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2009年10月06日の記事は以下のとおりです。

さようならプジョー306,さようなら

 私の所有する自動車,プジョー306style(97年式,N3最終型)が,先日の土曜日に私の元を離れていきました。

 私が新車で買った最初の車で,私が初めて手に入れた外国車です。ついでにいうと私が最初に乗ったフランスの車でもあります。

 1997年と言えばインターネットが家庭に入り始めた時期でもあり,個人のホームページが少しずつ立ち上がっていた頃だと記憶していますが,当時よく見た306のページも,今ではほとんど見ることがなくなりました。

 そりゃそうです,306が世の中に登場したのは1993年で,日本では女の人の前髪がまだエビの触覚のようになっていた時代です。後期型のN5の販売が終了したのでさえ2001年ですので,そこからだってすでに8年が経過し,最初の車検で買い換えをするのが普通な日本の自動車事情において,未だに306を乗り続けている人はもう心中する覚悟の人だけといってもいいはず,です。

 私はN5が投入される1997年8月に,N3の国内在庫最後の3台を滑り込みで衝動買いした人でした。どうもN5のフロントマスクが好きにはなれなかったことと,ずっと昔から馴染みのあったPEUGEOTと306というロゴの切り抜き文字がの意匠がN5で随分変わってしまったことが気に入らなかったというのが大きな理由でした。

 プジョーも激動の自動車業界にあって,何年かごとに節目を迎えていますが,私にとっての憧れのプジョーは,つまるところN3が最後だったのだろうと思います。今でもN5とN3のどちらか,と言われれば迷わずN3を選ぶだろうと思います。

 まあ,N3にしてもN5にしてもそうですが,フロントがマクファーソンストラットとごく普通のもの,リアに至ってはトーションバーという旧世代のサスペンションは,実際に乗ってみると実にしなやかで,これがあのネコ足なのか!と思わせるものです。ボディ剛性も低くなく,ドアを閉める音やボンネットを締める音に,高音が響くことはありません。 運転の下手な私ですが,この車がボディ剛性とサスペンションの存在を意識するようになったきっかけになったなあとつくづく思います。

 がちっと切り立った端整なプレスラインはピニンファリーナとプジョーデザインチームの共同で引かれたものであり,個人的には306の柱となる線だと思います。ピニンファリーナがかかわらなくなったと言われる206以降のデザインとは,このプレスラインの主張がやや異なるように感じるのですが,これが1990年代初頭に登場したデザインかと思うくらい,少なくとも私の目には古くさいものは見えません。


 前置きが長くなりましたが,事の顛末はこうです。

 始まりは1週間前の日曜日の夜,滅多に話をしない父から電話がありました。こんなことをいうのも何ですが,父親というのは友達や同僚のような気安い存在ではなく,いわば会社の偉いさんのような存在ですから,父と話をするときと言うのは自分ではどうにもならないことを相談するときだけ,です。

 父が言うには,自分が乗っているイギリス製の高級乗用車(以前父は某ドイツの某最高級車メーカーの最上級クーペに乗っていたことがありました・・・)に故障が頻発,面倒臭いので手放すことにしたと,普段の足に使っている軽自動車が便利なので別に困るわけではないが,ゴルフバッグを積むときや,友人を乗せるときなど軽自動車ではまずい(しめしがつかん),かといって新しい車を用意するのはお金もかかってしまう,良く考えたら私がほとんど乗っていないプジョーを持ち続けていて,しかも結構負担に感じているという話を思い出し,そういうことなら自分が譲り受けようと考えたらしいのです。

 私は1997年に新車登録をしたプジョー306を,丸12年経過した現在において,走行距離がわずかに8300キロちょっとと,ほとんど走らせていません。別に特別に大事にしていたわけではなく,自動車がなくとも生活が成り立つ場所に住み,どんどん自動車を生活から外れた場所においてしまい,自動車を動かす事が億劫になってしまった結果です。

 ポルシェとかフェラーリとか,そういう資産価値のある自動車がほとんど走行しない状態であることは珍しくないそうですが,306のような車でこの走行距離は異例中の異例でしょう。

 おかげさまで2年に一度の車検を含み,トラブルらしいトラブルはほとんどありませんし,屋根のない駐車場に12年間おいていましたがカバーをずっとかけてあり,直射日光や砂埃を避けてきたことで,そんなに見た目も悪くないと思います。加えて私はタバコを吸いませんので,内装も綺麗です。

