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2010年01月07日の記事は以下のとおりです。

その無念さたるや

 あまり詳細を書いてしまうと特定されてしまうので適当にぼかして書くしかないのですが,年明け早々,悲しい知らせを受けました。

 私が学生の時に3年半ほど働いていた日本橋のパソコンショップで,事務を担当してくださっていた方が,昨年の12月23日になくなったとの連絡を,とても親しくしてくださった当時のお店の社員の方から頂きました。癌とのことでした。

 詳しいことは私も分かりませんが,とても綺麗でエレガントな女性で,暴言をさくっと吐くのですが嫌みはなく,しかも筋が通っていて反論不可能という,極めて賢い常識人で,二十歳そこそこだった私など,全く相手にされなかった覚えがあります。

 大阪の女性だけに華やかな印象で,私が長年使っているG-SHOESというハンドルネームは,実はこの方が黄金のパンプスを華麗に履きこなしてらっしゃったことに由来します。(と書くと変態っぽいのですが,お店の仲間内でおもしろがって作ったハンドルネームでしたから,変態と言うより中二病という感じでしょうか)

 基本的には売り場には立たず,事務所で伝票やお金まわりの処理を行う裏方さんでした。俗に商流といわれる,ものとお金と伝票の流れは彼女から教わりましたし,現金,クレジットカード,分割払い,売り掛け,代引き,手付け金などお客様にものを買って頂くときに考えなくてはならないお金の種類も,やっぱり彼女から教わりました。

 商売人なら当たり前の知識ですから何をたいそうに,と思われるでしょうが,それまで全く縁のなかった私がこれらをすんなり飲み込めたのは,暗記を求めるのではなく,理由や理屈をきちんと,しかしとてもシンプルに説明してくださった事があります。

 彼女は商業科を出ていたはずなので,教科書に出てくるような小難しい簿記や会計の話も出来たでしょうが,あえてそこは「大阪のおばちゃん目線」でわかりやすく,「~しないと誰々が困りはるやろ」と,理由を語るにも決してお高くとまることのない方でした。

 なにせ,「とにかくそういうものだ」という言い方をすることも,私の記憶する限りなかったように思います。これは本質を理解し,かつ説明が上手だったということの証ですが,こういう人というのは,なかなかいないものです。

 私よりも5つほど年上だっただけのように思いますが,すでに大金の動くパソコンショップの財布の紐を任される人で,歴代の店長も我々下っ端も,みなが全幅の信頼をおいていたわけですが,あの無理のない自然な清潔さというのは,人を見たら泥棒と思えと幼いことより親に教え込まれた(なんちゅう親ですかね)私が見た,初めての泥棒の可能性ゼロの人だったと思います。

 あの当時にして,愛車の三代目ソアラを駆り,タバコをスパーっと豪快に吸う若い女性でしたが,それもまた様になっていて,明るくサバサバとし,曲がったことが嫌いで,頭の回転が速くて賢く,ユーモアに富んで話し上手ということで,必ず一度は彼女に憧れるというのが,新人さんの通過儀礼でした。

 私は,といえば,綺麗な人だなあとは思いましたが,前述のようにはなっから相手にされていないので,寂しいことに「はしか」にかからせてもらえませんでした。それでも兄弟店の事務をしていた仲の良い女性と「黙ってたら男前やのに」と,実に絶妙な表現で私のことを評していたそうですので,まんざらではありません。

 彼女についてはいろいろ面白い話があります。

 店員が昼食に出るなどでちょっと売り場が手薄になったときや,レジが混雑した時などは,ささっと雰囲気を読み取り,自主的にお店に出てレジを担当してくれたこともしばしばあったのですが(このあたりも彼女の賢さを物語ってますね),うちのお店に女性の店員などいないと思い込んでいるお客さんが大多数でしたし,しかもお店の空気がぱーっと変わるほどの美人がてきぱき仕事をしているとくれば,自ずとお客さんの視線が彼女に集まります。

 しかし,そんな彼女は滅多に表に出てきません。いつしか彼女はうちのお店の「レアカード」になっていました。いるんだかいないんだか,噂に過ぎないのではないか,実在しないんではないか,幻なんじゃないか,など,いろいろな憶測を生んでおり,中には我々に彼女は何者だ,と聞いてくるお客さんもいたほどです。

