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2011年02月28日の記事は以下のとおりです。

マイクロコンピュータ小史~その2 第二次マイコンブーム

 今回は第2回目,日本の,世界のマイコンが熱かった,あの時代を振り返ります。

・第二次マイコンブーム(1978年から1980年代中盤)

 電子工作の延長で始まった第一次マイコンブームは,その動機がコンピュータを作り,所有するという点にあり,コンピュータそのものの実用的利用を念頭に置いたものではなかった。

 しかし,ワンボードマイコンが完成品として安価に手に入るようになって,自分で部品を集め,組み立てる必要がなくなり,また拡張機器が充実することにより,やがて実用的な利用を動機とする人々向けのコンピュータが主流になる。

 それまでワンボードマイコンを販売してこなかった家電メーカーや事務機メーカーなど,多様な会社の参入があり,多くの機種が誕生し,雑誌にも多くの広告が掲載されるようになった。

 また,この時期のマイコンの使用目的としてBASICを使ったプログラミングとゲームに加え,家計簿や住所録,学校教育のアシストといった真面目な用途ついても期待されたが,これらはそもそものコンピュータの性能が低いことやプリンタやフロッピーディスクといった外部記憶装置を含む周辺機器が本体並みに高価だったことから実現出来ず,結局BASICプログラミングとゲームが主な用途となっていた。


・この頃のマイコンの特徴

1.8ビットのCPUを搭載している

 かつては多くのCPUが存在していたが,このころになると8ビットCPUはインテルの80系か,モトローラの68系の2つに集約される。80系の代表は8080上位互換のザイログ製Z80であり,68系の代表は8ビットCPUとしては最高性能とされた6809である。

 8ビットのCPUは,一度に管理できるメモリ空間が64kバイトであり,当時主流となりつつあった64kビットのDRAMチップと相性が良かったことに加え,フロッピーディスクやハーフVGA程度までのグラフィクス,あるいは3和音程度の音楽機能を持たせるには適当だったということもあり,どうしても高価なシステムとなる16ビットCPUは「ビジネス用途」のコンピュータに限定される時代が長く続いた。

2.OSは存在せず,BASICインタプリタがOSとエディタの機能を持っている

 OSは存在せず,電源を入れると即座に起動するBASICインタプリタがOSとエディタの機能を包含していることが,この時代のマイコンの最大の特徴である。

 これ以前のワンボードマイコンの場合,モニタからBASICインタプリタを起動する必要があるなど,BASICインタプリタが単独のソフトウェアとして位置づけられていたが,ベーシックマスターやPC-8001の登場によって,電源を入れると即座にBASICインタプリタが動作することが標準となった。

 これは,BASICインタプリタがダイレクトモードによってコンピュータに指示を出せたこと,外部記憶装置や画面制御などの資源を管理出来るようになったこと,スクリーンエディタの機能も持つようになったことで,これらを区別せずに実装する方が,より使いやすかった上に,メモリも小さくて済んだことによるものと考えられる。

 また,現実的な問題として,高級言語としてBASICは習熟が容易であり,扱いの難しいコンパイラではなくインタプリタとして実用になったことも,BASIC以外の言語を選択する必要がなかった理由であると考えられる。

 ただし,シャープのMZシリーズやX1シリーズはBASICインタプリタをROMに持たず,メモリ空間の大部分をRAMに割り当ててあった。ユーザーはブートローダによって外部記憶装置からBASICインタプリタをロードしなければならなかったが,反面BASIC以外の言語を利用出来たり,CP/MなどのOSを簡単に動かすことが可能であった。

3.メーカー間,あるいは機種間の互換性がない

 異なるCPUを選択したマイコンに互換性がないことは当然として,周辺LSIの違いやメモリマップといったハードウェアの違いや,BASICの言語仕様の違い,BIOSコールのアドレスやROMサブルーチンの仕様の違いといったソフトウェアの違いによる機種間の非互換性は,当時はごく当たり前のこととされていた。

