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実はすでに処分されていたプジョー306

 私が初めて新車で購入したプジョー306(N3)が私の手元を離れ,父の所有になってから約2年が経過した10月30日,その父から突然電話がありました。

 用件は出産予定日を1週間ほど過ぎたことを気にして「どんな感じか」と電話をしてきたわけですが,電話を切る直前の「そうそう」から始まる,ついでの話に,私はちょっと動揺しました。

 プジョー306を処分したというのです。

 処分というのは廃車したという事か?と確認すると,その通りだという返事です。

 処分するぞ,ではなく,すでに処分したということですから,事後に連絡をしてくると言うのはちょっと話が違います。

 この話の父からの申し出というのは,名義の変更を行い,車検や保険などの諸費用は全て父が負担をする,譲渡や廃車などの処分を勝手に行わない,必要に応じて車検が切れても切れたまま持っておく,というものでした。

 もとより,こんな都合のいい条件を100%信じていたわけではなかったし,この車を私が取り戻してまた乗るかと言えば,それはないと思いますので,特に実害があるわけではありません。

 釈然としない気分のせいで,後に続ける言葉が見つからずにいると,父がいらついた口調で言い訳を始めました。いわく,自分ももう乗らないのでもったいない,と。

 ああ,聞かなければよかった,もうこれ以上は聞きたくない,黙っていてくれ,と私はそう心の中でつぶやいていました。

 処分されたものはもう仕方がありません。事前に「処分するぞ」と言われても「お願いします」としか言えなかったはずですから,ここはこらえて,「手続きありがとう」とお礼だけ言って,電話を切りました。その時に私には,これが精一杯でした。

 電話の後,状況を整理してみました。

 まず,父はもともと軽自動車より大きな車をゴルフに行くのに使いたいといっていました。大きさは問題なかったようですが,私のプジョー306はどうもパワー不足で今ひとつ走らず,一度使われただけで,以後はゴルフに使われることはなかったと,母から聞きました。私がこの車にパワー不足を感じたことは一度もなかったのですが・・・

 次に,父は夏頃,肩の手術をして,しばらく入院していたそうです。その後リハビリで,結局9月頃まで身動きできなかったとのことです。

 そして最後に,この8月中旬に,車検が切れていました。

 想像出来るのは,自分が入院しているうちに車検が切れたプジョー306をどうにかせねばならず,当初のあてが外れてお荷物になってしまったこの車を維持する理由もなく,電話一本で取りに来てくれる友人の自動車整備会社にさっさと処分を頼んだという流れです。車検も自分が面倒を見るという行っていた割には,私が通した車検が切れたら処分ですから,呆れたものです。

 父がそういったわけではありません。父は処分した理由を,乗らなくなった,お金がもったいなかった,だけでしたので,私は随分父に都合の良い想像をしていることになります。そう考えてあげないと,プジョー306が不憫に思えるからです。

 いろいろな事情があったことは確かでしょうが,それにしても処分の前に一言欲しかったと思いますし,それは私に対する気遣いというより,約束だったわけですから,随分軽く考えられたものだと情けなくもなります。

 父にとって,自動車は頻繁に乗り換える,いわば大量生産の洋服のようなものなのでしょう。私のように縁あってやってきた個体として愛着を持つことは理解出来ないことのようです。

 思い出すと,父はとても車を大事にしていましたが,その理由は価値を下げないことにありました。古い車をレストアして乗るとか,1台の車を長く乗るとか,そういう事は一度もありませんでした。

 私も自動車は大好きですが,自動車が好きだった父の影響を受けたと,安易に言えない理由がここにあります。同じ好きでも,おそらく正反対の方向を向いています。だから,私が免許を取ってから以降,自動車の話を父とすることは全くなくなりました。もう接点がないわけです。

 さらに思い出してみると,父は幼い私に自動車の話を自慢げにする人ではありましたが,そこで出てくる自動車の評価は,新しいか古いか,高いか安いか,ブランド力があるかないか,人目を引くかどうか,パワーがあるかないか,くらいのものであり,カーブを曲がるときの鼻先の向き方やボディの剛性,サスペンションの追従性といった話は一度もなかったのです。

