エントリー

カテゴリー「ふと思うこと」の検索結果は以下のとおりです。

本と本屋と電子書籍

 昨日,私は一部で話題になっていた「傷だらけの店長」という本を読了しました。

 本が好きで本屋でアルバイトを始め,そのまま就職した主人公が,やがて店長として本屋を運営するなかで,その現実に傷つき,疲れ果てていきます。やがて大規模店の出店による影響で閉店を余儀なくされ,自らの人生にも大きな影を落とします。本屋を知る人には共感を呼び,知らない人にはそうだったのかと胸が痛む,そんな本だと思います。

 本屋さんの業界新聞に連載され,その「耳の痛い内容」に賛否両論あったものが加筆修正の末に,単行本になったものです。

 この本を読んでいると,胸が締め付けられるような悲しさと寂しさにおそわれます。そしてそれを買った日に自炊して,Kindleで読了したという皮肉。なんという矛盾。

 以前にも書きましたが,私の父は教科書の会社で営業をしていました。母は実家のそばのスーパーに入っている本屋さんにパートで入り,25年以上働き続け,今も店長格として現役です。

 私はコテコテの文系の両親から突然変異し誕生した理系ですが,やっぱ文系の血が濃く流れていることを感じることがあります。その1つが,やっぱり本好きと本屋好きだということです。

 いや,本好き,というのは,いわゆる文学作品を多読し,得られる知識を血と肉にして自らの人生を豊かにし,時に人を幸せにする人を言いますので,私のような技術書を中心に散財を繰り返す人を本好きとはいいません。

 ですが,文字を追いかけて読むことがそもそも好きでたまらず,文章を綴ることも(うまいか下手かは置いておいて)苦にならない人で,通勤に開く文庫や新書,寝る前に開く文芸書が心地よく,ついつい夜更かしを続けては,朝なかなか起きられません。

 眠い目を擦りながら本屋で面白そうな本に偶然出会って,一気に眠気も吹っ飛んでしまうと,確かに本好きとはおこがましいが,本が好きな人であることくらいは,胸を張って宣言したって罰は当たらんだろうと思っています。

 本屋さんも大好きです。1時間でも2時間でも過ごせますし,週に一度くらいは足を運ばないと気が済みません。行きつけの本屋さんならどんなジャンルでもまよわず探せるよう棚の特徴と場所を覚えますし,品揃えでその本屋さんの癖を掴み,自分の趣向にあっているかどうかを確かめることも忘れません。本屋さんには失礼かもしれませんが,複数の本屋さんを使い分けます。

 そして,母の話を30年聞いて,傍目には楽そうに見える本屋さんの仕事が,いかに辛く,いかにつまらない仕事であるかを知っていて,しかし本と本屋が大好きという店員さんの情熱によって維持されているという現実に,実に頭が下がる思いがするのです。

 ここ5年くらいの状況はさらに悪く,本屋さんがどんどんつぶれてなくっています。大手が大規模店舗をオープンさせて規模で勝負に出ていること,amazonなどの通販が大変に便利になったことで,本の入手そのものは以前よりも良くなっているように感じますが,一方で中小の本屋さんの減少が起こっています。

 極論すると,店員さんの情熱くらいではすでに維持が不可能な,パワーゲームになっているというわけです。いや,いいか悪いかは別ですよ,それにこうした競争が本屋だけの話でないことも重々承知しているつもりです。

 それでも,本屋さんは,本当に特殊な空間です。

 老若男女,誰でも気兼ねなく出入りできます。せいぜい中学生がエロ本を買うときくらいでしょうか,挙動不審になるのは。

 何も買わなくても全然平気,静かで清潔で,夏は涼しく冬は暖かく,ほぼ全ての商品がお試し可能,店員さんは寄ってこず,しかもちょっとのお金でお買い物ができて,買った商品はそのまま持ち帰り可能,帰りの電車から早速使って楽しむことが出来る,そんなありがたいお店なのです。

 ただし,あくまでお店であって,図書館ではありません。利益が上がらないといけない存在です。一方で店員さんの収入が低いことはよく知られていることですが,それでも成り立っているのは単純な損得勘定を越えた情熱や熱意があるからであり,いわばそうした彼らの心を食いつぶしているといえるかも知れません。

 そうした,経済的観点から見たときの正論と,人の心が加味された現実とが複雑に絡み合って,今のこの一瞬も,本屋さんは維持されているのですね。

 思えば,母の本屋に関する話も,年が経つほど管理職のそれになって来たように思います。ここ10年ほどは,本が好きという言葉より,本屋のマネジメントのしんどさを語ることが多くなりました。変わらねばならない業界への不安と,変わって欲しくない業界の本音が,母の口から出てきます。

 それでも,やっぱり母は本屋が作るのが好きで,本好きのお客さんを迎えるのが好きで,私は私で,そんな本屋に行くのが好きなのです。

 「傷だらけの店長」は,母が私によく言っていた話に重複する部分がたくさんあり,本屋さん特有の自己犠牲について語っています。自己犠牲なんてのは,どんな商売でも大なり小なりあるとは思いますが,本屋さんのそれは,好きでやっている商売ゆえ,弱音や甘えであったり,憚られる不名誉なことだという固定観念が,私自身の根底にあったのではないかと思われました。

 本が好きで本屋が好きで,本に関わる人が好きで,それらを汚す人を許さないという熱意だけが,この疲弊した店長を支えます。理不尽な客もいますが,著者もタイトルもわからない本を探し当て,喜ぶ客の顔を見るのがうれしくて,この仕事を愛していることが愚直に伝わって来ます。そう,母もそうでした。

 やがて大型店が近所に出店,長く地域の文化的拠点だった主人公のお店は閉店するに至ります。定期購読のお客をどうするのか,自分に負けないくらい本と本屋が大好きなスタッフたちをどうするのかに悶々とし,店長になるとき,そして閉店になるとき,それぞれで床に頬をすり寄せ,本屋さんに対する愛情を表現した主人公には,会社員としての単純な責任感を越えたものがあったはずです。

 日々の入荷と返品の繰り返しは過酷な肉体労働を強います。定価販売ゆえ値引きという特効薬が使えず,本屋さんの成績は店長と店員の能力によるところが多かったのが,近年のランキング重視の傾向と,機械的な発注作業による手堅い店舗運営よって,知的労働の割合は減少し,属人的な要素のウェイトが小さくなっています。

 お客さんは,当たり前の事ですが欲しい本がある本屋さんに足を運びます。以前は自分が欲しい本が高確率であるのは自分にマッチした個性の本屋さんでしたから,規模の大小に関係がなかったのですけれども,近年はランキング重視の傾向がお店にもお客にも強くあるので,どこも似たような本屋になってきます。

 そうすると,規模の大小が集客力の差になります。当然売れ筋の本の配本は,たくさん人が集まる大規模書店が優先で,中小の書店は後回しになるので,ますますお客さんは確実に手に入る大規模書店に足が向くわけです。

 私は本好きとは言えないまでも,どこを探してもなかった本が棚に収まって「ここにいるよ」と光り輝いている姿に小躍りし,本屋を出るときには顔が緩んでいることを何度も味合わせてもらっている,とても幸せな人です。

 でも,最近そんな経験も少なくなりました。

 以前はそれでも,amazonで買った本が手元に届くのに数日かかることが嫌で,買った本はすぐに読みたいからと本屋さんで探すことをしていましたが,やがて探しても見つかることがまれになり,結局amazonに頼むことがほとんどという状況になりました。最近は無駄足をするのが嫌なのと,検索がとても楽という理由で,最初からamazonに頼むことが増えています。

 私が支えなくてどうするのか,昔からMegaDrive,SegaSaturn,Dreamcastとマイナーゲーム機と共に心中し,買い支えという特殊な文化に全く抵抗のなかった私をして,この体たらくです。

 私一人の影響力は些細であるとしても,私のような人間が,あるいはもっと本屋さんに思い入れのない人がたくさんいたら,もう本屋さんは成り立たないのではないかと,心配になります。

