースに電源と8255からのパラレル信号,そしてZ80のバスをそのまま出したコネクタを2つ用意して,拡張性に留意しました。8x8のLED表示器やカセットインターフェースなどを作りましたが,ソフトウェアが全く入っていないコンピュータだけに,ユーザーの知らないところで設定されたり用意されたりしたものが一切ないものでしたから,少しずつ確実に動かしていく実感のわくものでした。
 作ったときには確かになにも分かっていなかった私も,作ってから学んだことがあまりに多く,マイコンとは何か,メモリのアクセスはどうするのか,など,非常に根源的な事項からきちんと理解して積み上げたことは,まさに今の私の原点となっています。
 そういえば,バッテリバックアップ用の単5電池を交換するのを忘れました。液漏れしてるだろうなあ・・・


 とまあ,いろんなもんが出てきました。これまで存在を忘れていても誰も何も困らなかったので,おそらくこのまま処分されても気が付かないだろうと思われるものばかりですが,一応どこに何があったかを再確認したので,これからは覚えておこうと思うわけです。

 改めて思うのは,20年前の物でも,ゴミはゴミ以下にしかならん,という事でしょうか。なにに値打ちがで来るのかわからん世の中ではありますが,少なくとも私の持っているものは,現在の基準でも「くだらないもの」であることだけははっきりしました。

鈴蘭堂が消えた

 シャシーやケースで知られた鈴蘭堂が,廃業したようです。

 2004年にオリジナルケースの製造から撤退し,法人向けとラジオデパートの店舗の営業に縮小して存続していましたが,それも限界に達したということでしょう。

 数年前には一部に限って生産を再開していたようですし,2005年には定番シャシーのSLシリーズがタカチとの提携で復活し,秋葉原では在庫を持っているお店もそこそこあるようです。(かくいう私も買いました)

 これでとりあえず一安心と思っていたところに,廃業です。ホームページには5月10日に廃業という話が書かれていますが,小売りの店舗は4月に既に閉店となっていたようです。

 私が買ったSLシリーズのシャシーはタカチの段ボール箱に入っていましたし,通販で購入する場合はメーカー直送になるので,タカチから送られてくると言う話を聞きました。提携といいつつ,実際には生産委託だったのは確かでしょう。少しうれしいのは,タカチでの型番が「SRDSLシーズ」となっていて,頭に鈴蘭堂がオリジナルであることをさりげなく付けてくれてあることでしょうか。

 とりあえず,買い逃した物があったり,今後困るなあというようなことはなさそうなのですが,ここでも何度か書いたように,一人前になったら鈴蘭堂のケースに入れるというのが私の夢でしたので,一抹の寂しさは拭いきれません。

 鈴蘭堂のトップページにもありますが,実に60年間も堅実に仕事を続けても,こういう結末がやってくるんですね。私のような「とりあえず困らない」という人が増えてしまったことも理由の1つでしょうし,ひょっとしたら経営者の体調や,後継者の問題なんかもあったりするかも知れません。

 電子パーツの入手ルートの淘汰が進み,これからどうなっちゃうんだろうなあと心配になるのですが,まずはご苦労様でしたと,労をねぎらいたい気分です。

立て続けに3つの病院にかかる

 3月31日,前々日から痛み出した親知らずを抜くことにしました。

 左上の親知らずは,もともと虫歯になっていたのですが,2年ほど前にぽろっと折れてしまいました。それでも痛みは全くなく,このままなくなってしまうのではないかと馬鹿なことを考えていたのですが,やっぱり甘い考えでした。

 歯は,ストレスなどによっても痛みが出たりするそうです。私の場合も,ここ最近いろいろあったり悩むことが続いたので,痛くなったのかも知れません。

 痛みを散らすことも考えましたが,なにせ虫歯からきた親知らずの痛みですから,腫れたり熱が出たり,はたまたおかしな病気になると結構大変らしく,今のうちに決着をつけようと意を決して近所の歯科医に出かけたのでした。

 レントゲンを撮ってみると,やはり根っこだけ残っていますが,骨にまで炎症が進んでいるとのこと。先生が提示した治療は2つで,1つは今すぐ抜く,もう1つは薬で炎症を抑えて後日抜く,です。

 前者は原因をすっきり取り除けるのですが,炎症を起こしているときに抜くため,痛みや腫れがひどくなる場合があるそうです。後者はその心配はないが,時間がかかる,さてどちらにしますかという事でした。

