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そうこうしているうちに

 そうこうしているうちに,東芝から正式にHD DVDからの撤退が発表されてしまいました。

 個人的にはやっぱり残念です。規格統一の話が決裂したあたりで,技術的にというより,子供のケンカのような意地の張り合いが目に余るこの争いが,こういう形で収束するしかなかったのかどうか,私には疑問が残ります。

 ただ,東芝としては,集中と選択を進めている中で(ちなみに今の東芝の社長の西田さんは,大変スピード感のある方で,海外からの評価の高い経営者です),今後大した貢献も出来そうにないこのカテゴリを,綺麗に収束させる方法を模索していたように思いますので,この時期にこういう形が」ベストだったのではないかと,そんな風にも思います。

 東芝という会社は,光学ドライブの世界では一定の存在感のあるメーカーでしたから,BDに与することはないという今回の発表は,業界全体にとってマイナスになるような気もします。

 メンツもあるでしょうからやむを得ませんが,ライバルであるソニーはもちろん,DVDでは共に戦った松下も,内心残念であったに違いありません。

 まあ,ソニーはβで,松下もDCCで,ビクターもVHDで,それぞれ痛い目にあっています。これに懲りず,また東芝さんの元気な姿を見たいものです。

HD DVDが収束するという話で思うこと

 先週の土曜日に突然報道された盟主東芝のHD DVDの撤退騒ぎで,週明けのIT関連のニュースは持ちきりでした。

 普通,記者やライター達は,すでにつかんだ様々な情報を,こうした報道がなされることで事実上の解禁として一気に放流するものなんですが,今回そうした動きがない,つまりたくさん上がった割には内容が憶測や過去の事実のまとめにとどまっているところをみると,やはり正式な物ではなくリーク,それもある程度意図したリークであったと考えるのが自然なようです。

 そもそも,ユニバーサルやパラマウントなどのコンテンツホルダーや,早くから支持してくれていたHPやマイクロソフトよりも先に「やめます」と言う,まるで船長が真っ先に救命ボートに乗るような話が正式に出るはずはなく,発表があるとすればそれらへの根回しが完了してからになると思います。

 私も記者ではありませんし,関係者ですらないので憶測も憶測,妄想といってもいいくらいのことしか書きませんが,せっかくですので思っていたことを適当に書こうと思います。

 最初に書いておきますが,私の予測はHD DVDはROMだけで生き残って,映画などコンテンツ配布用メディアとして使われ,一方のBlu-ray Disc(以下BD)は家庭用の録再機に搭載され,結局両規格はその役割の違いで棲み分けることが自然になされる,でした。

 HD DVDにはDVDで実績のある完成度の高さがあり,その確実な記録性能と扱いの楽さは市販されるパッケージメディアとして最適です。一方BDの高密度記録と設計思想の高さは,常に高い要求を続けるコンスーマに今後数年間応え続けるものだと思いますし,単純に容量が大きいことだけ考えても,録画という用途にはありがたい話です。

 しかし,残念なことに,BDで一本化されることになってしまいました。

 1万円近い映画コンテンツを収める配布メディアとして,BDはまだまだ未成熟で信頼性に乏しいんではないか,子供はディスクを乱暴に扱うものですが,大好きなディズニーの映画が割と簡単に見ることが出来なくってしまうのはかわいそうだなとか,技術的に無理をした分,耐久性が落ちるのは最初は仕方がないところで,またそこを見極めないといけないのは面倒きわまりないなあとか,まだまだBDに対する不信感が拭えません。その点では,私はHD DVDには残って欲しかったと思う人です。

 HD DVDがBDに負けるのは,技術的には既定路線でした。

 私は技術者で,かつてはCDを回す仕事をしてたので光学ディスクに関する基礎知識は持っているつもりですが,HD DVDがDVDの技術の延長にあり,乱暴な言い方をすれば青色レーザーによる高密度化にだけに頼った無難な(裏を返すと安全で確実な)ものであったのに対し,BDはそれだけではなく,さらに難しい技術を導入して容量を増やすことに挑戦したことが見て取れます。

 これはどちらが優れているという話ではなく,基本的な思想の違いです。

 HD DVDは必要とされている要件を十分に満たしつつ,従来からの移行を基本に安く安全に作ることを目指したもの,BDは次の世代にふさわしい少し先の技術でその時必要とされている以上の大容量化を貪欲に目指したもの,という感じです。

 物理的な話だけではなく,論理的な規格についても,BDの方が確かに難しいことをやっているように見える方は多いのではないでしょうか。

 考えてみると,DVDの次を作るために青色レーザーを使うというのは何の疑問もない「前提」になっていたわけですし,その開発はレーザー屋さんの努力に頼るところが大きいわけです。

 しかし,光ディスク技術者としては,青色レーザーだけではなく,それをとことん使いこなすということにも意地を見せたい,という熱意があって,BDの「レンズの開口数を大きくする」という挑戦に結びついたんじゃないかと思うのです。

 開口数というのは,簡単に言うとどれだけ光を一点に集めることが出来るかというレンズの性能を表す数字です。CDでは0.45,DVDでは0.6,HD DVDではやや大きくなって0.65,BDでは0.85と随分大きくなっています。

 光をより小さな点に集めることが出来れば,それだけ高密度の記録ができることになります。ですから,同じ青色レーザーを使ってもHD DVDは片面15GByte,一方のBDは片面25GByteと結構な差になっているのです。