 閉店準備に追われる主人公は,閉店までの時間の間に,本屋から去ることを決意します。本好きで,本屋好きな主人公は,本を売る立場から離れても,やっぱり自然に本と共に過ごします。このあたり,なんだか泣けてきます。

 彼は,今吹いている電子出版の流れ,そして業界が初めて経験する海外勢との戦いに,身を置いていません。日本語という壁ゆえ海外との直接戦争を回避できていた本の業界が,とうとう好き嫌いにかかわらず海外勢との競争に晒される時代が来たことを,当事者として相対さずに済んだことは,幸運とも不運だったともいえるような気がします。

 母は,務める書店の内規により,その年齢から,半年ごとの契約で働いています。契約云々以上に,肉体労働である本屋の仕事がきつくなってきたと限界が近いことを口にします。

 そして母は,本屋が衰退する現実を案外冷静に受け入れています。後に続く若い書店員に,母はどんな言葉を残すつもりなのでしょうか。今度母に聞いてみなければなりません。

 本が好きでも,本屋が好きでも,私がワクワクして買って帰った本は,その場で分解,裁断され,スキャンされて電子データになり,Kindleに流し込まれます。バラバラになってもはや「紙」になった本は,縛られて資源ゴミに出されます。そう,私はこの手この指で,ページをめくることすらしなかったのです。

 でも,今の私は,このことに全くといっていいほど,抵抗がありません。もっというなら,なんの感情もわきません。

 おかしいな,どうしてだろう,私は本と本屋の,一体なにが好きだと思っているのか,自問する毎日です。本と本屋が好きという点で共通する母とは,これからも話がかみ合うのだろうか,そんなことを,毎年楽しみにしている秋の夜長の訪れを心待ちにしながら,考えています。

マイクロソフトがCPUを作るのか

 マイクロソフトが,ARMのライセンスを受けることになったそうです。

 ここ最近のマイクロソフトの動きにはちょっと不可解なものがあり,かつての輝きを失った迷走っぷりに残念な気持ちになっている方も多かろうと思います。

 創業者が特に優れていた場合の世代交代が難しいという話は,世の東西を問わず,また規模の大小を問わないものだと,つくづく思います。

 今から20年ほど前の,WindowsNTの開発の顛末を語った「闘うプログラマ」という本には,DECから移ってきたデイブ・カトラーが,自由奔放なマイクロソフトのキャンパスの雰囲気に嫌悪感を示すシーンがあります。

 今のマイクロソフトに,そうした大人が煙たがるような「遊び心」があるのか,ないのか。

 部外者の私にはさっぱり分かりませんが,なにやら巨大企業が遭遇する「お疲れ感」をそれとなく感じているのは,私だけではないのでは,と思います。

 そんなおり,ARMのライセンスの話です。

 ARMのライセンスと聞いてもぴんと来ない方も多いと思うので,ごく簡単に説明をします。

 ARMというのは言うまでもなく,CPUメーカーのARMのことです。イギリスのケンブリッジに本社がある半導体メーカーの1つですが,彼らの売り物は自前の半導体製品ではなく,CPUの設計情報です。

 例えばインテルにしてもルネサスにしても,CPUの設計はあくまでCPUを作ってそれを売るために作るものであり,それ自身は売り物にしません。しかし,ARMは半導体の実物はそれぞれの半導体メーカーが作るものとし,自分達はその設計情報だけを販売することにして,もうけています。

 設計情報が売り物になるのか?と疑問に思う方もあると思いますが,CPUをゼロから作るというのはとてもとても大変です。CPUを作るだけでも死ぬ思いをするのに,コンパイラやデバッガ,ICEなどの開発環境に加え,周辺機能も一式用意しないといけません。これがとても大変です。それだけしても,そのCPUが売れるかどうかはわかりません。

 ARMというCPUは処理能力はそれほどでもなかったのですが,当時からビックリするほど低消費電力であり,携帯電話に採用されてから爆発的に普及するようになりました。開発環境もARM純正だけではなく,他の専門の会社がARM向けに作るようになり,周辺機能についてもARMに繋がるものがどんどん揃い始めます。

 ARMのライセンスを購入し,ARMのCPUの設計情報を手に入れることは,これら開発環境や周辺機能をすべて使えるようになることを意味します。(もちろん結構なお金がかかるのですが)

 こうしてARMが普及すれば,ARMのCPUならすぐに製造できますよ,と言う工場が当たり前になってきます。半導体というのは,実は製造会社によってちょっとずつ違いがあって,設計情報に互換性がありません。それも最近は強い製造会社のルールに統一されてきましたが,ARMの設計情報と互換性を持たない工場は仕事を受けられませんから,自ずと対応するようになります。

 結果,上流から下流まで,ARMを選べば全部問題なく揃うという状況が作られます。

 ARMは技術的には低消費電力を売りにしたものですが,技術的なメリットよりむしろ,エコシステムについての魅力が圧倒的で,同業他社の追随を許しません。

 このARMを使うために必要なものがライセンスですが,実はこれも2種類があります。1つはインプリメンテーションライセンス,もう1つはアーキテクチャライセンスです。

 実はこれらのライセンスの中身は機密扱いになっていて,実際に契約を結んだ人でないと詳しい内容はわかりません。私ももちろんわかりませんが,そこはそれ,憶測も入れて書きますので,話半分で読んで下さい。

 インプリメンテーションライセンスというのは,ARMのCPUコアを「買う」ライセンスです。買い方には2つあって,1つは中身をブラックボックスとして買う方法,もう1つはソースコードで買う方法です。前者をハードマクロ,後者をソフトマクロと呼んだりします。

 ハードマクロはブラックボックスで買いますからそのまま工場で作るだけになってしまいますが,ソフトマクロで買った場合は,ちょっとしたカスタマイズ,例えばキャッシュメモリのサイズを変更するとか,その工場の半導体に最適化するとか,そういうことが可能になります。

 ただし,基本的にソースコードはいじれません。もしそんなことを許したら,ARMと微妙に互換性を失った「なんちゃってARM」があちこちにいっぱい出来てしまい,大混乱になってしまいます。

 ということで,あくまで作るのはARMで,それをそのまま利用するのがインプリメンテーションライセンスです。ARMを利用するメリットは,このインプリメンテーションライセンスでほぼ手に入ります。

 もう1つのライセンスであるアーキテクチャライセンスというのは,CPUのソースコードをいじることが許されるライセンスです。もっというと,ARMの互換プロセッサを「作る」ライセンスです。

 ARMのプログラムが走り,ARMが持つ機能が実装されていて,外側から見るとARMそのものでも,中身は完全に別物であるということが許されるライセンスなわけですが,なにぶん機密扱いですので,アーキテクチャライセンスでどこまで出来るのか,あるいはアーキテクチャライセンスが何種類あるのか,私にはわかりませんし,本当に互換プロセッサを作ってよいのかどうか,確かめたわけではありません。

 でも,本家ARMが作ったCPUに互換CPUを作っても,おおむね勝てるわけがありません。互換CPUを作ってもメリットがあるという「実力のある」会社だけが,どうしても既存のARMコアでは実現出来ない「なにか」を仕込むときに,このライセンスを手に入れる事になります。

 例えば,ARMはどんな工場でも作る事が出来るようにゆとりのある設計になっていますが,これを自社の工場に最適化して,カリカリにチューンするということも,このライセンスで可能になります。

 噂ではものすごく高価だとか,お金を出してもなかなか手に入らないとか,A社だけではなく実はB社もこのライセンスを持っているとか,優れた設計は無条件にARMにフィードバックしないといけないとか,まあそんな邪推を私も耳にしたことがありますが,本当に所は何度も言うように,私にはわかりません。

 はっきりしていることが1つあって,このアーキテクチャライセンスを受けた最初の1社が,旧DECです。DECは,ARMの低消費電力に適したアーキテクチャに目を付け,さらに低消費電力でさらに高速クロックで動作する新しいARM互換コア,StrongARMを開発しました。ARM7では3段パイプラインだったものを5段に増やしてクロックを向上させ,DEC自身が持つ製造プロセスに最適化した設計を行っています。

