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電子楽器の進化の渦中にいて

 友人がCDジャーナルを買ったので一緒に見ていたのですが,特集の電子音楽の世界,の突っ込みの浅さには,少々がっかりしました。

 電子楽器ではなく電子音楽ですから,範囲の広さが半端ではないし,技術志向と言うよりは芸術を軸足に置いた立ち位置ならやむを得ない所があるとは思いますが,電子音楽を支える電子楽器が,従来の楽器達とは違う育ち方をしたことに注目しないことは,少々物足りなさを感じずにはいられません。

 ここから先は電子音楽と言うより,電子楽器に向けた話をします。

 我々は,今その時代に生きているので余り意識することもないのですが,思うに我々は,音楽と楽器において実にダイナミックな時代にいるのではないかと思うのです。

 楽器は工業製品である以上,設計や生産をする技術者が必ずいます。彼らはその昔職人と呼ばれていたかも知れませんが,その役割は同じです。

 一方で楽器は,それを使って音楽という作品を作る芸術家が存在します。作曲家,演奏家と呼ばれる人々です。

 いずれの職業も高度に訓練された特殊技能を必要とする職業であり,少ない例を除き,基本的に分業がなされます。ピアニストはピアノを作る事はしないのです。

 楽器の開発は,大なり小なり過去の楽器の問題点を解決するという目的があります。異論はあるかも知れませんが,全くの新規で誕生したものは少なく,何らかの起源を持つと考えています。

 そうして時の技術者が楽器の改良を重ね,改良された楽器を演奏家なり作曲家たちが使いこなし,それがさらに楽器を改良に導く,と言うのが楽器の発展の歴史です。どちらか一方だけが頑張っても残りません。楽器と音楽は,両者ががっぷり組み合って初めて,残るものです。

 電子楽器を見てみて下さい。電子楽器の代表であるシンセサイザーが登場して30年ちょっとが経過していますが,この30年,まさにそうした組み合った状態が,現在においても続いていることがおわかりになるでしょう。電子回路によって発生した音は,演奏者や作曲者を鼓舞し,彼らのやむ事なき要求が技術者を挑発することを繰り返しています。

 こんな事は,そうそう滅多にあるものではありません。確かにエレキギターは偉大な発明であり,アンプとエフェクターも含めたシステムで考えると,音楽シーンを一変させてきたことは確かです。しかし,根本的な音楽のあり方をも変えてしまった影響力を考えると,電子楽器の比ではありません。もっというなら,電気ギターはエフェクターに入る時点でディジタル信号に変換され,以後電子楽器と同じ仕組みで音が出ているケースも多いのです。

 例えばピアノを考えてみると,いわゆるチェンバロの音量が小さく,強弱も付かなかったことで表現力に限界があったものを,コンサートホールでも十分響くだけの音量と,強弱を自由に使い分けることが出来,しかもたった一人でオーケストラに匹敵するだけの音域をを操ることの出来る楽器として「改良」されることで,演奏者や作曲家の魂に火を着け,ここまで発展し,今やなくてはならない楽器として不動の地位を誇っています。

 18世紀に誕生した時や,いわゆるモダンピアノへと進化した19世紀にかけての劇的に変化したその時の,感動と興奮はいかほどのものであったか。そしてこうしたダイナミックな時代は,そんなに何度もやってこないのです。

 電子楽器の世界は,今まさにそうした,人類にとって希有なる感動と興奮の時代にいるのではないかと,私は思っています。

 ところが,従来の楽器の進化と,電子楽器の進化の間には,決定的に異なる事があります。それは,発展の原動力が,多の産業と深い関連を持っていることです。

 シンセサイザーは,トランジスタという半導体素子の発明と発展がなければあり得なかったでしょうし,概念的にもアナログコンピュータの考え方がなければ誕生しなかったでしょう。デジタルシンセサイザーへの過程では,LSI技術とデジタル信号処理技術がなければならなかったでしょうし,現在主流のサンプリング方式はメモリーの劇的な大容量化と低価格化がなければなりませんでした。

 特にデジタルシンセサイザー以降は,膨大な演算能力と膨大な記憶容量によって,その進化が加速されてきたという事実があります。気をつけねばならないのは,その両方が,楽器のために生まれた技術ではないということです。むしろ,他の産業の要求によって発展し,その応用として電子楽器に転用されたという事実を無視できません。

 もちろん,デジタル技術によって,あらゆる情報が数値化され,同じベースで処理できるようになり,それが楽器の世界でも例外なく行われたと見る向きもあるでしょうが,電子楽器専用のCPUや電子楽器専用のDSP,電子楽器専用のメモリが必要だったとしたら,ここまでの発展はなかったでしょう。

 こうして,電子楽器は他の産業との強い関連性を持つ事で,過去に例を見ないスピードで進化してきました。楽器製造が単独の産業であった時代とは,ここが根本的に異なる点です。

