エントリー

カテゴリー「できごと」の検索結果は以下のとおりです。

本日のディナー

 久々に胃を壊して,昨日は吐き気のためほとんど寝ていないことを友人に伝えたところ,ありがたいことに何か食べ物を持って行ってやると言ってくれました。

 買い物に出る元気もなかった私にとっては非常にありがたい申し出だったので,お言葉に甘えて「鍋焼きうどん」をお願いしました。

 ところが,アルミの鍋に入った鍋焼きうどんは売ってなかったらしく(というかそんなスーパーは駄目だろう),代わりに冷凍のうどんを買ってきてくれました。

 大げさな袋に入った,京風のうどんとのこと。そのまま鍋に入れて火にかけるとできあがりだそうで,水を入れたり,具を袋から出す手間もかかりません。

 そもそも,京風のうどんというのはどんなものか,関西人である私は恥ずかしながらさっぱりわからないのですが(大阪で京風のうどんというのは,探さないと食べられないんじゃないかと思います・・・),それはともかく,甘みがあってコクのある,でもあっさり味のうどんであることは間違いなさそうです。

 外側の袋を開封し,中をのぞき込んで,私はその美しさに絶句しました。

ファイル 49-1.jpg

 日本人の文化は,箱庭文化であると,何かの本で読んだ覚えがあります。日本人にとって箱庭というのは愛すべき存在。日本庭園は自然界を小さな面積に表現するものであり,その世界観と美意識は日本人の根底に横たわっているとかいないとか,まあそんなたぐいの話だったように思います。

 さてもこの冷凍のうどんの美しさたるや。まるで,うどんの箱庭です。

 とはいえ冷凍ですので,このまま愛でているわけにはいきません。いつもの鍋に入れたところ,まるで計ったように収まりました。

ファイル 49-2.jpg

 この5分後,うどんは大変においしく仕上がり,私の胃に,大いなる満足感を与えてくれたのでした。

 今度は自分で買ってこよう。

在りし日の姿を偲んで

 以前いた職場には,パキラという観葉植物の鉢植えがドンと置かれていました。水やりなどの管理は一応私と友人の2名で行うことにしていたのですが,数年のうちに人の背丈を超える高さに伸び,若い枝を落としても落としても1週間もあれば元に戻るといった,とても元気な木でした。

 この木も,いろいろな状況を乗り越えてきました。

 この木がやってきたのは7,8年も前のことでしょうか。当時のえらいさんが「職場が殺風景だから」と観葉植物を各職場に購入したのがきっかけで,私がいた職場にやってきたのがこのパキラでした。

 他にもドラセナも数本,一緒にやってきました。

 しかし,観葉植物も生き物ですから,水やりは当然のこと,虫が付いたり病気になれば世話をしなければ枯れてしまいます。ただ,それも観葉植物に興味や関心がないと気が付くこともなく,やがて枯れてしまうわけです。

 そもそも多くの人にとって観葉植物は,世話をしたいから買うわけではなく,緑が欲しいから買うものであるわけで,私に言わせれば「そんな都合のいい話」と馬鹿馬鹿しくなるのですが,現実というのはこの程度の無責任なものです。

 購入後割り振られて私の職場にやってきた観葉植物は,大した興味も関心も惹かず,手狭になる職場で半ば邪魔者扱いされ,出入り口のそばや部屋の隅っこに追いやられるようになりました。

 買い切りの観葉植物にはいわゆる保守サービスなどありませんから,水やりなどの世話は職場の有志(といっても庶務さんくらいのものですが)が,人知れず行ってくれていました。

 そんな中,いつの間にやら新しい観葉植物が並んでおかれるようになりました。手入れも行き届いており,生き生きとしています。

 見ていると,週に一度くらいの割合で花屋さんがやってきて,水やりから鋏による枝の手入れ,葉の掃除をやってくれています。仕事の細かさから考えて,それなりの知識や技能,それ以上に植物に対する愛着があるように感じる,好感の持てるお仕事ぶりでした。

