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2007年04月06日の記事は以下のとおりです。

パンドラの箱

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 昨年のクリスマスに,友人からプレゼントされた一冊の分厚い本が,「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」です。

 発売以来,大変に話題になっていた本だということですが,恥ずかしながら私はノーマークでした。

 まず最初に,この本は大変に分厚く,読む前に圧倒されるのですが,読み始めても圧倒されっぱなしであることを覚悟しておく必要があります。

 時は1960年代後半から70年代前半,場所はロンドンはEMIのアビイロードスタジオ,封建的で旧態然とした組織の一員として働く主人公ジェフ・エメリックの目の前には,自由奔放で個性的,そして世界で最も有名で最もお金を稼ぐ4人がやりたい放題。

 ビートルズには有名税とも言える,様々な噂や風説があるわけですが,人づてであったり推測であったりで,信憑性に疑問符がつくことも多いです。それもそのはずで,彼らは仲間意識も強く,容易に外部に対し自分たちの本音を見せることはしませんでした。

 冷静に考えると,彼らは自伝らしい自伝を自ら記していません。彼らの作品や発言,当時の記事から間接的に構成された彼らの偶像を,我々は実物として語るほかなかったということでしょうか。

 それゆえ,解散前後のゴタゴタでは一様に悪い印象を与えたわけですし,その後に起こるジョンの暗殺にある種の神格化が行われたことも,不可避であったわけです。

 これは,プロデューサーであるジョージ・マーティンにも言えます。もっとも,彼は自伝を書いていますし,発言も多く,また多くのビートルズのベストアルバムを作っています。ビートルズのメンバー以外で,最もビートルズを知る人として広く知られることは,これもまた当たり前のことです。

 しかし,残念ながら,彼の言葉をそのまま鵜呑みする人はそう多くなかったようで,彼がビートルズと対極にいる(もしくはいることを周りが強要する)「英国紳士」であったこと(もしくはあろうとしたこと),そして彼がロックバンドとしてのビートルズの息の根を止めてしまったかも知れないという考え方も,その理由にあるように思います。

 私自身は,ジョージ・マーティンの存在には肯定的ですが,だからといって彼がリボルバーやサージェントペパーズを作ることに直接の貢献したかと問えば,やはり素直に首を縦に振ることは出来ません。

 では,本当の仕掛け人は誰なのか・・・

 ビートルズにとって,幸か不幸か,意外なところに「スパイ」がいました。あれほど正体を明かさなかった彼らの前に,彼らの活動をほぼ完璧に見ていた人がいたのです。

 それがこの作品の著者である,ジェフ・エメリックです。

 彼は,おそらく世界で最初に,録音技術者として創作活動に貢献したことを評価された人ではないかと思います。

 ただ,彼はあくまで技術者であり,クリエイターでもなければ,当然ビートルズのメンバーでもありません。だから,あくまで4人の注文に対し,満額の回答を用意することに徹底します。このスタンスこそ,プロ根性の最たるものです。常に相手の要望に応えること,このスタンスは古今東西,あらゆる技術者に求められる第一のことではないかと思います。

 ビートルズのあふれる創造性を阻害しないことと,一方で制約だらけの自分の立場とどう対峙するのかを,若いジェフはもがきながら,でも楽しみながら,進んでいきます。ネクタイの着用が義務づけられているEMI社員のジェフは,そのネクタイでビートルズの自由さを表現してみせる,といったささやかな反発から,高価な機材を非常識な方法で使いこなすといった無茶まで,その行動は創意工夫と反骨心,そして微笑ましさで,読む我々をまるで現場にいるような臨場感に包み込むのです。

 そして読み進むうち,タイトルの通りビートルズの真実は,音楽的にも,またそれ以外の所でも,かなりの部分で明らかになります。非常に興味深いのは,アルバムの制作方法だけではなく,その人間性や互いの関係という実に微妙な部分においてでさえ,鮮やかに見ることが出来るということにあります。

 録音技術に多少覚えのある人やミュージシャンが読んで面白いのは当然として,ビートルズに興味のある一般の人々が読んでも最高に面白いと思えるのは,まさにこの点であり,いわば下僕に過ぎない(しかし最強のスパイ)であるジェフが,ビートルズのメンバーを「暗い」だの「気分屋」だのばっさりと言い切ってしまうあたり,実に痛快です。そして同時に大いなる共感が生まれます。

 ジェフ自身の言葉も痛快ですが,ビートルズが互いに対して取った態度や言動も,推測によるものではないだけに,実にリアルです。意味ではなく,言葉1つ1つが歪曲されたり装飾されたものではないことが,この本の価値の1つではないでしょうか。

 物語はジェフが子供の頃から始まり,録音という行為と技術に魅せられていく過程が描かれます。大変な幸運を手にして夢が叶ったジェフは,EMIの社員としてその第一歩を踏み出します。

 そしてさらに幸運なことに,ビートルズの仕事を担当することになり,良くも悪くも彼らの流儀に飲み込まれて過ごします。この間,彼はエンジニアとしてその後の世界を変えることになる,画期的な技術を連発することになるのです。

 やんちゃな子供であるビートルズとジェフ,そして父親代わりであるジョージ・マーティンが織りなすドラマは,良質のホームコメディにあるような暖かさがあります。

 急な上り坂であるリボルバーを駆け上がり,頂点を極めたサージェントペパーズでタフな仕事をこなして,そこから急激に変わっていくビートルズを,やがてジェフは目の当たりにします。