 ところで,ピアノについても,モダンピアノへの発展には,強いテンションでも切れることのない強い弦の開発と,その強いテンションをしっかり支える金属製のフレームの開発がなければならず,いずれも他の産業によって生まれた新しい素材によって実現しているわけで,その点で言えば電子楽器の発展の歴史と比べて,程度の差はあれ根本的な違いはないと考えることは可能でしょう。

 つまり,産業革命以降,工業製品の発展が楽器という芸術分野の道具についても積極的な影響をもたらすようになったと考えることが出来るわけで,機械工学や金属加工技術が最先端だった当時ならではの応用がピアノであり,電子工学やコンピュータ技術が最先端である現代ならではの応用が電子楽器であるということなのです。

 しかし,電子楽器の,他の産業への依存度は,あまりに大きなものがあります。すでにパソコンをソフトウェアでシンセサイザーにすることは日常的に行われており,ハードウェアはすでに事務用品と同じものを使うに至っています。ピアノのフレームにしても,弦にしても,その素材の源流は他の産業からの要求で生まれたものとはいえ,やはりフレームに適した鉄,弦に適した鉄として生産されているわけであり,電子楽器用の部品が他の産業で使われることを前提とした,全くの汎用品であることとは,ちょっと違っているように思います。

 私は,こうした理由で電子楽器の世界を大変に躍動的な分野と見ています。電子楽器が現在進行形で音楽という芸術世界を大きく変化させていることと,楽器の歴史の中で過去にないほど他の産業との結びつきが強い中で発展していることを,極めて特徴的であると考えているからです。

 こうしてみると,CDジャーナルの特集の突っ込みが,あまりに物足りないものであることが分かって頂けるのではないかと思います。もちろん技術論に偏ることはせず,かといって文化的側面ばかりを手厚くするわけでもなく,100年単位でしか訪れることのない楽器と音楽双方のせめぎ合いの現場を,もう少し客観的にまとめて欲しかったと思います。

Palm雑感

 palmTXを入手し,約1ヶ月が経過しました。最近はすっかり動作も安定し,安心して各種データの管理を任せることが出来るようになりました。

 それまで使っていたクリエのTH55は完全に引退し,現在のいつでも電源が入る状態から,保存の状態に移行するのも時間の問題でしょう。

 いろいろ手を焼いたpalmTXですが,動き出してしまえばあっけないもので,ここから先は壊れやすいとされるタッチパネルをはじめとする故障が起きないかどうか,持ち歩くものなので破損しないかどうか,経年変化による傷みや電池の劣化がないかなど,そういう心配事に切り替わっています。

 宿題の1つであった革製のキャリングケースはちょっと高価だったのですが薄型の手作り品を入手しましたし,あとは何かの機会に予備のスタイラスとHotSyncケーブルだけは確保しておこうと思います。

 実際こうして使い始めてみると,驚くほど不満がないのがPalmのいいところです。特にpalmTXは,今時遅いとはいえ,Xscaleの312MHzですから,TH55に比べるとサクサク感がちがいます。

 ただ,やはりNVFSに起因する欠点だけは目立ってしまいます。推測でものを言いたくはないのですが,予定表への書き込みを行う場合,起動後最初の1回目だけは,数秒間入力を受け付けてくれません。おそらくデータをフラッシュメモリとやりとりしているからだと考えているのですが,これさえなければ,と思うことも多いです。

 手に入れた時のうれしさで,最初はあれもこれもと試みてはみますが,結局使わなくなってしまうもので,ゲームなどは全く遊ばなくなりました。他のユーティリティについてもほとんど起動することなく,最終的に予定表とアドレス帳,そしてメモ帳の3つだけがあれば,もうそれで私には十分なんでしょう。

 つくづく考えてみると,今から15年ほど前,日本のビジネスマンは電子手帳やザウルスをこぞって手に入れ,予定やアドレスを手帳代わりに記憶させていました。検索機能,編集機能,そして毎年毎年買い直さなくてもよいというメリットをおそらく享受したから,そこから10年ほどPDAの文化がすんなりと受け入れられたのだと思いますが,今電車の中でも全くと言っていいほどPDAを見る事はありませんし,使っているという話もほとんど耳にしません。

 はて,みんな,どうやって,あの面倒な予定やアドレスを管理しているのでしょう?

 かつてのように,紙の手帳にみんな戻ったのでしょうか?

 携帯電話で管理できるようになりましたから,それでやっているのか?

 あるいは,Outlookを使って,完全にPCで管理するようになった?