 機能の違いや使いやすさ,価格の高低などはこうした違いから生まれるものであり,むしろ積極的に他との違いをアピールすることが普通であった。

 結果として,マイコンごとに得意なことや不得意なことが生まれることになり,用途や目的を満たすために最適なマイコンを選ぶことから始める必要があった。

 また,このことがユーザーの派閥を生むことに繋がり,特定の機種に入れ込む熱狂的なファンが他機種を非難するなどの行為が,実質的なパーソナルコンピュータのアーキテクチャの統一が図られる1995年頃まで続くことになる。


・このころのマイコン

 1978年に登場した日立製作所のベーシックマスターは,その名の通り電源を入れれば即座にBASICインタプリタが立ち上がる,後のマイコンの源流となった記念すべきコンピュータであり,この点において日本で最初のパーソナルコンピュータと位置づけられる。CPUには6800を装備し,多くのユーザーによって支持されたが,絶対性能の低さ,市販ソフトのスクなさゆえ,次第に存在感が薄くなってゆく。

 1980年には日本で最初に6809を搭載したマイコンとしてベーシックマスターLevel3が登場,1984年にはその後継となるS1が登場するが,意欲的な機能と性能に評価は高かったものの,大ヒットすることはなく日立製作所は独自アーキテクチャのマイコンから撤退することになる。

 同じ1978年にはシャープからMZ-80Kが登場する。CPUにはZ80を搭載し,ディスプレイとキーボード,カセットデッキまでを1つの筐体に格納したオールインワン設計と,BASICインタプリタをROMに持たず,メモリ領域の大部分をRAMに割り当てたクリーン設計によってヒットする。

 MZ-80Kはキーボードの組み立てにハンダ付けが必要なセミキットとして販売されたが,このアーキテクチャを踏襲するMZ-80C,MZ-1200,MZ-700,MZ-1500などの機種では完成品として販売されることとなる。

 1981にはMZ-80Kを大幅に機能アップしたMZ-80Bが登場する。オールインワン設計とクリーン設計を踏襲しつつ,メモリの拡張,高解像度グラフィックのサポートなどで高度な処理に対応し,後にMZ-2000,MZ-2200,MZ-2500といったマシンの源流となる。

 一方,MZシリーズとは異なる事業部において,テレビとの融合を図ったX1シリーズが1982年に登場する。クリーン設計は引き継ぐもディスプレイとキーボードは本体から分離したデザインで,当時の家電を意識したデザインとレッド,シルバー,ホワイトのカラーバリエーション,サウンド機能や640x200ドットで8色カラーのグラフィクス,PCGといったゲームに有利な機能と業界標準であったマイクロソフトBASICに近い文法を持つ高機能なHu-BASICを搭載し,独自のユーザーを獲得する。

 1984年にはZ80ファミリを全面採用し,16ビットマシンに匹敵する表示能力を持ったX1turboシリーズが登場し,8ビットマイコンの終息期まで生き延びた。

 1979年には日本電気からPC-8001が登場する。PC-8001はこの当時求められた機能の多くを搭載した完成度の高いモデルであり,かつ168000円という低価格によって大ヒットとなり,その後の日本電気のパーソナルコンピュータ事業の礎となった。

 CPUにはZ80,カラー表示とセミグラフィックを備えており,世界標準であったマイクロソフト製の強力なBASICインタプリタをROMで実装,電源投入で即座に利用可能となっていた。

 1981年には基本的なアーキテクチャを踏襲して日本語の表示機能や大容量メモリを搭載したPC-8801と,機能を落としより低価格にしながら,グラフィックとサウンド機能については強化を図ったPC-6001が登場し,この後しばらくのラインナップとなる。