 父がこれらに興味を持ってなかったわけではないでしょうが,父が私に話すメカニズムについての話は,エンジンの話が中心であり,サスペンションやシャシーの話は全くありませんでした。要するに,そこが父の自動車好きの「限界」だったのでしょう。

 自ずと,好きな車の趣味も違ってきます。私は国産ならマツダ,海外ならプジョーやシトロエン,アルファロメオやフィアットがとても気になるわけですが,父にとってこれらの車はオモチャ同然であり,国産なら(かつての)日産,海外ならベンツとフォルクスワーゲンとBMWというドイツ勢が興味の対象です。

 ドイツ車の素晴らしさを否定するものではありませんが,ドイツ車にないフランスやイタリアの車の魅力をオモチャと言い切るあたり,お互いに全くわかり合えないだろうと思うのです。書いていてふと思ったのですが,父の自動車観は,まるで中国人のそれと同じですね。

 父は根本的に,自分の事しか考えません。自分の周囲の半径1mから外のことは全く見えないし,興味もなく,ひょっとすると存在すらしないと思っているかも知れません。そんなだから,自動車に対する接し方も人それぞれであるという理解はありません。

 父にとってプジョー306がお荷物なら,私にとってもお荷物であり,父が処分を最善と思えば,それは万人にとっても最善であると思うのに,何の疑いもないのです。

 ただ,今回の話については,「事前に一言欲しかった」とつぶやく私に多少の後ろめたさを感じたのか,声のトーンを半音上げて,なぜ自分が処分したのかという理由を,だーっと機関銃のように一気にまくし立てました。

 でもあいにく,私が聞きたいことは,そんなことではないのです。

 後日,思いつきで行動して周りの人を散々振り回す事は,相変わらず昔とちっとも変わっていない,という,いつもの意見の一致が,母との間でありました。

 長生きされれば,我々の生活を引っかき回すようなことをする可能性も高いと思っていますし,さりとて急に死なれてもきっといろいろ面倒な事が出てくることでしょう。願わくは,このままどこかに消えてなくなってくれればなあと,最近特にそんなことを思うようになってきました。

 親子ですから,それでも子供の頃の父の思い出はいくつもありますし,それらの多くは良い思い出で,懐かしいとも思います。

 しかし,人間同士としてこれだけそりが合わないと,やはり顔を合わせたくないし,話をしたいとも思いません。親子なのにと言う人に対しては,親子だからギリギリ繋がっているのだと言いたいくらいです。
 
 プジョー306が私の目の前を走り去って行くときに残したいくつかの写真は,実はまだ未現像です。あれから2年,今もしその写真をみたら,どんな印象を持つでしょう。

 最後にプジョー306を見たのは,実家でのことでした。プジョー306はもともと高級車ではないので,特に最廉価のstyleには,やや細い純正のタイヤがよく似合います。なのに,不釣り合いなインチアップのアルミホイールに扁平なワイドタイヤを無理に履かされていて,リアフェンダーの内側にタイヤがこすれるほどでした。

 シートにはボワボワのムートンが敷き詰められ,まさに台無しでした。

 やはり,最後は私の手で処分するべきだったのではないかと,安易においしい話に乗ってしまったことを,反省しています。

RDT204WM-Sの持病

 2年半ほど前のことですが,三菱のLCDモニタRDT204WM-Sを買いました。

 手頃な大きさの20インチで,かつ解像度の高いモデルの中から選んだのですが,何となく三菱製のモニタを買いたいなあと思っていたのでちょうどよい買い物でした。

 また,当時はDVDレコーダを繋ぐモニタとしても利用せざるを得ず,この機種はケーブルを自作すればコンポーネントの525iや525pが映せるという希な機能を持ち合わせていました。

 最初はそこそこ満足して使っていたのですが,使っているうちにいろいろ問題が出てきます。一番困ったのはコンポーネント入力時に画面が乱れて全く操作ができず,モニタ側をリセットすることも出来なくなったことです。

 この時は,DVDレコーダ側の525iと525pを切り替えるととりあえず映るので,その隙にモニタ側をリセットして回避していましたが,この切り替えは完全にモニタが映らない状態の「ブラインド操作」で行う必要があり,日頃からもしもの場合に備えて,画面を見ずにリモコン操作だけで切り替えが出来るように訓練をしていたほどです。