 ところが,驚いたことに,隣に並んでいる「買い切りの観葉植物」には,目もくれません。細かい手入れをすることはなく,水すら一滴たりも与えてはくれません。

 当時私は,これがレンタルの植物に対する保守サービスであることを知らなかったのですが,それにしてもこのあからさまな差に,現実の厳しさを知ったのでした。

 この保守サービスの存在によって,職場の多くの人がすべての観葉植物の手入れがきちんとなされていると錯覚するようになりました。結果として,誰の手入れも受けなくなった買い切りの観葉植物は,哀れなことに次々に枯れていきました。

 枝にはカビが生え,虫が付いてドラセナは1つを残してすべて枯れてしまいました。植木鉢を蹴飛ばされ,土が半分なくなっても補充されることなく,たちまち茶色くなっていったものもありました。

 パキラの鉢も同じような状況です。土は乾いてひび割れ,カチカチにかたまっています。パキラのような強い木でも,徐々に元気がなくなって来るのがわかります。

 それでも,自分たちの仕事ではないとばかりに,保守の人たちはただの水一滴さえ与えてはくれません。同じように生まれた同じ種類の木であり,縁あって同じ場所に置かれてとなり同士並んでいても,方や手作業による枝葉の低入れ,方や水さえも与えられる事なく死ぬのを待つのみ,です。この差は一体なんだろうと,そんな風に考えました。

 私はパキラを自分の席の近くに置くことを願い出て,自分で水やりと手入れを行うことにしました。

 専門家ではないので出来ることは限られますが,元来植物はあるがままにあるべき,という主義の元,邪魔にならない範囲で枝も葉も伸び放題です。

 水を与えてやると,パキラはしゃきっと枝葉をのばし始め,新しい芽を次々に出すようになりました。1cmほどの小さな芽が日を追うごとに倍,さらにその倍と大きく広がり,10日もすると立派な大きな葉になっていく様を見ると,そのたくましさに励まされるような気がしました。

 なんどか職場の引っ越しがあったのですが,その度に私はこのパキラの木を自分の席のそばに置くことにしていました。いつしか,私の身長を超える高さになっていました。

 一緒に面倒を見ていた友人はドラセナの面倒を見ることにしてくれていたのですが,一昨年と昨年の2回,なんと花を咲かせました。非常に強い香りを発して,隣の部署の人にさえ知られることになったドラセナも,仲間がことごとく枯れていったことを知っているのでしょうか。

 転機は昨年やってきました。また職場が引っ越すことになりました。新しい職場は高層ビルの一室です。ビルのオーナーの意向により,植物を含めた「生き物」を置くことが全面的に禁止されており,観葉植物もすべて造花です。

 さすがにここに持ち込むことは出来ず,私と友人は泣く泣くパキラとドラセナを我々の後に入る人々に託して,出て行くことになりました。

 ご存じの方もいらっしゃると思いますが,パキラもドラセナも,挿し木で増やします。それなら,この立派になったパキラとドラセナから枝をもらい,これを育てることは出来ないでしょうか。

 私はそう一計を案じて,パキラとドラセナから枝を切り取り持ち帰りました。

 残念ながらドラセナは根が付かず,早々に枯れてしまいました。しかしパキラはさすがに強い木です。小さな植木鉢にさして置くと,根が付いたようで次々に新しい芽を出すようになりました。

 うちに来たときには1つの葉しかなかったのに,3ヶ月ほどたった9月初旬にはこれだけの葉を持つようになったのです。

ファイル 48-1.jpg

 毎日毎日,新しい芽が出ていないか,昨日の目はどれくらい大きくなったかと楽しみに水をやっていたのですが,写真を撮ったこの日は,久々に太陽に当ててあげようと,外のエアコンの室外機の上に置いておきました。

 これが失敗だったのです。

 非常に良いお天気で,日差しも強かったせいか,翌日見ると若い葉はすべて黄色くなり,枝もしおれて垂れ下がってしまいました。見ると,土がからからに乾いています。

 うっかり水やりを忘れたことも何度かありましたが,わずか1日でここまで事態が悪化したことはありませんでした。慌てて水をやりますが,もう手遅れでした。数日中にすべての葉と枝が落ちてしまい,丸坊主になったパキラは,次第に縮んで小さくなり,黒くなって枯れてしまいました。

 日差しのせいで,土の温度が上がりすぎたせいかも知れません。こんなに簡単に死んでしまうとは,私は驚く暇もないほどでした。

 実は実家に,生け垣に使われるスギ科の木が種を付け,なんとこれがたくさん芽を出していたので,1つもらって来たのですが,めでたく根が付き,少しずつ新しい枝が出ている中,パキラと同時に枯らしてしまいました。