 1985年にはPC-8801の後継機種であるPC-8801mk2SRが登場し,他メーカーを押さえて8ビットマイコンの覇者として君臨する。ゲームを始めとしたソフトウェアはこのPC-8801mk2SR向けに優先的に開発される傾向が強くなり,当初のビジネス向けの性格からホビー向けの性格を強くしてゆく。

 この後,PC-9801などの16ビットマシンに移行するに従い,8ビットマイコンはその使命を終えることになる。

 1981年に富士通から登場したFM-8は,CPUには6809を2つ用い,マイクロソフト製のBASICをROMに持つ8ビットマイコンとして登場する。当時最先端だった64kビットDRAMを採用し,大容量メモリを標準で実装し,オプションでJIS第一水準の漢字ROMまで搭載できた。

 グラフィックは640x200ドットの8色カラーであるが,48kバイトにもなるVRAMの実装と高速化のためにグラフィックを担当するサブCPUを用意し,ここにも6809を搭載したことを大きな特徴とする。

 また,バブルメモリという当時期待された外部記憶装置のスロットを本体に装備しており,豊富なオプションと共にどんなことにも対応出来る意欲的なコンピュータであった。

 1982年にはFM-8からADコンバータなどあまり使用されない機能を省き,サウンド機能を追加,処理速度を向上させた下位機種のFM-7が発売になる。126000円という低価格で20万円近いライバルと真っ向勝負が可能というコストパフォーマンスの高さにより大ヒットとなる。このことで富士通はNEC,シャープと列んでパソコン御三家と呼ばれるようになる。

 1985年にはFM-7を源流に,大幅にグラフィック性能を向上したFM-77AVが登場し,このアーキテクチャが8ビットマイコンの終息まで生き残る。


・MSXの流れ

 こうした個性的なコンピュータが販売される一方で,8ビットマイコンの共通規格を策定し,各メーカーはこれに従ってハードウェアとソフトウェアの互換性を維持する動きもあった。

 BASICインタプリタで圧倒的なシェアを持つマイクロソフトと,日本のアスキーによるMSXがそれで,CPUにはZ80を,VDPにはTMS9918,PSGとしてAY-3-8910を採用し,これに強力なMSX-BASICインタプリタが搭載され,各社から1983年に発売された。

 ゲームを主な用途に据えていたこともあり,ROMカートリッジによってソフトウェアが供給されるような仕組みを備えていたほか,BIOSによってBASICのバージョン違いやちょっとした非互換部分を隠蔽化する仕組みも持ち,機種間の互換性は非常に高いものがあった。

 しかし,実際にはMSXという単一の8ビットマイコンがいろいろなメーカーで製造され,販売されただけのことといえ,それぞれのメーカーでは個性を出すことと互換性を維持することの両立に頭を痛めていた。

 結局NECとシャープはMSXの発売を行わず,富士通も1機種出すにとどまった結果,パソコン御三家対その他の弱者という構図が定着することとなる。

 ただし,MSXは世界展開を視野に入れ,韓国やヨーロッパでは一定の成功を収めた。また1985年にはグラフィック性能を向上したMSX2が登場,1998年にはグラフィック周辺を改善したMSX2+が登場し,MSXにおける事実上の標準となった。1988年にはCPUを高速化したMSXturboRが登場するが,10万円以上という価格と絶対性能の低さ,また結局松下電器1社しか発売しなかったことなどからこれを最後にMSXは消滅した。


・周辺機器の進化

 1980年代は,劇的な技術革新による価格の低下により,それまで高嶺の花だったものが民生品として手に届くようになっていた。

 1980年代初期には本体価格よりも高価だったフロッピーディスクドライブは1980年代後半には5万円台の本体に内蔵されるようになり,メディアの価格も大幅に下がることで,爆発的普及を果たした。

 プリンタについても,日本語ワープロの爆発的普及に端を発した高精細な日本語熱転写プリンタが安価に提供され,カラー印刷も可能になっていった。

・機能の進化

 複雑な処理と高度なグラフィックに不可欠なRAMも大容量化が進み,1980年代初頭には16kビットが標準だったDRAMは,1984年頃には64kビットに,1980年代後期には256kビットのものが使われるようになった。

