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2006年10月05日の記事は以下のとおりです。

そういえばTRONっていう映画がありましたよね

 TRONプロジェクトの坂村先生の,日本学士院賞を受賞された記念講演を聞く機会を得ました。昨日行われたのですが,なかなか興味深いものでした。

 私にとって,TRONと坂村先生とは,2つのフェイズがあります。前半はパソコン会の平和と自由を奪う学者,後半は技術に公平な技術者です。正反対ですね。

 前半は,15年ほど前までの話ですね。TRONが「どこでもコンピュータ」をスローガンに掲げて登場してから,インテルとマイクロソフトに(あえていうなら日本政府にも)粉砕されるあたりまでです。

 どんなものにも,どんな場所にもコンピュータが存在する社会を前提とした発送がスタートであったことは素晴らしいと思ったのですが,私の記憶では「国産コンピュータ」であることと,「独自規格であること」が方法論として重要視されており,これが草の根で広まった当時の自由闊達なパーソナルコンピュータの世界に規律と統制をもたらす危機であると,そう考えたのです。

 この懸念は,実はそれがインテルとマイクロソフトによって現実のものとなってしまうわけですが,それでも私は大学の学者が考えた理想論を押しつけられるよりも,ベンチャーから生また製品を消費者が自然に選んで結果的に寡占状態になった現実の方が,ずっと好ましいことのように思います。

 なぜOSをわざわざデスクワーク用,工業用,通信用の3つに区別しなければならなかったのか,なぜわざわざ専用のマイクロプロセッサを作る必要があったのか,なぜわざわざ特殊なヒューマンインターフェースデバイスを作る必要があったのか,私の当時の反発はこの3つに集約できます。

 OSについては,結局工業用のiTronしか生き残っていませんし,専用のマイクロプロセッサは現在そういうものがあったことすら知られていません。技術的にも先進性はなく,失敗であったことは明白です。

 ヒューマンインターフェースデバイスについても,おかしな配列のキーボードをわざわざ用意したり,ライトペンを使っていたりと,現在全くその痕跡を残していません。

 結論から言うと,私が気に入らなかったTRONは,すべて現在否定されて,またなかったことにされているのです。生き残ったわずかな部分だけが今になって評価されているのが現状で,坂村先生自身が過去の失敗と成功を冷静に評価せず,失敗に終わったものはなかったことにされているところが,とても残念でした。

 坂村先生は,おそらくホビー用のパソコンなどに興味はなかったのでしょう。「どこでもコンピュータ」というコンセプトにも関わらず,ゲームマシンに現在に至っても言及されないのはその証拠です。当時のファミコンはTRONの外側にいた,最も数の多いコンピュータの1つだったのです。

 ですから,個人の技術的興味から始まった「パーソナルコンピュータ」に文化も伝統もないと感じたのは無理からぬ事で,QWERTY配列のキーボードやASCIIコードに対する象徴的な憧れや誇りを,彼が学者の理想で無神経に踏みにじったことが,許せなかったのです。

 同じように感じていたホビーストは結構多かったようで,彼を揶揄した文章や4コマ漫画などをたくさん見ました。

 既成の文化や習慣を壊す時には,いつでも大きな反発があるものです。であるから,その必然性を説く義務があるはずなのですが,坂村さんのやったことは,それを「外国製」という理由だけでなんとも思わずに破壊しようとしたことで,慎ましく暮らしていた「未来のエンジニア」の心を,あまりに軽く見ていたのです。

 そう,彼は机上ですべてを知った気になる侵略者であり,自由と平和を奪う独裁者であったのです。そして我々ホビーストは,彼からこの世界を守る,レジスタンスだったのです。

 結果として,彼の野望はついえました。コンピュータだけではなく建築にも口を出した彼をおもしろがった大学も,国産技術でコンピュータを制覇しようとスケベ心を出した政府も問題だし,DRAMで世界を制覇した半導体メーカーが「次はCPUだな」と彼のマイクロプロセッサにホイホイ乗ったことも問題でした。

 アメリカが「自由貿易を阻害する」とTRONをやり玉に挙げ,政府もこれを支援できなくなると,TRONは急速に失速します。

 この点についても私は思うのですが,TRONは「仮身と実身」など優れた概念や,仕様だけを取り決めた弱い標準化など評価できる点もある一方で,技術的にも従来技術を否定するだけの理由を説明できないまま,ただ国産のものに置き換えるなど理不尽な点が多く,エンジニアとして公平に見ても失敗するべくして失敗したと思います。

 それに,他のことは別にして,コンピュータとエレクトロニクスは大企業が支配する世界と同時に,ホビーストが技術的興味で推し進めた事の貢献が大きく,ホビーストにとっては「国産であるかどうか」など,それほど重要なことではなかったのです。良いものはどの国のものでもよい,同じホビーストならどの国の人でも仲間,そういった国境を越えた考えが,当時から浸透していたのです。

 ですから,坂村先生が「TRONはアメリカに潰された」とよく言われていますが,それは間違いです。アメリカに潰されたのではなく,自由に潰されたのです。残念ながら,彼にその反省は,今もありません。