 しかし,話はそんなに簡単ではありません。開口数を0.85にすることで,BDには2つの壁が立ちはだかりました。1つはレンズの問題,1つはディスクの問題です。

 開口数0.85というレンズは,非球面レンズを複数枚使うなどの高価な光学系を使えば実現可能だったわけですが,1枚の,それもモールドという金型を使って大量生産するレンズで作るのは非常に難しく,そんなことが本当に出来るのかどうかも当初は危ぶまれたそうです。

 しかし,もともとCDだって,そしてDVDだってかつてはそう言われていたわけで,今回も関係者の努力によって克服されたのでした。これで,安価で小型の民生品に,大量に安定してレンズを供給する目処が立ったことになります。

 次にディスクの問題ですが,開口数を大きくすると,いろいろ理由があってレンズとディスクの記録面を近づけなくてはなりません。このためCDで1.2mm,DVDでは0.6mmもあった保護層が,BDではなんと0.1mmになってしまったのです。

 0.1mmの保護層を12cmの円盤に均一に作り込めるのか・・・ちょっと考えると音を上げてしまいそうな話です。HD DVDならDVDと同じく0.6mmの円盤を貼り合わせるだけですので,実績がすでにあります。

 それに0.1mmといえば,ちょっと深い傷が付くともう記録面に達してしまいます。ちょっとの傷が致命傷になってしまうディスクが本当にお茶の間に入り込めるのか,そこは私も疑問でした。

 覚えている方も多いと思いますが,BDは当初,ケースに入った状態でお目見えしました。しかし,こうしたケース(キャディといいます)に入って成功したメディアは未だかつてありません。従来通り0.6mmの保護層を持つHD DVDには,もちろんキャディなど必要ありません。

 しかし,BD陣営で気を吐いているあるディスクメーカーが,ちょっとやそっとでは傷の付かないハードコード技術を提供,これによりBDはキャディを脱ぎ捨て,いつしか裸で扱われることが当たり前になったのです。

 残念なことに,キャディに入っていた初期のBD-REは,現在の機器では扱えません。物理的には同じであっても,今のBD-REになるまでに追加された仕様があまりに多すぎ,互換性が切られてしまいました。初期のレコーダで記録したディスクが今の機器で再生できない,という現実は,HD DVDとBDの戦争以上にユーザーに対するメーカーの責任を問いたい気持ちです。

 ディスクについては,もう1つ問題があって,それはディスクの製造も難しくなるということでした。

 円盤形状のメディアは,複製を大量に作ることが出来る点が最大のメリットです。エジソンの筒型のレコードが,ベルリナーの円盤のレコードに完敗した理由はそこにあります。

 BDが登場した時,大量生産のラインは全くの未完成でした。一方のHD DVDはDVDと基本構造が同じであり,製造ラインも流用が可能とさえ言われていました。BDは製造装置も全部入れ替え,ラインを作り直す必要があり,その初期投資は莫大なものになると言われていましたし,本当にDVD並の歩留まりを確保できるかも未知数でした。

 しかし,これもやがて関係者の努力で解決に向かいます。製造ラインが一度立ち上がってしまえば,あとはそのラインでドンドン製造するだけです。

 BDがここまでくるのには,集った多くのメーカーが,自らの得意分野で成果を持ち寄り,まさに総力戦で不可能を可能にしてきた感動的とも言える歴史があったわけです。

 こうしてみると,HD DVD陣営がやり玉に挙げていた技術的な問題点は,非常に短期間のうちに克服されたことになります。思うに,技術というのはそういうもので,本気になればやがて解決されるものです。

 時間とお金がかかるのは当然としても,技術的問題点というのはいずれ克服される事が宿命である以上,今ある技術で無難に作って挑戦をしないことが,果たして次の10年を担う次世代DVDとして正しい事だと胸を張って言えるのかどうか,本当はHD DVDの技術者も悩んでいたんではないかと私は思います。

 ふと思いついたのが,CDからDVDへの世代交代で,容量は約6倍となりました。ところがDVDからHD DVDでは3倍程度と,ちょっと見劣りしますわね。これだと移行するには物足りない,次の10年持たないよ,と考えられても仕方がありません。

 そこでBDの人たちはまずDVDの5倍を狙おうと考えて,25GByteという数字を目標にしたんじゃないのかなあと思うのです。

 盟主東芝の言い分で,BDよりも2層ディスクが作りやすいから実質30GByteだとか,そもそもHDの映画コンテンツを入れるのに25GByteもいらない,というのはちょっと説得力のない言い訳で,私はこの点については「将来を見据えた挑戦」を選んだBD陣営の技術者の良心を評価したいと思います。

 未来の商品を作るのに,今ある技術ばかりで作っても仕方がない,とBD陣営のある方がいったそうですが,この点についてはまさにその通りでしょう。こうして,大方の予想通り,技術的に楽ちんだというHD DVDの最大の優位点は,BDに完全に列ばれてしまったのでした。

 私ならどうしたか,と考えてみたのですが,これまで見てきたようにHD DVDには今ある技術で完成させたことで,先行逃げ切りが可能という強みがありました。一方のBDは技術的にこれから作らねばならないことが山ほどあり,やがて解決するだろうという楽観的な予測は出来ても,時間的に不利である状況は変わらなかったはずです。

 BDの方が性能が上回っている事実は変わらず,これが完成すればHD DVDが不利になることも明白だったわけですから,HD DVDがやるべき事はとにかくBDが完成する前にさっさと広めてしまうことだったはずです。

