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2012年04月06日の記事は以下のとおりです。

最大の功績

 1980年代にソニーを率いた,大賀典雄さんが亡くなったのが昨年の春。

 あれほど偉大な著名人であったにもかかわらず,その扱いの小ささに,時代の流れを理由に求め,その結果さらに寂しい思いに浸ってしまったことを思い出します。

 すでに過去のこととして過ぎ去った彼の死ですが,遅まきながら彼の大ファンである私も,ようやくにして少しだけ思いを書き綴ってみようという気になりました。

 私は,当然ながら,大賀さんとは一度もお会いしたことはありません。底辺に暮らす私など,どうやっても大賀さんに会うことかなうはずもなく,そのことは至極当然の事と思っているのですが,彼を知る誰もが「怖い人だった」と振り返れば,私もそんな彼に一度怒られてみたかったかなあと,思います。

 というのも,彼の言葉,彼の思いには,非常に人間くさいところが多くあり,いちいち共感出来るからです。もし私が彼の逆鱗に触れ怒られたのであるとすれば,それはおそらく私も自らを欺いた故であろうと思うし,もし彼が私を諭すのであれば,それは私の誤りを正す光になっていたはずだからです。

 これが,同じソニーの経営者(創始者)であった,井深大さんや盛田昭夫さんであったなら,おそらく反論もしただろうし,言い訳もしたことでしょう。すでに神格化されたお二人は,私にとっては遠すぎて,その人間性をリアルに感じることは出来ません。

 神格化されると,その人の過ちは,偉大な功績によって塗りつぶされてしまいます。美しい芸術品に仕上がった人生は,ますます賞賛を浴びる一方で,本来の人生とは違う道を,一人歩きはじめてしまいます。

 大賀さんは,まだ神格化されていません。

 ですので,彼の過ちを我々も知る事ができます。大賀さんの魅力は,自信に満ちた方であると同時に,過ちを自ら評価し,誤りであったことを悔やむ,その人間性にあると思っています。

 有名なエピソードで,まだ役員になりたての大賀さんは,当時の社長であった岩間さんが,アメリカのメーカーでさえもさじを投げ,誰も成功すると思っていなかった撮像素子・CCDの開発に,会社が吹っ飛びそうなほどの投資を行うと決めた時に,大反対をしました。

 語られるところによると,それは穏やかに反対するというものではなく,どえらい剣幕で岩間さんとCCDをなじったというのです。岩間さんにしてみれば,自らへの批判だけならともかく,技術者として「これだ」と信じたCCDを否定されることに,心中穏やかならぬものがあったことと思います。

 果たしてCCDは大変な苦労を伴い,なんども絶望の淵を彷徨いながら,実用化にこぎ着けます。CCDはその後,ソニーの製品に搭載され莫大な利益を生み,CCDそのものも主要な半導体製品として,ソニーに大きな貢献をすると共に,映像を記録する装置の高性能化と小型化を実現し,大げさな言い方をすれば人類の発展に大きく寄与することになります。

 固体撮像素子の伝統を持つソニーは,現在もこの分野のリーディングカンパニーで,すでに肉眼では見えないものが見えようになった,ここ数年のデジタルカメラの進歩は,ソニーのCMOSセンサによるところが大きいです。

 しかし,これほどの大成功に,岩間さんは自ら立ち会うことを許されませんでした。まだまだCCDが開発中だったころ,岩間さんは突然亡くなります。

 岩間さんの後を継いで社長に就任した大賀さんは,あれほど反対したCCDの開発を中断しませんでした。そして,ようやく量産に成功したCCDを岩間さんの墓石に埋め込み,その墓前で涙ながらに「自分が間違っていた」と謝罪をするのです。

 誰にでも過ちはあります。判断のミスが大きな損失を出すこともあります。しかし,そのことを悔やむことをしない人は,同じ過ちを何度も繰り返してしまいます。悔やむこと,それはとても苦しいことで,出来る事なら忌避する事を望むものです。

 悔やむことと同時に,謝罪することは,その地位が高いほど,そのプライドが高いほど,難しくなります。ソニーという日本を代表する企業のトップが,自らの過ちを認め謝罪し,そして功績をたたえるという行為を,すでに亡くなった人に対して行うという,この真摯さ,誠実さ。

 岩間さんの「先見の明」を賞賛するこのエピソードに,私はむしろ大賀さんの自らへの厳しさ,他人に対する優しさといった,豊かな人間性を見ます。

 東京芸術大学で声楽を学び,ドイツに留学した音楽家でありながら,経営者としてソニーを世界の大企業に育てた大賀さんは,よく知られているように音楽と技術に精通した経営者でした。

 音楽,すなわちコンテンツと,技術,すなわちコンテンツを記録・再生するハードウェアの両方を「両輪」と例えたその考え方は,まだまだハードウェアの生産に勤んでいた日本の製造業に,なかなか違和感のある考え方だったろうと思います。

 もう1つエピソードをご紹介します。

 大賀さんと言えば,今なお音楽メディアとして主役の座にいるコンパクトディスクの推進(私は開発者と呼んでいいと思うのですが)にあたった,中心人物です。

 CDは,オーディオ信号をディジタルで扱う技術と,レーザーと強力なサーボ機構を用いた光ディスクの技術の2つが揃わねば完成しません。今にして思うと,1970年代後半にこれだけ難しい技術を完成させて,巨大なビジネスに繋げた大賀さんの手腕には驚嘆するものがあります。