 経済的な理由も含めて維持できなくなったときには手放そう,でも維持できる環境にあるうちは乗るか乗らないかに関係なく持っていよう,そんな風に割り切ったのが5年ほど前でしょうか。ちょうど個人がそれぞれに自動車を持つ事が無駄に思えた時期でもあり,自動車としてプジョー306以上を望まない気持ちに変わりはなくとも,そもそも自動車を持つ事に疑問を感じて揺らいでいた時でした。

 ただ,今のプジョーは小型の207でも安全基準の関係で3ナンバー枠に拡大していて,私の好きな全長4000mm,全幅1700mm,重量1000kg程度のハッチバックという,以前なら珍しくも何ともなかったサイズが存在しません。また,1800ccのNAという普通のエンジンも,5速MTというこれまた普通のトランスミッションも,今や絶滅寸前です。

 プジョーには熱狂的なファンも多く,こうした今では珍しい自動車を持つ事には,それなりの理解があると感じます。中でもある意味でとてもお手頃なこの306という車は,今のプジョーにはない魅力がいっぱいで,10年経過すると誰にとっても無価値となる国産車に比べ,特定の人種には理解をしてもらえるのではないかと思います。

 私がへこたれて手放してしまうと,また306の個体数が減ってしまいます。

 それに手放してしまったら,もう二度と手に入れる事など絶対に出来ないでしょうし,さらにいうと200万円以下でプジョーはおろか1800ccクラスの普通の自動車が新車で買えることは実はそんなにありません。(といいつつ本日207の一番安い設定が189万円になりました・・・)

 遠のいているとはいえ,ごくたまに自動車を運転すれば,それはそれでとても楽しいことには変わりありませんから,例えば職を失うとか,引っ越しをするとか,修理代に100万円かかるとか,そういう事でもない限り,私が維持するのが責務のように感じていたのです。

 幸い経済的な負担には耐えることが出来る状況にありますが,楽器やカメラのような小さいものとは違い,気軽に捨てたり修理出来ません。保管場所には不動産契約が必要になるほど大げさであり,その潜在的な能力は時に人の命を奪うことさえもあります。外の雨風に晒された機械製品が10年以上も放置されれば,どこかがおかしくなるのが普通でしょう。

 持っていたいから持っていよう,というようなお手軽なものとは違い,持つ事にもそれ相応の責任と義務が発生するのが自動車です。ここから先,資産的な価値も消え失せた古い自動車に,いずれやってくる廃棄処分の負担の大きさを想像すると,気が重くなってしまいます。

 その負担から逃げると言うより,今の私の生活では,その負担に見合うだけの利便性を,自動車を所有することから得られないことに悩んでいたというのが正しい言い方で,社会的に見て私が自動車を所有するのは(個人の勝手ではあるけども),とても贅沢なことだという後ろめたさを感じていました。

 父は続けます。もし自動車がなくても困らない生活をしていて,なんらかの負担を感じているのであれば,自分が自動車を必要とするであろうあと数年間代わりに乗ろう,名義の変更もちゃんとして,保険から車検から維持費から全部自分が引き受けよう,悪い話ではないと思うんだけども・・・

 確かに破格のお話です。資産的価値のなくなった自動車を,元々全車種中最低グレードの,しかも12年落ちのプジョーのマニュアル車で,さらに左右の横っ腹がへっこんでいる不細工な車に乗ってやろう,しかも50年以上自分の生活の中心であり続けた自動車生活を締めくくる,最後の車にしようというのですから。

 急な話に戸惑い,即答できずにいると父はさらに,心残りというなら,他の人に売ったりあげたりすることはしないと約束するし,車検が切れてしまった後でも廃車せず,保管しておいてもいいだろう,そして気が済むまで持っていたらいい,と言います。

 そして最後に,恩着せがましい言い方をするつもりはないが,下駄代わりに乗り潰すつもりはないし,乗らないときでも毎日エンジンくらいはかけてやる,と。

 この,毎日エンジンをかける,で私の心は動きました。今の自分が出来ない事を,父は簡単にやってのけることができるのです。私がこの車を持つ事は,半ば意地になっていたところがありますが,それは果たして,車のためになっていたのかどうか。

 車検の次に車を動かすのが次の車検だなんて,非常識にも程があります。それでも2年経って,キーをひねれば何事もなかったようにエンジンは一発でかかります。アイドリングは軽快で,やっと起こしてもらえたよ,と言っているように聞こえます。