 また,サウンド機能も大きな進化を遂げ,初期にはビープ音のみだったものが,タイマICを使った音程を可変出来る仕組みに発展,やがて3和音を奏でるPSGと呼ばれた専用LSIが標準的に搭載されると共に,これをBASIC上で駆動するためのMMLというマクロ言語が普及することで,コンピュータによる自動演奏への道が開けた。

 さらに,LSI化することが容易という特徴を生かして,ヤマハによるFM音源を搭載したデジタルシンセサイザLSIが搭載されるようになると,多くの和音を多種多彩な音色で演奏することが可能なり,その豊かな表現力によってマイコン利用の1つのジャンルとして定着するに至った。


・表示能力の進化

 初期の代表機種であるPC-8001は160x100ドットのセミグラフィック(1つの文字に2x4ドットのグラフィックパターンを書き込んでおきこれをテキスト画面に並べることで擬似的にグラフィック表示を行うもの)を持っていたが,メモリの価格が下がることで256x192ドットや320x200ドットといったフルグラフィックが利用出来るようになる。

 そして高解像度グラフィックとして640x200ドットのフルグラフィックが1つの到達点となり,高級機種はこの表示能力を持つことが標準となる。16ドットの漢字が1行に40文字表示することが出来るこの能力は,特に国内のコンピュータに強く求められるものであった。

 PC-8801などは,水平周波数を15kHzから24kHzにした超高解像度表示をサポートしており,モノクロながら640x400ドットという表示能力を持っていた。このモードでは16ドットの漢字を40x25文字という十分な文字数表示することが可能であり,特にビジネス用途において必須となっていった。

 しかし,この画素数は,処理速度やメモリ容量から8ビットCPUには荷が重く,本格的に利用されるようになるのは16ビットコンピュータが主流になって以降の話で,ディスプレイとして家庭用テレビをそのまま利用したり,専用であっても安価であった200ライン表示が,この頃の標準であった。


・ファミコンとゲーム

 8ビットマイコンによって,ゲームを作る,ゲームで遊ぶことが家庭で実現したが,それでもゲームセンターにあるゲーム機に比べてハードウェアもソフトウェアも貧弱だったマイクロコンピュータで作ったゲームは大きく見劣りするものであった。

 そんなおり1983年に登場したファミリーコンピュータは,ゲームセンターのゲーム機を基本性能を損なわないような形で簡略化し,徹底的なコストダウンによって14800円という低価格を実現し,大ヒットとなった。

 それでも,いわばプロ仕様であるゲームセンターのゲーム機の進化は激しく,ゲームセンターでヒットしたゲームがどのくらい家庭用の機器で忠実に再現できるのかが,そのゲームソフトの評価基準の1つであったといえる。

 また,基本的にゲームセンターのゲーム機の開発を専門とするメーカーが,ファミコンなどの家庭用ゲーム機に参入してソフトウェアの開発と販売をビジネスにするのも,このころの大きな転換点の1つであった。


・ポケットコンピュータの存在

 科学技術計算の現場や大きな金額を取り扱う事務所などでは,処理能力の高い電卓がしばしば利用されていた。これらは自動計算を行うためのプログラムが可能だったり,複雑な関数を持っていたり,小型のCRTディスプレイで高い表示能力を持っていたり,プリンタを内蔵したものもあった。

 これらの中には,プログラム電卓専用の言語を引き継がず,BASICを搭載するものも現れた。電卓を源流に持つマイクロコンピュータの誕生であるが,一般の量販店では販売されることが少なく,高価なものが多かった。

 やがてこれらの電卓はポケットサイズになってゆくが,通常の関数電卓とは違った流れとして,BASICを搭載したプログラム電卓という独自のジャンルを形成し,ポケットコンピュータと呼ばれるようになる。