 とはいえ,ハイビジョン放送の普及度もまだ低く,録画用途での普及を待っているとBDに追いつかれます,

 とすると答えは1つ,映画コンテンツを格納する配布メディアとして実権を握ることです。

 コンテンツホルダーの意見として,既存の製造ラインを使えることのメリットを評価したところは多かったわけですし,従来のDVDとHD DVDを分けずに製造できる点は確かに合理的です。

 それに,すでに大量生産が可能であることを実績で証明していたHD DVDこそ,ディスクの製造にお金がかからない(つまりコンテンツホルダーの儲けがそれだけ増える)点で好都合だったわけで,大きな需要に応えることも出来る高いレベルでの生産能力も含め,HD DVDの「無難さ」を徹底的にアピールするべきだったんじゃないのかと思うのです。

 うまくすると,BDの製造ラインは家庭用の録画ディスクが本格的に必要とされるまで立ち上がってこなくなるわけで,歩留まりの改善も設備の安定も価格もなかなかこなれてこず,一石二鳥だったはずです。

 やがてBDが録再機に搭載され,録画メディアとしての地位を確立するでしょうが,それは映画配布メディアとして確固たる地位を築いたHD DVDとしては,もう関係ない話です。

 製造枚数で言えば配布用のROMの方が数も多く,利益もそれなりに確保できますし,製造も楽なわけですから,そこできちんと儲ける方法を考えることは難しくないはず。容量がBDよりも少ないことは,2層ディスクが安定して製造でき,より圧縮率の高いH.264を使うHD DVDにとって,映画のパッケージ用に使う分には全く問題にならなかったでしょう。

 著作権保護にもメリットがあったかもしれませんね。HD DVDに記録メディアや録再メディアを提供しなければ,コピーを作ることはできないわけですし,いわゆる海賊版を作る業者は製造業者に委託するかプレス工場を自前持つしかないわけで,それはどっちも足が付きますし。

 そもそも,HD DVDとBDはもう別物です。同じ土俵のものではありません。自ずと得意分野も目指す物も違ったはずなのに,なぜ排他的に雌雄を決する必要があったのか,私はその発想がそもそも疑問だと思うわけです。

 個人的には,HD DVDの陣営がよく口にしていた主張に共感する物が多くあります。もともとDVDの次世代としてHD DVDをみんなで考えていたところに,そのメンバーから突然BDという規格が出て来た事が理不尽とか,両面50GByteというユーザーもコンテンツホルダーも必要としない容量のために技術的に難しいことを無理に盛り込んで価格を上げたり品質を犠牲にするような話は技術者のエゴであって本末転倒とか,それはそれで筋は通っています。

 規格統一の話が合ったときも,東芝は筋を通しました。自分たちが本流であると,だから歩み寄るなら向こう側だと。それはそうですが,BDとしては技術的に解決が困難なものが1つでも残っていたら,おそらく東芝に頭を下げたと思いますが,おそらくあの時点で問題解決の目処はある程度立っていたのでしょう。そこは政治的な駆け引きでもあり,残念ながら流れを読み切れなかった東芝が「安くて安定して十分な容量を持つメディア」をあの時殺してしまったと,私は思います。

 仮にそこで物別れに終わっても,先ほど言ったように映画用のパッケージメディアとして棲み分けるという戦略をぶれずに進めていられれば,おそらくBDよりも長生きメディアになれたでしょう。しかし,それも欲張りすぎて失いました。

 しつこく続けたHD DVDのBDに対するネガティブキャンペーンも,BD陣営に対するだめ出しとして機能してしまい,なにを改善すればいいのかを明確にさせたにとどまらず,BD陣営の結束力を高めてしまっただけのような気がします。

 結果として,東芝は膨大な開発費を回収できないまま,HD DVDを放棄することになるでしょう。そしてなにより,BDの軍門に下ることを余儀なくされてしまうでしょう。HD DVDにはHD DVDならではのメリットがあり,それを信じたエンジニアが気の毒です。

 しかし,BDは本当に勝者でしょうか。

 先日,半導体関係のある方と話をしたのですが,「もうHDは儲かりません」とぼやいていました。

 BDとHD DVDのフォーマット戦争は終結し,今後はBDを普及させて開発費を回収するフェイズに入ります。しかし,すでにBDを含むHDの世界では部品の価格が下落し,儲けが出にくくなりつつあります。

 いわく,世代が変わるごとに,儲けることの出来る時間が短くなっています,とのこと。開発にかかる費用は世代が進むごとに大きくなるにも関わらず,すぐに他社に追随されてあっという間に価格競争に陥ってしまう,そういう構図がますます顕著になっています。

 BDは技術的にも難しいことをやっています。大量生産によって単価は下がるでしょうが,あっという間に中国などで生産されるようになり,開発費を十分に回収できないうちに価格競争に入ることは,もう避けられないと思います。

 悪い話はまだあります。BDの次の世代の話が全くないのです。

 BDが利益が出なくなってしまった時には,次の世代で稼ぐ必要があります。しかし,その次がないというのは,どうしたことでしょう。

 技術的にはいろいろ開発が進んでいるようです。しかし,それが加速しない理由に,そういう高密度大容量のディスクの使い道がないというのがあります。

 CDの次は映像と入れたいとDVDが出来ました。DVDの映像がHDならいいなあ,でBDが出来ました。ここまでは素人でもわかります。では,HDの映画の次に,あなたはなにが欲しいですか?