 そのうち,引っ越しをしてテレビを別に買ったので,このモニタはテレビとしての機能を期待されなくなり,稼働率が下がったこともあって,問題は沈静化していました。

 ですが一昨日の夜,いつものようにモニタの電源を入れたところ,真っ暗なままで全然画面が表示されません。おかしい・・・

 もう一度電源ボタンをおして電源を切り,すぐにもう一度電源ボタンを押したのですが,今度は電源ランプが点灯しません。おかしいおかしい・・・

 何度か押しているうちに,電源ランプだけは点灯するようになりました。しかし画面は真っ暗なままです。電源ケーブルを抜いてもう一度電源ボタンを押すなどを試みましたが,結局解決せず。おかしいおかしいおかしい・・・

 偶然,よそ見をしていて,少し時間が経過してから画面を見ると,なんと画面が表示されています。電源が壊れたとか,そういう問答無用な壊れ方をしてなかったことで,私は少し安心しました。

 せっかくのチャンスですので,ここですかさずLCDをリセット。しかし相変わらず問題は変わりません。

 ここで,偉大なる知恵の泉,google先生に救いを請うと,電源投入後1分ほど画面が出ないという人の書き込みが見つかりました。これかと思って私も電源ボタンを押してから数を数えると,同じように画面が表示されるまで1分ほどかかっていました。

 その後設定を確認してみたのですが,とにかく設定を行う操作の反応が悪く,ボタン押下の間隔を数秒開けないと動いてくれません。そしてついに,決定的な問題を発見します。シリアルナンバーが「

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スティーブ・ジョブズがなくなったこと

 いろいろな理由で触れたくない話なのですが,とても大きな話なので,書かざるを得ません。

 スティーブ・ジョブズが,なくなりました。享年56歳。

 そんなに具合が悪かったのか,が最初に思いついたことでした。ギリギリまで走り続けて,ほっと一息付く間もなく,なくなってしまうなんて。

 互いに面識もなく,年齢も立場もあらゆる面で私と接点のない,しかも外国人の死を,まるで友人の死のような気分で受け止めることになるとは,私にとっても驚きでした。

 いや,もっと強いかも知れません。友人ではなく,共に時代を生きた仲間か,あるいはちょっと年の離れた憧れの兄貴,ちょっと違いますけど若いときに心酔したロックミュージシャンが亡くなったような。なにが言いたいかというと,精神面での影響が大きいなということです。

 やんちゃで,絶対な自信で周囲を引っ張り,かつ振り回し,大きな成功も大きな失敗も経験し,でもぶれない信念がある,まぶしくて強くて,でもどこか華奢な兄貴。

 Apple][,Macintosh,NeXT,MacOSX,iPod,iTunes。彼の生み出した物は,常に私を魅了しました。

 彼の前に道はなく,彼の後に道は出来ます。

 時に,若かったころの私の前には,それはまだまだ細く,整備されていない,でも自由で活気にあふれた,かろうじて道と呼べる物がありました。

 ハードウェアは自分で組み立てる必要があり,プログラムは機械語が当たり前,マクロアセンブラが使えるのは一部のお金持ちに限られた険しい道で,そんな道でも自分の知力と体力で少しずつ前に進むのがとても楽しかった,そんな思い出があふれてきます。

 むろん,ジョブズははるか前にいました。いや,前じゃないですね。別の道を切り開いていました。時々彼の動静を耳にすると,すごいな,ということと,相変わらずだな,ということを,いつも思ったものです。

 ジョブズを語る人は,いくらでもいます。

 ジョブズを知る本や映像も,いくらでもあります。
 
 でも,私にとってのジョブズは,30年常に憧れ,時に反目した,とても身近な人でした。リアルタイムで蓄積してきた彼の記憶で,私はもう十分です。

 その記憶が,とてもよく映像化されていると思う唯一無二の「バトルオブシリコンバレー」を,酒でも飲みながら見るのが,私の弔いです。

台風15号

 ここ数日の台風15号騒ぎで,多くの地域で被害や各種影響が出ました。ニュースでもしつこくやっていたように,首都圏ではちょうど帰宅時刻と重なり,帰宅困難者が続出しました。

 かくいう私も,帰宅には大変な苦労をしました。帰宅指示が出て会社を出たのが16時30分頃,実際に家に帰り着いたのが22時。実に5時間30分もかかってしまいました。いつもなら1時間弱のところを,です。