 紙の手帳は,確かに電車の中でも頻繁に見ます。紙の手帳に戻った人は多いと思いますし,年末に本屋さんの見る手帳コーナーはPDA全盛の頃よりも盛況のように思います。確かに紙はすばらしいメディアですが,私は検索,編集,そして10年近いデータが手のひらにすべて収まるというPDAのメリットを手放したくはありません。

 携帯電話も重要なツールになっていると思います。電話帳から派生したアドレス帳も,カレンダーから派生した予定表も,PCをつかって編集することが可能ですし,PCのデータと同期させることも可能です。

 しかし,いかんせん出先での入力や編集があまりに辛いです。スタンドアロンでも十分動くことは私にとって大事なことですが,携帯電話にはそれが欠けているように思います。

 もう1つは信頼性でしょうか。落として壊すということが特別なことではない携帯電話に,数年分のデータを入れて置こうという気にはなりません。また,携帯電話は必ず買い換えるものです。その時データをどうやって次の機種に移行させるか,これが案外頭の痛い問題です。

 Outlookを使ってPCで管理というのは,実は案外一番良い方法かも知れません。ただ,それも持ち歩き前提ですから,palmと同じようなサイズのPCが安価に手に入ったら,考えてみてもよいかも知れません。とはいえ,OutlookはExchangeサーバがないと成立しませんし,全く個人的なデータをサーバに預けるにはちょっと抵抗があります。同じでgoogleに預けるのも,私は気が進みません。

 ということで,人それぞれ,好き好きだと思いますが,個人的な好みの問題はさておいても,合理的に考えてPDAを使う以上に予定とアドレス,ちょっとしたメモをうまく管理する方法が見あたらないと思うのです。みんな,私の知らない良い方法を知っているんじゃないかと不安になってきました。

 少し気になって,シャープとカシオの電子手帳の現行品を調べて見たのですが,残念ながらゼロです。電子辞書がかつてのページを占領しており,簡単な電子電話帳ですら見あたりませんでした。もっとも,その程度の機能なら,本当に携帯電話の1機能で済んでしまいますから,必要ないのは確かでしょうが・・・

 そう考えると,やはりスマートフォン,つまり携帯電話のデータ管理機能を大幅に拡張させたもの,こそが本命になるということでしょうか。(iPhoneはその点で全然役に立ちませんから,私は欲しいと思いません。枯れたなあ・・・)

 いやはや,つくづく「人それぞれ」な世界なんだと思い知りました。

250号記念:2008年を振り返って

 2008年は,まさにどん底の1年でした。思い出されるのは暗いニュースばかりで,しかもそれぞれ自分には理解できないこと,あるいは自分ではどうにもならないことがほとんどでした。

 個人的にもなかなか安定せず,その割にはあっという間に時間ばかりが過ぎ去ることに,今更ながら驚いていたような,くだらない1年だったと思います。

 残念な事に,下馬評では2009年は2008年よりも悪くなるとのことで,夢も希望もない,とはこのことではないかと,100年に一度の歴史的な時代をリアルタイムで体験していることにどう向き合えば良いのか,本当に考え込んでしまいます。

 確かに夢も希望もありませんが,2008年の私は,幸いなことに大きな病気もせず,身内に不幸があったわけでもなく,他の人から見れば平々凡々とした毎日だったと,いえなくもありません。てことで昨年を振り返ってみたいと思います。


・買ったもの

 昨年もオーディオ機器の入れ替えがありました。私は言うほどのマニアではありませんから,大衆向きの量産品を使って満足できる人です。

 SACDプレイヤーはそれまでのソニーのものがいよいよ壊れたので,パイオニアのPD-D9を買いました。WolfsonのフラッグシップDACが搭載されたプレイヤーを試して見たかったということで選びましたが,個人的には大変気に入っています。SACDもそうですが,CDの音も気に入っており,自作のDAコンバータは結局ほとんど使う事がなくなってしまいました。

 大きな買い物では,MacBookProを買ったことですね。iBookG4は生活マシンとしては問題なしだったのですが,やはり大きなLCDが欲しいことと,そろそろIntelに移行したいということで,ちょうど新製品が出るという噂が流れて値段が下がった時に買いました。大きな買い物でしたが,こだわったのは6MBの2次キャッシュ。これは後で買い足すことが出来ませんからね。

 おかげさまで今は快適な毎日を送っているわけですが,つい先日,バッテリを抜いて使っていたため半分の処理速度しかでていないという事実が判明し,気のせいかiBookG4とそれほど変わらん,という感触の理由が判明したことは,ここにも書いたことでした。

 今年はカメラ関係の出費が減りました。買ったものと言えばK10DとFA77mmF1.8,それとSB-400くらいでしょうか。残念な事にK10Dにはファインダースクリーンの留め金付近にひっかき傷がありましたし,FA77mmのレンズキャプには10mm以上の傷がありました。こういう形でケチが付いてしまうのは嫌なものですが,FA77mmのレンズキャップについては販売店の方にとても良くして頂きました。年末,K10Dで200枚ほど撮影したのですが,D2Hユーザーのご多分に漏れず「画質は画素数に関係ない」と強がっていた私も,素直に高画素数が持つ情報量の多さを認めざるを得ませんでした。

 そういえば,PS3も買いました。あくまでBDプレイヤーとして買ったので,本当にゲームで楽しんだことがありません。ただ,そのBDプレイヤーが想像以上で,先日「善き人のソナタ」を見たのですが,ここまでの画質をもって初めて表現できる世界があるということを思い知りました。

