エントリー

2007年01月23日の記事は以下のとおりです。

丸ポチ

 ある知人の方からミノルタXEの故障品を譲っていただき,これを修理したことは昨年ここにも書きました。その後,レンズも何本か譲っていただき,一通りの撮影にも対応できるほど充実したのですが,実際に使ってみると,その無骨さからは想像もできないほど,XEとロッコールレンズの良さに唸らされることが多いです。

 例えば,同じフィルム,同じ条件,同じ画角で同じ被写体を撮影しても,全然結果が違うんですね。当たり前のことに今更驚いている私も大した問題なのですが,その傾向というのが,やはりよく言われているとおりだから,先人達の追体験をしているという感慨深さに,思わずため息が漏れるわけです。

 ロッコールレンズの良さは,やはり色のノリ。不自然な着色ではなく,青は青,赤は赤と,実にはっとする色を見せてくれるのです。XEはXEで,実に操作系がなめらかですし,大ぶりなボディがかえってしっかりとしたホールド感を生み,スローシャッターでも全然ぶれません。MEスーパーには悪いですが,MEスーパーは持ちにくい上に手ぶれしやすく,まるで強いバネを無理矢理圧縮し,急激に弾かせたような強引さがあり,手に残る感触の後味の悪さに,どうも気分が削がれるんですね。こんなに感触が悪いとは思ってませんでした。

 XEはその辺実に素晴らしく,全体的にゆとりがあります。露出もCLCの良さを再発見したりして,当時の評判の良さを,やはり追体験しているといった塩梅です。

 まあそれで,せっかく頂いたロッコールレンズを,よりよい状態にレストアしようということで,丸ポチを復活させるプロジェクトです。

 丸ポチなどとふざけた言い方してますが,要するにレンズを取り付ける際の,マーキングです。私はどんなカメラでもこのマーキングを律儀に見て取り付けていますので,これがないレンズは結構困ります。

 手にしたレンズのうち,MC-Rokkor28mm/F3.5と,MC-Rokkor50mm/F1.7の丸ポチが外れてなくなっており,MD-Rokkor50mm/F1.4についてはきちんとついていました。

 大きさを測ってみると,直径3mmですね。まち針の頭を半分に切って使おうかとも考えましたが,残念なことに手元にはありません。

 ないものは作る。

 まず,なにかと出番の多い「型想い」を茹でます。柔らかくなったところで,直径3mmのLEDを2つ突き刺します。

ファイル 91-1.jpg

 冷えるのを待ち,LEDを抜き取ります。そして,これもなにかと出番の多いプラリペアを流し込みます。

ファイル 91-2.jpg

 気温が低いせいもあり,硬化までに結構な時間がかかりましたが,無事にかたまった後,型から取り出します。

ファイル 91-3.jpg

 いやー,型想いとプラリペアでこういう小物を複製すると,あまりのリアリティについつい笑ってしまいます。半透明のLEDそのものです。

 それで,これをカッターで切断,適当に削って大きさを合わせ,近い色で塗装してからゴム系の接着剤でレンズに貼り付けます。

ファイル 91-4.jpg

 どうですか,遠目に見たら,ばれないでしょ。

 色は近似色を探したところ,グリーンマックスの鉄道カラー「京急バーミリオン」が最適と判明。半光沢であるところもポイントです。余談ですが鉄道カラーには,カメラの補修に使えるいろが結構揃っています。湘南色のオレンジなど,レンズやボディのオレンジにはもってこいです。

 ということで,この丸ポチの効果は絶大です。今までおろおろしていたSRマウントのレンズ交換が,びしっと決まるようになりました。見た目のアクセントとしても非常に重要な部品だっただけに,復元して良かったなあと。

 え,なぜMD-Rokkorから丸ポチを外し,これを原型に型を取らなかったのか?ですか。それは簡単です。MD-Rokkorから丸ポチを外す事が出来なかったから,です。

 しかし,それにしても,絞りリングとピントリングの向きが逆というのは,どうしても体が受け付けません。これだけが本当に惜しいです。

年賀状と木版画

 今年の年賀状は既報の通り3年連続の減少となり,その重要度を下げ続けています。とある機関による調査では,年賀状を出さない人は全体の11%ほど,このうち20代では4人に一人,30代では8人に一人が出さない,と答えているそうです。

