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2011年11月10日の記事は以下のとおりです。

実はすでに処分されていたプジョー306

 私が初めて新車で購入したプジョー306(N3)が私の手元を離れ,父の所有になってから約2年が経過した10月30日,その父から突然電話がありました。

 用件は出産予定日を1週間ほど過ぎたことを気にして「どんな感じか」と電話をしてきたわけですが,電話を切る直前の「そうそう」から始まる,ついでの話に,私はちょっと動揺しました。

 プジョー306を処分したというのです。

 処分というのは廃車したという事か?と確認すると,その通りだという返事です。

 処分するぞ,ではなく,すでに処分したということですから,事後に連絡をしてくると言うのはちょっと話が違います。

 この話の父からの申し出というのは,名義の変更を行い,車検や保険などの諸費用は全て父が負担をする,譲渡や廃車などの処分を勝手に行わない,必要に応じて車検が切れても切れたまま持っておく,というものでした。

 もとより,こんな都合のいい条件を100%信じていたわけではなかったし,この車を私が取り戻してまた乗るかと言えば,それはないと思いますので,特に実害があるわけではありません。

 釈然としない気分のせいで,後に続ける言葉が見つからずにいると,父がいらついた口調で言い訳を始めました。いわく,自分ももう乗らないのでもったいない,と。

 ああ,聞かなければよかった,もうこれ以上は聞きたくない,黙っていてくれ,と私はそう心の中でつぶやいていました。

 処分されたものはもう仕方がありません。事前に「処分するぞ」と言われても「お願いします」としか言えなかったはずですから,ここはこらえて,「手続きありがとう」とお礼だけ言って,電話を切りました。その時に私には,これが精一杯でした。

 電話の後,状況を整理してみました。

 まず,父はもともと軽自動車より大きな車をゴルフに行くのに使いたいといっていました。大きさは問題なかったようですが,私のプジョー306はどうもパワー不足で今ひとつ走らず,一度使われただけで,以後はゴルフに使われることはなかったと,母から聞きました。私がこの車にパワー不足を感じたことは一度もなかったのですが・・・

 次に,父は夏頃,肩の手術をして,しばらく入院していたそうです。その後リハビリで,結局9月頃まで身動きできなかったとのことです。

 そして最後に,この8月中旬に,車検が切れていました。

 想像出来るのは,自分が入院しているうちに車検が切れたプジョー306をどうにかせねばならず,当初のあてが外れてお荷物になってしまったこの車を維持する理由もなく,電話一本で取りに来てくれる友人の自動車整備会社にさっさと処分を頼んだという流れです。車検も自分が面倒を見るという行っていた割には,私が通した車検が切れたら処分ですから,呆れたものです。

 父がそういったわけではありません。父は処分した理由を,乗らなくなった,お金がもったいなかった,だけでしたので,私は随分父に都合の良い想像をしていることになります。そう考えてあげないと,プジョー306が不憫に思えるからです。

 いろいろな事情があったことは確かでしょうが,それにしても処分の前に一言欲しかったと思いますし,それは私に対する気遣いというより,約束だったわけですから,随分軽く考えられたものだと情けなくもなります。

 父にとって,自動車は頻繁に乗り換える,いわば大量生産の洋服のようなものなのでしょう。私のように縁あってやってきた個体として愛着を持つことは理解出来ないことのようです。

 思い出すと,父はとても車を大事にしていましたが,その理由は価値を下げないことにありました。古い車をレストアして乗るとか,1台の車を長く乗るとか,そういう事は一度もありませんでした。

 私も自動車は大好きですが,自動車が好きだった父の影響を受けたと,安易に言えない理由がここにあります。同じ好きでも,おそらく正反対の方向を向いています。だから,私が免許を取ってから以降,自動車の話を父とすることは全くなくなりました。もう接点がないわけです。

 さらに思い出してみると,父は幼い私に自動車の話を自慢げにする人ではありましたが,そこで出てくる自動車の評価は,新しいか古いか,高いか安いか,ブランド力があるかないか,人目を引くかどうか,パワーがあるかないか,くらいのものであり,カーブを曲がるときの鼻先の向き方やボディの剛性,サスペンションの追従性といった話は一度もなかったのです。

 父がこれらに興味を持ってなかったわけではないでしょうが,父が私に話すメカニズムについての話は,エンジンの話が中心であり,サスペンションやシャシーの話は全くありませんでした。要するに,そこが父の自動車好きの「限界」だったのでしょう。

 自ずと,好きな車の趣味も違ってきます。私は国産ならマツダ,海外ならプジョーやシトロエン,アルファロメオやフィアットがとても気になるわけですが,父にとってこれらの車はオモチャ同然であり,国産なら(かつての)日産,海外ならベンツとフォルクスワーゲンとBMWというドイツ勢が興味の対象です。

 ドイツ車の素晴らしさを否定するものではありませんが,ドイツ車にないフランスやイタリアの車の魅力をオモチャと言い切るあたり,お互いに全くわかり合えないだろうと思うのです。書いていてふと思ったのですが,父の自動車観は,まるで中国人のそれと同じですね。

 父は根本的に,自分の事しか考えません。自分の周囲の半径1mから外のことは全く見えないし,興味もなく,ひょっとすると存在すらしないと思っているかも知れません。そんなだから,自動車に対する接し方も人それぞれであるという理解はありません。

 父にとってプジョー306がお荷物なら,私にとってもお荷物であり,父が処分を最善と思えば,それは万人にとっても最善であると思うのに,何の疑いもないのです。

 ただ,今回の話については,「事前に一言欲しかった」とつぶやく私に多少の後ろめたさを感じたのか,声のトーンを半音上げて,なぜ自分が処分したのかという理由を,だーっと機関銃のように一気にまくし立てました。

 でもあいにく,私が聞きたいことは,そんなことではないのです。

 後日,思いつきで行動して周りの人を散々振り回す事は,相変わらず昔とちっとも変わっていない,という,いつもの意見の一致が,母との間でありました。

 長生きされれば,我々の生活を引っかき回すようなことをする可能性も高いと思っていますし,さりとて急に死なれてもきっといろいろ面倒な事が出てくることでしょう。願わくは,このままどこかに消えてなくなってくれればなあと,最近特にそんなことを思うようになってきました。

 親子ですから,それでも子供の頃の父の思い出はいくつもありますし,それらの多くは良い思い出で,懐かしいとも思います。

 しかし,人間同士としてこれだけそりが合わないと,やはり顔を合わせたくないし,話をしたいとも思いません。親子なのにと言う人に対しては,親子だからギリギリ繋がっているのだと言いたいくらいです。
 
 プジョー306が私の目の前を走り去って行くときに残したいくつかの写真は,実はまだ未現像です。あれから2年,今もしその写真をみたら,どんな印象を持つでしょう。

 最後にプジョー306を見たのは,実家でのことでした。プジョー306はもともと高級車ではないので,特に最廉価のstyleには,やや細い純正のタイヤがよく似合います。なのに,不釣り合いなインチアップのアルミホイールに扁平なワイドタイヤを無理に履かされていて,リアフェンダーの内側にタイヤがこすれるほどでした。

 シートにはボワボワのムートンが敷き詰められ,まさに台無しでした。

 やはり,最後は私の手で処分するべきだったのではないかと,安易においしい話に乗ってしまったことを,反省しています。

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