 先の地震の時も大変でしたが,今回の帰宅の難しさは,ひょっとするとそれ以上のものがありました。1つ違っているのは,地震の際には誰もが帰宅困難者であったのに対し,今回は人によってすんなり帰れた人とそうでなかった人がいたことでしょう。

 なにせ5時間半かかった帰宅ですので,少し状況をまとめておこうと思います。

・15時30分頃 
 いつも使っている東急大井町線を含む,東急の主要各線が運休という情報。

・16時30分頃
 帰宅指示を受け,意を決して帰宅する。この段階で東急線はほとんどが運休。とりあえず大井町までいこうと決める。

・16時45分頃
 京浜東北線は蒲田~大船間で運転,山手線は東京方面が運休。しかし京浜東北線は人であふれ,ホームまでたどり着けない。そこで山手線で大崎まで行き,そこからりんかい線で大井町まで行くことにする。

・17時頃
 大混雑の山手線でなんとか大崎までたどり着く。りんかい線のホームは比較的空いている。

・17時10分頃
 折り返し運転の新木場行きに乗る。雨風がひどくなり,大井町止まりとなる。

・17時20分頃
 大井町のホームに到着。大井町線は運休していたが,雨風をしのげるように車輌は開放されていた。台風が過ぎ去るのが19時頃として,もし座れれば待つことも可能と考えていたが,あいにく立って待つことに。

・17時50分頃
 突然停電。空調も止まり,照明も消える。安全が確保出来ないためだろうか,全ての乗客が否応なしに雨風のひどいホームに放り出される。このまま座って待ちたいというお年寄りの懇願も全く聞く耳を持たず。

・18時頃
 大井町まで来ればなんとかなると思ったのは,大井町線は多線区との接続がなく比較的復旧が早いことを期待したのと,最悪改札を出れば食事や買い物をするのに困らないから。しかし改札の外をホームから見ると,余りのたくさんの人に改札制限がかかる可能性もあると考えた。幸い,私は乗車位置の最前列に偶然おり,私の後ろに列ができはじめたので,このままここに1時間ほどいれば,確実に運転再開直後に帰れるとふんで,このまま待つことにする。目の前の電車はパンタグラフを降ろしてしまった。

・19時頃
 状況は変わらず。雨風は弱まりつつある。

・19時30分頃
 雨風はかなり弱まり,ほとんどおさまっている。京浜東北線が動き出したのか,多くの人がホームに流れ込んで来る。「そろそろ大井町線が動くらしい」という声も聞こえる。確かにそろそろ動き出してもよいころだろう。

・20時頃
 突然「沿線の民家が倒壊の恐れがあるため運転再開の目処が立たない」とアナウンスされた。多くの人があきらめてホームから去り,列が短くなった。私はまだ列を離れない。それにしても,19時頃には悪くとも,電車に乗って待つことが出来ると思っていたが,あてが外れた。

・21時頃
 民家の倒壊を防ぐ工事を行っているというアナウンスが何度かあり,そのうち電車に照明が灯って,ドアが開いた。工事は終わったが,運転再開は線路の安全確認終了後ということらしい。

・21時9分
 駆け込みで乗り込んでくる人があまりに多くてぎゅう詰めになったが,安全確認が終わってようやく運転再開。倒壊の恐れがあった民家というのは緑が丘駅の近くという話と,下神明付近の安全確認が最後に残っていたという話が何度もあって,ようやく大井町を発車。

・21時40分頃
 二子玉川に到着。特にトラブルはなかったが,目黒線が止まっていた関係で大岡山で大混雑,東横線の関係で自由が丘でまた大混雑。私が下りた二子玉川からも乗り込む人が大勢いて,生きた心地がしなかった。

・22時頃
 帰宅。すっかり雨風はおさまり,雲も高い位置に少しあるくらい。


 とまあ,こんな感じで,家に帰ってご飯を食べて風呂から出たら,もう寝る時間になっていました。4時間じっと立ち続けた疲労感はありましたが,焦ることも怒ることもなく,まあ穏やかに過ごした時間でした。悔しいのはあと数日はもつと思った文庫本を読了してしまったことと,歩けば2時間で帰れたということでしょうか。