 最初のポケットコンピュータは1980年に登場したシャープのPC-1210である。小型で安価,フルキーを備えBASIC言語が扱えるマイクロコンピュータとしてヒットしたが,翌1981年には弱点であった処理速度とメモリ容量を改善し,本格的なBASIC言語を装備したPC-1500を登場させ,この分野を確立した。

 また1981年にはカシオがfx-702Pを発売,翌1982年にはシャープがPC-1210の後継であるPC-1250を発売し,速度,メモリ容量を拡大,またさらにサイズを小型化して真のポケットコンピュータと呼べるものが登場するようになる。

 そしてカシオから,14800円という低価格で1982年にPB-100が登場し,BASIC言語を扱えるコンピュータとして初めて15000円を切った価格で衝撃を与え,多くのユーザーを獲得した。

 ポケットコンピュータはその後,PC-1250を源流に持つもの,PB-100を源流に持つものを軸に1990年代中頃まで販売が続けられるが,BASIC言語に対するニーズが激減し,工業高校や理工系の大学における教育用のコンピュータとしての役割もほぼ終えたことから,現在新品でポケットコンピュータを入手することは難しい。

 ポケットコンピュータは,BASICによってプログラムを作成出来るプログラム電卓の一種であり,当然関数電卓としての基本機能を失っていない。よって多くの機種で電卓モードとプログラムモードを備えており,電卓モードでは通常の電卓同様に扱うことができる。

 学校で教材として触れた学生もいれば,安価なマイクロコンピュータとして手に入れた人も,また持ち運びが可能なコンピュータとして活用した人もおり,現在も一部の人々の間で重用されている。

 
・このころ参入した8ビットマイコンメーカーと機種

 東芝:パソピアシリーズ・・・Z80を中心に構成されたパソコンで,特に後期に登場したパソピア7は,高いグラフィック能力とサウンド機能を武器に一定の存在感を示したが,販売台数が伸びず,市販のソフトも少ないまま消滅。その後MSXに軸足が移る。

 三菱:マルチ8・・・Z80を中心に構成されたパソコンで,ビジネスにも対応出来る能力を備えてはいたが,いかんせん市販ソフトがほとんどなく,存在感を示すことなく消滅。こちらもMSXに参入するが,ここでも存在感を示せず撤退。

 松下電器:JR-100/200・・・実際には松下通信工業が開発した初心者向きのマイクロコンピュータで,CPUには6800を使っていた。JR-100は54800円という廉価な価格でBASICを学習できるホビーマシンで,モノクロでグラフィックを持たないがPCGを装備していた。JR-200ではカラー対応とサウンド機能を持った後継機種である。JRシリーズは松下電器産業がMSXに参入する際に終息している。

 ソード:M5・・・ゲームを志向した小型のマイクロコンピュータで,CPUにはZ80,VDPにはMSXと同じTMS9918を使っていた。Z80のモード2割り込みを使った数少ない機種の1つ。TMS9918の機能であるスプライトや,サウンドジェネレータをフルサポートしたゲーム作りに最適なBASIC-Gが別売りで用意され,人気のあった機種であった。しかしMSXと似たようなスペックであったことと発展型の後継機種が出なかったこと,メーカーであるソードの経営不振などもあって,早い時期に市場から消える。

 タカラ;ぴゅう太・・・オモチャメーカーであるタカラが作った16ビットマイクロコンピュータで,CPUにはTMS9995,VDPにはTMS9918を搭載していた。国内仕様ではBASICがすべてカタカナによる日本語で記述することになっていた。その後英語表記のBASICに戻した後継機種も出ているが,これもMSXと似たようなスペックだったこともあり,それ程普及せず終息。

