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2010年09月03日の記事は以下のとおりです。

本と本屋と電子書籍

 昨日,私は一部で話題になっていた「傷だらけの店長」という本を読了しました。

 本が好きで本屋でアルバイトを始め,そのまま就職した主人公が,やがて店長として本屋を運営するなかで,その現実に傷つき,疲れ果てていきます。やがて大規模店の出店による影響で閉店を余儀なくされ,自らの人生にも大きな影を落とします。本屋を知る人には共感を呼び,知らない人にはそうだったのかと胸が痛む,そんな本だと思います。

 本屋さんの業界新聞に連載され,その「耳の痛い内容」に賛否両論あったものが加筆修正の末に,単行本になったものです。

 この本を読んでいると,胸が締め付けられるような悲しさと寂しさにおそわれます。そしてそれを買った日に自炊して,Kindleで読了したという皮肉。なんという矛盾。

 以前にも書きましたが,私の父は教科書の会社で営業をしていました。母は実家のそばのスーパーに入っている本屋さんにパートで入り,25年以上働き続け,今も店長格として現役です。

 私はコテコテの文系の両親から突然変異し誕生した理系ですが,やっぱ文系の血が濃く流れていることを感じることがあります。その1つが,やっぱり本好きと本屋好きだということです。

 いや,本好き,というのは,いわゆる文学作品を多読し,得られる知識を血と肉にして自らの人生を豊かにし,時に人を幸せにする人を言いますので,私のような技術書を中心に散財を繰り返す人を本好きとはいいません。

 ですが,文字を追いかけて読むことがそもそも好きでたまらず,文章を綴ることも(うまいか下手かは置いておいて)苦にならない人で,通勤に開く文庫や新書,寝る前に開く文芸書が心地よく,ついつい夜更かしを続けては,朝なかなか起きられません。

 眠い目を擦りながら本屋で面白そうな本に偶然出会って,一気に眠気も吹っ飛んでしまうと,確かに本好きとはおこがましいが,本が好きな人であることくらいは,胸を張って宣言したって罰は当たらんだろうと思っています。

 本屋さんも大好きです。1時間でも2時間でも過ごせますし,週に一度くらいは足を運ばないと気が済みません。行きつけの本屋さんならどんなジャンルでもまよわず探せるよう棚の特徴と場所を覚えますし,品揃えでその本屋さんの癖を掴み,自分の趣向にあっているかどうかを確かめることも忘れません。本屋さんには失礼かもしれませんが,複数の本屋さんを使い分けます。

 そして,母の話を30年聞いて,傍目には楽そうに見える本屋さんの仕事が,いかに辛く,いかにつまらない仕事であるかを知っていて,しかし本と本屋が大好きという店員さんの情熱によって維持されているという現実に,実に頭が下がる思いがするのです。

 ここ5年くらいの状況はさらに悪く,本屋さんがどんどんつぶれてなくっています。大手が大規模店舗をオープンさせて規模で勝負に出ていること,amazonなどの通販が大変に便利になったことで,本の入手そのものは以前よりも良くなっているように感じますが,一方で中小の本屋さんの減少が起こっています。

 極論すると,店員さんの情熱くらいではすでに維持が不可能な,パワーゲームになっているというわけです。いや,いいか悪いかは別ですよ,それにこうした競争が本屋だけの話でないことも重々承知しているつもりです。

 それでも,本屋さんは,本当に特殊な空間です。

 老若男女,誰でも気兼ねなく出入りできます。せいぜい中学生がエロ本を買うときくらいでしょうか,挙動不審になるのは。

 何も買わなくても全然平気,静かで清潔で,夏は涼しく冬は暖かく,ほぼ全ての商品がお試し可能,店員さんは寄ってこず,しかもちょっとのお金でお買い物ができて,買った商品はそのまま持ち帰り可能,帰りの電車から早速使って楽しむことが出来る,そんなありがたいお店なのです。

 ただし,あくまでお店であって,図書館ではありません。利益が上がらないといけない存在です。一方で店員さんの収入が低いことはよく知られていることですが,それでも成り立っているのは単純な損得勘定を越えた情熱や熱意があるからであり,いわばそうした彼らの心を食いつぶしているといえるかも知れません。

 そうした,経済的観点から見たときの正論と,人の心が加味された現実とが複雑に絡み合って,今のこの一瞬も,本屋さんは維持されているのですね。

 思えば,母の本屋に関する話も,年が経つほど管理職のそれになって来たように思います。ここ10年ほどは,本が好きという言葉より,本屋のマネジメントのしんどさを語ることが多くなりました。変わらねばならない業界への不安と,変わって欲しくない業界の本音が,母の口から出てきます。