 この日,東急全線の運転が止まり,迂回路がほぼ完全に絶たれた状態になっていました。私が住むところは他の会社の鉄道がなく,東急がすべて止まるともう手がありません。田園都市線も大井町線と余り変わらないタイミングでしか再開しませんでしたので,電車で帰るのであれば今回の4時間待ちというのは,最善策だったことになります。

 ただ,18時頃に歩いて帰ることも考えて,IDEOSでルート探索を行っていました。ややこしい道を使うこともなく,2時間で帰ることが出来るのであれば,20時頃には帰宅できそうと,かなり迷ったのですが,19時頃には運転再開するかもしれないという期待もあったし,雨風の中を歩くのは危険ということもあって,あきらめました。しかし結果から言えば,雨風も弱まりつつあった19時頃からでも歩いて帰るのが,一番正しい方法だったかも知れないですね。

 もう1つ良かったのは,帰宅できない可能性も考えて,16時頃におにぎりを2つほど食べて,ペットボトルのお茶を飲んでおいたことです。このおかげで空腹になることなく,4時間待つことも出来ました。やはり食べ物というのは重要です。


 それにしても,気の毒なのは小さい子供を二人連れたお母さんや,お年寄りですか。前日から台風に警戒するようにとあれだけ言われていたので,休校になったか早退になったかで学生はほとんどいませんでしたが,サラリーマン以外の人があれだけ,台風に無頓着だというのは,ちょっとどうかなと思いました。

 もう1つ,東急の対応のまずさもあります。台風は突然来たわけではなく,今回はゆっくりやってきましたし,前日には東海地方で大きな被害をだし,翌日は警戒するよう言われていたわけです。しかし,これだけ長い時間運転再開出来なかったことは,東急への信頼を崩すに足る物であったと,私はつくづく思います。

 数年前,台風で出社することが難しい状況になったことがありました。この時は会社まで1時間ほど歩いたのですが,この時も「台風くらいで」という意識があったことは否めません。特にここ最近の台風は,上陸すれば確実に大きな被害を出します。自分に都合のいい勝手な想像をして台風をなめてかかることは,今後はやめようと思います。

 結論から言えば,昨日の勝ち組は,午後一に早退することでした。

キュウリを収穫

 キュウリを初めて収穫しました。そろそろいいかな,でもまだかもな,と逡巡していましたが,虫にやられたりするのもしゃくですので,一番大きなものを1本だけ,今日の晩ご飯に頂きました。

ファイル 499-1.jpg

 上の写真は,一昨日のものです。これを今回収穫しました。

ファイル 499-2.jpg

 食べる前に,記念撮影。この数分後,我々の胃袋に収まることになります。

 洗ってから包丁で切ってみますと,まるで果物のようなみずみずしさ。皮も薄く,つやつやとしており,包丁が軽く入っていきます。

 まだ白い部分もあるかなと思ったのですが,種の周りは透明になっているので,もう食べても良い頃合いでしょう。

 みりんとだし汁で溶いた味噌で頂きましたが,キュウリの香りは薄く,とても上品です。皮が薄いせいで歯ごたえはないのですが,それこそ果物のようなほんのりとした甘みがあり,いかにも瓜の仲間だと意識させるものです。

 冷やしてなかったのですが,たっぷり含んだ水分がとても美味しく,あっという間に食べました。

 6月の末の種まきから2ヶ月,いろいろな事があったなあと思い出しながら食べました。ちょうど明日食べ頃になりそうな2本が収穫予定ですが,こんな風に美味しく食べられるといいなと思っています。

 これから先,10本ほどが収穫できそうなのですが,残念な事にここ数日開花した雌花が,黄色くなって落ちているのです。受粉しなかったせいだろうかと思っていますが,私は雄花をちぎって人工授粉をすべての雌花で行ったので,どうもよくわかりません。

 1つの株にいくつも実がなると育たないので,もしかすると数を自分で管理しているのかも知れませんし,やっぱり受粉しなかったなど,いろいろ理由はあるでしょうが,受粉すると数日の内に付け根が太く,濃い緑色になってつやが出てくるのに,枯れる雌花は細くなって色が黄色くなっていきます。やがて茶色くなって落ちてしまうのですが,みているとかわいそうなものです。

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