 BD以上にかかる開発費を回収できるくらい,誰がその高密度光ディスクを欲しがってくれるでしょうか?その高密度ディスクに入れる膨大なデータを,普通の消費者がどれだけ欲しがってくれるでしょうか。関係者の間では,BDは最後のコンスーマ向け光ディスクだと言い切る人さえいるのです。

 これで,BDは勝った勝ったと喜んでいられるのでしょうか?

 小さな勝負に一喜一憂することをやめ,原子力とNANDフラッシュに注力する東芝が結局勝者になるという可能性は,本当にゼロでしょうか?

 この話,光ディスクに限った話ではありません。LCDなどのディスプレイも,システムLSIなどの高機能半導体も,CCDやCMOSセンサなどのデジカメ用のキーデバイスも,HDDやフラッシュメモリなどのストレージも,みんな程度の差はあれ,同じ状況です。

 つまるところ,消費者が「今はこれで我慢しよう,来年になるともっといいものが出るよ」と未来に期待し夢を託すことが,もはや不可能な時代になったことを,私も含めた関係者は直視しないといけないと思うわけです。

図書館と理系の本の関係

 先日,地元の図書館に初めていってきました。ここに引っ越してきてから結構な時間が経っているのですが,なかなかきっかけがなかったのです。

 私は子供の頃,毎週のように図書館で本を借りていました。当時は3冊までという制限があり,返すときにまた3冊借りて,しかも同時に市内の2箇所の図書館をはしごしていました。

 小学校の4年生ぐらいの時だったと思うのですが,初めて出かけた市内の図書館で見つけた奥澤清吉さんの電気の本(書名は失念)を借りて以来,結局中学生の時ぐらいまでずっと自転車で通い続けたと記憶しています。

 当時は子供向けの電気電子関連の本がたくさんあり,いくら借りてもきりがないほどでした。今にして思うのは,ほとんど絶版になってしまっているこれらの本を買って手元に置いておくべきだったということですが,マンガが350円の時代に1500円の本はあまりに高価で,最終的に購入出来たのは4つほどでした。そして4つとも,私の宝物です。

 初歩のラジオや子供の科学で知られる誠文堂新光社と,ラジオの製作で知られる電波新聞社が双璧でしたが,子供向けの本,とりわけ図書館の定番となっていた本は誠文堂新光社のものが多く,内容も非常にしっかりとした物が揃っていました。

 初歩の製作技術,初歩のラジオ技術などの「初歩の」シリーズ,デジタルICを使ったゲームを作る本,奥澤清吉さんの「はじめて」シリーズ,泉弘志さんの簡単な電子工作のシリーズなど,今でも読んでいて楽しい本を,何度も何度も借りてむさぼり読んだことが懐かしいです。

 子供向けの本を読み尽くすと,今度は「電子展望」の別冊といった難しい内容の本や,コンピュータの本にも手を出しましたが,内容はさっぱりわかりませんでした。でも,当時の私は,トランジスタやOPアンプが出てくる回路図があれば,それで満足でした。

 働くようになり,ある程度のお金が自由になると,そのころの本を買いたくなって探してみましたが,電子工作のブームは過去の物となって,初歩のラジオも絶版になり,技術家庭科や図画工作の延長にあると考えられていたこの分野の凋落にあわせて,どの本も入手が難しくなっていました。

 古本を探してみましたが,図書館ではどこにでもあった本が,なかなか見つかりません。個人で買う人は少なかったのでしょうか。

 最近,またかつて読んだそれらの本を見てみたくなって,今住んでいる場所の図書館を探してみました。すると幸いなことに,自宅の近所にちゃんとあります。

 今時の図書館はすごいですね,インターネットで在庫の確認が出来たり,予約も出来るんですね。早速懐かしい署名を検索してみると,ちゃんと出てきます。発売から30年近く経っているこれらの本は,一体どれだけの人たちに読まれたことでしょう。

 それで,先日言ってみました。

 古い施設で,いかにも市の図書館という雰囲気です。低いカウンターも,張り紙に難しい漢字が使われていないのも,係の人がエプロン姿なのも,子供が走り回っているのも,においも,なんだか懐かしいです。

 大人のくせに児童書のコーナーに向かい,そこで電子工作の本を探してみます。少しだけ見つかりました。私が買った数少ない本も列んでいます。中を開くと,昭和58年からの日付印が連なっています。

 開架になっていない本を書庫から出してもらって全部で7冊借りてきました。昔は3冊だったのに,今は10冊までokなんですね。

 変わっていない図書館も,実は変わっていることがわかりました。まず,係の人が市の職員ではありませんでした。合理化のためだと思いますが,委託されていました。市内の別の図書館では大手書店に委託されていたりするんですね。

 それに本の検索。昔はそれをお願いできる図書館司書という方がいらっしゃったものですが,今は基本的に端末で調べられます。確かに署名や出版社が分かれば便利でしょうが,こんな感じの本が欲しい,というリクエストに応えられてるんでしょうかね。

 予約も端末で出来ます。他の図書館にある本を移動してもらうのも端末です。気軽ですが,顔を合わせてお願いするのも,子供だった私には楽しみの一つだったことを思い出し,便利になるのは結構だけど,今の子供は大人と話をするという機会がどんどん失われているんだなあと感じました。

 現在,本はたくさん売れるベストセラーか,全く売れない本の二極分化が起こっています。本屋さんも,大規模書店は元気でも,中小の書店は厳しい状態です。

 図書館もこれに関連して,ベストセラーに人気が集中し,私の街では1000人もの人が順番待ちをしているんだそうです。

 原則として,図書館は人気のある本は複数の購入を行って待ち時間を減らそうと努力するのですが,さすがに1000人ということになると,10冊も20冊も買わないといけなくなってしまいます。

