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2011年09月16日の記事は以下のとおりです。

GALAPAGOSは撤退か転進か

 シャープの電子書籍端末,GALAPAGOSの2機種が生産終了に伴い,販売終了とという発表がありました。後継機種が出ていませんので,事実上の撤退ということになります。

 GALAPAGOSはなにも端末の名前でもなく,電子書籍端末のサブブランドでもなく,電子書籍ビジネス全般の名称ですので,端末を出さないことが直ちに撤退,ということになるというのはやや勇み足でしょう。

 しかし,1年で100万台売る事を前提にして始めたビジネスが,10万台未満の数字で維持できるというのはあまりに甘く,また端末がAndroidマシンになった段階で,もうGALAPAGOSというエコシステムは実質「消えた」と見るべきでしょう。

 思えばその自虐的な名前で話題になって1年。発売からわずか10ヶ月で姿を消すまでの間に,これほど迷走したプロダクトも珍しいのではないかと思います。

 当初の直販のみという販売方法を実現するには,気が遠くなるほどの反対意見を説き伏せないといけなかったはずですし,それ以前にチーム内での議論にも随分時間をかけたのではないかと思います。

 それだけのことをやっておきながら,あっさりと店頭販売を認めたことが,私にはとても不自然に思えました。これがまず1つ。

 次に先にも触れた,Androidタブレットにするというアップデートです。もともとLiunxベースと発表されていたGALAPAGOSは,実のところAndroidベースと言っても差し支えがない物でしたが,Androidと名乗るにはいくつかの条件があって,それを満たしていなかった,あるいは時間的に間に合わなかったために名乗れなかったのだと思います。だから私は,戦略の変更というよりも,最初からAndroidで出すつもりだった,と考えていました。

 このアップデート自身は歓迎されるものだったと思いますが,これだって相当の議論があったはず。内部だけではなく外部の反論と闘わねばならなかったことは,直販専用にしたことと同じくらい大変だったはずです。これは,iPadと直接比較されるのか,されないのか,というメーカーに取ってもユーザーにとっても,とても大きな違いです。

 それがあっさり,iPadと同じカテゴリに入ってしまいます。ユーザーが欲しかったのは,電子書籍端末であり,なんちゃってiPadではなかったはずです。

 こういう,ユーザーの裏切り方というのは,近年大変珍しいと思います。そのハードウェア,そのビジネスモデル,その将来性,そのコンセプト,その「何か」に共感されて,製品というのはユーザーに買われるわけですが,ユーザーの支持を受けた「何か」が変わってしまうことは,新しいユーザーの獲得に繋がる一方で最もありがたい初期のユーザーを裏切ることに他ならないからです。

 どんなことでもそうですが,変化に追従することを歓迎する人でも,ぶれてコロコロ変わってしまうことを肯定する事は少なく,初期のコンセプトが突飛なもの(直販しかり専用端末しかり)であればあるほど,初期のユーザーの失望は大きくなるものです。

 まして,GALAPAGOSの場合,ぶれるというより,やめてしまうわけですから,もう失敗だったと言ってるに等しく,これを越える支持者への裏切りというのはもはや存在しません。ユーザーに対する罪と言ってもいいくらいです。

 しかし,このこと以上にGALAPAGOSの問題は,もっと本質的な部分,つまり「電子書籍端末」として機能したかしなかったか,にあります。

 この際コンテンツの数が少ない,ということをあげつらうつもりはありませんが,その数少ないコンテンツが面白いものだったか,欲しいと思う物だったか,わざわざ電子書籍で読みたいと思う物であったか,そしてこれが一番大事なのですが,今はなくとも待てばそれら優良コンテンツが出てくる事を期待出来たのか,今読んでいる本の次があるのかどうか,それを継続的に努力して行かなければ,結果は厳しいものになります。

 つまり,今GALAPAGOSをはじめとする電子書籍端末に投資する人というのは,今すぐに利便性を享受したい人以上に,未来への期待とそれに対する投資という観点が多いはずなのです。
 
 シャープはGALAPAGOSを発表するときに,なんといいましたか。

 一方,電子書籍に逆風が思った以上に吹いているということも,無視できません。

 現在,電子書籍を手に入れる方法(これはつまり電子書籍端末を使う方法と同義)には2つあり,1つは電子書籍を買うという方法,もう1つは自分で電子書籍を作るという方法です。

 後者の「作る」と言うのも,自分で書いてしまう自作もあれば,紙の本をスキャンする「自炊」と言われている方法もありまずが,どちらにしても前者の購入という手段があまりに手薄な現在,後者に頼らざるを得ません。

 自分で書いた物を自分で読むなんて普通はしませんから,実質紙の本をスキャンすることしか入手方法がありません。スキャナは進歩し,安くもなりました。なによりニュースなどでも採り上げられて,多くの人の知るところとなりました。

 しかしこのことが,私の想像以上に「負のイメージ」を持つ事に,驚いています。

 つまり,自炊はコピーだという認識です。もっと積極的にいうなら,違法コピーだ,どろぼうだ,ということです。

 私は,自分で買った紙の本を裁断し,スキャンし,捨てています。実体として価値のある物はスキャンせず本棚に入れておきますが,私にとって実体に価値のないものは,電子化しても価値は目減りしません。