 私は30代ですが,年賀状は「きちんと」出す人です。12月中旬にはすでに出し終えています。今年など,ポストに年賀状用の投入口が用意される前に用意が出来てしまい,出せずに困っていたほどです。

 ただ,誰にでも出すわけではないし,個人ですから当然年賀状に「下心」など加えることもありません。本来,裏側には気の利いたコメントを一言添えるものなのでしょうが,私の場合,年賀状に個人的な差を意図的に付けることをよしとしないので,殺風景なままで失礼をさせていただいています。

 年賀状というのは,そもそも年始まわりに代わる略式のご挨拶だったわけですが,子供の頃のやりとりに始まり,自分の社会的な位置付けが変わるごとに,出す人や枚数に変化が生じて,自分と周りを見直す年末の恒例行事として機能してきました。

 私は子供の頃からパソコンや電子工作に勤しんできた人間でしたので,年賀状も省力化を目指して毎年奮闘していたわけですが,当時のことですからまともな印刷が出来るわけでもなく,まさか自宅で1枚から,写真屋さんにお願いするほど美しい年賀状が作れる時代がやってくるとは,努々思っていませんでした。

 当時はそれでも,「パソコンで年賀状」というだけで話題になったような時代ですし,事実そのためには労力と試行錯誤,それなりの費用と時間と忍耐と工夫が求められ,余程手書きをした方が効率的でかつ美しいものでした。にもかかわらず意地になってパソコンで作ろうとしたのは,パソコンを使いました,という事そのものに価値認めたから,といえるかも知れません。

 私の場合もう1つ,文字が汚い上に誤字も多く,書き損じで無駄にするはがきも毎年半端ではなかったため,その実用化を急いだという理由もあります。ですので宛名書きについてだけは,昔も今も物珍しさというより,その実用性で毎年パソコンを使っています。

 一方,裏側の図案ですが,これは毎年「木版画」を作っています。宛名書きをパソコンでやっているという後ろめたさへの贖罪というネガティブな側面もありますが,木版画を作ることが好きだという個人的な意味合いが大半です。

 ですが,趣味でやってます,とさえおよそいえない,年に一度「せっかくだから」と彫刻刀を握る程度の稚拙なもので,出来上がった版画もあくまで年賀状の域を出ないほのぼのしたものです。

 当然,木版画を学んだこともなく,完全に我流です。ですから,見る人が見れば「なんじゃこりゃw」と言われるに違いなく,毎年冷や冷やしています。

 道具もそこら辺で売ってるものを使っているだけですし,板も堅い桜など到底使いこなせません。ホオか桂がいいところです。失敗しても安いですし。(でも合板は使いません,これは逆に失敗しやすいのです。)

 私は,いわゆる絵心が全くなく,自分でも信じられないくらいイラストを描くことが出来ません。立体の特徴をつかむ能力がスポッと抜け落ちているとでもいうのでしょうか,みんなが見えるという図形が,私には見えないということがこれまでに度々ありました。

 よって原画は,私とは正反対で絵心のある弟にお願いしています。彼はシンプルなイラストが得意で,対象をデフォルメする力にも長けており,楽をしたいという理由で線の少なさを第一とする私の木版画にはまさにうってつけの原画師なのです。

 そもそも木版画を始めた理由は,版画のリユースでした。

 我が家は父が営業マンだった関係で,数百枚の年賀状が必要だったのですが,これを母は芋版やゴム版という,手軽な版画を作って毎年しのいでいました。

 ところがこの版画,作るのに結構な手間がかかるため,面倒な労働として位置づけていた母にはとても苦痛な作業だったらしく,12年は我慢して毎年作るが,13年目からは12年前のものを使い回そうと考えたのです。

 芋版はその目的にそぐわないので自ずとゴム版画になりますが,12年経って版を見てみると,加水分解によってボロボロになっており,とても使える代物ではありませんでした。