 そしてこの開発成果がDECからARMにフィードバックされて誕生したのが,ARM9です。ARM9も5段パイプラインですが,内部はより余裕のある設計がなされていて,どんな工場で作っても大丈夫なような汎用性のある設計がなされています。

 DECのARM部門はこの貴重なライセンスごとインテルに買収されてしまいます。一説になかなか手に入らないアーキテクチャライセンスを手に入れるのがDECを買った理由だとも言われていたのですが,StrongARMの後継として生まれたXscaleは,インテルの製造プロセスに最適化されてさらに高クロックで動作するARM互換プロセッサとなりました。

 この成果がフィードバックされたのが,ARM11と言われています。

 そのXscaleも,現在はインテルからMarvellに売却されており,Marvellがそのままアーキテクチャライセンスを保有しています。

 とまあ,このように,インプリメンテーションライセンスではどうしても越えられない壁があって,それをどうしても取り払いたい会社が,それ相応の技術力を認められた上で,ようやく手にすることのできる「なんでもできる」ライセンスが,アーキテクチャライセンスです。

 ライセンスにも多額の費用がかかりますし,これを使ってCPUを1から開発するわけですから,その開発費用も膨大です。それでも十分儲ける事が出来るという目算がなければ,およそこんな恐ろしいライセンスを取得しても,得なことはありません。

 さてさて,今回の主役であるマイクロソフトが手に入れたライセンスは,なんとこのアーキテクチャライセンスだというのです。

 ???

 CPUを売って儲ける会社になるつもり?インプリメンテーションライセンスではダメだったの?わざわざアーキテクチャライセンスを手に入れて何をするつもり?

 いろいろ業界で憶測は飛び交っているとは思いますが,ここから先は全くの私の私見に基づく想像です。

 まず,マイクロソフトはCPU市場に参入するのか?答えはノーです。単に参入するだけならインプリメンテーションライセンスだけでもいいはずです。

 それに,マイクロソフトはソフト,特にOSの会社です。今さら設備産業である半導体に乗り込む理由は見当たりません。ファブレスの設計会社という選択肢もあるかも知れませんが,それこそそんな会社は世界中にいくらでもあり,悪いことにどの会社もそんなに儲かっていません。

 ではアーキテクチャライセンスでなにをするのか?これは,おそらくですが,OSを作る過程で感じていた,ARMアーキテクチャに対する不平不満を根本的に改善しようとしているのではないでしょうか。

 ご存じの通り,マイクロソフトはWindowsCEの時代から,ARMをサポートしていました。ARMと言うCPUに取って,WindowsCEというOSが動くことは何より心強いものがあったはずです。

 当時はMIPSやSH3などでも動いたWindowsCEですが,WindowsMobileとなった現在ではARMでしか動作しないOSになっています。マイクロソフトは売り物であるOSを,別にアーキテクチャライセンスを取得しなくても,十分に作ってこれたはずでした。

 しかし,実はARMというCPUは,私の言葉で「トルクのない」CPUです。粘りがないというか,底力がないというか,高クロックでぱぱーっと回るんですが,負荷がかかると途端にパワーが落ちるという印象があるのです。このあたり,x86や良くできたMIPSが,まるでディーゼルエンジンのトラックやバスでも運転しているかのような頼もしい感じがしたことを思い出します。

 ARMコアが原因と言うより,バス設計に問題があったからこういう印象があったのかもなと思い当たるところもあるのですが,では実際,1GHzのARMで動いているiPadと,似たようなクロックでもx86で動いているネットブックを比べてみると,どちらの方がサクサク動くかと少し考えて頂ければ,なんとなく想像出来るのではないでしょうか。

 WindowsCEは昔からもっさり動いているOSです。これがもしARMのアーキテクチャによるものだとマイクロソフトが結論していたら,アーキテクチャライセンスを手に入れて改善しようと考えても不思議ではありません。

 他にもあります。低消費電力を実現するには,主体的にCPUの消費電力を下げる必要がありますが,突き詰めるとそれだけでは限界があり,ソフトウェア,特にOSが頑張らないと下がりません。

 x86はインテルがだけが作っている(AMDも作っていますが,一応オリジナルはインテルです)ので,マイクロソフトとしてはWindowsをチューニングする過程で,インテルにどうしてもらえるとうれしいか,伝える機会を持っているはずです。

 インテルも,x86がWindowsを前提としてCPUであることを知っているので,マイクロソフトからの意見には真摯に耳を傾けていることでしょう。

 しかし,ARMは半導体会社には違いありませんが,実際に半導体を作っているわけではありません。マイクロソフトがARMにいろいろ意見を言っても,それがそのまま聞き入れられるとはちょっと考えにくいものがあります。

 WindowsCEとタブレットや携帯電話に向けて本格的に投入するにあたり,もうOSだけではどうにもならないところまで来てしまった・・・だからいよいよCPUそのものに手を入れて,より自分達に最適化されたCPUを作ろうとしている,というのが,私の考えです。

 この話が本当だとして,マイクロソフトの強力なライバルで,むしろ押され気味なAppleとGoogleには,およそ出来そうにないことをやって頭一つ抜け出ようとしたように思えてなりません。

 AppleのiPadやiPhone4には,彼ら独自開発といわれるA4というプロセッサが使われています。しかし実際にこれを設計しているのはSamsungで,AppleもSamsungもアーキテクチャライセンスを持っていませんから,既製品のARMコアをそのまま使っているはずです。

 1GHzという高クロックのわりには,そんなに高速で動作しているわけではないiPadは,消費電力の低さによる電池寿命の長さで評価は高いですが,でもそれだけです。処理能力で3年前のMacBookにさえ及びません。

 GoogleはAndroidをフリーでばらまいていますが,誰にでも使ってもらえるものであるためには,誰にでも手に入るCPUをターゲットにせねばなりません。Androidが実質ARM専用OSになっているのは,この戦略が故です。

 AppleもGoogleも,プロセッサそのものを作って,それ用のOSを作る事の出来ない事情があります。マイクロソフトもかつてはそうでしたが,彼らは果敢にもアーキテクチャライセンスを手に入れ,自分達のOSが最も効率よく動くCPUを作ろうとしています。

 マイクロソフトの主力製品はあくまでOSです。ですから,アーキテクチャライセンスにかかった多額の費用を,CPUを売ることによって回収しようとは考えていないと思います。マイクロソフトが狙っているのは,その主力製品であるOSが最も効率よく動くCPUを自ら用意して,これをリファレンスデザインとして提供し,他のライバルには到底実現出来ないような完成度の高い製品を,誰にでも簡単に作る事が出来るようにすることです。

 ここから先はいろいろなオプションがあるでしょうが,1つにはOSを売るためのオマケとして,CPUの設計情報とそのCPUを使ったリファレンスデザインの回路図を無償で提供し,これを使ってCPUと回路を作る事を最終製品のメーカーに許可するというシナリオです。

 あるいは,このCPUの設計情報を一部の半導体メーカーにライセンスし,そのCPUで高性能を発揮するOSをマイクロソフトが最終製品メーカーに対して供給する,とぃう話です。いわばスマートフォンのウィンテルを目指そうという作戦です。

 インテルはARMのアーキテクチャライセンスを手放しましたし,いくらATOMが低消費電力だといってもARMには全然かないませんから,実用的な電池寿命のスマートフォンをインテルのCPUで作ることは無理です。さりとて現状のARMでは処理能力に物足りないものがあり,しかもARMコアのCPUはARMからインプリメンテーションライセンスを受ければ製造できるので,多くの半導体メーカーが手がけています。

 マイクロソフトはこのあたりをよく分かった上で,PCにおけるインテルのような,スマートフォンにおけるパートナーを,自ら育てようとしているのかも知れません。

 いずれにせよ,スマートフォンを作るのに,これまでは既存のハードウェアにOSをあわせ込んで作っていたものを,それでは限界があるのでOSとハードウェアの両面から作る事にした,ということは間違いないでしょう。これはAppleにもGoogleにも現時点では真似の出来ないことです。