 これはごくごく当たり前のことなので,私は自分の凝り性を自嘲気味に,自炊した冊数やスキャンしたページ数で自慢することがまれにあります。

 しかし,周囲の受け取り方がここ最近大きく変化したと感じています。それは,自炊=犯罪者,という見方です。自炊した本が何千冊ある,という言い方は,何千冊も本を買うはずがない,従って電子化された本をどこかからコピーしてきたのだ,という論法です。さらにたちが悪いのは何千冊の本を読むはずもなく,それをただ集めたいからでコピーしているだけ,と言う蔑まれ方です。

 冗談じゃありません。私は2000冊以上の本を自炊しPDFとして持っていますが,そのほとんどを読了しています。また,その本はほとんど全部,これまでに自分で購入した本です。

 まさか,本をデータという形で盗む人がいるなど考えつきませんでした。

 私が自炊をする最大の動機は,せっかく買った本を捨てずに,手元に残すという方法として唯一だからです。そして昨年,ようやくそのデータを紙ではない媒体で読む事が可能になりました。Kindleの購入です。

 買ってきた紙の本を裁断機で分解し,それをScanSnapでPDFにした後,Kindleに流し込んで読むというフローは,私にとってはすでに特別な事ではなく,日常となっています。毎日寝る前に読む本はすべてKindleになっていて,すでにこれが使えないという状況,例えば電池が切れているなどがあると,寂しくて仕方がありません。

 私は,結果として電子書籍端末で電子書籍を読むという行為そのものは,抵抗なく受け入れられるものだと考えています。しかし,その肝心な電子書籍が数冊程度では,たんなるガジェットに過ぎません。

 電子書籍端末は,電子書籍が増えれば増える程その価値が増大します。自炊しか供給元が現実的にない日本の電子書籍において,5冊のPDFと2000冊のPDFでは,自ずと電子書籍端末の価値も変わってきます。

 その自炊という行為が,およそ手軽に出来る物ではないため,ごく一部のマニアだけが電子書籍と電子書籍端末を便利に使っているというのが,詰まるところ今の日本の状態です。

 では,自炊の代行は正しい行為でしょうか。代行そのものは,問題ないと思います。ただし,入力は裁断前の本であり,出力は裁断後の本と電子ファイルのセットである必要があると思います。要するに代行者が勝手に紙を処分するとか,裁断後の紙をスキャンするとか,こういう事は禁止され,あくまで「代行」に徹することと,その責任は代行を依頼した人が全て負うことが必要でしょう。

 だから,裁断済みの本を貸す業者や,裁断済みの本を置くマンガ喫茶にスキャナが常備されるとか,代行業者が本を買ってくるとか,そういう行為はアウトです。

 しかし,この代行という仕事は,とにかく違法行為と隣り合わせです。現実的に犯罪行為を行っていると見られることも不可避でしょうし,代行業者にその気がなくても知らず知らずのうちに犯罪の片棒を担ぐことになることも大いに考えられるわけで,このことを織り込み済みで商売をしない限り,うまくいかないと思います。つまり,手間とリスクと代金の相場を考えると,割の合わない儲からない仕事なのです。

 健全な形は,出版の1形態としての電子書籍が販売されることに他なりません。紙の本と電子書籍を選ぶことが出来ればなお良いし,どちらかだけでも良いのですが,いずれにせよ個人の所有物を加工するという「自炊」は,あくまで個人の所有物だから許されているのであり,これが個人の枠から離れるようなことがあると,その段階で問題となります。

 電子書籍の世界に古本はありませんから,電子書籍の出所は,出版社か個人所有の加工物か,いずれかしか存在しません。

 こう考えた時,GALAPAGOSは,いったいそれを支持したありがたいアーリーアダプタに対し,一体何を与えたでしょうか。電子書籍の整備が出来ないので汎用のAndroid搭載マシンとして使って下さい,というのは,あまりに彼らをバカにしていると思いませんか。

 なかには,こうなることは薄々分かっていたとか,うまくいくはずがないと思っていたので驚かないとか,そういう覚めた意見が出ているようです。ですが,GALAPAGOSを信じて買ったユーザーのためを考えたら,ここまであっさりと「あきらめる」ことがよくも出来たものだと,震えが来るような気分の悪さを感じませんか?

 ここまでの完全撤退だと,かすかな希望も見えません。

 はしごを外されてしまったユーザーが,シャープという会社の責任についてどんな風に考えているのか,知りたい所です。

 もし,amazonがKindleをやめたら?ええ,私は別に構いませんよ。だって,KindleはPDFビューワですから。

 GALAPAGOSだってそういう考え方で使っている人がいるかも知れません。

 1つだけ思い出して下さい。

 GALAPAGOSを始めるとき,シャープはパソコン事業から撤退して,GALAPAGOSに集中すると言っていました。MZ-80に始まるシャープのパソコンの歴史は,日本のパソコンの歴史と言える時期もありましたが,それを生け贄にしてまで始めたGALAPAGOSがこの有様ということは,もうシャープには新しい事業を育てる力はないということを露呈したのだと思います。

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