 しかし,図書館の予算は限られていて,同じ本ばかりに使われてしまうことは,幅広い本を蔵書として持つことを難しくしてしまいます。

 高価であったり,特殊であったりするような本でも,図書館に入ることを計算に入れると3000部や5000部は作れます。しかし,本の購入予算が,どこでも買えるベストセラーに多くあてがわれると,こうした本は図書館にすら入らなくなります。

 短期的には買うことが難しい本を見る事が出来なくなりますし,長期的にはそもそもこうした本が出版されなくなってしまうでしょう。

 だから,最近の図書館の運営に対して,専門家からは問題提起もなされているようです。考えてみると,いわゆる大量消費の現在のベストセラーに,30年後に残しておく必要のある本がどれくらいあるのか,しかもそれを20冊も30冊も残しておくべきなのか,確かに疑問です。買おうと思えばどこでも買えるという手軽さもベストセラーの良いところでもあるわけですし。

 一方で,本の種類に限らず,読みたいと思う人に平等に読む機会を提供することも図書館の大事な使命の一つです。たくさんの蔵書があっても,利用してくれくれない図書館はそもそも存在意義を問われかねません。

 図書館という範囲ではなく,出版や流通,果ては文化という点にまで根ざした,難しい問題だなと思います。

 とりあえず私の街では,市で購入する最大数量を決めて,それ以上は買わないということにしたようです。

 ところで,懐かしい気分の私は,インターネットで古書を探すことが簡単にできるようになった事を知って,片っ端から調べてみることにしました。

 そのうちいくつかは購入することが出来たのですが,ちょっとした感動があります。気になったのは,図書館払い下げのものが見つかったり,図書券向けに特別に用意される上装版が売られていたりすることです。

 確かに,図書館も蔵書を処分することがあると聞いていましたが,資料性の高いこれらの本でも処分されてしまうというのは,ちょっとした寂しさを感じたものです。

 理工系の本が売れなくなっています。出版社も数を減らしたり,そもそも点数を増やそうとしません。CQ出版社のような大手でも初版3000部で絶版という本も珍しくありません。3000部といえば,全国の書店の数よりも遙かに少ない訳ですから,手軽にどこでも手に入るということは,すでに期待できないのが現状です。

 こうした本の引受先として,図書館の存在が大きかったといいます。その図書館も,予算の削減やベストセラーへの集中から,購入しないケースが増えているらしく,結局理工系の本は,ますます手に入りにくくなってしまうわけです。

 ですから,もし気になる本があったなら,その場で買っておかないと,次に目にする可能性はほとんどない,といっても良いわけです。

 つらつらと書いてみましたが,ベストセラーや雑誌を見ないで,わざわざ書庫から昔の本を出してもらうような人間がいた方が,図書館としても面白いでしょう。今借りた本を返すついでに,新しい本を借りてこようと思います。休日の散歩も兼ねて。

パンドラの箱

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 昨年のクリスマスに,友人からプレゼントされた一冊の分厚い本が,「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」です。

 発売以来,大変に話題になっていた本だということですが,恥ずかしながら私はノーマークでした。

 まず最初に,この本は大変に分厚く,読む前に圧倒されるのですが,読み始めても圧倒されっぱなしであることを覚悟しておく必要があります。

 時は1960年代後半から70年代前半,場所はロンドンはEMIのアビイロードスタジオ,封建的で旧態然とした組織の一員として働く主人公ジェフ・エメリックの目の前には,自由奔放で個性的,そして世界で最も有名で最もお金を稼ぐ4人がやりたい放題。

 ビートルズには有名税とも言える,様々な噂や風説があるわけですが,人づてであったり推測であったりで,信憑性に疑問符がつくことも多いです。それもそのはずで,彼らは仲間意識も強く,容易に外部に対し自分たちの本音を見せることはしませんでした。

 冷静に考えると,彼らは自伝らしい自伝を自ら記していません。彼らの作品や発言,当時の記事から間接的に構成された彼らの偶像を,我々は実物として語るほかなかったということでしょうか。

 それゆえ,解散前後のゴタゴタでは一様に悪い印象を与えたわけですし,その後に起こるジョンの暗殺にある種の神格化が行われたことも,不可避であったわけです。

 これは,プロデューサーであるジョージ・マーティンにも言えます。もっとも,彼は自伝を書いていますし,発言も多く,また多くのビートルズのベストアルバムを作っています。ビートルズのメンバー以外で,最もビートルズを知る人として広く知られることは,これもまた当たり前のことです。

 しかし,残念ながら,彼の言葉をそのまま鵜呑みする人はそう多くなかったようで,彼がビートルズと対極にいる(もしくはいることを周りが強要する)「英国紳士」であったこと(もしくはあろうとしたこと),そして彼がロックバンドとしてのビートルズの息の根を止めてしまったかも知れないという考え方も,その理由にあるように思います。

 私自身は,ジョージ・マーティンの存在には肯定的ですが,だからといって彼がリボルバーやサージェントペパーズを作ることに直接の貢献したかと問えば,やはり素直に首を縦に振ることは出来ません。