 屈託のないロックバンドだったビートルズが,ポップミュージックを革新するクリエイター集団となる瞬間に立ち会ったことに,ジェフはある種の寂しさを隠しません。

 同時に,その革新が,ジョンとポールという巨星によってなされていく様を見せつけられて,むしろ畏敬の念さえ抱くようになります。

 そして2つの巨星の衝突,2つの巨星に押さえつけられたもう1つの才能の勃興,彼らを取り巻く容赦のない環境の変化が,とうとうその宇宙を崩壊へ導きます。

 ジェフの目を通して我々が見ることになるのは,自ら招いたその崩壊が,決して自身の望んだことではないのだという事実です。昔のままの屈託のない表情でセッションを繰り広げる彼らの顔に,深刻な対立を見る事は出来ません。

 しかし,自分のピザをヨーコに黙って食べられてしまうという,実に些細なことに激高するジョージの姿を見たジェフの目には,本当の意味でのビートルズの崩壊が映っていたことでしょう。

 自らの理想とかけ離れた現実をどうすることも出来ずに,もがけばもがくほど事態が悪化する焦燥感に飲み込まれていくアビイロード・スタジオ。「かつて見たことのある光景だな」と感じた我々は,直ちに既視感に飲み込まれていることに気が付き,はっとします。

 そして我々はこの時,後に訪れることになるジョンの死とジョージの死に直面したビートルが,その時どんな気分でいたのかに思い至ります。それは,「私ならこう思うだろうな」と考えていた事が,まさに彼らもそうだったのだと確信し安堵する瞬間でもあります。

 かくてビートルズは終わってしまいます。

 ジェフはポールのアルバム制作に関わるようになり,そこでも大きな仕事を何度もやり遂げます。バンド・オン・ザ・ランという大ヒットアルバムがどうやって生まれたかを知ることは,実はビートルズのアルバムがどのように生まれたかを知ることと同じくらいに,エキサイティングなものだと知ります。

 そしてジョンの死。落胆するポール。一つの時代が終わりを告げます。

 初期のビートルズは,いわばジョンのバンドでした。ビートルズがかつてないものを求めるに従い,ポールの実力と音楽と向かい合う姿勢が不可欠なものとなり,自然にその主導権はポールに移っていきます。

 ジョンはひょっとしたら寂しかったのかも知れません。同時にポールはジョンに対する尊敬の念を忘れません。そしてジョンは突然いなくなります。

 ポールは実にストイックな姿勢を貫く人ですが,一方でとても人間的に豊かな人でもあります。ジェフはポール寄りの人ではありますが,その立場がかえってビートルズの主導権の交代劇や,かつてのリーダーの死を鮮明にしていると感じます。

 時は流れ,ジョンが残した「フリー・アズ・ア・バード」を取り囲む3人とジェフは,ジョンが仕上げを任せてどこか休暇に出かけたと思うことにしようと,話し合います。彼らの痛みが我々にも伝わり,胸を締め付けます。

 アンソロジーの発売に至り,この長い物語はいよいよ幕が引かれます。ジェフがアンソロジーについてどう考えたか,そしてその考えがどう変わったか,おそらく多くの方が共感するのではないでしょうか。

 作る側にいたジェフの感情の動きが,なぜ与えられる側の我々にかくも合致するのか,彼の視点と我々の視点は根本的に異なるはずなのに,自分の経験と錯覚するほどになぜリアルで鮮やかなのか,本当に不思議としかいいようがありません。

 読み終えて感じるのは,一見すると極めてスキャンダラスな香りのするこの本が,実はイギリスのとある若者達が成長する過程を,等身大の目線で見つめた人間ドラマであったことに気付く点です。

 そこには「仲間」に対する信頼と「仲間」を失う悲しさという,人間性に根ざす普遍的なテーマによって,共感や感動という形で我々の経験や人生に重なって,ビートルズの真実に迫るという「パンドラの箱」を開ける行為が間違いではなかったと,しみじみと思わせる力があります。

 文章のうまさにも優れたものがあり,長い物語を一気に読ませる技があります。ジェフ自身が文章を書き起こしたのではなく,彼が口述したものを記述する形で作られたものなのですが,日本語版においてはその訳が秀逸で,テンポの良さと技術的な誤りの少なさについても素晴らしいの一言に尽きます。

 おそらくですが,この本を超える本は,もう出てこないでしょう。ジェフは最強のスパイでしたが,その目的がくだらないゴシップでもなく,私恨による暴露でもなく,ただ純粋に技術者として客観的に,この学び多き歴史を記録に残そうとしたことにあるからです。

 一部に「墓場まで持っていくべきだ」と批判的な意見もあるようですが,それも一理あると前置きした上で,私は,その「墓場まで持っていくべき話」が本当に伝えたかった話ではないのだ,という観点でこの本を読みました。これまでに書いた感想は,その結果です。

 最後に私個人の願いを1つ。ぜひ,BBCで,この本をドラマ化して下さい。映画化ではありません。あくまでBBCによるドラマ化です。ビートルズのそっくりさんを使って,この本を忠実にドラマ化して下さい。「愛こそはすべて」の世界同時中継のスリリングなやりとりなど,ぜひ見てみたいものです。

 いやなに,それはさほど大変なことではないはずです。なぜなら,この本は,読めば目の前に鮮やかな映像が飛び出してきますから,ただそれを実体化すれば良いだけの話です。

 いや,あるいは大変なことなのかも知れません。あまりに長すぎるこの物語は,どの部分をカットすることも出来ないからです。

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