 私はすでに,ドライバーとしてはもとより,オーナーとしても失格でした。

 自動車は,言うまでもなくモビリティのための道具です。人や物を少ない労力で動かすことが存在の理由です。置物でもなければ,意地で持つようなものでもありません。いわば生き物です。毎日乗って,調子を見て,それで初めて愛着だってわくものです。私のような距離感で愛着などわこうはずはありません。もし愛着を感じたとしても,それは私がただ「惜しい」と思うだけの,さもしい根性に過ぎません。

 私は数日考える時間をもらい,電話を置きました。一緒にこの車と時間を過ごした親友に連絡し,車を手放すことを伝えると,彼女はいろいろ思い出してポロポロ涙をこぼしました。そしてお別れの時には写真を残そうと言いました。

 翌日,父に改めて電話をし,父の申し出にありがたく甘えることを伝えました。父のことですから,気が変わったとかどうしても欲しい人が現れたとか,そんな話で誰かに譲った,という話もあったりするかもしれませんし,実は父の手元に渡ってから急にあちこちが壊れてしまい,修理代に何十万円もかかるとわかり結局廃車にすると言う結末があるかもしれません。

 ただ,父は,私よりもはるかに運転がうまく,自動車に対する情熱を持っています。父の古い友人には腕のいいメカニックがいて,私もお世話になりましたが,とても心強い方です。

 それだけでなく,周りには自動車に関係のある人たちがたくさんいるので,ひとりぼっちだった306は急に賑やかになったことに驚くことでしょう。あと少しの間ですが,最後にそういう境遇に置いてあげられるのは,とてもよかった事なのかもしれません。
 
 話としては,土曜日の夕方に,私の住んでいる場所の近くにある,父の知り合いの輸入車の中古車販売会社の店員さんがわざわざ306を引き取りに来られ,そのお店が東京から大阪に運ぶ予定になっている他の車と一緒に,トレーラーで陸送されることになっています。

 先日の土曜日の夕方,もう薄暗くなっている状態でしたが,その前日から続いた雨もすっかり上がり,時折晴れ間も見せつつ,綺麗な夕焼けが暮れてしまう頃に,306は軽快なエンジン音を響かせて,私の元を離れていきました。本当にあっという間の出来事でした。

 私はこの時生まれて初めて,自分の買った車が他の人の運転で走る姿を眺めることが出来たわけですが,買ったときからお気に入りだったリアエンドの丸い感じが遠くに消えていくのを見て,もうこれでお別れなのかと,言葉にならない寂しさを感じました。

 一方で,これでもう心配することはない,そんなすっきりした感覚も否定できずにわき上がってしまい,複雑な思いも感じました。

 現実に戻って駐車場の解約,JAFの退会など手続きを済ませ,名義の変更が終わってから保険の手続きをすることにしています。

 こうして,私個人は自動車社会との直接の接点を失います。そもそも居心地の良くなかった自動車社会ですから,そこに未練はありません。しかし工業製品として,あるいは文化の1つとしての自動車と,決定的な別離は寂しい限りです。

 自動車は今,大きな転換点にいます。化石燃料を動力源にする仕組みはもう限界に達し,経済的合理性をトリガに,次世代の自動車が覇権を競っています。ハイブリッドは過渡的な車なのか,本命は本当にEVでいいのか,動力源以外にインテリジェント化はどこまで必要なのか,ドライビングプレジャーを我々は失わずに済むのだろうか,環境や経済性,安全性と次の100年も両立出来るのだろうか,不安は尽きません。

 馬車の代わりにヨーロッパで登場した自動車は,当時最先端技術であった機械工業をバネにして上流階級の高貴な趣味として育ち,自由の国アメリカに渡ってからは大量生産されて生活に不可欠な移動手段となりました。そして大衆化し多くのバリエーションが生まれ,その人の人となりを示す装飾品という役目をも担うようになった自動車は,命を持たない人類の唯一の友人,といっても良く,やっぱり特別な存在だなとつくづく思います。

 私が今でも大好きなプジョー306。この車が教えてくれたことはたくさんあります。急激に身近に感じた世界,文化,異国への想い,当事者として考えさせられた車と社会の関わり。1つ1つが得難い経験でした。次に大阪に戻ったときに,少し様子を見させてもらおうと思います。もう自分で運転することはしませんが。

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