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2011年02月25日の記事は以下のとおりです。

マイクロコンピュータ小史~その1 第一次マイコンブーム

 今でこそ,手元に必ずあり,家電量販店の一角で主力商品の1つとして販売されるようになったパーソナルコンピュータですが,こうなるまでに紆余曲折が随分とありました。

 電子工作が大好きで,作る事と使う事を楽しめた私も,何度か訪れたパソコンのブームにはそれなりの経験をしていますが,その頃を語る資料や書籍に目を通すと,必ずしも自らの記憶と合致するものとは限らないことがままあります。

 これは,住んでいた場所,周囲の人々との関わり合い方,お金持ちだったか貧乏だったかという経済状況,他のことに興味があったかなかったかに大きく左右されるところがあって,特に1980年代中盤を少年として過ごした人々にとって,それこそ千差万別の記憶として残るものだからと思います。

 というところまで考えた上で,私なりに少しまとめてみることにしました。今後不定期に書いていこうと思います。

 私は1971年の生まれで,住んでいたのは大阪の郊外,両親はどちらも文系で,どちらかというと貧しく,私自身もそれほど勉強が出来たわけではありません。ま,当時としてはごく普通の家だったんじゃないでしょうか。

 まず第1回目は,第一次マイコンブームです。

 そもそも,マイコンブームとは何だ,と言うところから考えなければなりません。諸説ある中で,私自身が考えるマイコンブームを定義し整理します。また,本来その中心地であるアメリカの状況を無視して考えるわけにはいかないのですが,とりあえず国内の状況を軸にします。

 なお,私自身は第一次マイコンブームは経験しておらず,どんなものかをリアルタイムでは知りません。第二次マイコンブームはの渦中にいた時,一昔前の話として当時の雑誌や人づてで知った事が中心になっているので,例えばこの時すでに30歳代だったミニコンのSEの人たちの感じた印象と食い違っていることは,当然あり得るでしょう。


・第一次マイコンブーム(1970年代中盤から1979年)

 1971年に登場した4004というマイクロコンピュータをきっかけにし,それまで大きく高価だったコンピュータが,個人で所有出来るようになったことから,マイクロコンピュータが技術者だけではなく,学生や一般の人々を巻き込んだ一大ブームになった。最初のマイコンブームだったことから,これを第一次マイコンブームと呼ぶ。

 それまで,トランジスタやゲートICなどの部品を多数集めて作らざるを得なかったコンピュータは,専門の知識,技能,そして相応の経済力を持たなくては買う事も作る事も出来ず,きちんとした利用目的を持った専門家が購入するものであった。

 しかし,半導体技術の進歩によって登場したマイクロコンピュータを利用すれば,LSIを数個から数十個組み合わせるだけで小型のコンピュータを作る事が出来るようになり,アマチュアが趣味で取り組む事が可能になった。

 初期は処理能力も低く,高価だったマイクロコンピュータも,1976年頃になるとミニコンピュータの下位機種程度の性能を持つ8bitのCPUが1つ数千円で購入できるようになり,またその入手や取り扱いも簡単なものになってきた。

 このブームの中心にいたのは,電子工作を得意とするホビーストやアマチュア無線家,理系の学生や企業の技術者など,すでにコンピュータとは何かを知っている人たちであり,コンピュータを自分達で作り,また所有して独占使用するという憧れが,強い動機になっていた。

 CPUやRAMなどを部品で購入し,これをハンダ付けして組み立てる事は,個人が趣味で出来るようになったとはいうものの,やはり技術力と根気,そして大きな資金が必要であった上,組み立てた後のソフトウェアを作る事も当然自分達で行わねばならず,基本的には全てが手作りであった。

 この頃創刊されたマイコンに関する雑誌として,I/O,ASCII,マイコンなどがある。これらはまだまだ少なかったコンピュータを作るという作業に必要な情報を発信する,非常に貴重な存在であった。