 ひどく落胆した我々は結局,毎年毎年,版画を作りなおすることにしたのでした。

 この流れに立ち向かったのが私です。木版画にすれば,ずっと使えるに違いない。中国のえらい坊さんが作った教典の木版画も今に伝わっているじゃないか,12年後の楽のために,今積み立てるときがきた,と木版画を弟とのペアで作ることにしました。

 年末何かと忙しい母の仕事を減らすという非常に大きな効果もあったのですが,やってみるとこれがなかなか面白い。手間も時間もかかるし,肩凝りもひどくなるのですが,年々作業にかかる時間も短くなり,細い線を作ることが少しずつ出来るようになってきて,これはこれで面白いかも知れないと思うようになりました。

 絵心のない私が,図画の授業で唯一褒められたのが,木版画だったこともあるのかも知れません。でも,不思議なことに,木版画を作ろうと思うのは年に一度,年賀状のためだけであり,それ以外で木版画を作ろうと思ったことは一度もありません。

 年賀状を木版画にしてもう15年にもなると思いますが,結局当初の「使い回し」というコンセプトは完全になりを潜め,毎年新しい版木を作ることが,11月下旬の連休の私の密かな行事となっています。

 さて,私は年賀状をたくさん作りません。版画のメリットがまるで生きない枚数なのですが,逆に今時珍しい木版画ですので,もらった人は多少なりとも「おっ」という意外な印象を持っていただけることでしょう。

 そもそも毎年出し続けている人ばかりですので,「毎年毎年よくやるなあ」と思ってくれればしめたものなのですが,年賀状1枚あたりの手間と時間と,そして同じものは1つとない,というオリジナリティにまで思いをはせて下さるとすれば,受け取った方にある種の優越感を味わってもらえるのではないかと,そんな風に期待していたりします。まあなんと奢った考えであることよ。

 ところで最近,年末の年賀状シーズンにおいても,版画材料の入手が難しくなってきました。昔はスーパーでも買えたものが,今では画材屋さんに行かないと買えなくなりつつあります。

 年賀状シーズンでも特設の売り場にはなく,常設の小さなスペースにこちょこちょと置かれているだけです。絵の具も数が少なく,版木も木目を選べるほどの枚数がありません。彫刻刀も小学生が使うセットものはあるにしても,ばら売りのものは随分少なくなりました。

 温故知新やら団塊世代の第二の人生やら,難しい理由を付けてはいろいろなホビーが復権を遂げる中で,木版画だけは全く光が当たっていないことにふと気が付きます。このままでは本当に,木版画は大衆文化から完全に消え去る時がやってくるかも知れません。

 柔らかい版木は,彫りやすいというメリットがあるものの,細い線を出すことが難しく,表現力に限界があります。桜を使いこなせるようになると表現の幅も広がるのですが,実際の所年賀状を出した方々からのフィードバックが悲しいことに全くないため,完全に自己満足の世界に終始していて,改善やら改良やらを行うきっかけを逸しています。

 それでも,私は可能な限り,木版画を続けるでしょう。

 年賀状は,つながりを保っていたい人に,連絡を付ける最も自然な理由です。突然のメールはspamかも知れないと警戒心を抱かせるかも知れませんが,木版画のある年賀状をダイレクトメールと訝しがる人はいないでしょう。

 一年に一度,もう何年も会っていない人へ,お互いに自発的に年賀状を出し合える面白さ。年賀状には年賀状の,とってもありがたい楽しみがあるものです。

 今年の年賀状は,暦の関係もあってか,遅配があまりにも多かったように思います。三が日を過ぎて届いた年賀状は全体の6割以上,10日を過ぎて届いた年賀状もちらほらです。

 暖冬で交通機関の乱れはなかったと思いますし,発行枚数が少なくなっている現状では,遅配の理由は郵政公社の怠慢以外に思いあたりません。

 年賀状の発行枚数の低下を憂う前に,毎年それをささやかな楽しみにしている人々にこそ視点を移し,改めて猛省を促したいと思います。

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ
  • ページ
  • 1

ユーティリティ

2007年01月

- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

新着エントリー

過去ログ

Feed