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2007年05月18日の記事は以下のとおりです。

さようならニノミヤありがとうニノミヤ

  • 2007/05/18 14:47
  • カテゴリー:make:

 こないだの連休に帰省した折,日本橋のニノミヤで買い物をした話を先日書いたところだったのですが,そのニノミヤが事業廃止を決めたようです。

 唯一残る店舗である旧本店の「ホビックス」は5月16日にすでに営業を終了,地下一階の「パーツランド」も6月10日に営業終了の予定だそうです。

 「ホビックス」についてはすでに中古家電とホビー関連の販売会社に売却されており,処分セールなどは行わない方針だそうですが,「パーツランド」については処分セールを行うという事ですので,どこにも売却はされずに完全に廃業となるようです。

 本店の最上階にあったパーツ売り場がなくって久しく,パーツがあの場所に戻ってきて75年の歴史に幕を下ろすというのも,なんとなく帰巣本能っぽい感じがして,しんみりとしてしまいます。

 調べてみると,ニノミヤって老舗もいいところなんですね。1932年に電子パーツの卸売りとして創業(1945年に創業という話もあります),戦後の1947年には法人として改組し,高度経済成長期に家電販売で成長を続け,1987年に株式会社ニノミヤに商号を改めます。

 創業の地である日本橋と近畿を中心とした郊外に店舗を展開し,ピーク時の2001年には約964億円の売り上げをあげて,関西系の家電量販店では第3位の規模を誇っていました。そういえば私の実家の近くにもお店があって,1983年ごろには無線機もパソコンもたくさん列んでいました。もっと昔にはパーツも売っていたそうです。

 しかし,ビックカメラやヨドバシカメラ,ヤマダ電機など関東系の量販店の相次ぐ関西進出に加え,家電,PC販売の冷え込みとバブル期の過剰投資から急速に業績が悪化し,2003年頃には4割近くも売り上げを落として大ピンチに陥っていたそうです。

 そこで2003年に資本提携を含む支援先を探していましたが失敗,金融機関への弁済も滞るようになりました。2004年にはメーンバンクも貸出債権を外資系サービサーに譲渡するに至り,支援を打ち切られてしまいました。

 最終的に債権を手にしたモルガン信託銀行は2005年1月に会社更生法を申請し,日本橋を除く全店舗の閉鎖と同業者への譲渡を行いました。

 アメリカの投資ファンドローンスターがスポンサーとなり,日本橋でのみ4店舗を新装開店させるのですが,素人目に見てもかき入れ時にもお客はまばらで,雰囲気から真面目に復活を考えているようには見えませんでした。

 昨年にはえびす店も閉店して家電販売から完全撤退,ホビーの専門店「ホビックス」とパーツ販売の「パーツランド」だけ旧日本橋本店に集約され,大幅に規模を縮小して営業していましたが,昨日「このまま続けても負債が増えるだけ」と,営業の終了をホームページに掲載しました。

 ニノミヤといえばいろいろ書くべき事がある会社で,郊外に多数のお店を出店するというビジネスモデルで急成長した先駆けであったし,ソフトウェア販売の重要性に着目してソフト専門店を,ホビーとおもちゃに注目してホビー専門店をいち早く立ち上げるなど,実は業界のパイオニアでもありました。

 同社の顔として長年CMキャラクターを務めた林家小染さんの突然の事故死もありました。

 個人的にニノミヤは,近所のニノミヤと日本橋のニノミヤで違った印象がありました。

 近所のニノミヤは,日本橋が遠く憧れの地であった子供の頃に,その日本橋の空気を田舎に運んでくれる貴重な基地でした。前述の通り,田舎の商店街の外れにある小さなお店にも,PC-6001やPC-8001,X1やFM-7にMSXといったパソコンが所狭しと並べられ,ソフトや周辺機器の品揃えも随一でした。アマチュア無線機も列んでいて,同じお店が冷蔵庫や洗濯機を売っているとは思えないほど,ラジオ少年最終世代であった私には,夢の空間だったのです。

 中学生になった頃から日本橋にはよく行くようになったのですが,近所の店の数倍の規模のニノミヤがいっぱい点在する日本橋のパワーに圧倒された記憶がありますし,その専門性と規模からますます近所のニノミヤに好印象を持った覚えがあります。

 ニノミヤはさすがに電子パーツで始まった店だけあって,当時は本店と北側に位置するエレホビー,そしてパーツだけを扱う専門店であったパーツ店の3つがパーツの販売を行っていました。