 では,本当の仕掛け人は誰なのか・・・

 ビートルズにとって,幸か不幸か,意外なところに「スパイ」がいました。あれほど正体を明かさなかった彼らの前に,彼らの活動をほぼ完璧に見ていた人がいたのです。

 それがこの作品の著者である,ジェフ・エメリックです。

 彼は,おそらく世界で最初に,録音技術者として創作活動に貢献したことを評価された人ではないかと思います。

 ただ,彼はあくまで技術者であり,クリエイターでもなければ,当然ビートルズのメンバーでもありません。だから,あくまで4人の注文に対し,満額の回答を用意することに徹底します。このスタンスこそ,プロ根性の最たるものです。常に相手の要望に応えること,このスタンスは古今東西,あらゆる技術者に求められる第一のことではないかと思います。

 ビートルズのあふれる創造性を阻害しないことと,一方で制約だらけの自分の立場とどう対峙するのかを,若いジェフはもがきながら,でも楽しみながら,進んでいきます。ネクタイの着用が義務づけられているEMI社員のジェフは,そのネクタイでビートルズの自由さを表現してみせる,といったささやかな反発から,高価な機材を非常識な方法で使いこなすといった無茶まで,その行動は創意工夫と反骨心,そして微笑ましさで,読む我々をまるで現場にいるような臨場感に包み込むのです。

 そして読み進むうち,タイトルの通りビートルズの真実は,音楽的にも,またそれ以外の所でも,かなりの部分で明らかになります。非常に興味深いのは,アルバムの制作方法だけではなく,その人間性や互いの関係という実に微妙な部分においてでさえ,鮮やかに見ることが出来るということにあります。

 録音技術に多少覚えのある人やミュージシャンが読んで面白いのは当然として,ビートルズに興味のある一般の人々が読んでも最高に面白いと思えるのは,まさにこの点であり,いわば下僕に過ぎない(しかし最強のスパイ)であるジェフが,ビートルズのメンバーを「暗い」だの「気分屋」だのばっさりと言い切ってしまうあたり,実に痛快です。そして同時に大いなる共感が生まれます。

 ジェフ自身の言葉も痛快ですが,ビートルズが互いに対して取った態度や言動も,推測によるものではないだけに,実にリアルです。意味ではなく,言葉1つ1つが歪曲されたり装飾されたものではないことが,この本の価値の1つではないでしょうか。

 物語はジェフが子供の頃から始まり,録音という行為と技術に魅せられていく過程が描かれます。大変な幸運を手にして夢が叶ったジェフは,EMIの社員としてその第一歩を踏み出します。

 そしてさらに幸運なことに,ビートルズの仕事を担当することになり,良くも悪くも彼らの流儀に飲み込まれて過ごします。この間,彼はエンジニアとしてその後の世界を変えることになる,画期的な技術を連発することになるのです。

 やんちゃな子供であるビートルズとジェフ,そして父親代わりであるジョージ・マーティンが織りなすドラマは,良質のホームコメディにあるような暖かさがあります。

 急な上り坂であるリボルバーを駆け上がり,頂点を極めたサージェントペパーズでタフな仕事をこなして,そこから急激に変わっていくビートルズを,やがてジェフは目の当たりにします。

 屈託のないロックバンドだったビートルズが,ポップミュージックを革新するクリエイター集団となる瞬間に立ち会ったことに,ジェフはある種の寂しさを隠しません。

 同時に,その革新が,ジョンとポールという巨星によってなされていく様を見せつけられて,むしろ畏敬の念さえ抱くようになります。

 そして2つの巨星の衝突,2つの巨星に押さえつけられたもう1つの才能の勃興,彼らを取り巻く容赦のない環境の変化が,とうとうその宇宙を崩壊へ導きます。

 ジェフの目を通して我々が見ることになるのは,自ら招いたその崩壊が,決して自身の望んだことではないのだという事実です。昔のままの屈託のない表情でセッションを繰り広げる彼らの顔に,深刻な対立を見る事は出来ません。

 しかし,自分のピザをヨーコに黙って食べられてしまうという,実に些細なことに激高するジョージの姿を見たジェフの目には,本当の意味でのビートルズの崩壊が映っていたことでしょう。

 自らの理想とかけ離れた現実をどうすることも出来ずに,もがけばもがくほど事態が悪化する焦燥感に飲み込まれていくアビイロード・スタジオ。「かつて見たことのある光景だな」と感じた我々は,直ちに既視感に飲み込まれていることに気が付き,はっとします。

 そして我々はこの時,後に訪れることになるジョンの死とジョージの死に直面したビートルが,その時どんな気分でいたのかに思い至ります。それは,「私ならこう思うだろうな」と考えていた事が,まさに彼らもそうだったのだと確信し安堵する瞬間でもあります。

 かくてビートルズは終わってしまいます。

 ジェフはポールのアルバム制作に関わるようになり,そこでも大きな仕事を何度もやり遂げます。バンド・オン・ザ・ランという大ヒットアルバムがどうやって生まれたかを知ることは,実はビートルズのアルバムがどのように生まれたかを知ることと同じくらいに,エキサイティングなものだと知ります。

 そしてジョンの死。落胆するポール。一つの時代が終わりを告げます。

 初期のビートルズは,いわばジョンのバンドでした。ビートルズがかつてないものを求めるに従い,ポールの実力と音楽と向かい合う姿勢が不可欠なものとなり,自然にその主導権はポールに移っていきます。

 ジョンはひょっとしたら寂しかったのかも知れません。同時にポールはジョンに対する尊敬の念を忘れません。そしてジョンは突然いなくなります。

 ポールは実にストイックな姿勢を貫く人ですが,一方でとても人間的に豊かな人でもあります。ジェフはポール寄りの人ではありますが,その立場がかえってビートルズの主導権の交代劇や,かつてのリーダーの死を鮮明にしていると感じます。