 言い方を変えると,マイクロソフトはソフトだけではもう改善できないと白旗を揚げたとも言えます。AppleもGoogleもまだまだソフトでがんばれると思っているのかも知れません。

 多額の費用を投じて,OSだけにとどまらずCPUにまで手を突っ込み,最終製品の性能向上を目論むマイクロソフトという会社は,いったいどれだけの巨大企業なのかと,背筋が寒くなる思いがします。

 Appleは,かつてPAsemiというCPUメーカーを買収しました。直接間接にこの会社の持っていた資産がA4というプロセッサの実現に役に立ったことは想像に難くありませんが,このPAsemiという会社は,もともとDECでStrongARMを開発した人々が作った会社だということを,最後に添えておきます。

 Appleは,PAsemiの直接の成果物や人的資産でA4を作ったのではなく,設計と製造を依頼したSamsungのいいなりにならず,自分達の欲しいCPUを作ってもらうためにちゃんと意思疎通ができるよう,その道の専門家(それもこの業界なら知らない人はいないと思われるCPU設計のカリスマです)を手に入れたかったというのが,現在の大方の見解です。

 AppleもGoogleもマイクロソフトも,しっかりしたビジョンと良いOSを持っている業界のリーダーですが,それぞれが専門外の半導体に対して,これだけスタンスが違ってくるというのが,大変に興味深いですね。

新しい家電に囲まれて~その後

 新しい生活を初めて2ヶ月あまり経過しました。

 住む場所も,人数も,それこそ生活パターンも大きく変わってバタバタしていたわけですが,緊急度の高い案件はほぼ片付き,あとは自分達のペースで進めていけばいい状態になりつつあります。

 気候もこれから蒸し暑く過ごしにくい時期になっていくため,体調を崩さずマイペースでいくことが肝要かと。

 ところで,環境に変化に加えて,生活家電の総入れ替えがあり,何をするにも「勝手の違い」に翻弄されておりましたが,それもほぼ慣れてきて,落ち着いてきました。


・洗濯機

 斜めドラム式乾燥洗濯機を買ってみたわけですが,期待以上のこともあれば,期待以下だったこともあります。

 期待以上だったことは水と洗剤の節約と,その割に汚れが良く落ちていることです。9kgの洗濯物を洗うのにスプーンに0.9杯の洗剤で済んでするのですが,以前私が6kgの洗濯機を使ったときでも1杯より少し多いくらいを投入していましたから,洗剤の使用量は半分ちょっとということになるでしょうか。

 それに水の使用量も少なく,あれだけの洗濯をしているのに,水道の使用量は予想よりずっと少ないものになっていました。洗濯というのは水も電気も消費する家事だったわけですが,この洗濯機はランニングコストの低さで洗濯を身近なものにしてくれた気がします。

 汚れの落ちも大したもので,食べこぼしのシミも綺麗に落ちていますし,白いシャツなんかも「綺麗になってるな」と思う白さを実感します。少ない水で濃い洗剤液を作りたたきつける様に洗濯する訳ですから,経済性と洗浄力を両立出来るのも分かる気がします。

 また,一度に洗える洗濯物の量も最大で9kgとそれなりに大きく,週末の洗濯が負担に感じません。

 しかし,乾燥機はちょっと期待はずれかも知れません。どちらかというと,期待が大きすぎたということでしょうか。

 まず,乾燥機が使えるのは説明書によると6kgですが,実際にはおおむね5kgくらいまでで,洗濯のみで可能な9kgの半分ちょっとです。ということは,倍の回数を運転せねばなりません。5kgになって時間も水も半分になるなら倍の回数でもいいのですが,残念ながら5kgだろうが9kgだろうが,それほど時間も水も必要量は変わりません。

 無理に多い洗濯物を乾燥させると,乾きムラが多発し,結局外に吊しておくことになります。それにシワがひどく,アイロンをかけるようなシャツなどは最初から乾燥機を使わないのが賢いです。

 また,乾燥時間がながく,洗濯から乾燥終了までざっと4時間半です。別に付きっきりで見なければならないものでもなく,ほっとけばいいので負担は少ないのですが,迂闊に夕方に仕掛けると仕上がりは夜遅くになります。

 電気代は予想以上に低く,これなら常用できるという印象を持っています。さすがにヒートポンプということでしょう。

 で,結局のところ,最初に9kgくらいの洗濯を行い,次に5kgくらいの洗濯を乾燥までやってしまいます。下着や靴下,タオルなどの小物類は,干すのが大変に面倒臭いわけですが,これらを乾燥まで行うことで,洗濯という家事の労力のうち,面倒で時間のかかる面白くない作業からすっかり解放され,とても楽になりました。

 シャツなんかはハンガーに引っかけて吊すだけですので手間もそんなにかかりませんし,取り込んだ後アイロンをかけますから,どうせすぐに片付けられません。その点でも非常に合理的に処理が出来ます。

 ですので,さすがに万能ということではなく,うまく大容量の洗濯モードと手間のかからない乾燥モードを使い分ける,という形に落ち着いてきました。

 そうそう,nano-eですが,これは実は結構役に立ちます。眉唾というかオカルトな感じがしていたのですが,先日購入した古本がたばこ臭く,気になっていたところ,nano-eを使ってみたところ,少なくとも開いたページの匂いはすっかり消えていました。うまく使うと面白いと思います。


・掃除機

 カーペットの全面採用につき,古い掃除機ではヘトヘトになってしまうことから,回転ブラシと自走機構を備えたヘッドを持つ,カーペット前提の掃除機を急遽買った訳ですが,ポイントは3つで,カーペットの掃除がどれくらい楽になったか,どれくらい綺麗に吸うのか,そしてサイクロンはどうなのよ,です。

 まず,カーペットの掃除がどれだけ楽になったですが,以前に比べたら全然楽ですが,相変わらず重労働であることに違いはないなあという印象です。パワーヘッドですので勝手に前に進んでくれますから,人間はハンドルを持って支えるだけのはずなのですが,さすがにカーペットですので1ストロークではダメで,何度か前後に往復させないといけません。

 結局それが楽にならない理由の1つですし,後ろに戻すときにヘッドの重さがやっぱり負担になります。何度も繰り返していると意地になって,ついつい両手で握りしめ,押さえ込むように動かして汗だくになっていることがあります。これは誤った使用例なのですが,ついついムキになってしまうのは,この家事には不可避のものでしょう。

 綺麗に吸うか,については,特別強烈に吸うという印象はありませんが,不満もありませんので,なんとか合格という所でしょうか。吸引力はそれなりにあり,ゴミをさっと吸い取ってくれますが,やはりカーペットに潜り込んだものを吸い込むのは難しいようで,先日黒いプラスチックの削りカスを吸い込むときに,何度も何度も往復させてようやく吸い込んだのを見て,目に見えないゴミも結構しぶとく残っているんだろうなと思った次第です。

 説明書によると,何度も動かすより,ゆっくり1度だけ動かす方が効果が高いとあります。誠にその通りで,ゆっくり動かす方が綺麗になります。これは間違いありません。そういう使い方をマスターしないと効率的に掃除が出来ないと言うことでしょう。

 最後にサイクロンですが,これはモチベーションを高めるのによいですよ,本当に。真面目に掃除をした後,透明なダストボックスに綿埃が溜まっているのを見ると,少なくともこれだけのゴミがこの部屋に広く薄く存在していて,もし掃除をしないとこのゴミの上で生活していたのだ,と思うと,ちゃんと掃除はしないといけないと気持ちを新たに出来ます。

 国産掃除機のサイクロンなどダメだろう,と私も考えていたきらいがややありましたが,少なくとも私は,吸引力が落ちていったという印象は受けませんでした。それにボタン1つで圧縮されたゴミがぽろっと落ちる仕組みなのでメンテも簡単です。