 当時我々のお店が開設していたパソコン通信のホストの掲示板でも,まれに彼女が話題に上ることがありましたが,全く見たことがないという多数派が見たという人を嘘つき呼ばわりしたり,見たという人も一度限りで二度と見ていないと言い出したりと,その神秘性もまた魅力を高める要因になっていたようです。

 彼女はパソコンの事はよく分からないようでしたが,X68000のユーザーとPC-9801のユーザーの違いくらいは分かっていたようですし,スケベなゲームやCD-ROMなどにも一定の理解があったようです。ただ,彼女自身はそんなものにありがたがって何千円も支払う人を個人的な理由によって嫌ってもいました。

 ある時,閉店後に棚卸しを行うことになりました。

 ご存じの方も多いと思いますが,棚卸しは在庫のすべてを数える作業ですから,皆で分担してもとにかく時間と手間がかかります。

 彼女は事務仕事の合間をぬって,売り場で先行して棚卸しを少しずつ進めてくれるという気の利きようがまた素晴らしかったのですが,開店中に数えた商品が売れてしまったら数え直しですので,基本的にデッドストックとなっているものを数える必要があります。

 事務専任で,パソコンの事がわからんという人が,なぜデッドストックを察知して数える事が出来るのかと,デッドストックを仕入れてしまった担当者は毎度毎度震え上がっていたのではないでしょうか。

 そしていよいよ閉店後,棚卸しがスタートします。彼女はパソコンが詳しくないということで,微妙な違いで別商品にしないといけないような商品は割り当てられず,はっきりと商品名が書かれているソフト売り場が担当になります。

 棚卸しは原則的に二人一組で,一人は品名と数を声に出し,もう一人はそれを台帳に記入するという流れになります。

 これは当時の店長の嫌がらせの一環だったと思われるのですが,彼女の割り当てられた棚が,当時流行していたアダルトCD-ROMの棚を含んでいました。(店長は偶然だとしらを切っていましたが)

 彼女は読み上げ担当だったのですが,タイトルからしてすでに十分にいやらしいアダルトCD-ROMの商品名を臆せず読み上げて,粛々とこなしていきます。そして時々,「どーするの,こんなに仕入れて」と不良在庫に苦言をつぶやきます。

 それはもう,男の私が見ていても,大変に男らしい立派な仕事っぷりでした。


 いろいろ思い出しましたが,全然悲しくありません。いなくなったなんて,絶対ウソです。しばらく会っていないだけで,ちゃんと大阪にいる,とそんな風に自然に思っています。でも,そんなことない,もう彼女はなくなったのだ,と,何度も何度も思い直します。

 彼女のお葬式は,年末に行われたそうです。知っていれば私も駆けつけたと思うのですが,残念な事に知ったのは年が明けてからでした。

 親しかった先輩店員さんは,私にいいます。彼女のお葬式に,当時のメンバーが一堂に会した,当時の会長,社長,常務や店長,彼女が新人として指導をした若手も含め,それぞれみんな行方知れずになっていた人々が集まり,みな口々によくもこれだけ集まったものだと,驚いていたと。

 そして,不謹慎だけど,彼女が集めてくれたんだと思う,と,そんな風に続けました。最後に,彼女は太陽だった,と。

 私がこのお店を辞め,東京で就職したすぐ後に,大阪地区での店舗の再編が行われ,私がいたお店は閉店し,彼女も別のお店に移りました。しかしその後会社そのものにいろいろあって,行き詰まってしまいます。同業の会社から支援を受けて再スタートを図りますが,結果として大半の店舗は閉店,大阪地区も例外ではなく,完全撤退となりました。

 これをきっかけに,当時仲間は全員散り散りになり,その消息はほとんど分からなくなってしまったのです。私も東京に来ており,地理的な距離には勝てず,あれだけ親しくしていた当時の仲間とも,連絡を取ることが出来ずにいました。

 いや,私にその気があれば,会うことも出来たはずです。それをせずにここまで来た私が,一番罪深いのかも知れません。

 私が以前活動していたハードロックバンドのメンバーは,このお店の関係者が中心となっています。何度も何度も再結成の話が出つつ,実現に至らずに来ましたが,今度こそ再結成しなければならないと,そんな風に思いました。

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