 BDがこれだけすごいと,もうDVDはダメです。なにもメリットがありません。

 昨年末の話として,圧力鍋も面白い体験でした。それまでの認識では,圧力鍋=上級者の省エネツール,だったのですが,使ってみると必ずしもそういうわけではなく,圧力鍋を使わないと出来ない料理があるというのが正しいように思います。また,同じ料理でも圧力鍋を使う場合と普通の鍋を使う場合では,別の食べ物になるというのが私の考えです。

 圧力鍋を使うと省エネになるという話も必ずしも正解ではないようで,圧力が上がるまでの時間が10分ほどかかる訳ですから,その後の圧力維持時間と合計すると,その時間で普通に煮えるような料理は使う意味が全くないわけですね。

 例えば白米ですが,普通の鍋では5分ほどで沸騰,そこから15分弱火,蒸らし15分なのですが,これが圧力鍋を使っても沸騰までが5分でも圧力が上がるまで5分,そこから4分圧力維持で合計約14分の加熱(それも中火)が必要で,火を止めてから10分の自然冷却に入りますから,調理時間もそんなに短縮されません。これではメリットがないですよね。

 そうそう,ポット型の浄水器も買いました。それほど「うまい」水になるわけではないですが,これで作った氷は確かにおいしいと思います。先日実家の母が欲しがったので,買ってあげました。

 ところで,鉄道模型についてです。この日誌を読んでいる方からいまいちな反応しか返ってこないので積極的に書くことは差し控えさせて頂いていたのですが,ワールド工芸のEF50キット,グリーンマックスの東急1000系などここに書いたものをはじめとし,ED73-1000,EF65-500,12系客車,戦前の「つばめ」のセット,209-0,DE10,20系客車など,一時期の勢いはなくとも,ずっと以前から欲しかったものを中心に買っています。もちろんすべての動力車がDCC対応になっていますが,昨年はDZ125という,BEMFに対応したさらに小型の普及品のデコーダがリリースされました。私も使ってみましたが,これはいいです。ただ若干入手が難しいのが難点ですね。


・手放したもの

 ここには書きませんでしたが,ちっとも使う事がなくなったMIDI音源モジュールを実家に送りました。VintageKeysPlusとMatrix-1000の2つです。本当はD4も送り返そうかと思ったのですが,荷物が多くなりすぎたので,次の機会にしました。

 両方ともお気に入りで,他に代わるものがありませんから,捨てるという気は全くありませんけども,だからといって使わないものを手元に置いておくことも無駄で,それで可能なうちは実家においておくことにしました。

 その実家においてあるものも,本当に意味のないものは捨てることにしました。MacintoshSE/30も捨てましたし,私が最初に買ったCDプレイヤーのDP-990SGも捨てました。とても大事にしていたカセットデッキのA-450も捨てました。

 実際,捨てて1年経つわけですが,全然困っていません。その意味では正解なのですが,やはり寂しい気持ちになるものです。

 iBookG4も手放しました。使い古したマシンを中古で売るなど滅多にしない私ですが,どういうわけかiBookG4はそこそこ高値がついており,売ることにしました。付属品も揃っていますし,外に持ち出さなかったので傷も破損もなく,満額で買い取って頂きました。元気にしてるかなあ。

 あと,壊れてしまったソニーのHi8デッキ,EV-S2200も捨てました。壊れているんだから当たり前です。それと,スカパーも解約しました。解約してから一度も「惜しいことをした」と思ったことがありませんので,本当に意味のないものだったのでしょう。

 そして,これは私がというより,多くのファンがという方が正しいのですが,コダクロームが我々の元を去っていきました。私など,まだまだこれからコダクロームを学ばねばならないはずなのに,その機会が失われたこと,過去のものになってしまったことは,今も残念でなりません。


・はまったもの

 一昨年の暮れから取り憑かれたようにはまっていたポケコンの修理は,昨年も地味にやっていました。PC-1246のメモリ増設,X-07やPC-2001のエネループ対応(昇圧回路の内蔵),PC-E500のメモリ増設に日本語化,壊れていたPC-E500の修理というところです。

 この,昇圧回路に関してはそれまで私自身が興味を持たなかった分野だったので,偶然HT7750Aという便利なICに出会ったことは非常にラッキーでした。実は後日談があり,X-07の電池が案外早く切れてしまうのです。スタンバイ時の消費電流が大きいようで,その大半は昇圧回路が原因だろうと思っています。

 あと,LCDが黒くなったポケコンを防湿庫に入れてあるのですが,なんとセイコーのMC-2200の液晶が少し復活しています。といっても全然使い物にならないのですが,このまま数年間防湿庫に入れおけば,いつか復活するのではないかと,淡い期待をしています。まあ,無理でしょうねぇ。

 カメラの修理はかなり下火になりましたが,昨年頭のES2の大修理は今思い出しても大変でした。しかし,おかげさまで昨年末に動作確認をしたところ,問題なしだったようなので,うまく根本的に修理と調整が出来たようです。

 そして,SPのシャッター幕の交換ですね。これ,みんな簡単そうにやっているんですが,私は結構大変でした。あんな狭いところ,まっすぐ決まった長さで接着するなんて,神業です。