 バンダイ:RX-78・・・バンダイが発売したマイクロコンピュータで,ゲームを主な用途としていた。製造はシャープが請け負ったが,ヒットせず市場から消える。

 セガ:SC-3000・・・ゲームメーカーのセガが発売した廉価版のマイクロコンピュータで,29800円という低価格で発売された。SC-3000からキーボードを省いた専用ゲーム機がSG-1000であり,セガの家庭用ゲームマシンの源流である。CPUにZ80,VDPにTMS9918というMSXと類似の仕様となっており,ほぼ同時期に発売されたファミリーコンピュータからは見劣りした。
 
カシオ:FP-1000・・・カシオが発売したセパレート型のマシンで,CPUはZ80 ,内部BCD演算の高精度なBASICを搭載,PC-8801に匹敵する性能をはるかに安い価格で実現した良心的モデルであった。計算機のカシオらしいマシンであったがシリーズ化されることなく終息。

ソニー:SMC-70・・・CPUにZ80を搭載,アナログRGBによる中間色を扱える高度なグラフィック機能に,新開発の3.5インチフロッピーディスクが用意された,CP/Mを思考した意欲的なマシン。後に低価格化したSMC-777も登場したが,MSXへの参入をきっかけに終息。

エプソン:HC-20・・・電池で長時間駆動するフルスペックのマイクロコンピュータとして注目された,世界初のハンドヘルドコンピュータ。CPUはCMOS版のHD6301Vで,メモリを含むほとんどのICがCMOSで構成されていた。強力なマイクロソフトBASICを装備し,RAMもバックアップが行われ,内蔵のNi-cd電池で50時間の動作が可能,当時としては大型のLCDとフルキーボードを装備,プリンタやカセットデッキも内蔵していた。HCシリーズはその後長く機種展開を続け,周辺機器として音響カプラも用意され,今で言うモバイルコンピューティングを具現化した記念碑的マシンと言える。

三洋電機:PHC-25・・・CPUにZ80,VDGに6847というPC-6001によく似た構成を持っているが,BASICで作られたプログラムに多少の互換性があるという程度であり,よく言われるような互換機ではない。サウンド機能などを省いて価格を下げたホビー向けのマイクロコンピュータであった。この後PHCシリーズはMSXに移行し,独自アーキテクチャのマシンは終息する。


・このころの外部記憶装置

 当初,外部記憶装置と言えば,音楽用のカセットテープであった。FSKを変調方式に使い,300bps程度のシリアルデータと音を相互に変換し,この音をカセットテープに録音する仕組みであったが,低速で信頼性が低く,また寿命も短い上にランダムアクセスが出来ないなど,致命的な欠点を持っていた。

 8ビットマイクロコンピュータとはいえ,64kバイトを越えるメモリを搭載するようになると,高速化されたカセットテープであっても10分程度の待ち時間を要する場合もあり,フロッピーディスクへの憧れがユーザーの間で高まっていった。

 フロッピーディスクは当初8インチのものしかなかったが,高速大容量であった一方で非常に高価であり,扱いも決して楽ではなかった。ほぼ同じ構造を踏襲し小型化した5.25インチのフロッピーディスクが登場し,Apple][で標準的に利用されるようになると,マイクロコンピュータの外部記憶装置として手頃なものとして急激に普及するようになった。

 1980年代中盤にメディアは1枚1000円エイド,ドライブは2ドライブのもので20万円弱というのが相場であったが,徐々に値段も下がり,1980年代後半にはメディアは1枚100円程度,ドライブも2ドライブで6,7万円で手に入るようになった。また10万円程度のマシンにドライブが標準されるようになったことも大きい。

 後に固いジャケットとシャッターを備えた3.5インチフロッピーディスク,5.25インチの互換性を重視した3インチフロッピーディスクなど,小型化されたものが登場するが,最終的には5.25インチと3.5インチが生き残ることになる。