 まだCDという名前がなく,LPレコードの次世代技術として各社がめいめいに提案していたディジタルオーディオディスク「DAD」の1つに過ぎなかったころ,その開発の陣頭指揮にあたっていた大賀さんの元に,ソニー方式のDADの開発者が説明にやってきます。

 曰くディジタルだから音がいい,曰く光学読み取りだから高密度,ゆえにLPレコードと同じ30cmの大きさで,13時間も音楽が高音質で入るのです,と。

 当時,DADを提案するメーカーは世界中にありましたが,どれもLPレコードでおなじみの30cmという大きさを変えることはしませんでした。それくらいLPレコードの存在が大きく,音楽を配布するメディアとして「30cm」という大きさに疑問を持つこともなかったのでしょう。

 LPという名前は,LongPlayの略です。LPの誕生後SPと呼ばれるようになった当時のレコードに対し,圧倒的な高音質と長時間記録を誇ったLPは,音楽メディアの技術開発が,音質と記録時間を軸に行われたことを物語っています。ディジタルオーディオと光技術は,その正常進化を劇的に進める決め手だったはずでした。

 技術者の報告を聞いて,大賀さんの顔色が変わります。

  君は,音楽の価値をなんだと思っているのか。
 音楽家が,1つの音楽を作るのに,どれだけの苦労をしているか,分かっているのか。
 1枚のレコードに13時間入ります,などと,よくもそんなことを平気な顔で言えたものだ。
 一体,そのレコードを,いくらで売るつもりなのか。
 君は,音楽家を殺す気か。

 その30cmの巨大なDADをやにわに掴んだかと思うと,壁に投げつけたと言います。

 そして,各社「高音質」「長時間録音」をうたい文句にするDADを尻目に,ソニーとフィリップスは高密度記録によって得られるメリットを「ディスクの小型化」に求め,やがてそれは高音質でも高密度でもなく,小さい事を名前に持つ「コンパクトディスク」と呼ばれるようになるのです。

 ここで重要な事は,ディスクの直径についてよく知られる,フィリップス提案の11.5cmの大きさに対して,カラヤン指揮の第九が丸々入る75分に必要な12cmをソニーが主張し譲らなかったことではなく,技術の進歩によって当然のことと思われていた「長時間記録」というゴールを音楽を作る側の立場で否定し,その進歩を「小型化」に振り向けたことです。

 以後,12cmというディスクのサイズは,扱いやすいディスクのサイズとして否定されることなく,現在のBlu-rayに至るまで,守られ続けています。

 もし,普通の製造業の社長なら,音楽制作の苦しみなど知るはずもありませんから,そうかそうか,従来のLPと同じサイズで6時間も入るのか,それは素晴らしい,と大いに喜んだことでしょう。

 しかし,大賀さんは技術に明るい芸術家です。音楽家がどれほどの苦しみを乗り越えて音楽を産み出すのか,それこそ死ぬ思いで作りあげているかをよく知っていたからこそ,高密度記録という新しい技術は,正しい方向に使われるようになったのです。

 6時間記録出来る30cmのDADが覇権を握っていたら,どうなっていたでしょうか。アルバムを仕上げる労力は数倍になり,だからといって1万円では買ってもらえるはずもなく,クリエイターはクオリティの低い音楽を生み出すことになったでしょう。ベスト盤や古い録音もたった1枚のディスクにたくさん詰め込まれ,たたき売られるのです。結果として音楽の価値はずっとずっと下がってしまったことでしょう。

 大賀さんのここまでの予見に,私は大賀さんのディジタルオーディオへの功績は,まさにこの一点にあると確信するのです。

 音楽は感動を生み,弱った人を支え,心を豊かにするものです。一方でその音楽は,音楽家の想像を絶する苦痛の中から生まれます。この事実こそ,音楽の価値だと私は思います。

 技術の進歩は,音楽をより身近に,より安価に提供する道でもありました。一部の王族や貴族だけがかかえることを許された楽団の時代から,少人数で演奏出来る大音量の楽器の発明と大人数を集めることで安価に提供できた大衆向けコンサートの実現,そして音楽を記録して「工業製品」として量産できる仕組みの誕生と,マルチトラック録音などの効率的な音楽制作手法の確立と,一度たりとも技術が低価格化に貢献しなかったことはありません。

 おそらく,CDが史上初めて,技術の進歩を経済性ではなく,利便性の原資にあてた例ではないかと思います。

 私は,この話を聞いて,大賀さんが音楽を救ったのだと思いました。

 そして今,音楽は1曲単位でばら売りされ,アルバムという発表のあり方はすでに瓦解してしまいました。あれほどの心血を注いだ音楽が,1曲わずか100円です。

 技術の進歩は,いよいよ低価格化,低価値化に使われてしまい,誰もそれを止めることが出来ませんでした。

 よく言われるように,音楽業界は崩壊寸前です。

 アップル,つまりスティーブ・ジョブズは音楽を愛し,音楽家を愛していて,その音楽が広く手軽に聴けるような仕組みを作りました。

 残念だったことは,彼が音楽制作側の人間ではなかったことです。


 幸いなことに私は,大賀さんに献花をする機会を得ました。わずか数分の出来事ですが,私なりのお別れをしたつもりです。

 遅くなりましたが,こころから,安らかにお眠り下さい。

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