 スピーカーのエッジ交換も大変でした。あれもうまくいかなかった部類でしょう。そう考えると,2008年のDIYは件数も少なく,成績も悪かったと言わざるを得ません。


・電子工作の世界

 CQ出版からはエレキジャック,電波新聞社から電子工作マガジンが出るに至り,ここ最近耳にする電子工作の復権が,少しずつ見える形になってきたようです。

 大変残念なことに,どちらの雑誌もお手本にはならず,さりとて資料的価値も薄い,いわゆる工作の雑誌とはずれている感覚が拭えません。

 これに初歩のラジオが復活するともう完璧なのですが,当の誠文堂新光社は何ヶ月に一度か,ちょっとした工作の本を出してくれています。中には大昔の初歩のラジオからの抜粋や,無線と実験の別冊の復刊などがあり,見事なオッサンホイホイであるわけですが,それでも初心者向けの内容はなかなか良くできています。わかりやすく,間違いも少なく,お手本にも資料にもなってくれるものがいくつかありました。

 子供が買うには少々値段が高いので,図書館や学校の図書室向けなのかも,知れません。

 電子工作とはちょっとずれますが,私は2008年の春ごろから「子供の科学」を毎月買うようになりました。実に25年ぶりです。扱っている内容は決して簡単なものではないのですが,これを実にわかりやすく取り上げていますし,一冊あたりのボリュームもちょうど良く,毎月楽しみにしています。


・健康面

 至って健康に過ごせた2008年でしたが,右目に常にゴミのようなものが映っているのと,胃を長期にわたって,しかも2度も悪くしたことにはまいりました。

 目の方は重大な問題ではないということで,悪化するようならまた来なさいと言われたわけですが,うまい具合に悪化していません。本を読んでいると邪魔になり,今でもやっぱり慣れないのですが,これはもう付き合っていくしかないでしょうね。

 胃を悪くした件は本当に困りました。ずっと気分が悪く,おなかが空きません。吐き気で目が覚めることもしばしばです。油のものは受け付けず,辛い状態が3ヶ月ほども続きます。

 昨年は1月頃と6月頃の2回,間を2ヶ月ほど挟んでそれぞれ3ヶ月以上苦しみました。2度目にはあきらめてお医者さんに行ったのですが,結局原因がよく分からず,無駄な様子見の時間が長く続きました。薬でも全然改善がないため,生まれて初めて胃カメラを受けた結果,まったくもって綺麗な胃であると言われてしまいました。

 漢方薬「六君子湯」を処方されてからは10日ほどで気分の悪いのが改善し,その後はすっかり良くなりました。年末に久々に会った友人から「漢方薬は気分のものだ」と言われて若干むかついたのですが,仮に気分のもんでも,本人が良くなっているのが事実なら,それはなによりの薬です。

 今にして思うのは,胃を悪くしてから一度に食べられる量が大きく減っていることから,年齢にあわせて少しずつ胃が小さくなっていく一方で食べる量は同じですから,どこかで胃がその許容量を超える時があるわけで,まさにその時に胃が悲鳴をあげるのではないかということです。

 なんの根拠もありませんし,そんな話も聞いたことがありませんが,お医者さんは「胃の動きが悪くなっているのが原因」といいますし,六君子湯はまさにそれに効く薬です。でも,胃の調子が戻ったからといって元通り食べられるかと言えばそんなことはありませんし,すぐに満腹になるところから,現実的に胃が小さくなっていることは間違いないと思っています。

 だから,食べ過ぎをしないようにすることが,最も効き目のある対策だと思います。

 人間ドックなるものも昨年は受けてきましたが,非の打ち所のない健康体で,これだけ健康だと気分がいいとお医者さんにも絶賛された私ですが,相変わらずコレステロールは健康値を下回っている(上回っているんではありません,下回っているんです)ので,疲れやすいのはそのせいだろうかと,思ったりしています。

 そうそう,視力が良くなっているようです。視力というのは,眼球の光学性能と脳の画像処理および認識能力の総合性能ですから,光学性能が悪くなっても脳を鍛えればカバー可能というのが私の密かな結論なのですが,それだけでは説明が付かないくらい,目が良くなっているようです。


・数字遊び

 2008という数字がなぜか綺麗だなあと思った理由を少し考えてみました。これ,2と8が偶数で,この2つの数字を足しても引いてもかけても割っても,答えは全部偶数になるんですね。

 2010年はどうかと考えると,割ると奇数が出てきますので却下。ようやく2012年になってようやくすべてが偶数になる年がやってきます。


・今年の展望

 私は専門家ではないので自分の周りの狭い世界における希望的観測に過ぎませんが,原油に流れていたお金が円に流れている事が今の円高の原因の1つだと思うので,円はそんなに簡単に下がらないと思います。

 輸出に頼る日本にとって円高基調が続くことは景気の回復が遅れるということでもありますから,今年も当面,景気が悪いままではないかと思います。

 度々続いた配置転換も否応無しでしょうし,もしかすると雇用調整に引っかかるかも知れません。この世の中,何があっても不思議ではなく,いちいち驚いていたら体が持ちません。自分だけはなんとかなるだろうとか,まさかそこまでの事は起きないだろうとか,そういう考えは捨てた方がいいと私は思っています。