 一方,カセットテープ並みの安さ,手頃な記憶容量と,ディスクの高速性を両立した手軽なメディアとして,クイックディスクの存在がある。大きさは約2.5インチで,渦巻き状に記録される。片面64kバイトという8ビットマイクロコンピュータにぴったりな容量を持ち,8秒でセーブとロードが完了する高速性と,特にドライブが安価であったことから,MZ-1500やファミリコンピュータディスクシステム,電子楽器などに用いられた。

 バッテリバックアップが可能になったC-MOSのSRAMを用いたRAMカートリッジやRAMカードを採用したケース,バブルメモリという時期バブルを応用した新しい記憶装置を採用したもの,MSXのようにマスクROMをカートリッジに収めたものなど,高価なフロッピーディスクの代わりになるメディアがいくつも提案されたが,結局フロッピーディスクの低価格化によってそれらはほとんど消滅した。


・このころのデバイス

 ロジックICはTTLの74LSシリーズが多く用いられたが,マイクロコンピュータ用の大規模なLSIはnMOS化が進み,ほとんどのLSIが5V単電源のnMOSとなっていた。

 DRAMは16kビットから64kビット,256ビットと順調に集積度が上がり,また扱いやすく改良されるようになって,多くのマイクロコンピュータで使われるようになった。

 一方のSRAMは低消費電力でバッテリバックアップ可能なC-MOSで作られた6116シリーズが登場し,DRAMとは別の用途に用いられるようになる。特にポケットコンピュータやSRAMカードといったバッテリバックアップという性能を十二分に生かした用途は,これらがなければ成り立たなかった。

 CPUはもちろん,周辺LSIの充実もこの時期に行われ,PPI,UART,DMAC,タイマといった基本機能を実現するファミリLSIを始め,PSG,CRTC,LCDC,FDC,GDC,GPIBコントローラや浮動小数点演算を行うプロセッサなど,多くの品種が揃っていた。

 ROMについては大容量で安価なマスクROMが主流であったが,紫外線で消去し,専用のライタで書き込むUV-EPROMが書き換え可能なROMとして主役の座にあった。また,マスクROMにあらかじめJIS第一水準や第二水準の漢字フォントを書き込んだ状態のROMを漢字ROMとして販売していた。

 1980年代後半から,nMOSやTTLよりも消費電力を引き下げ,かつ高速動作が可能なC-MOSのICを製造する技術が確立し,TTLシリーズと肩を並べるようになった74HCシリーズがロジックICとして急速に普及を果たす。同時にnMOSで作られたCPUなどもC-MOSで作られるようになり,電池駆動が可能なマイクロコンピュータが実現するようになった。


・このころの汎用OS

 8ビットのマイクロコンピュータでは,一般にOSを持たず,BASICインタプリタがその役割を果たすことは既に述べた。しかし,汎用のOSを動作させて,この上でプログラムの開発や実行を行うケースも多く,一部のマニアや技術者が利用していた。

 このころのマイクロコンピュータ用OSは,特定の機種専用という形ではまだ販売されておらず,ハードウェアに依存した部分をユーザー自らが変更して,自分のコンピュータで動作させるのが普通であった。

 CP/Mはデジタルリサーチが開発した8080用のOSで,当時ようやく利用出来るようになってきたフロッピーディスクを前提にした,マイクロコンピュータ用の汎用OSとして世界最初のものである。CP/Mは8080やZ80では標準となっていたOSであり,FORTRANやCOBOL,Cをはじめとした各種高級言語,マクロアセンブラやリンカ,Wordstarなどの高機能なエディタなど充実したソフトウェアが揃っていた。

 OS/9はマイクロウェアが開発した6809用のOSで,6809の高い性能を生かすことの出来る,非常に優れたOSであった。もともと6809用の高級言語であるBASIC-09が開発され,この言語が動作する環境として整備されたOSという経歴を持つ。マルチタスク,リエントラントといった特徴を持つもので,その信頼性の高さから製造機器の制御などの工業用途にも多くの採用例があった。

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