 ただ,サイクロンで分流できなかったマイクロダストはフィルタに引っかかるのですが,このフィルタの目詰まりが最近気になってきたというのが本音です。電源スイッチをオフにすると「ガラガラガラ」とこのマイクロダストを叩いて落とす機構が動き,一応のメンテフリーを標榜してはいますが,マイクロダストの落ちる量が毎回毎回多量になっていることを見ると,ちょっとやそっとじゃ取り切れないくらい,溜まっているんだろうなあと想像出来ます。

 一度本気で分解掃除をしてみないといけないでしょう。

 欠点と言えば,やっぱり取り回しの悪いデザインでしょう。取っ手が変な位置についていて,しかも普段は隠れているので,ぱっとつかんで動かすときに一瞬手が止まります。これは嫌なものです。

 次にエコモードです。フローリングになったりヘッドの動きが止まったり,宙に浮いた時間が長いときにはモーターの回転数を自動で落とす機能ですが,これが今ひとつお馬鹿さんで,人間が掃除機の癖をつかんでやらないと作業の流れを止められてしまいます。もう一息なんですけどね,惜しいです。

 収納もなんか変です。本体を立てて,フックにパイプを引っかける仕組みなのですが,収納時にヘッドが床にちょうど接する高さでパイプが固定されます。しかし,フックにかけるとき,パイプを上から下に動かす必要があり,この時重みで下を向いたヘッドがそのまま床に引っかかり,つま先立ちのようになってしまいます。

 そのため,本体を立てたまま後ろ方向に数センチ動かす必要があるのですが,立てた状態では車輪は宙に浮いており,引きずらないといけないのです。これははっきりって,どんくさい設計と言わざるをえないでしょう。

 なお,欠点とは言いにくいのですが,特殊なパイプのせいで,電動工具のキリコを回収するためのパイプに接続出来ません。まあ,キリコのようなややこしいものをこの掃除機で吸うと壊れてしまいそうなので,古い掃除機で吸うことにします。


・アイロン

 両方が尖ったコードレススチームアイロンを,これまた急遽買うことになったわけですが,私にとって新規性の高いポイントは3つで,両方が尖っていること,スチームアイロンであること,そしてコードレスであること,です。


 まずなんといっても両方が尖っていることですが,これはもう素晴らしいです。向きをいちいち変えずに,後ろ向きのままでよいというのは,こんなに心地よいものだったのかと驚くばかりです。

 前後にかけられるから2倍の効率というのもありますし,ボタンを避けてかけつつ,返す刀でポケットをかける,といった芸当も可能で,これは本当に楽しいですよ。私で,シャツ1枚を約4分で仕上げられるようになりました。

 スチームアイロンであることについては,これまでの歴代のアイロンが,しょぼいスチームであったことと,そのくせことごとくスチームがすぐに壊れて出なくなったことで,ネガティブなイメージしかありません。

 耐久性についてはまだわかりませんが,少なくともスチームの量はギリギリ合格点です。もう少しあったら楽なんだけど,と思うのですが,これなら霧吹きを併用はなんとか回避できそうというレベルです。

 タンクが取り外せることもなかなか便利なのですが,問題は使用後の水が,このタンクからなかなか向けてくれないことです。水滴が長く残るとカビや水垢の原因になり,不衛生だし壊れる原因にもなります。出来るだけ速やかに乾燥させたいのですが,これがなかなか難しい構造なわけです。

 私の場合,電気ポットに立てかけておいて,ポットのほんのりした熱で2,3日中に乾燥させる技を編み出しましたが,これをしないと1週間は内部が濡れたままです。

 あと,水道水のカルシウム分が結晶化して目詰まりし,スチームが出にくくなることも何度かありました。アイロンをポンポンと叩くと,スチームの穴から粉が出てきます。このあたりの問題は昔から変わっておらず,解決がなされていないのかと正直がっかりしました。

 コードレスであることは全然デメリットを感じません。十分な熱量を持ちますし,コード付きでも動作している時間の半分は,サーモスタットによって非通電状態です。非通電状態でなぜACコードがコンセントにささっている必要があるのか,と考えると,実はコードレスアイロンが実に合理的であることに気が付きます。

 ただし,連続で長時間の使用は出来ず,こまめにスタンドに戻さねばなりませんが,普通の使い方をしていればこれは問題になりません。むしろ,以前のアイロンが垂直にアイロンを立てねばならず,ここで手首をぐいっと不自然に曲げる必要があったことを,専用のスタンドによって克服したことが,いかに快適かを論じるべきです。


・電子レンジ

 電子レンジは,果たして再加熱マシンなのか,それとも積極的な調理器具なのか,という永遠のテーマから逃げるわけにはいかず,その結論は人それぞれ,そして購入価格帯も大きく変わってしまうという,難しい商品です。

 我々は,再加熱マシンと考えていますが,調理器具への進化を始めてから長い時間を経過したことを考え,期待を込めて調理機能をないがしろにしないものを選びました。

 ポイントは,再加熱マシンとしての基本機能と,調理器具としての完成度と可能性です。

 まず再加熱マシンとしては,ほぼ満足です。外形に対して広々とした庫内,ターンテーブルがないことで四角いトレイが引っかからないし高さ方向も広々使える,赤外線センサのおかげで温度をセットすれば後は自動あとは自動でやってくれる,最初の1分ほどだけは高出力で加熱し,ほとんどの場合この時間で希望の温度に達してくれるので時間が大幅に短縮されること,そしてスチーム加熱が素晴らしいことは,期待以上のものがありました。

 いずれも,最も頻度が高く,確実に動いて欲しい再加熱という作業を大きく改善するものです。スチーム加熱のない下位機種でもこれらのメリットは享受できますので,1万円くらいの安い電子レンジを買うのは,もうやめたほうがいいでしょう。

 それでそのスチーム加熱ですが,ヘルシオのような積極的な調理には使えなくとも,豚まんやシウマイなどの再加熱に強みを発揮します。チルドの豚まんを作り立てのように味わうなら,もうこれしかありません。

 オーブンも結構工夫されていて,再加熱にも使われるようになっています。揚げ物の再加熱ではオーブン(グリル)も併用となり,揚げたてのからっとした仕上がりが素晴らしいです。コロッケはもう出来たてを買わなくてもいいです。

 次に調理器具としてですが,これは残念ながら期待はずれです。

 まず,自動メニューが少なく,また応用が利きません。分量の違い,ちょっとした材料の違いでも,確実に失敗します。とんかつが出来るからと言って,レンコンのはさみ揚げはできないのです。

 では手動でやればいいということになりますが,これは各種機能を自分で組み合わせて使う必要があるので,付きっきりで操作しなくてはいけないでしょうし,試行錯誤が必要になるでしょう。

 そんな中で,オーブンレンジの定番メニューであるハンバーグは,実においしく上手に出来ました。でも,他のメニューについては,とにかく火が通らず,まずい以前の問題として,食べ物にならないのです。

 一方,我々が買った機種は,トーストを焼くのに,オーブンレンジ最速の4分しかかかりません。これは偽り無しで,とりあえずちゃんと焼けます。途中で裏返す必要があって,裏返せないピザトーストなどでは裏面が「暖かい食パン」になってしまいますが,一応なんとかトーストというレベルですので,許しましょう。

 ただ,普通にトースターを買った方が,おいしく早く経済的であることは間違いありません。


・テレビ

 42型のプラズマは,未だに大きさに慣れず,強烈な存在感を放っています。うちに遊びに来られた方々も一様に「でかい」といいますので,やっぱり大きいです。

 画質は満足で,もう液晶には戻れません。我々はそんなに部屋の中を明るくしないこともあり,そもそもプラズマが適していたのだと思います。

 HDD付きで録画機能がインテグレートされていることも大変便利です。必ずしも使いやすいかと言われれば違うのですが,タイムシフトという用途に限って言えば放送と録画がシームレスに繋がるので,その自然さになぜ今までこうなってこなかったのかと考えてしまうほどです。

 ただ,そのタイムシフトには物足りないものがあり,例えば放送時間の延長には対応しても,番組変更には対応しなかったり,開始時刻のズレを追いかけられなかったりしますし,繰り返し録画の条件が番組タイトルではなく,基本的にタイマー予約された時刻であったりするので,イレギュラーな放送があると結構お手上げです。このあたり,epgDataCap_BonとepgTimer_bonの組み合わせは素晴らしいです。