 お金をごろごろ転がして儲ける手段が破綻したとはいえ,急にそれら「事業」がなくなる訳はありません。相変わらず先進国の年寄りの年金は投機マネーの源泉です。

 考えてみて欲しいのですが,パナソニックが三洋電機を買収すると決まった時,自分達の持っている株を安い値段で買いたたかれたゴールドマンサックスは,なかば「敗北」したとまで言われたわけですが,それでも2300億円もの大金を手にするわけです。

 ゴールドマンサックスの商売とはなんだったか・・・つまり彼らの2300億円は,新しい行き場所を目指し,その時を今か今かとうずうずしているのです。

 そんなこんなで,昨年ピンチに陥った老舗のツクモが,今日になってヤマダ電機に身売りすることになりました。ものはいいようで,ツクモは「事業再生のスポンサー」といいますし,ヤマダ電機は「ヤマダ電機の事業強化」といっています。微妙な温度差は,お金による力関係というより,どちらに主導権があるかを示している(もしくは錯覚している)という感じですね。

 実は,当時の経営陣の副業失敗のあおり食らってPC-DEPOに買収された,かのOAシステムプラザも,いつの間にやらPC-DEPOから株を買い戻して,資本関係を断ち切っています。(代わりに別の怪しい投資グループからお金がでていますが)

 ヤマダ電機がツクモを同化しなければ「スポンサー」でしょうが,生き馬の目を抜くヤマダ電機がそんなことで済ませるはずがないので,残念ながらここでツクモは終わったと見るべきでしょうね。寂しいことですが,こういう再編は今年もたくさん起こると思います。

 金融工学の破綻,資本主義の行き詰まりなどと,従来型の仕組みの限界を指摘する声が高かった昨年ですが,実は製造業についても従来型の製品はすでに進歩の限界を迎えています。

 自動車は内燃機関を用いた場合,もう進歩するところはほとんどなくなっています。半導体はすでに微細化の経済的限界を迎えていて,物理的(理論的)限界も目前です。

 明らかな限界とは言いませんが,映画や音楽の世界も従来の延長で,結果どれも似たようなものばかりになっています。ゲームも同じですね。
 
 BDの次に来る次世代高密度光ディスクの基礎開発はすでに完了していると言われていますが,そこに詰め込む「コンテンツ」が従来のままだと,記憶容量が大きすぎて使い道が見つからないんだそうです。
 
 携帯電話はまだまだ進歩するように見えますが,高速なデータ通信が可能になると言う,いわば輸送量の話ばかりで,なにをそこにのせるのか,についてはほとんど議論されていません。10年前,いや,5年前がどうだったかを思い出してみてください。

 ちょっと考えただけでも,これだけの閉塞感があります。夢も希望もない,楽しみな未来が見えてこない,そんな気がします。

 これまでとは非連続なものが,全く新しい価値観と共に突如現れるときではないでしょうか。その時,従来型の産業はあっという間に廃れ,人々の生活はがらっと変わるのではないかと思います。そういう大きな大きな転換点を,ここしばらくの間に体験することになるのではないかと,私は覚悟しています。この行き詰まり感はその予兆に過ぎないと思っています。

論文とは

 昨今話題の,元航空幕僚長,田母神さんが書かれたという懸賞論文を,実際に読んでみることにしました。

 私は理系の人間ですが,根は文系で理系の皮を被って生活するのは楽ではありません。そんな私の得意分野は近現代史で,人類が過ちを反省と軌道修正によって,どうやって現在のシステムに昇華させてきたのかというプロセスを見るのが大好きです。どんな小さな事の誕生にも,必ずプロセスはあります。そしてそれは大変面白いものです。

 アメリカの大統領選挙が終わって,オバマさんがアメリカ合衆国大統領に当選しましたが,長い選挙戦,二大政党制,そして莫大なお金がかかることに対しての,明確でフェアなシステムの構築と運用には,高度に磨き上げられた民主主義の具現を見ることが出来ると思います。

 日本人の一般的感覚からすると,この3つはいずれも馴染みがないか,どっちかというと警戒感もあるのではと思いますが,アメリカという大国が長く維持されたその源泉は,やはり合理的なシステム構築が尊ばれる国だという面もあるのでしょう。

 もちろん,アメリカには様々な問題があります。ヨーロッパにしてもそうです。ただ,すべてにおいて完璧はなく,試行錯誤によって改善がなされていくという人類の歴史の大きな流れを見ていると,多くは「少しでも良くなるように」が行動の動機であり,おかげで私は,未来をそんなに悲観せずに済んでいたりします。

 時として,その「良くなる」の対象や方法に「誤り」が生じ,大きな悲劇が起きて来ました。これを素直に反省し,きちんと後始末をして,そして同じ事を繰り返さないことが,およそどんな事にも必要とされる,とても大切なことだと強く思います。