 時は流れ,ジョンが残した「フリー・アズ・ア・バード」を取り囲む3人とジェフは,ジョンが仕上げを任せてどこか休暇に出かけたと思うことにしようと,話し合います。彼らの痛みが我々にも伝わり,胸を締め付けます。

 アンソロジーの発売に至り,この長い物語はいよいよ幕が引かれます。ジェフがアンソロジーについてどう考えたか,そしてその考えがどう変わったか,おそらく多くの方が共感するのではないでしょうか。

 作る側にいたジェフの感情の動きが,なぜ与えられる側の我々にかくも合致するのか,彼の視点と我々の視点は根本的に異なるはずなのに,自分の経験と錯覚するほどになぜリアルで鮮やかなのか,本当に不思議としかいいようがありません。

 読み終えて感じるのは,一見すると極めてスキャンダラスな香りのするこの本が,実はイギリスのとある若者達が成長する過程を,等身大の目線で見つめた人間ドラマであったことに気付く点です。

 そこには「仲間」に対する信頼と「仲間」を失う悲しさという,人間性に根ざす普遍的なテーマによって,共感や感動という形で我々の経験や人生に重なって,ビートルズの真実に迫るという「パンドラの箱」を開ける行為が間違いではなかったと,しみじみと思わせる力があります。

 文章のうまさにも優れたものがあり,長い物語を一気に読ませる技があります。ジェフ自身が文章を書き起こしたのではなく,彼が口述したものを記述する形で作られたものなのですが,日本語版においてはその訳が秀逸で,テンポの良さと技術的な誤りの少なさについても素晴らしいの一言に尽きます。

 おそらくですが,この本を超える本は,もう出てこないでしょう。ジェフは最強のスパイでしたが,その目的がくだらないゴシップでもなく,私恨による暴露でもなく,ただ純粋に技術者として客観的に,この学び多き歴史を記録に残そうとしたことにあるからです。

 一部に「墓場まで持っていくべきだ」と批判的な意見もあるようですが,それも一理あると前置きした上で,私は,その「墓場まで持っていくべき話」が本当に伝えたかった話ではないのだ,という観点でこの本を読みました。これまでに書いた感想は,その結果です。

 最後に私個人の願いを1つ。ぜひ,BBCで,この本をドラマ化して下さい。映画化ではありません。あくまでBBCによるドラマ化です。ビートルズのそっくりさんを使って,この本を忠実にドラマ化して下さい。「愛こそはすべて」の世界同時中継のスリリングなやりとりなど,ぜひ見てみたいものです。

 いやなに,それはさほど大変なことではないはずです。なぜなら,この本は,読めば目の前に鮮やかな映像が飛び出してきますから,ただそれを実体化すれば良いだけの話です。

 いや,あるいは大変なことなのかも知れません。あまりに長すぎるこの物語は,どの部分をカットすることも出来ないからです。

年賀状と木版画

 今年の年賀状は既報の通り3年連続の減少となり,その重要度を下げ続けています。とある機関による調査では,年賀状を出さない人は全体の11%ほど,このうち20代では4人に一人,30代では8人に一人が出さない,と答えているそうです。

 私は30代ですが,年賀状は「きちんと」出す人です。12月中旬にはすでに出し終えています。今年など,ポストに年賀状用の投入口が用意される前に用意が出来てしまい,出せずに困っていたほどです。

 ただ,誰にでも出すわけではないし,個人ですから当然年賀状に「下心」など加えることもありません。本来,裏側には気の利いたコメントを一言添えるものなのでしょうが,私の場合,年賀状に個人的な差を意図的に付けることをよしとしないので,殺風景なままで失礼をさせていただいています。

 年賀状というのは,そもそも年始まわりに代わる略式のご挨拶だったわけですが,子供の頃のやりとりに始まり,自分の社会的な位置付けが変わるごとに,出す人や枚数に変化が生じて,自分と周りを見直す年末の恒例行事として機能してきました。

 私は子供の頃からパソコンや電子工作に勤しんできた人間でしたので,年賀状も省力化を目指して毎年奮闘していたわけですが,当時のことですからまともな印刷が出来るわけでもなく,まさか自宅で1枚から,写真屋さんにお願いするほど美しい年賀状が作れる時代がやってくるとは,努々思っていませんでした。

 当時はそれでも,「パソコンで年賀状」というだけで話題になったような時代ですし,事実そのためには労力と試行錯誤,それなりの費用と時間と忍耐と工夫が求められ,余程手書きをした方が効率的でかつ美しいものでした。にもかかわらず意地になってパソコンで作ろうとしたのは,パソコンを使いました,という事そのものに価値認めたから,といえるかも知れません。

 私の場合もう1つ,文字が汚い上に誤字も多く,書き損じで無駄にするはがきも毎年半端ではなかったため,その実用化を急いだという理由もあります。ですので宛名書きについてだけは,昔も今も物珍しさというより,その実用性で毎年パソコンを使っています。

 一方,裏側の図案ですが,これは毎年「木版画」を作っています。宛名書きをパソコンでやっているという後ろめたさへの贖罪というネガティブな側面もありますが,木版画を作ることが好きだという個人的な意味合いが大半です。

 ですが,趣味でやってます,とさえおよそいえない,年に一度「せっかくだから」と彫刻刀を握る程度の稚拙なもので,出来上がった版画もあくまで年賀状の域を出ないほのぼのしたものです。