 さて,後半はそこから現在に至るまでです。

 エンジニアとして仕事を進める中,高度化する組み込みコンピュータの開発をなんとか楽に出来ないかと模索する過程で,私はμiTronに出会います。

 μiTronを使えば,キーの操作や外部から通信など,突発的に発生する事象について,ソフトウェアを設計する人間は特にそれらを意識しなくて済むようになります。面倒なこれらの処理をすべてOSに任せ,自分は本来マイクロコンピュータにさせたいことに集中できるのです。

 以前はそうはいかなかったのです。キーの読み取りも通信も,全部自分で書いていました。もし定期的に行わないといけない処理があっても,それはソフトウェアを作る人間が保証しないといけませんでした。

 しかし,リアルタイムOSを使えば,定時性は保証されますし,キーの読み取りも特に意識せず設計が出来るようになります。

 問題は,そのリアルタイムOSを動かすために,CPUパワーもメモリも必要になってしまうことです。これは当時のマイクロコンピュータでは致命的でした。

 ただ,μiTronだけは,必要なリソースが極めて小さく,当時は唯一の現実解だったのです。それが国産の,しかもあのTRONの生き残りであると知って,私は驚愕しました。

 とはいうものの,技術的にはそんなに新しいものでも,画期的なものでもありません。また,仕様だけを取り決めて実装はお任せという「弱い標準化」のせいで,結局高価なOSになっていました。(各CPUごとにそのCPUメーカー自身が実装をしていた)

 さらに,評価されている「軽い」という点も,機能としてタスクスケジュールしか持たず,しかも実装上の工夫がそれなりにあったと考えると,なにもiTronが特別優れているからということにはならないと思います。

 ただ,彼の考え方には,ちょっとびっくりしました。

 敗れてなお,同じポリシーを貫いていたからです。

 μiTronの仕様は基本的にはオープンで,無償で誰でも自由に使うことが出来ます。これはTRONの時代から変わらぬ一貫したポリシーで,それをずっと貫いていることは確かに素晴らしいです。(うがった見方をすれば,こうすることでメーカーがお金を取れる仕組みを構築できた,とも言えますね。ある意味では妥協の産物かも知れません。)

 結果として,これが組み込みエンジニアをどれほど救ってきたことか。また,日本が得意とする製品には,必ずと言っていいほどμiTronが使われた来たのですが,それが製品の品質と性能を向上させるのに,どれほど役に立ってきたか,それはもう言うまでもありません。


 講演では,TRONの過去と未来を語るものだったのですが,前述のように過去についてはあまり触れず,さりとて未来に触れることもなく,今やっていることを中心に述べたという感じでした。

 いいなと思ったことが1つあります。

 uCodeという128ビットのユニークなコードを,世の中にあるすべてのものに割り振る,というものです。

 割り振れば,それらはすべて区別されます。肝心なことは,「それ専用」のコード体系や仕組みを持たず,あくまで「どんなものにも使える汎用性」を持っていることなのだそうです。

 彼の説明では,その方が合理的だから,ということだったのですが,そんなことはどうでもよくて,例えば木を見て,それが何の木か調べるときに,「ゴムの木に似ているからゴムの木と打ち込んでみよう」と,調べることができるのに対し,全くその木のことが分からなければ,調べるすべがない,現在の検索の仕組みではここが限界だというのです。

 だから,その木にコードを割り当てておき,調べたいことがあったらそのコードを入力する。すると,その木に関する内容が調べられるというのです。つまり,入力情報が木ではなく,コードになるというわけですね。

 ただ,これはそのコードの実態を正しく管理されておらねばならず,そうでなければ意味のない仕組みとなってしまいます。ですから一元管理する仕組み,偽造を防ぐ仕組みをきちんと考えてあるのだそうです。

 確かにこれは便利かも知れません。

 我々は言語という共通のコードを持ち,見たもの聞いたものをそのコードに置き換えて,相手に伝えたり調べたりしています。それが128ビットのコードになるということに,特別大きな驚きはありません。

 ただ,それが共通であるという事がミソであり,そのことがコンピュータと物事とをつなぐ架け橋になるんだというあたり,漠然とした理想論を超えたなにかを感じさせます。

 講演会の冒頭,半分くらいは知ってる人だと言われていました。そりゃそうですね,記念講演会ですから,私のような面識のない人間がわざわざ出向くなど,普通はあり得ません。何か落ち着かない,疎外感を感じて過ごした2時間でした。

 蛇足ですが,会場だったホテルニューオータニ。ここは現代の迷宮ですね。講演会の行われる宴会場の場所がさっぱり分からず,聞いてみたところ,1階であるここからエレベータで5階まで上がり,200mほど歩いてからそこにあるエレベータで2フロア下りてください,といわれました。

 すったもんだがあったのですが,後援会が終わって帰路につくとき,すっかり来た道が分からず,おそらく帰るのだろうと思った別の人の背中について行くことにしました。

 エスカレータで1フロア上がって,もう1つ上がるのかなと思っていたら,なんとそこには出口が。タクシーが並んでいます・・・

 1階から5階まで上がり,2つ下がって1つ上がると,なぜ1階に出てくるのか・・・

 まさに四次元空間です。

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