 あと,BluetoothやUSBが付いていると本当に便利なんですけどね,キーボードやマウスが使えると,ネットワークへの接続機能をもっと使うと思うのですが,現状ではネットに繋げていても,ただ繋がっているだけという状態で全然利用しません。

 消費電力は思ったほどではありません。エコモードで動かしていることもありますが,予想以上に電気代が安くなっているので,プラズマは大飯ぐらいと言うのは,使い方でどうにでもなることがわかりました。

 難点と言えば,HDDの起動が遅く,電源投入後すぐに録画を見ることが出来ないことと,電源回路のコイルが時々「ジー」となきます。これ,かなりうるさいのですが,日立の人は本当にこれでいいと思ってるのでしょうかね。

 音質の悪さも,そこそこ慣れてはきましたが,やっぱり不満です。外付けのアンプとスピーカを使おうと本気で考えましたが,電源の連動ができないこと,リモコンで音量の調整が出来なくなることなど,連携の悪さが想像以上に面倒臭くなって,あきらめました。どうにかならんもんですかね。


・ガスレンジ

 私が調理にガスを使ってこなかったのは,ガスレンジが熱でボロボロになる消耗品であることを嫌っていたからですが,さすがに高いカロリーは他の追随を許さず,調理の負担が減ることを実感しました。

 ポイントはガラストップ,タイマー,そして両面グリルです。

 まずガラストップですが,これは本当にいいですよ。吹きこぼれてもさっと拭き掃除して終わり,新品のような清潔さが保てます。そして,なによりその剛性感が素晴らしく,大きな鍋をおいてもびくともしない安定感はさすがです。

 iPadの表面が強化ガラスではなく,プラスチックだったらどうでしょう。いいかえればそんな感じです。

 タイマーもすごく便利です。そもそもガステーブルのメーカーは「メカ」のメーカーですので,電子技術には疎いものだと考えていましたが,それもそのはず,ガスという扱いにくいものを安全に扱うために,エレクトロニクスとメカを繋ぐ境界面がなかなか進歩してこなかったせいでしょう。

 ようやく最近はタイマーが付いてくるようになりました。これは本当に便利です。予定の30秒前に知らせてくれる上,時間が来たらガスを止めて火を消してくれます。無駄な加熱もしなくて済みますし,安心して他の作業をすることも出来ます。とりわけ圧力鍋との組み合わせは最強でしょう。

 両面グリルもなかなか素晴らしいです。両面が一度に焼けるというのはプロの厨房でしかなかったものだと聞いていますが,オープンな七輪なら話は別でも,家庭用のガスコンロは両面焼けた方が便利だしおいしいはずです。

 実際,魚やなすを焼いてみたのですが,失敗もなく,とてもおいしく仕上がりました。これは他に代わるものはないでしょう。


 というわけで,ざっと「その後」をまとめてみたのですが,確かに便利になっていますが,それ以上に使う事が苦痛ではない,つまり作業が楽しいということが実に興味深い点でした。

 使いやすい家電はいつも求められていますが,一方で使いこなしが楽しいことも重要な点だと感じます。つまり,自動でも良い結果は得られるが,自分で工夫をしていけばさらに良い結果が得られるという自由度との両立こそが,家事を楽しくするのだということです。

 確かに,家電品が少なかった時代には,一家の主婦が工夫を重ねて家事をしていました。重労働だったことは確かだと思いますが,機械がなく全部自分でやらねばならないことが,工夫を産み出し,知恵として引き継がれることに繋がったはずです。

 すべての方がそうだとは言いませんが,そうした工夫が,つらい家事における楽しみの1つであったという意見を聞いたこともあります。さもありなん,です。

 自動車の運転でもそうですが,目的地に行くという目的さえ達成されればそれでよいはずなのに,運転することそのものが楽しい車が評価されることと同じ事かも知れません。過程を積極的に楽しむこと,それが結果も良い方向に導いてくれるのではないかと思いました。

ARMが覇権を握る

 富士通(厳密には富士通から分離した子会社の富士通セミコンダクターですが面倒なので富士通)がこの4月に,ARMのプロセッサコアCortex-M3のライセンシーとなり,その第一弾のチップFM3シリーズを発表しました。

 最近多くある,国内大手半導体メーカーのARMへの宗門替えというとらえ方をするとそれまでなわけですが,実際のところ,東芝,旧NEC,旧ルネサス(日立と三菱),沖電気,シャープといった,マイクロコントローラを大量に作って売りまくっていた日本のメーカーのほとんどが,すっかりARMコアのお得意さんなっていることにはっとさせられます。

 こうしてみると,独自プロセッサコアにこだわっているのは,大手ではパナソニックくらいではないかと思いますが,少しこのあたりの状況を考察してみようと思います。

 1980年代,日本の産業は実に多くの分野で世界トップに君臨し,我が世の春を謳歌していました。この時に次の時代への仕込みを怠ったことが現在の凋落に繋がっているという指摘もなるほど道理ではあるわけですが,そんな最強無敵な時代においても,68000や8086といったパソコン向けのプロセッサでは結局覇権を取ることが出来ませんでした。

 日立や三菱はTRONチップと呼ばれたG-microシリーズを作り,NECは独自設計のV60やV70,その後継であるV80を作って,その技術力を見せつけはしましたが,いずれもメジャーになることは出来ずにおわりました。V60やV70に至っては,あまりに知られていないが故に,不正コピー対策として業務用のゲーム基板に採用されたという,なんとももの悲しい話さえあるくらいです。

 当時の論調では,半ば悔し紛れに「汎用のプロセッサでは後塵を拝すも,組み込み用途の4ビット,8ビットの独自設計のプロセッサでは数も売り上げも最強だ」と,その力を誇示していました。子供心にそんなものか,となにやらもやもやとしたものを感じて20年あまりが経ち,いよいよ大手メーカーから独自設計の火が消えたことが,私にはとても感慨深く思えるのです。

 つまり,特定分野限定の「独自アーキテクチャ世界制覇」でさえ,日本の半導体は手放してしまったのだなあということです。

 当時,半導体の入門書に,日本はメモリのような同じ回路をたくさん詰め込み,これを高品質で作る技術に長けている,一方アメリカはプロセッサのようなアルゴリズムが重要な独創的な製品に強みがある,と書かれていました。当時の日本もこういう自分達の弱点,欧米の強みを理解していたはずですが,とうとうその流れは止まることなく,最後の砦も陥落した,という言い方は,多少大げさでしょうか。

 日本はかつて,家電製品の設計拠点であり,生産拠点でもありました。製品の設計現場から上がってくる多種多彩な要求に愚直に応え,その結果コストも性能も最適化された無数の組み込みマイコンが生まれて,家電品の性能アップ,低価格化に貢献していました。

 よって生産数も膨大で,価格も下がりました。こうして単価が安く数を売らないと商売として成り立たない組み込みマイコンは,半導体専業メーカーが主力とするにはリスクが大きく,垂直統合型を強みとしていた当時の日本の家電メーカーが,系列の半導体を使う流れも加味されて,それぞれの独自マイコンが一定の地位を確立したわけです。

 独自アーキテクチャですから,一度入り込んでしまうと他のメーカーのマイクロコントローラに切り替えることはソフトウェア資産の継承や回路の流用の観点からとても大変なことで,自ずと次も,またその次も,同じメーカーのマイクロコントローラを使い続けることになります。

 面白いのは,こうして進んできた日本の組み込みマイコンの世界に起きている,ここ数年の異変です。それが,英ARMのプロセッサを採用するという流れです。

 ARMという会社は,もともと1980年代初頭に,イギリスのAcornというパソコンメーカーが,自分のパソコンのCPUにぴったりのものがないので作ってしまおうという無茶を起源としています。1990年代にノキアの携帯電話に採用されたことで爆発的に普及し,世界制覇の流れが加速しました。その最大の武器は,圧倒的な低消費電力と,設計情報を売って自分達では半導体を生産しないという,ビジネスモデルでした。