 閑話休題,問題の論文を見てみましたが,これは残念な事に,多くの報道機関が報じている以上の事を,論じることは無理です。あまりに稚拙で,散発的に普段思っていることをただ並べてあるだけ,論理的な構造もなく,結論ばかりを急ぎ,理論の構築が必要な論文と呼ぶにふさわしい体裁を,そもそもなしていません。隙間だらけです。

 記述内容についても,多角的な検証や考察はおろか,出典さえも明らかにされていない部分が散見され,およそ公平なものとは言えないと思います。

 ここから先は私見になりますが,そもそもこの論文は誰宛に書かれたものなのか,を考えてみると面白いのではないかと思っています。

 政府見解を引っ張り出すまでもなく,先の大戦を肯定したり,戦前のアジア政策を賛美するような感覚に抵抗を覚える人は少なくないでしょう。また,国際的な見解も,概ねその通りだと思います。

 その上で,この論文は,こうした「普通の考え方」に異を唱えるものであるわけですが,その目的は,彼の言う「事実を知らない無知な民」である我々庶民を啓蒙することにあるわけですね。平たく言うと,相手を「説得する」ことが目的の文章ということになります。

 しかしながら,日本人は無類の本好き国民です。豊かな表現力を持つ日本語を操り,自らも文章を書くことを日常としながら,プロの書く文章を楽しむだけの力がある集団です。

 そうした人々を,この程度の文章で,本当に啓蒙できると考えたのでしょうか。

 いや,それは言うまでもなく,無理です。ご本人も,ここまで大きな事になると思っていなかったそうですから,その影響力はかなり小さく見積もられていたのでしょう。

 彼の論文は,反対意見を持つ人に向けたものではない・・・だとすれば,どういう機能がこの論文に期待されたのか,疑問に感じませんか。

 そして私が考えた結論は,決して否定されることがなく,互いを賞賛しあうことが心地よい,小さいけれども安全なコミュニティの内部に向けた,かけ声のようなものだったのだろう,ということでした。

 他人の評判を気にしない,例えばまさにこの文章のような,マスターベーションでないだけ随分ましなのですが,内容以前の問題として,誰に向けて書かれているのか,その人をどれだけ説得できるのか,という観点でこの論文を見ると,一番の目的は書いた本人がスッキリすることにあったんじゃないかとさえ,思えてきます。

 とりあえず論文というからには,書かれたことが万人(これは地理的に万人という意味だけではなく時間的にも万人という意味です)に正しく伝わることが,目的からして必須なわけであり,そのために客観的なデータを用意し,それらを用いて矛盾のない論理的な展開を正確な文章で記述することくらいは,最低限満たされていないといかんだろうと,私などは思うのです。

 この論文を審査した委員のある方は,記述内容に疑問も出たが,その主旨に金賞を与えたと言われているのですが,つまるところこの懸賞論文は,論文として最低限必要な体裁などは前提条件としてふるいにかけられることはなく,その評価点についても内容の正確さよりは言いたいことそのものにあるという点で,少々ずれたものである,と言わざるを得ません。主旨で評価されるというなら,なにも論文でなくとも座談会の議事録で十分でしょう。

 もう1つ私が気になったことを書いておきます。

 田母神さんは,「政府見解と異なることを論じて糾弾されるなら北朝鮮と同じだ」と言われましたが,彼は当時現役の軍人であり,私人としての意見を語ることには,階級の高い低い以前の問題として,本来制約を受ける身分です。この点において,北朝鮮もアメリカも日本もありません。

 自らの正当性を国家体制に求めるあたり,幼稚な論点のすり替えだなと感じたのですが,同時にこういう話がポンと出てくるあたり,つくづく日本という国の平和っぷりを示しているように思います。

 でも,きっと彼は人間としては面白く,また立派な方なんだろうなあと思ったりします。偉くなる人というのは,やはりそれだけの器をお持ちです。

 私は今時流行らないハト派ですが,タカ派の人を排除しようとは思いません。日本では自由な意見が保証され,それらは等しく尊重されなければならないと考えているからです。

 ただ,私は自分が痛い思いをするのが嫌なので,他の人にも痛い思いをしてもらいたくないな,と思っているに過ぎず,近現代史が好きな割にはおかしな歴史観を振りかざすこともしませんし,文化論や民俗学のようなものを盾に相手を煙に巻こうとも思いません。

 ただただ,痛い思いをしなくて済むための手段は今日いくらでもある,と思うから,前世紀的な安易な解決策を第一に置くことは避けようと思っています。聞いて回ったわけではありませんが,このくらいの感覚は,ごく普通の庶民的感覚なんではないでしょうか。

 こういうと決まってタカ派の人から「甘い」と言われるのですが,私は人類の進歩の歴史は,反省と試行錯誤の歴史であると信じているので,時間を経るごとに持ち駒が増えている事実に,確かな手応えを感じて,そんなに悲観してはいないのです。

 考えてもみて下さい,互いの意見の相違をまとめるのに,古代,中世,近世,近代,現代と,時間の経過と共にどれだけ手段が増えてきたか。そうです,人類は少しずつ(そして多くの犠牲を伴って)賢くなっているのです。