 まあ,こういうのは勢いが大事と,今すぐ抜くを選択。こういうのは実のところ非常に抜くのが難しく,もう少し早くに来て欲しかったと恨まれつつ,麻酔が始まりました。

 ところが麻酔がきいて実際に抜く作業がはじまると,さくっと抜けてしまいました。

 出血もなく,大した腫れもないまま,万事がきれいに解決するはずでした。

 ところが翌日の朝,右のお腹が痛いことで目が覚めました。数日前から胃の調子が悪く,そのせいもあってかなと思っていたのですが,寒気も出てきます。これはまずいなと思いつつ,痛みがどんどんひどくなるのがわかります。

 日曜日だったので休日診療所に電話してみると,盲腸の可能性もあるということで,すぐに救急車を呼びなさいということでした。

 で,119番をしてみると,自力で医者に行けないのかと一喝され,弱気になっていた私は救急車を断り,もう一度同じ病院に電話してみると,とりあえずきなさいとのこと。

 タクシーで向かい,歳を取ったお医者さんの診断は,盲腸ではなさそうだが,検査が出来ないのでわからん,でした。月曜日に先生に縁のある病院を紹介していただいて,翌日きちんと検査をすることになりました。

 ここまでの話で,どうも尿管結石ではないか,という予想が頭をよぎりました。私は中学生の時に尿管結石で激痛を体験してから,2度ほど同じような痛みを経験しています。前回は夜中に痛み出し,救急車で担ぎ込まれました。

 今回も,よく考えてみると同じような痛みです。盲腸でなければ,おそらくこれでしょう。

 昨日の昼過ぎに,痛み止めを飲んでから痛みが消え,今日になっても痛みが戻ることはありませんでした。熱は37度5分くらいあって,体のだるさには参ってしまいます。

 それでも今日会社を休んで,その先生の紹介をうけた病院にいってきました。

 レントゲンは何度か撮ったことがあるのですが,CTスキャンははじめてです。そこまでする必要があるのかなあと思いつつ,一通りの検査が終わっての結論は,やっぱり尿管結石だろうということでした。

 今回の痛みの原因である結石はもう出てしまっただろうということですが,悪いことに腎臓の中にはもう1つ結石が写り込んでいます。素人にもはっきり分かります。

 これがそのうち降りてきて,また激痛をもたらすかも知れないと思うとゾッとするのですが,尿管結石の治療は基本的に「自然に出てくる」のを期待するものらしく,水を飲むこと,食事に気をつけることが大事なのだそうです。

 そういえば,ここ1年ほど,水分の摂取量が半減していることを思い出しました。また,結石の成分であるシュウ酸も,あまり気にしないうちにたくさん摂っていた可能性があるなと思い当たるものがあります。

 痛みが消えてとにかく楽になったのですが,この間気分が悪く,食欲もなかったために元気が出ませんし,熱もまだ残っているので,体のだるさは続いています。

 尿管結石で検索してみると,多くの人がこの病気で悩んでいるようで,その痛みのすごさを「だれも分かってくれない」と書いています。また再発する率も高く,何度もその激痛を味わっている人が多いこともわかります。

 厄介なのは,この痛みが右側だと盲腸の疑いがあるから,お医者さんに診てもらわないで済ませるわけにはいかず,かといって本当に結石なら自然に出るのを待つしかない(そのくせ立てないほど痛い)のです。

 大した病気はしたことがありません(入院も手術もしたことがない)が,こういう持病を持っていることだけは自覚しておかないといけないです。

 しかし,あの突然の激痛,まさに立っていられず,歩くこともできないあの痛み,あれだけどうにかならんもんでしょうか・・・

朝の出来事

 昨日の朝は,出るのが少し遅くなってしまい,小走りに駅に向かいました。

 1つ,2つ,3つと角を曲がり,少しだけ視野が開けた場所にさしかかって目に入ったのは,いつもより少しだけ離れたところにあった,いつも同じ時刻に目にする出勤途中の女性の背中でした。

 違っていたのは,狭い道の真ん中にかすかに見える膨らみと,それを心配そうに見つめるおばさんの姿が同時に目に入った事です。

 おばさんは困ったという顔をして,すれ違う寸前の私に声をかけました。

 すみません,この子が動けなくなっているのですけど,このまま車にひかれたらかわいそうなので,自分が道の横に動かしてあげられればいいんですけど,ちょっと私はそういうにが苦手なので,できれば動かしてあげられませんか・・・