 やがて世界中のプロセッサメーカーが生産を始め,多くの製品に組み込まれていきました。日本の独自アーキテクチャによるマイクロコントローラは,相変わらず日本の製品には多く使われていましたが,すでに日本以外の国が多くの家電品を作る時代にあって,すでに少数派となっていました。

 NECも東芝も富士通も日立も,大型の汎用機を手がけたコンピュータ界の巨人であり,しかも黎明期から半導体に挑戦し続けたメーカーですから,プロセッサには相当のこだわりがあったはずです。事実,それぞれに独自の個性を持つ,優秀な組み込みマイコンがこれまでにたくさん作られてきました。

 それが,ここへきて,すべてARMからライセンスを受ける立場に変わったのです。

 と,ここまでがやや感情的なお話です。

 実際の所,Cortex-M3やCortex-M0は独自アーキテクチャであることがバカバカしくなるほど,よく考えられて作られている非常に優秀なプロセッサです。M3は割り込み応答も高速ですし,消費電力も低く,回路規模も小さいです。処理速度もコード効率も優秀であり,これまでの国産マイクロコントローラの売り文句がかすんで見えてしまうほどです。

 ですので,半導体メーカーとしても,無理に独自アーキテクチャにこだわる理由が純技術的な理由においても,見当たらなくなりつつあるという現実があります。

 ただ,見落としてはいけないことがあります。

 それは,開発環境です。これまでの独自アーキテクチャのプロセッサの場合,統合開発環境をはじめ,コンパイラやデバッガ,ICEはもちろん,ライブラリやサンプルコードのすべてを自前で用意しなければなりませんでした。

 これには膨大な時間とお金がかかりますし,出来上がったものは必ずしも優れたものになるとは限りません。ユーザーとしても,使いにくい統合開発環境やパフォーマンスの上がらないコンパイラに嫌気がさしても,他に選択肢はなかったのです。

 開発環境の専業メーカーが自分のプロセッサ用の製品を作ってくれればまだよいのですが,星の数ほどあるプロセッサすべてに対応するはずもなく,自ずと人気のあるプロセッサしか用意されません。

 その代わり,といってはずるいのですが,多くのメーカーは,自前で作ったツール類を,プロセッサを採用した大口ユーザーに対して,無償かそれに近い形で提供することが多く,ユーザーもそれを当たり前の事と考えていたところがあります。

 半導体メーカーにしてみると,プロセッサだけを作ってもどうにもならないので,開発ツール類はどうせ作らなければなりませんし,良し悪しは別にして開発ツール類が主力製品というわけではありませんから,これで儲ける必要もありません。それに,社内で作っているわけですから実費がかかっているわけではないので,それをツール類の売り上げで回収する必要もありません。その分,プロセッサがしっかり売れてくれれば,全部カバーできるという算段です。

 ところが,ARMを採用することで,ユーザーは,開発ツール類に専業メーカーが作るものを使う事になります。もはや半導体メーカーは自前で開発環境を整える必要から解放されるのです。よって,プロセッサ開発の費用と時間がぐっと抑えられることになるわけです。

 ユーザーも,複数の製品から選ぶことが可能ですし,専業メーカーですから専門的なサポートも期待できます。しかし一方で,それが製品として彼らの唯一の売り物である以上,絶対に無料にはなりません。

 ということは,ユーザーにとっては,それまで無料だった開発環境が有料になるのです。しかも,一般にARMの開発環境はARMにに対するライセンス料があるためか,他のプロセッサのものに比べて高価です。

 こんな風に見ていくと,国内の半導体メーカーが独自アーキテクチャをやめてARMに乗り換えて行く流れというのは,一種のリストラと見ることも可能です。つまり,これまで内部で開発環境を作っていた部署を,縮小もしくは廃止することが出来るというわけです。膨大な費用が節約できそうです。しかも大きな顔をして,他の会社から別途買って下さい,と言えるようになるのですから,悪い話ではありません。

 それに,餅は餅屋,という言葉の通り,専業メーカーの優秀なツールが使えるようになることは,非常に大きな武器になります。

 ただ,ユーザーは,これまでなかった負担を考慮しなくてはならなくなるという点だけ,忘れないようにしないといけないです。

 例えば,その半導体の単価が3000円もするものを使えるような,高価な製品の開発なら,トータルで100万円かかる開発環境に投資することは可能でしょう。あるいは,単価が100円でも,100万台の出荷が見込まれる製品の開発であれば,100万円の開発環境を用意することは可能でしょう。

 問題は,1万台以下の出荷台数で,単価が50円程度の安いマイコンを使う場合です。100万円の開発環境が必要となった場合,仮に10000台の出荷台数では1台あたり100円かかることになり,なんとプロセッサ自身の単価の2倍にもなってしまうのです。

 これなら,多少使いにくいものであっても開発環境が無償かそれに近い価格で利用出来る独自アーキテクチャのものを選んだ方が,それが数十円高い単価であっても,トータルで安く出来るということになります。

 忘れてはならないのは,こうした開発にかかる費用というのは,最終的には消費者が負担するのだということです。企業はかかったお金にいくらか上乗せして作った商品を売るのですから,間接的にとはいえ,原則的には全額消費者が負担しています。だから,エンドユーザーである我々にとっても,無関係な話ではありません。

 この,開発環境にかかるお金というのは100万円単位のなかなか大きな金額なのですが,初期費用として見えにくくなる上,測定器などと同じような固定資産として扱われることが多いため,案外見過ごされがちです。ですがこのあたりの事情に気付いている半導体メーカーもぼつぼつ出てきていて,ARMのコアを使っていても,自前でちょっとした開発環境を無償で提供するメーカーが現れたり,専業メーカーのツールを自社のプロセッサ専用の機能限定版として無償提供したりするところも出てきました。

 ARMというプロセッサは個人的にも好きなのですが,実際にこれを使ってなにかを作ると考えた時に,その開発環境をどう考えるべきか,という頭の痛い問題を解決できずにいました。自ずと,仕事であれば国産メーカーのものを,プライベートであればPICやAVRを使うということになってきたわけですが,制約があっても無償であったり,高機能だがとっても高価,という具合に,ARMにおいても様々な開発ツールを選べるようになって来つつあることは,本当の意味でARMがデファクトスタンダードになってきたのだなと感じます。

 ARMは,Cortex-M0という32ビットのRISCプロセッサが,すでに8ビットや16ビットの過去のプロセッサよりもダイサイズが小さくなる場合すらある,といっています。

 ちょっと大げさな話かも知れませんが,それでもわずか12kゲートという回路規模ののCortex-M0が,これまで使われてきた16ビットクラスのマイコンに比べて,処理能力についても価格競争力についても,十分な競争力を持ち合わせていることは事実です。

 これに匹敵するプロセッサをどうして日本のメーカーが開発できなかったのかと,残念な気持ちは確かにありますが,もはや国だの会社だのは小さい事なのかも知れません。最終的に,安くて良い製品が市場に投入され,価値あるものとして社会が良い方向に向かえば,それが一番大切なことです。

 余談ですが先の富士通のFM3,1981年に半導体部門が作り上げた富士通初のパソコンであるFM-8にひっかけているという話を,富士通の方が自らされていました。最近何かと目にする「オッサンホイホイ」である可能性もありますので,該当する方はお気をつけ下さい。

家電を買って思うこと

 最近,高額な家電を買うことがあって,消費者としてお店の現実を見ることがありました。

 私は若い頃,日本橋のパソコン店で働いていましたので,近隣の電気屋さんも含めて,1990年代の大阪における買い物についてはそれなりに分かっているつもりでしたが,それ以後についてはあまりよく分かっていません。

 しかし,その「それ以後」という部分こそ,家電の買い方が大きく変わった時ですので,今回久々に当事者になるにあたり,この点も意識していました。

 特に大阪という所は,挨拶代わりに「それでなんぼになるの?」と言うのが決まりでしたので,それ前提の価格が値札に付いていました。言い値で買うのはバカがすること(大阪でバカとは軽蔑の言葉です)と言われていて,1円でも安く買うことが重要なスキルでした。