 当然,木版画を学んだこともなく,完全に我流です。ですから,見る人が見れば「なんじゃこりゃw」と言われるに違いなく,毎年冷や冷やしています。

 道具もそこら辺で売ってるものを使っているだけですし,板も堅い桜など到底使いこなせません。ホオか桂がいいところです。失敗しても安いですし。(でも合板は使いません,これは逆に失敗しやすいのです。)

 私は,いわゆる絵心が全くなく,自分でも信じられないくらいイラストを描くことが出来ません。立体の特徴をつかむ能力がスポッと抜け落ちているとでもいうのでしょうか,みんなが見えるという図形が,私には見えないということがこれまでに度々ありました。

 よって原画は,私とは正反対で絵心のある弟にお願いしています。彼はシンプルなイラストが得意で,対象をデフォルメする力にも長けており,楽をしたいという理由で線の少なさを第一とする私の木版画にはまさにうってつけの原画師なのです。

 そもそも木版画を始めた理由は,版画のリユースでした。

 我が家は父が営業マンだった関係で,数百枚の年賀状が必要だったのですが,これを母は芋版やゴム版という,手軽な版画を作って毎年しのいでいました。

 ところがこの版画,作るのに結構な手間がかかるため,面倒な労働として位置づけていた母にはとても苦痛な作業だったらしく,12年は我慢して毎年作るが,13年目からは12年前のものを使い回そうと考えたのです。

 芋版はその目的にそぐわないので自ずとゴム版画になりますが,12年経って版を見てみると,加水分解によってボロボロになっており,とても使える代物ではありませんでした。

 ひどく落胆した我々は結局,毎年毎年,版画を作りなおすることにしたのでした。

 この流れに立ち向かったのが私です。木版画にすれば,ずっと使えるに違いない。中国のえらい坊さんが作った教典の木版画も今に伝わっているじゃないか,12年後の楽のために,今積み立てるときがきた,と木版画を弟とのペアで作ることにしました。

 年末何かと忙しい母の仕事を減らすという非常に大きな効果もあったのですが,やってみるとこれがなかなか面白い。手間も時間もかかるし,肩凝りもひどくなるのですが,年々作業にかかる時間も短くなり,細い線を作ることが少しずつ出来るようになってきて,これはこれで面白いかも知れないと思うようになりました。

 絵心のない私が,図画の授業で唯一褒められたのが,木版画だったこともあるのかも知れません。でも,不思議なことに,木版画を作ろうと思うのは年に一度,年賀状のためだけであり,それ以外で木版画を作ろうと思ったことは一度もありません。

 年賀状を木版画にしてもう15年にもなると思いますが,結局当初の「使い回し」というコンセプトは完全になりを潜め,毎年新しい版木を作ることが,11月下旬の連休の私の密かな行事となっています。

 さて,私は年賀状をたくさん作りません。版画のメリットがまるで生きない枚数なのですが,逆に今時珍しい木版画ですので,もらった人は多少なりとも「おっ」という意外な印象を持っていただけることでしょう。

 そもそも毎年出し続けている人ばかりですので,「毎年毎年よくやるなあ」と思ってくれればしめたものなのですが,年賀状1枚あたりの手間と時間と,そして同じものは1つとない,というオリジナリティにまで思いをはせて下さるとすれば,受け取った方にある種の優越感を味わってもらえるのではないかと,そんな風に期待していたりします。まあなんと奢った考えであることよ。

 ところで最近,年末の年賀状シーズンにおいても,版画材料の入手が難しくなってきました。昔はスーパーでも買えたものが,今では画材屋さんに行かないと買えなくなりつつあります。

 年賀状シーズンでも特設の売り場にはなく,常設の小さなスペースにこちょこちょと置かれているだけです。絵の具も数が少なく,版木も木目を選べるほどの枚数がありません。彫刻刀も小学生が使うセットものはあるにしても,ばら売りのものは随分少なくなりました。

 温故知新やら団塊世代の第二の人生やら,難しい理由を付けてはいろいろなホビーが復権を遂げる中で,木版画だけは全く光が当たっていないことにふと気が付きます。このままでは本当に,木版画は大衆文化から完全に消え去る時がやってくるかも知れません。

 柔らかい版木は,彫りやすいというメリットがあるものの,細い線を出すことが難しく,表現力に限界があります。桜を使いこなせるようになると表現の幅も広がるのですが,実際の所年賀状を出した方々からのフィードバックが悲しいことに全くないため,完全に自己満足の世界に終始していて,改善やら改良やらを行うきっかけを逸しています。

 それでも,私は可能な限り,木版画を続けるでしょう。

 年賀状は,つながりを保っていたい人に,連絡を付ける最も自然な理由です。突然のメールはspamかも知れないと警戒心を抱かせるかも知れませんが,木版画のある年賀状をダイレクトメールと訝しがる人はいないでしょう。

 一年に一度,もう何年も会っていない人へ,お互いに自発的に年賀状を出し合える面白さ。年賀状には年賀状の,とってもありがたい楽しみがあるものです。

 今年の年賀状は,暦の関係もあってか,遅配があまりにも多かったように思います。三が日を過ぎて届いた年賀状は全体の6割以上,10日を過ぎて届いた年賀状もちらほらです。

 暖冬で交通機関の乱れはなかったと思いますし,発行枚数が少なくなっている現状では,遅配の理由は郵政公社の怠慢以外に思いあたりません。

 年賀状の発行枚数の低下を憂う前に,毎年それをささやかな楽しみにしている人々にこそ視点を移し,改めて猛省を促したいと思います。

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