 正確に言うと,まだ枯れていると判断しているわけではありません。成長も遅い分,変化がなかなか現れてこないのですが,葉が日に日に茶色になっていくので,もうだめなんじゃないかと思います。これも楽しみにしていたのですが,本当に残念です。

 私は実家が農家で,母が園芸を趣味にしていたこともあり,植物を愛でるのが好きな方だと思っていましたし,実際これまでに枯らしてしまったことはほとんどありませんでした。

 それが,今回,これほど劇的に植物を殺してしまったことにショックを受けましたし,なによりかわいそうなことをしたと,反省することしきりです。ちょっとした不注意が,こうした取り返しのつかない結果を招いてしまいます。

 本当に残念なことをしてしまいました。

そういえばTRONっていう映画がありましたよね

 TRONプロジェクトの坂村先生の,日本学士院賞を受賞された記念講演を聞く機会を得ました。昨日行われたのですが,なかなか興味深いものでした。

 私にとって,TRONと坂村先生とは,2つのフェイズがあります。前半はパソコン会の平和と自由を奪う学者,後半は技術に公平な技術者です。正反対ですね。

 前半は,15年ほど前までの話ですね。TRONが「どこでもコンピュータ」をスローガンに掲げて登場してから,インテルとマイクロソフトに(あえていうなら日本政府にも)粉砕されるあたりまでです。

 どんなものにも,どんな場所にもコンピュータが存在する社会を前提とした発送がスタートであったことは素晴らしいと思ったのですが,私の記憶では「国産コンピュータ」であることと,「独自規格であること」が方法論として重要視されており,これが草の根で広まった当時の自由闊達なパーソナルコンピュータの世界に規律と統制をもたらす危機であると,そう考えたのです。

 この懸念は,実はそれがインテルとマイクロソフトによって現実のものとなってしまうわけですが,それでも私は大学の学者が考えた理想論を押しつけられるよりも,ベンチャーから生また製品を消費者が自然に選んで結果的に寡占状態になった現実の方が,ずっと好ましいことのように思います。

 なぜOSをわざわざデスクワーク用,工業用,通信用の3つに区別しなければならなかったのか,なぜわざわざ専用のマイクロプロセッサを作る必要があったのか,なぜわざわざ特殊なヒューマンインターフェースデバイスを作る必要があったのか,私の当時の反発はこの3つに集約できます。

 OSについては,結局工業用のiTronしか生き残っていませんし,専用のマイクロプロセッサは現在そういうものがあったことすら知られていません。技術的にも先進性はなく,失敗であったことは明白です。

 ヒューマンインターフェースデバイスについても,おかしな配列のキーボードをわざわざ用意したり,ライトペンを使っていたりと,現在全くその痕跡を残していません。

 結論から言うと,私が気に入らなかったTRONは,すべて現在否定されて,またなかったことにされているのです。生き残ったわずかな部分だけが今になって評価されているのが現状で,坂村先生自身が過去の失敗と成功を冷静に評価せず,失敗に終わったものはなかったことにされているところが,とても残念でした。

 坂村先生は,おそらくホビー用のパソコンなどに興味はなかったのでしょう。「どこでもコンピュータ」というコンセプトにも関わらず,ゲームマシンに現在に至っても言及されないのはその証拠です。当時のファミコンはTRONの外側にいた,最も数の多いコンピュータの1つだったのです。

 ですから,個人の技術的興味から始まった「パーソナルコンピュータ」に文化も伝統もないと感じたのは無理からぬ事で,QWERTY配列のキーボードやASCIIコードに対する象徴的な憧れや誇りを,彼が学者の理想で無神経に踏みにじったことが,許せなかったのです。

 同じように感じていたホビーストは結構多かったようで,彼を揶揄した文章や4コマ漫画などをたくさん見ました。

 既成の文化や習慣を壊す時には,いつでも大きな反発があるものです。であるから,その必然性を説く義務があるはずなのですが,坂村さんのやったことは,それを「外国製」という理由だけでなんとも思わずに破壊しようとしたことで,慎ましく暮らしていた「未来のエンジニア」の心を,あまりに軽く見ていたのです。