 パーツ店は1フロアの小さいお店で,私は一度行ったきりでなくなってしまいましたが,本店とエレホビーのパーツフロアはずっと営業を続けていました。本店のレジのお姉さんがとても綺麗だったことは以前書いたとおりで,その人が小さな部品を価格表など見ずにすごい速度でレジをうっているのを見て,大変に憧れたものです。

 始めて本店のパーツ売り場に足を踏み入れたときの感動は忘れません。地元のスーパーよりも広いフロアのすべてが電子パーツで埋め尽くされ,右を向いても左を向いてもキラキラと輝く宝物が所狭しと並べられています。種類ごとに列んだ棚がフロアの端まで整然と続き,初歩のラジオでしか見たことがなかったパーツが手に取れる所にあることに,日本橋のパワーを見せつけられました。

 夏休みには優待販売のチラシが届き,パーツや模型,測定器や無線機などが特価で販売されたりして,まるで近所のスーパーの食料品のチラシのような勢いで,滅多に安売りされない品々が並んでいることに,子供だった私はワクワクしていたものでした。

 そういえば,日替り限定販売で,デジタルテスターが980円で出ると知って,弟と日曜日の朝に本店に列んだりしました。結局私は惨敗,弟は自分の目の前で最後の1つを買われたという屈辱的な結果になり,10円だったカッターナイフをそれぞれ買って,すごすごと帰ったことがありましたね。いい思い出です。

 そのうち本店のパーツ売り場はエレホビーに集約されてしまったのですが,同業のジョーシンが1番館でのみ行っていたパーツ販売を取りやめるに至って,ニノミヤも時間の問題と思われていたのですが,一向にやめる気配もなく続いていました。

 というのも,実はニノミヤのパーツ売り場は各店舗に属しておらず,本社の法人営業の部門に属していたからです。

 在阪の電機メーカーなど,大手を長年にわたって顧客として持っていたパーツの法人営業は非常に安定した事業であって,現在に至るまでずっと黒字だったそうなのですが,これをもしやめてしまうと50年以上にわたる顧客に対する信用の問題もあったりして,やめるという事はなかったようです。

 確かに,ケースやスイッチなど半導体以外の部品において,シリコンハウス共立とニノミヤでは取り扱いメーカーに格段の差がありました。ニノミヤの方が有名メーカーのものを多数持っていましたから,やはり大きな会社は違うんだなあと思ったものです。

 今でこそシリコンハウス共立は規模も大きく,品揃えも豊富になっていますが,20年ほど前は実質1フロアで,限られた物しかありませんでしたから,ニノミヤと共立の2つでようやくすべての部品が揃ったものです。だから,ニノミヤは私にとっても欠かせないお店でした。

 それに,半導体から抵抗からコンデンサからケースやスイッチまで,すべてのものが一箇所で揃うというお店は秋葉原でも珍しく,ニノミヤは便利で貴重なお店だったのです。

 どんなに大きくなっても創業の地である日本橋で創業の業種である電子パーツ販売を続け,それが子供にも優しい良心的なものであったことは賞賛されるべきことで,特に知識が必要な代替品を中心に探すことになるシリコンハウス共立とは違って,雑誌に出ているそのものの部品が(高価でも)手に入ることは,初心者にはとてもありがたいものであったはずです。。

 今年が2007年ですから,創業から75年。最後まで電子パーツの販売を続けたことはえらいなあと思います。

 日本橋から思い入れの深いお店がまた1つ姿を消しました。風前の灯火で,こうなることは既に想像していたことなのですが,実際になくなってみるととても寂しく,1つの時代の終わりを強く感じます。

 これで日本橋でもシリコンハウス共立とデジット,そしてマルツ電波の3店舗に電子パーツ店が集約されることとなりました。

 連休に,本当は共立で買う予定だったポケットベンダー(小型のアルミ板折り曲げ器です)を立ち寄ったニノミヤのパーツランドのポスターで見かけ,店員さんに問い合わせて買ったのが最後の買い物となりました。

 この時もらったロゴ入りの買い物袋を,なにか胸騒ぎがしたので捨てずに残してあったのですが,偶然とはいえお別れになってしまうことに,やはり悲しい思いがあります。

 私が一番楽しかった時代を共に過ごしたニノミヤに,お礼を言いたいです。ありがとうございました&ご苦労様でした。

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