 このブームの後半である1976年には,日本電気からTK-80というトレーニングキットが登場する。これは面倒なハードウェア製作の手間を減らし,マイクロコンピュータの利用と習熟を目的とした,CPUを売る立場の半導体メーカーが用意したキットの1つだが,当初顧客であるメーカーの技術者をターゲットに想定したTK-80は,その思惑から外れアマチュアが秋葉原などの小売店で購入し,自ら組み立てるという形で異例のヒットを記録し,NECのパソコンビジネスの途端を開いた。

 TK-80のヒットに触発され,日立製作所やシャープ,富士通といったCPUメーカーから相次いで同様のトレーニングキットが発売され,これらは総じてワンボードマイコンと呼ばれるようになる。

 こうしてワンボードマイコンは,本来の技術者のトレーニングにも使われる一方で,一般の消費者にも小売店で販売され,フルキーボードやTVモニタ,大容量のRAMやBASICといった高級言語が利用出来るようになるなどの拡張が行われていった。そして,誰でもお金さえ出せばコンピュータが手に入るワンボードマイコンによって,第一次マイコンブームはピークを迎えることになる。

・このころのCPU

 国内外の半導体メーカーから多種多様なCPUが登場し,価格も性能もまちまちであったこの時代,自分で気に入ったCPUを探してこれを中心にコンピュータを作り上げるのが普通であったことから,まずどのCPUを選ぶかがコンピュータを手に入れる,最初の作業であった。

 8080はインテルの8ビットCPUであり,現在まで続くx86の原点と言えるもの。この当時の代表的CPUの1つであり,64kバイトのメモリ空間やスタックポインタの実装など,当時の8ビットCPUの基準となった。ただしハードウェアの設計はやや難しく,これが大きく改善されたZ80が登場すると,主役の座を降りることになる。

 6800はモトローラの8ビットCPUであり,現在小型の組み込みマイコンとして使われるフリースケールのHC08の源流である。ミニコンピュータの設計を手本にしたアーキテクチャで知られる。6800は後に6809となり大幅に機能が強化され,究極の8ビットと呼ばれるようになる。

・このころのメモリ

 大容量を実現出来るダイナミックRAMはまだまだ扱いが難しく,また高価で信頼性も低かったことから,もっぱらアマチュアにはスタティックRAMが用いられた。スタティックRAMは現在のような低消費電力を特徴とするものではなかったため,わずか4kバイトのメモリを実装するのに1kビットのSRAMが32個も必要なるなど,規模の大きな回路と大きな消費電力,そして発熱に悩まされた。

 ROMはUV-EPROMがまだ一般的ではなく,マスクROMが主流であったが,ユーザーの手元で書き込みが出来るROMとしてはヒューズROMもしくはEEPROMが使われた。

・このころのデバイス

 ミニコンピュータを始め,多くの電子機器で大量に使われたICがTTLであり,特に当時最新だったLSシリーズが消費電力と性能を高次元でバランスしており,主流であった。

 現在主流のCMOSは,低速でも低消費電力で,広い電圧範囲で動作するといった特徴を有した特殊なICであり,腕時計やおもちゃなどに限定的に使われたに過ぎない。また,pMOSやnMOSについては集積度が上げられること,TTLに比べて消費電力を下げられることから次第に大規模なLSIに使われるようになっていった。

・このころの技術な流れ

 マイクロコンピュータが普及するに至り,民生品へのマイコン搭載が当たり前になってくると,技術者達に求められる技術として,デジタル回路とソフトウェアが求められるようになる。しかしその主流はまだまだアナログ技術であり,完全なリアルタイムで動作する電子回路を複雑に動作させることで,所望の仕様を実現していた。

・このころのヲタク

 第二次ベビーブームの少年達の趣味は,豊かになった親の世代に支援を受け多様化する。ブルートレイン,テレビゲーム,アマチュア無線,電子楽器,カメラ,生録音,ステレオ,BCL,スロットレーシング,簡単なラジコン,電子工作,Nゲージ鉄道模型,などが流行った。総じてエレクトロニクスの発展が新しいホビーを生み出すきっかけになっていた。

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