 そう,彼は机上ですべてを知った気になる侵略者であり,自由と平和を奪う独裁者であったのです。そして我々ホビーストは,彼からこの世界を守る,レジスタンスだったのです。

 結果として,彼の野望はついえました。コンピュータだけではなく建築にも口を出した彼をおもしろがった大学も,国産技術でコンピュータを制覇しようとスケベ心を出した政府も問題だし,DRAMで世界を制覇した半導体メーカーが「次はCPUだな」と彼のマイクロプロセッサにホイホイ乗ったことも問題でした。

 アメリカが「自由貿易を阻害する」とTRONをやり玉に挙げ,政府もこれを支援できなくなると,TRONは急速に失速します。

 この点についても私は思うのですが,TRONは「仮身と実身」など優れた概念や,仕様だけを取り決めた弱い標準化など評価できる点もある一方で,技術的にも従来技術を否定するだけの理由を説明できないまま,ただ国産のものに置き換えるなど理不尽な点が多く,エンジニアとして公平に見ても失敗するべくして失敗したと思います。

 それに,他のことは別にして,コンピュータとエレクトロニクスは大企業が支配する世界と同時に,ホビーストが技術的興味で推し進めた事の貢献が大きく,ホビーストにとっては「国産であるかどうか」など,それほど重要なことではなかったのです。良いものはどの国のものでもよい,同じホビーストならどの国の人でも仲間,そういった国境を越えた考えが,当時から浸透していたのです。

 ですから,坂村先生が「TRONはアメリカに潰された」とよく言われていますが,それは間違いです。アメリカに潰されたのではなく,自由に潰されたのです。残念ながら,彼にその反省は,今もありません。

 さて,後半はそこから現在に至るまでです。

 エンジニアとして仕事を進める中,高度化する組み込みコンピュータの開発をなんとか楽に出来ないかと模索する過程で,私はμiTronに出会います。

 μiTronを使えば,キーの操作や外部から通信など,突発的に発生する事象について,ソフトウェアを設計する人間は特にそれらを意識しなくて済むようになります。面倒なこれらの処理をすべてOSに任せ,自分は本来マイクロコンピュータにさせたいことに集中できるのです。

 以前はそうはいかなかったのです。キーの読み取りも通信も,全部自分で書いていました。もし定期的に行わないといけない処理があっても,それはソフトウェアを作る人間が保証しないといけませんでした。

 しかし,リアルタイムOSを使えば,定時性は保証されますし,キーの読み取りも特に意識せず設計が出来るようになります。

 問題は,そのリアルタイムOSを動かすために,CPUパワーもメモリも必要になってしまうことです。これは当時のマイクロコンピュータでは致命的でした。

 ただ,μiTronだけは,必要なリソースが極めて小さく,当時は唯一の現実解だったのです。それが国産の,しかもあのTRONの生き残りであると知って,私は驚愕しました。

 とはいうものの,技術的にはそんなに新しいものでも,画期的なものでもありません。また,仕様だけを取り決めて実装はお任せという「弱い標準化」のせいで,結局高価なOSになっていました。(各CPUごとにそのCPUメーカー自身が実装をしていた)

 さらに,評価されている「軽い」という点も,機能としてタスクスケジュールしか持たず,しかも実装上の工夫がそれなりにあったと考えると,なにもiTronが特別優れているからということにはならないと思います。

 ただ,彼の考え方には,ちょっとびっくりしました。

 敗れてなお,同じポリシーを貫いていたからです。

 μiTronの仕様は基本的にはオープンで,無償で誰でも自由に使うことが出来ます。これはTRONの時代から変わらぬ一貫したポリシーで,それをずっと貫いていることは確かに素晴らしいです。(うがった見方をすれば,こうすることでメーカーがお金を取れる仕組みを構築できた,とも言えますね。ある意味では妥協の産物かも知れません。)

 結果として,これが組み込みエンジニアをどれほど救ってきたことか。また,日本が得意とする製品には,必ずと言っていいほどμiTronが使われた来たのですが,それが製品の品質と性能を向上させるのに,どれほど役に立ってきたか,それはもう言うまでもありません。