 そして,彼が市民から支持を受けることもなく,防衛省内からも非難の声が上がり,自衛隊幹部の職を解かれてなおマスコミから連日叩かれ,彼を擁護する論調がほとんど表に出ないばかりか,これ幸いと政争に利用されるほど,大きな事件になっています。これをある種の自浄能力だと考えれば,日本人もそれなりに賢くなっているのだと思うことは出来ないでしょうか。

陽は沈む

 一応,軽く触れておこうと思うのですが,昨日,小室哲哉氏が詐欺容疑で逮捕されてしまいました。5億円という巨額のお金をだまし取ったということですが,だまし取る方はもちろん,だまし取られた方も庶民的スケールからいうと桁違いです。この方々もカップラーメン1つ400円とか宣うのでしょうか。

 それはどうでもいいとして,この事件の反応がやっぱりすごいです。金持ちへのやっかみや,おもしろ半分で見ている人も多いでしょうが,80年代の彼の歴史的活躍を肌で感じた世代や,90年代の彼の音楽に救われた世代からの「残念だ」という意見や,彼の業績に対する識者のコメントが引用されたりするケースは,やはり小室哲哉その人が稀代な人であったことを裏付けるものでしょう。

 私ごときが彼をあれこれ論評するのは憚られますし,特に私は彼のファンではなかったので,そこは冷静であるわけですが,私も80年代から90年代にかけて鍵盤とコンピュータで電子楽器にインターフェースした人でしたから,先駆者として尊敬するものはありました。

 シンセサイザーのブームは,YMOが第一次として,TM Networkが第二次を作ったと言われます。第一次がアナログシンセであったのに対し,第二次は明らかにディジタルシンセが中心でした。行きすぎたディジタル化に対して揺り戻しもあり,当時は中古でしか手にすることの出来なかったアナログシンセをどうやって使いこなすかが,1つのテーマになっていたような記憶もありますね。(異論はあるでしょうが)

 彼の作曲家,プロデューサーとしての才能についてはあちこちで語られているのでここでは触れませんが,プレイヤーとして見たとき,特に演奏がうまいという感じは,私はしないのです。機材の使いこなしがうまかった,これに尽きます。

 機材の使いこなしがうまいことは,特に理論的なアプローチが重要なキーボーディストには求められる能力だと私は思っていて,その点で突出していた彼には,いわゆる「機材ヲタ」の匂いがしていたわけです。そこが当時の「機材ヲタ」予備軍からの絶大なる支持を集めたゆえんであったと思います。

 ですから,プール付きの別荘も,ファーストクラス貸し切りも,本当に彼がしたかった事とは違って一種にパフォーマンスに過ぎず,本当は高価な機材に囲まれて,時間を気にせず24時間思う存分スタジオワークが出来る事に,彼はドーパミンをドパドパ出していたのだと,そう思いたいわけです。なぜならそれは,機材ヲタの見果てぬ夢であるからです。

 残念な事に,彼は(その実力以上に)うまく時流に乗り,「半端なく稼ぐ」という最大の成功の証を手にします。結果,彼は自分のしていることや考えていることすべてが肯定されたと考えて,自分の身の丈以上のことをするようになったと,私には見えていました。

 それも向上心である,という解釈もあったのでしょうが,90年代の彼のやっていることに共鳴できなくなった私自身は,すでに彼を機材ヲタとは見なさなくなっていました。そんな音楽をやるくらいなら,貴様の部屋の隅で眠っている機材を1つ私によこせ,とそんな風に思っていました。

 転調を多用し,かつ覚えやすいメロディラインをシンセサイザーとシーケンサーを駆使した正確無比なリズムにのせる手法を確立し,まさに日本の音楽を変革したというべき,小室節。そして,直接間接を問わず,小室節の影響を受けた,次の世代のミュージシャンが育ち,日本の音楽シーンを今まさに支えています。

 さらにいうと,おそらく世界で最初に,ギタリストを完全に支配下に置いたキーボーディストでした。(木根さんのファンには申し訳ないですが,キーボーディストに刃向かわず従順であることが,彼の個性であったとあえていっておきましょう)

 そうした彼の「やりたいこと」が実現するような機材が当時開発され,一般に手に入るようになったことも,彼の業績の1つであったと思います。

 キーボーディストでありながらすべてを支配下に置き,ステージの上で最強であった彼は,「爆音こそ正義」とされた当時,常に不遇であった高校生キーボーディストの太陽でありました。

 結構軽い気持ちで借金を繰り返し,軽い気持ちで人をだましたのだと思いますが,とにかく一線を越えると犯罪者ですから,そこはきちんとルールに従って,今後を生きて欲しいと思います。

 こんなことで名前が汚れなければよかったのでしょうが,それでも,彼は日本の音楽の歴史に名前を残すでしょう。考えてみれば,ケチの付かないミュージシャンって,古今東西あんまりいないんですよね。ミュージシャンとはそういう人種だったりするのかも,知れません。

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