 私がお店にいたころも,彼女にいい所を見せようと,頑張って値引きに励む男の姿がちらほらあったのですが,ああいうのはだめですね,私も人間ですので,意地悪して値引きに応じませんでしたが,一方で女の人の価格交渉には一発底値で応じた記憶があります。

 その後,通販の台頭があり,店舗を持たず,店員を雇わず,展示をしないという低コスト戦略で価格を下げる店が価格をぐぐっと引き下げました。

 同じくらいに,巨大な量販店の寡占が進み,とりわけ北関東戦争と言われる家電量販店の熾烈な闘いに勝利したヤマダ電機が,その強烈な販売力で価格の決定権を握ります。

 それまで,その地方ごとに展開していた各量販店は,ヨドバシカメラやヤマダ電機の進出により次々と倒れていき,特に大阪は梅田に出来たヨドバシカメラによって,完全にその勢力図が書き換わり,日本橋に至っては街そのものが変貌してしまいました。

 インターネットによる情報の共有もこの間進み,kakaku.comに見られる価格の比較サイトが一般の人の認知を受けて,どの店だといくらになった,というような,個人レベルの価格交渉結果さえ広まるようになりました。

 我々は,あるお客さんに出た金額は,自分が買うときにも適用されると思いがちですが,実はそんなことはありません。3000円値引いたことで20万円の売り上げが立つならそうするかも知れませんが,それでも他のお客さんが2000円の値引きで買ってくれるなら,そっちに売った方が得です。無理に3000円引くことはありません。

 そもそも,その日のノルマが達成されていて,特に売り上げが欲しい状況に置かれてなければ,値引きなんか全く出てきません。決算前,月末など,少しでも売り上げが欲しいときに,しかもその売り上げに責任を持っている「ちょっと偉い人」に話をすると,一発目からいい金額が出てきたりするのは,そのせいです。

 我々はどの店員さんと話をしても,お店と話をしている気分でいますが,最近は店員さんごとの個人成績が厳しく問われる時代なので,どちらかというと店員さんそのものと話をしているという気分でいた方が正しい場合があります。他の店にお客が流れてもそんなことは自分は関係ない,自分のノルマは達成されているのでむしろ同僚の成績が下がる分だけ好都合だ,と言う意識があることは,否定できないと思います。

 インターネットの出現前後で大きく変わったのが,実は売値は共通ではなく,みんなバラバラだったという事実を消費者が知った事と,どうやったら安く買えるのかというノウハウの共有化です。

 店員さんも人間ですから,綺麗な女の人に値切られたらあっさり応じますし,怖い職業の叔父さんにすごまれたら断り切れなくなるものです。その時々のお店の状況などから,値段は高くもなり安くもなるわけですが,昔はそれが公開されているわけではありませんから,内緒になるという不文律のもとで,価格交渉が行われていました。

 しかし,内緒にしておいてね,と言われた価格でも,kakaku.comにはでています。これだと店員さんは,外に値段が出ることを前提にして価格を出さざるを得ません。確かにそれがどれほど影響するかは分かりませんが,もし私が店員だったら,お客さんによって値段に差を付けるということが出来ない分だけ,マニュアル通りというか,もう自分の都合だけで商談してしまうんじゃないかと思います。

 そんな傾向もあってでしょうが,大阪で買い物をしても,店員さんと価格の交渉をするというプロセスを楽しむことが出来なくなってきたように思います。買い物の楽しみの1つが薄れてきたことを感じると,やはり残念かな,という気がします。

 ヤマダ電機もヨドバシカメラもそうなのですが,ポイント還元によってすべての商品を安くする工夫で「安いお店」というイメージを作り出しています。実際,安い商品が出ていることもあるのですが,多くは通販に比べて随分高く,ポイントまで考えても近い価格にさえなりません。

 つまり,家電量販店という所は,彼らが売りたい商品は安けども,それ以外は全然安くないということです。

 メーカーはせっかく,いろいろな消費者に向けて多くの種類の製品を用意してくれるのですが,価格の差があまりに大きく,実質的に種類を選ぶことが出来ないという事が起きてしまいます。実際,私が購入したパナソニックの洗濯機は,最上位機種が中位機種の売価を下回っていて,中位機種を買う理由がなくなっていましたが,メーカーの意図としては,上位機種から機能を削減して予算の厳しい人にも買ってもらおうということだったはずで,それがないがしろにされてしまっているのです。

 ここで面白い事に気が付きます。どの商品が売れるのか,と言う結果には,消費者が選んだもの,メーカーが改良を重ねて作ったものに加えて,販売店が売りたいと思うもの,の支配力が大きくなっているという事実です。

 欲しいものを買いにいっても値段が高く,特価の出ている他社同等品を買うことになったケースというのは珍しいことではありませんが,つまりどの商品がヒットするかは,お店がどの商品を売ろうと考えたかによるところが,大きくなっているというわけです。

 では,そのお店の売りたい商品とは,どうやって選ばれるのでしょうか。

 いろいろ要因はありますが,売りたい商品とはつまり,値段を下げられる商品です。しかし自分達の利益を下げてまで値段を下げることはありません。ということは,お店が安く仕入れることの出来る商品ということになります。

 これが,メーカーから,価格決定権を奪った最大の理由です。

 日本の製品は,同じ価格帯の製品ならどれも優秀であり,その差は少ないです。ですから,少しでも安いと言うことは大きな購入動機につながります。仕入れ価格を下げる,あるいは価格の補填をすると,その商品を安く大量に売ってくれることが期待できます。

 過剰な在庫を持ってしまった,利益よりもシェアが欲しい,という時などに,こういう心理が働きます。お店はそういうメーカーの気持ちを知っていて,安い仕入れを要求し,その代わりに力を入れて数を販売することを約束します。

 他社の製品,あるいは別の機種を買いに来た消費者は,価格の安さと店員のトークに誘導され,まんまと「お店の売りたい商品」を買うことになるというわけです。結果として,膨大な数を販売してみせます。

 ヤマダ電機は安い,ではなく,彼らが売りたいものに限って安いだけです。売りたくない商品はむしろ価格を高めにし,そちらを買わせないようにすることもあります。こうなると,もう我々消費者は,自分にぴったりの商品を選ぶという行為を否定されてしまったも同然です。

 ここまでくると,メーカーは,独自性を強め,高い値段でも売れるようにしようと頑張るようになります。量販店が出てくる前,つまり街の電気屋さんが主な販売ルートだった時代,各メーカーは個性と言うよりむしろ,他メーカーの系列店との比較で見劣りがしないように,価格や性能を横並びにしようとしていましたが,系列に関係のないお店が力を持つと,安売りされないように頑張るほかないのです。

 しかし,性能で差が付くことは少ないですし,個性的な機能は一方で避けられる要因にもなります。そうするとそのメーカーのブランドが力を持つようになるわけです。三菱電機の方には申し訳ないのですが,東芝と三菱のテレビがあって,同じスペックで同じ価格なら,どちらを買おうと考えますか?

 大きな販売力のある巨大量販店の価格支配力の増大,価格情報の共有化,この2つから起こった売り方と買い方をよく考えておかないと,随分損をすることになりそうだというのが,今回の私の感想でした。

 通販はすべての商品が安いです。しかし,量販店が売りたい商品につける価格にはかないません。通販はいきなり底値であり,とても公平です。しかし量販店では,どの店員さんにあたったのか,自分の話し方や態度はどうだったのか,そもそもその商品を売りたいと思っているのか,によって,随分価格が違ってきます。

 これを不公平というかどうかは,難しいです。

 買い物が難しくなってきたなあとつくづく思いましたし,買い物を楽しいと思わなくなるだけでなく,とても面倒なものだと思うようになりました。私のような人が,通販に流れているということも,実際あると思います。

 寂しいなと思います。

ページ移動

ユーティリティ

2020年05月

- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

新着エントリー

過去ログ

Feed