 それでも,やっぱり母は本屋が作るのが好きで,本好きのお客さんを迎えるのが好きで,私は私で,そんな本屋に行くのが好きなのです。

 「傷だらけの店長」は,母が私によく言っていた話に重複する部分がたくさんあり,本屋さん特有の自己犠牲について語っています。自己犠牲なんてのは,どんな商売でも大なり小なりあるとは思いますが,本屋さんのそれは,好きでやっている商売ゆえ,弱音や甘えであったり,憚られる不名誉なことだという固定観念が,私自身の根底にあったのではないかと思われました。

 本が好きで本屋が好きで,本に関わる人が好きで,それらを汚す人を許さないという熱意だけが,この疲弊した店長を支えます。理不尽な客もいますが,著者もタイトルもわからない本を探し当て,喜ぶ客の顔を見るのがうれしくて,この仕事を愛していることが愚直に伝わって来ます。そう,母もそうでした。

 やがて大型店が近所に出店,長く地域の文化的拠点だった主人公のお店は閉店するに至ります。定期購読のお客をどうするのか,自分に負けないくらい本と本屋が大好きなスタッフたちをどうするのかに悶々とし,店長になるとき,そして閉店になるとき,それぞれで床に頬をすり寄せ,本屋さんに対する愛情を表現した主人公には,会社員としての単純な責任感を越えたものがあったはずです。

 日々の入荷と返品の繰り返しは過酷な肉体労働を強います。定価販売ゆえ値引きという特効薬が使えず,本屋さんの成績は店長と店員の能力によるところが多かったのが,近年のランキング重視の傾向と,機械的な発注作業による手堅い店舗運営よって,知的労働の割合は減少し,属人的な要素のウェイトが小さくなっています。

 お客さんは,当たり前の事ですが欲しい本がある本屋さんに足を運びます。以前は自分が欲しい本が高確率であるのは自分にマッチした個性の本屋さんでしたから,規模の大小に関係がなかったのですけれども,近年はランキング重視の傾向がお店にもお客にも強くあるので,どこも似たような本屋になってきます。

 そうすると,規模の大小が集客力の差になります。当然売れ筋の本の配本は,たくさん人が集まる大規模書店が優先で,中小の書店は後回しになるので,ますますお客さんは確実に手に入る大規模書店に足が向くわけです。

 私は本好きとは言えないまでも,どこを探してもなかった本が棚に収まって「ここにいるよ」と光り輝いている姿に小躍りし,本屋を出るときには顔が緩んでいることを何度も味合わせてもらっている,とても幸せな人です。

 でも,最近そんな経験も少なくなりました。

 以前はそれでも,amazonで買った本が手元に届くのに数日かかることが嫌で,買った本はすぐに読みたいからと本屋さんで探すことをしていましたが,やがて探しても見つかることがまれになり,結局amazonに頼むことがほとんどという状況になりました。最近は無駄足をするのが嫌なのと,検索がとても楽という理由で,最初からamazonに頼むことが増えています。

 私が支えなくてどうするのか,昔からMegaDrive,SegaSaturn,Dreamcastとマイナーゲーム機と共に心中し,買い支えという特殊な文化に全く抵抗のなかった私をして,この体たらくです。

 私一人の影響力は些細であるとしても,私のような人間が,あるいはもっと本屋さんに思い入れのない人がたくさんいたら,もう本屋さんは成り立たないのではないかと,心配になります。

 閉店準備に追われる主人公は,閉店までの時間の間に,本屋から去ることを決意します。本好きで,本屋好きな主人公は,本を売る立場から離れても,やっぱり自然に本と共に過ごします。このあたり,なんだか泣けてきます。

 彼は,今吹いている電子出版の流れ,そして業界が初めて経験する海外勢との戦いに,身を置いていません。日本語という壁ゆえ海外との直接戦争を回避できていた本の業界が,とうとう好き嫌いにかかわらず海外勢との競争に晒される時代が来たことを,当事者として相対さずに済んだことは,幸運とも不運だったともいえるような気がします。

 母は,務める書店の内規により,その年齢から,半年ごとの契約で働いています。契約云々以上に,肉体労働である本屋の仕事がきつくなってきたと限界が近いことを口にします。

 そして母は,本屋が衰退する現実を案外冷静に受け入れています。後に続く若い書店員に,母はどんな言葉を残すつもりなのでしょうか。今度母に聞いてみなければなりません。

 本が好きでも,本屋が好きでも,私がワクワクして買って帰った本は,その場で分解,裁断され,スキャンされて電子データになり,Kindleに流し込まれます。バラバラになってもはや「紙」になった本は,縛られて資源ゴミに出されます。そう,私はこの手この指で,ページをめくることすらしなかったのです。

 でも,今の私は,このことに全くといっていいほど,抵抗がありません。もっというなら,なんの感情もわきません。

 おかしいな,どうしてだろう,私は本と本屋の,一体なにが好きだと思っているのか,自問する毎日です。本と本屋が好きという点で共通する母とは,これからも話がかみ合うのだろうか,そんなことを,毎年楽しみにしている秋の夜長の訪れを心待ちにしながら,考えています。

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