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2008年11月06日の記事は以下のとおりです。

論文とは

 昨今話題の,元航空幕僚長,田母神さんが書かれたという懸賞論文を,実際に読んでみることにしました。

 私は理系の人間ですが,根は文系で理系の皮を被って生活するのは楽ではありません。そんな私の得意分野は近現代史で,人類が過ちを反省と軌道修正によって,どうやって現在のシステムに昇華させてきたのかというプロセスを見るのが大好きです。どんな小さな事の誕生にも,必ずプロセスはあります。そしてそれは大変面白いものです。

 アメリカの大統領選挙が終わって,オバマさんがアメリカ合衆国大統領に当選しましたが,長い選挙戦,二大政党制,そして莫大なお金がかかることに対しての,明確でフェアなシステムの構築と運用には,高度に磨き上げられた民主主義の具現を見ることが出来ると思います。

 日本人の一般的感覚からすると,この3つはいずれも馴染みがないか,どっちかというと警戒感もあるのではと思いますが,アメリカという大国が長く維持されたその源泉は,やはり合理的なシステム構築が尊ばれる国だという面もあるのでしょう。

 もちろん,アメリカには様々な問題があります。ヨーロッパにしてもそうです。ただ,すべてにおいて完璧はなく,試行錯誤によって改善がなされていくという人類の歴史の大きな流れを見ていると,多くは「少しでも良くなるように」が行動の動機であり,おかげで私は,未来をそんなに悲観せずに済んでいたりします。

 時として,その「良くなる」の対象や方法に「誤り」が生じ,大きな悲劇が起きて来ました。これを素直に反省し,きちんと後始末をして,そして同じ事を繰り返さないことが,およそどんな事にも必要とされる,とても大切なことだと強く思います。

 閑話休題,問題の論文を見てみましたが,これは残念な事に,多くの報道機関が報じている以上の事を,論じることは無理です。あまりに稚拙で,散発的に普段思っていることをただ並べてあるだけ,論理的な構造もなく,結論ばかりを急ぎ,理論の構築が必要な論文と呼ぶにふさわしい体裁を,そもそもなしていません。隙間だらけです。

 記述内容についても,多角的な検証や考察はおろか,出典さえも明らかにされていない部分が散見され,およそ公平なものとは言えないと思います。

 ここから先は私見になりますが,そもそもこの論文は誰宛に書かれたものなのか,を考えてみると面白いのではないかと思っています。

 政府見解を引っ張り出すまでもなく,先の大戦を肯定したり,戦前のアジア政策を賛美するような感覚に抵抗を覚える人は少なくないでしょう。また,国際的な見解も,概ねその通りだと思います。

 その上で,この論文は,こうした「普通の考え方」に異を唱えるものであるわけですが,その目的は,彼の言う「事実を知らない無知な民」である我々庶民を啓蒙することにあるわけですね。平たく言うと,相手を「説得する」ことが目的の文章ということになります。

 しかしながら,日本人は無類の本好き国民です。豊かな表現力を持つ日本語を操り,自らも文章を書くことを日常としながら,プロの書く文章を楽しむだけの力がある集団です。

 そうした人々を,この程度の文章で,本当に啓蒙できると考えたのでしょうか。

 いや,それは言うまでもなく,無理です。ご本人も,ここまで大きな事になると思っていなかったそうですから,その影響力はかなり小さく見積もられていたのでしょう。

 彼の論文は,反対意見を持つ人に向けたものではない・・・だとすれば,どういう機能がこの論文に期待されたのか,疑問に感じませんか。

 そして私が考えた結論は,決して否定されることがなく,互いを賞賛しあうことが心地よい,小さいけれども安全なコミュニティの内部に向けた,かけ声のようなものだったのだろう,ということでした。

 他人の評判を気にしない,例えばまさにこの文章のような,マスターベーションでないだけ随分ましなのですが,内容以前の問題として,誰に向けて書かれているのか,その人をどれだけ説得できるのか,という観点でこの論文を見ると,一番の目的は書いた本人がスッキリすることにあったんじゃないかとさえ,思えてきます。

 とりあえず論文というからには,書かれたことが万人(これは地理的に万人という意味だけではなく時間的にも万人という意味です)に正しく伝わることが,目的からして必須なわけであり,そのために客観的なデータを用意し,それらを用いて矛盾のない論理的な展開を正確な文章で記述することくらいは,最低限満たされていないといかんだろうと,私などは思うのです。

 この論文を審査した委員のある方は,記述内容に疑問も出たが,その主旨に金賞を与えたと言われているのですが,つまるところこの懸賞論文は,論文として最低限必要な体裁などは前提条件としてふるいにかけられることはなく,その評価点についても内容の正確さよりは言いたいことそのものにあるという点で,少々ずれたものである,と言わざるを得ません。主旨で評価されるというなら,なにも論文でなくとも座談会の議事録で十分でしょう。

 もう1つ私が気になったことを書いておきます。

 田母神さんは,「政府見解と異なることを論じて糾弾されるなら北朝鮮と同じだ」と言われましたが,彼は当時現役の軍人であり,私人としての意見を語ることには,階級の高い低い以前の問題として,本来制約を受ける身分です。この点において,北朝鮮もアメリカも日本もありません。

 自らの正当性を国家体制に求めるあたり,幼稚な論点のすり替えだなと感じたのですが,同時にこういう話がポンと出てくるあたり,つくづく日本という国の平和っぷりを示しているように思います。

 でも,きっと彼は人間としては面白く,また立派な方なんだろうなあと思ったりします。偉くなる人というのは,やはりそれだけの器をお持ちです。

 私は今時流行らないハト派ですが,タカ派の人を排除しようとは思いません。日本では自由な意見が保証され,それらは等しく尊重されなければならないと考えているからです。

 ただ,私は自分が痛い思いをするのが嫌なので,他の人にも痛い思いをしてもらいたくないな,と思っているに過ぎず,近現代史が好きな割にはおかしな歴史観を振りかざすこともしませんし,文化論や民俗学のようなものを盾に相手を煙に巻こうとも思いません。

 ただただ,痛い思いをしなくて済むための手段は今日いくらでもある,と思うから,前世紀的な安易な解決策を第一に置くことは避けようと思っています。聞いて回ったわけではありませんが,このくらいの感覚は,ごく普通の庶民的感覚なんではないでしょうか。

 こういうと決まってタカ派の人から「甘い」と言われるのですが,私は人類の進歩の歴史は,反省と試行錯誤の歴史であると信じているので,時間を経るごとに持ち駒が増えている事実に,確かな手応えを感じて,そんなに悲観してはいないのです。

 考えてもみて下さい,互いの意見の相違をまとめるのに,古代,中世,近世,近代,現代と,時間の経過と共にどれだけ手段が増えてきたか。そうです,人類は少しずつ(そして多くの犠牲を伴って)賢くなっているのです。

 そして,彼が市民から支持を受けることもなく,防衛省内からも非難の声が上がり,自衛隊幹部の職を解かれてなおマスコミから連日叩かれ,彼を擁護する論調がほとんど表に出ないばかりか,これ幸いと政争に利用されるほど,大きな事件になっています。これをある種の自浄能力だと考えれば,日本人もそれなりに賢くなっているのだと思うことは出来ないでしょうか。

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