 彼女はそういって私に本当に困った視線を投げかけました。その視線と私が見たいつもの女性の背中は,この頼みが私だけにされたものではないと知るのに十分でした。

 反射的に私は,足下にあるその膨らみを凝視しました。そこにあったのは,小さなスズメでした。

 死んでいるわけではなく,さりとて大けがをしたり,病気で動けなくなっている様子もないのですが,用心深い彼らが人間二人に囲まれて逃げ出さないはずもありません。なにかがあったのでしょう。

 ほぼ同時に私は困ったことになったぞと思いました。いつもの電車に乗り遅れる,そんな心配をしていたのです。それに,厄介なことは何かに関わるから起こるのであって,逃げてしまえば何も起こりません。

 朝の憂鬱な表情を浮かべる私に声をかけるくらいです。おばさんも,余程困ってのことだったのでしょう。おばさんは私の態度が期待はずれになりそうだと察知して,続けました。

 あなたも,やっぱりこういうの,苦手ですか?

 私も,実はあまり生き物が得意なわけではありません。ええ,実はそうなんですよ,と申し訳なさそうに答えたのですが,その場をさっと去ることも出来ずにいました。いくつかある選択肢の中で,電車の乗り遅れるのが嫌だ,という理由に最もそぐわない行動を取っている私がいました。

 鳥インフルエンザが人間に感染する可能性が心配されています。政府も,死んだり弱っている鳥には触らないようにと呼びかけています。もしこのスズメが鳥インフルエンザで弱っているのだとしたら,私が世界に先駆けて,新しい型のインフルエンザを蔓延させ大被害を起こす元凶となる可能性だってあります・・・

 人間は,中途半端に賢いせいで,面倒なことに壮大な妄想を付加してくだらない言い訳を考えつく動物です。自分がそんな大それた事件の主人公になることを想像しながら,足下のスズメに視線を落とし,同時に,でもこのままだと車にひかれますね,それはかわいそうですね,とおばさんに返しました。

 おばさんも,そうでしょうと頷きましたが,それでは事態は何も変化しません。

 そのまましばらくして,この場を何となくやり過ごすことになるだろうと考えていたところに,それを許さない神の手が,事態をのっぴきならない方向に動かしました。

 ワンボックスカーがやってきたのです。道の幅はぎりぎりです。とても小さなスズメをよけて通ることは出来ないでしょう。果たして我々の眼前で,かくも残酷な事が起こってしまうのでしょうか。

 私は決心しました。手で車に合図を送り,まずこちらの異常に気付いてもらいました。もう後戻りは出来ません。

 私はしゃがみ込み,そのスズメを,出来るだけ出来るだけそっと抱きかかえようと手を伸ばしました。

 こんな近くでスズメを見るのは,何年ぶりでしょう。

 そのスズメは,目をつぶっていました。残念ながらスズメ独特の愛らしい表情を見せてはくれません。半開きになったくちばしの奥には,赤黒い血がたまっています。そしてその足下には,血の跡がついています。

 どこから出た血なのか探してみますが,口以外に見あたりません。それに,意外にちゃんと両足で立っています。震えている様子もなく,丸く膨らんでいるようでもありません。

 私の手が,スズメの一部に少しだけ触れた一瞬,スズメはびっくりしたように,ばさばさと辛そうに飛び立ちました。少なくとも私の視線の高さを超え,彼を見上げることを期待しながら,しかしそれはかないませんでした。

 3メートルほど先の塀にとまったのを見届けた我々は,車に再び合図を送り,止まって待ってくれたことに感謝をしました。運転手の表情は実ににこやかでした。

 おばさんは私に頭を下げ,少し先のマンションまで一緒に歩いて,そして帰っていきました。私は私で,何事もなかったかのように,駅への道程を急ぎました。

 いつもの同じ電車に乗り,いつもの時間の流れに少しだけ挟まったこの事件を振り返りながら,どうして躊躇せず,おかしな言い訳ばかりを考えずに,さっと行動に出ることが出来なかったのだろうか,スズメがぐったり動けなくなっておらず,案外簡単に事態が収束したことを助かったとまず思ったさもしい感情は一体どこから沸いて出てきたのだろうか,結果としてスズメは車にひかれず,おばさんは安心し,私もいつもの通りの生活に戻っているが,私の気持ちは暗いままでした。

 そういえばすっかり春のそれになった日差しに目を細めて,ちいさな丸い姿のスズメをかわいらしいと思った数日前を,私は思い出していました。

 その日の夜,同じ道を帰りに通った時に,私はそのスズメの痕跡を探してみました。暗いせいもありましたが,私はとうとうそれを見つけることが出来ず,自分の望みが叶ったことに感謝をして,自宅にたどり着いたのでした。

 
 

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