 講演では,TRONの過去と未来を語るものだったのですが,前述のように過去についてはあまり触れず,さりとて未来に触れることもなく,今やっていることを中心に述べたという感じでした。

 いいなと思ったことが1つあります。

 uCodeという128ビットのユニークなコードを,世の中にあるすべてのものに割り振る,というものです。

 割り振れば,それらはすべて区別されます。肝心なことは,「それ専用」のコード体系や仕組みを持たず,あくまで「どんなものにも使える汎用性」を持っていることなのだそうです。

 彼の説明では,その方が合理的だから,ということだったのですが,そんなことはどうでもよくて,例えば木を見て,それが何の木か調べるときに,「ゴムの木に似ているからゴムの木と打ち込んでみよう」と,調べることができるのに対し,全くその木のことが分からなければ,調べるすべがない,現在の検索の仕組みではここが限界だというのです。

 だから,その木にコードを割り当てておき,調べたいことがあったらそのコードを入力する。すると,その木に関する内容が調べられるというのです。つまり,入力情報が木ではなく,コードになるというわけですね。

 ただ,これはそのコードの実態を正しく管理されておらねばならず,そうでなければ意味のない仕組みとなってしまいます。ですから一元管理する仕組み,偽造を防ぐ仕組みをきちんと考えてあるのだそうです。

 確かにこれは便利かも知れません。

 我々は言語という共通のコードを持ち,見たもの聞いたものをそのコードに置き換えて,相手に伝えたり調べたりしています。それが128ビットのコードになるということに,特別大きな驚きはありません。

 ただ,それが共通であるという事がミソであり,そのことがコンピュータと物事とをつなぐ架け橋になるんだというあたり,漠然とした理想論を超えたなにかを感じさせます。

 講演会の冒頭,半分くらいは知ってる人だと言われていました。そりゃそうですね,記念講演会ですから,私のような面識のない人間がわざわざ出向くなど,普通はあり得ません。何か落ち着かない,疎外感を感じて過ごした2時間でした。

 蛇足ですが,会場だったホテルニューオータニ。ここは現代の迷宮ですね。講演会の行われる宴会場の場所がさっぱり分からず,聞いてみたところ,1階であるここからエレベータで5階まで上がり,200mほど歩いてからそこにあるエレベータで2フロア下りてください,といわれました。

 すったもんだがあったのですが,後援会が終わって帰路につくとき,すっかり来た道が分からず,おそらく帰るのだろうと思った別の人の背中について行くことにしました。

 エスカレータで1フロア上がって,もう1つ上がるのかなと思っていたら,なんとそこには出口が。タクシーが並んでいます・・・

 1階から5階まで上がり,2つ下がって1つ上がると,なぜ1階に出てくるのか・・・

 まさに四次元空間です。

戻ってきました

 実家から戻ってきました。

 おかげさまで無事でしたが,体調が悪かったせいもあり帰りの方が面倒臭かったです。

 まず,事故で有名な名阪国道で,トイレ休憩で立ち寄ったのが高峯SA。いわゆる国道ですし,本当にトイレしかないところだったのですが,そのトイレでこんなものを見ました。

ファイル 34-1.jpg

 でかいでしょ,この蛾。手のひらほどの大きさがありました。

 次に伊勢湾岸道の刈谷PA。非常に大きなPAなんですが,大きすぎてしっかりしたレストランが併設されており,サンドイッチを持ち込んだ私には居場所がなくて困りました。ここでは大きな観覧車が見えます。

ファイル 34-2.jpg

 さて,次は富士川SAです。ちょっと小腹が空きましたので,ラーメンを食べることにします。普通のラーメンでお値段は530円だったと思います。正直に言いますと,お世辞にもおいしいとは言えません。

ファイル 34-3.jpg

 ここで,おみやげの富士宮焼きそばをまた買いました。こちらに戻ってきてから友人と一緒に食べたのですが,なかなかうまく出来たこともあって,おいしく食べることが出来ました。

 休憩を終えて,さてまた走るかなと思ったところで,なんと猫を見つけました。

ファイル 34-4.jpg

 ソーセージのようなものを食べていたのですが,サービスエリアにはゴミも残飯も多いでしょうから,食べ物には困らないのかも知れません。車が危険だとは思いますが,それは町中でも同じですし,結構野良猫にとっては穴場なんでしょうかね。

 今回は,車で帰省しましたから,修理したカメラのテストをしたくて,ほとんどのカメラを持って帰ったんですね。しかし,ES2は後幕がかぶってしまいましたし,CLEはブライトフレームがうまく出ていません。結局まともに動いていたのはニコマートELくらいのもので,F3とD2Hの2つを主力に据えるという感じで,最終的にはニコンだけが生き残った感じです。

 実家に置いてあったペンタックスSPはなかなか程度がよいのですが,調整と確認をするために持って帰ってきました。長年使っているカメラだけに手にしっくり来ます。軽く見たところ,1/1000秒の速度がちょっと遅いくらいで悪いところはほとんどなし。

 そんなわけで,仕事のこともいろいろ追いつめられていたこともあって,今回の実家への帰省は非常にいい気晴らしになりました。いつも以上に実家の居心地の良さが身にしみて,今回ほど戻りたくないなと思ったことはなかったです。

 そのせいでしょうか,明日から頑張ろうという気持ちにもなりません。

 嫌なもんですね。

 

6時間のドライブ

 遅い夏休みをもらって,今大阪の実家に戻ってきています。

 先日車検を通したところでもあり,またETCを導入したこともあって,思い切って自動車で帰省することにしました。

 ETCを使うと深夜割引があり,3割引になるんですね。これはかなり大きいので夜に走ることにします。

 当日の昼間にエンジンをかけてみると,なんとアイドリングの回転数が下がりません。しばらくすると上がったり下がったりを繰り返しています。これはもしや306の持病として知られるO2センサーの不良では!とびびったのですが,もう一度エンジンをかけ直すとウソのように治まってしまいました。それはそれでこわいですが・・・

 出発が遅れてしまって,東名の東京ICに入ったのが20時50分頃。そこから燃費に気をつけて制限速度で定速度で巡航します。なかなか快適です。

 途中,富士川PAと浜名湖PAで休憩しましたが,夜中にもかかわらずおみやげも売ってますし,うどんも食べることが出来るんですね。綺麗になっているし,道路公団が民営化されるとこういうところにも影響があるんだなあと感じたりしました。

ファイル 31-1.jpg

 まず富士川PA。ここでは富士宮焼きそばを土産に買いました。今日の昼ご飯に食べてみましたが,それほどおいしいものではありませんでした。

ファイル 31-2.jpg
ファイル 31-3.jpg

 ここが浜名湖PA。山菜うどんを食べました。

 豊田JCTからは伊勢湾岸道に入ります。おかしいのはカーナビで,JCTをそのまま直進しろというのです。標識には伊勢湾岸道には左に分岐せよとありますから,これはいくらなんでもカーナビを信じるわけにはいきません。

 どきどきしながら分岐すると,全く車が走っていません。やはり間違いだったのかとがっくりしていたのですが,カーナビの地図を広域にしてみると,やはりあってます。なんでこんな指示を出したのか,さっぱりわかりません。というより,さっぱりあてになりません。やっぱ,三洋のゴリラはナビとしては最低ですね,評判どおり。

 そんなこんなで東名阪から名阪国道,そして西名阪と乗り継いで実家にたどり着いたのがちょうど6時間後の午前2時40分。

 しかし,自分でも嫌になるほど,運転が下手ですね。周りの人の温情で走らせてもらっているような気がするほどです。

 それとは別に306はなかなか楽しい車で,306にとっても退屈な街乗りから高速道路を久々に走らせてもらえて,生き生きしていたように感じます。10年近くたっているのであちこち悪くなっていますし,乗り心地も新車のそれとは明らかに違いますが,元気よく走るのは確かです。

 実家の庭に車を停めていますが,かつて弟が停めていた日産のCUBEに比べて,やっぱり車高が低く,とてもかわいらしいなと思います。

 今度は帰りです。帰りは行きよりも遙かに面倒くさいもので,すでに今からうんざりしています。カーナビにだまされないようにしないといけないですね。

 そうそう,先日のGPSレシーバ,一応今回も持ってきていますが,持ってきたパソコンがMacだけなので,全然こちらで役に立っていません。自宅に戻ってから考えますよ。

ページ移動

ユーティリティ

2020年05月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

新着エントリー

過去ログ

Feed