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2012年10月04日の記事は以下のとおりです。

デジタルカメラ列伝 その4~Nikon D800

・D800(Nikon,2012年)

 ニコンのフルサイズ初号機にして,その高感度特性から「肉眼では見えない物を見る道具」として,新しい撮影領域にフォトグラファーを解き放った,名機D3。そしてその血統を受け継ぐ弟,D700。デジタル一眼レフとしての完成度の高さ,大きさと性能の卓越したバランス,そしてこなれた価格でプロ・アマチュアを問わず,D700を絶賛する声は止むことがない。

 当然,その後継には大きな期待がかかる。D3にはD4という正統後継者が間違いなく登場し,苛烈なるロンドンオリンピックを闘うことになる。ならば当然,D700の後継機はD4の弟であろうと,誰もがそう考えていた。

 一方,タイを襲った洪水は,主力工場を彼の地に持つニコンにも想像以上の被害を与えた。新製品発表のスケジュールも大きくずれ,D700は予定通りその製品寿命を全うしたが,その後継機の発表は2012年にずれ込み,主力機不在の「空白期間」に,期待と不安が多くの噂を世界中にまき散らした。

 ジグソーパズルのピースが徐々に埋まっていくように,時間が経つにつれてD700の後継機の姿が少しずつ浮かび上がる。

 本当にこれがD700の後継機?

 未完成のパズルは,そこに前代未聞のデジタル一眼レフの輪郭を,浮かび上がらせていた。

 3630万画素という驚異的な画素数。名前はD800,というらしい。しかも,ローパスフィルタを持たないモデルが別に用意されるというのだ。

 くだらない噂だと一笑に付すフォトグラファーが多かったのは,D700の後継に求めるものが,画素数ではなかったことを意味していた。むしろ高画素化で失う物こそが,D700の後継に,まさに求められるものであったからだ。

 果たして,2012年2月,噂は現実になった。

 しかし,不安は杞憂に終わった。

 そして,絶賛に変わってゆく。

 前代未聞の3630万画素は,従来のデジタル一眼レフを越えたばかりか,フラグシップであるD4にすら届かない高みである。絶対なるこの個性をして,誰がこんな高画素を欲しがるのか,という批判を繰り出す者は,「中判の画質を狙っています」という生みの親の心に触れて,沈黙せざるを得なかった。

 高感度特性が犠牲になる,という批判もまた正しい物に思われた。それほどD3やD700の切り開いた世界は,全く違う象限に存在したのである。高画素化と感度は相反する要素であり,しかるに我々は高画素化を求めているのではない,と彼らは叫び,自らがたどり着いた,その素晴らしい世界を失う事に,心底恐れを抱いた。

 常用感度ISO6400,拡張感度ISO25600。この数字に見覚えがある人ほど,恐れは期待に変わってゆく。そう,名機D3と同じ。D800の否定はすなわち,D3の否定であり,自らが住む世界への肯定はすなわち,D800への肯定である。

 だが,ノイズにまみれた高感度など存在の価値はないと,口の悪い者はなおそう言った。

 しかしそこにあったのは,センサの高いポテンシャルとこれを最大限に引き出す画像処理が織りなす,新しい地平であった。

 高画素と高感度の両立こそ「肉眼で見えない物を見る道具」の正常進化でなくて,なんであるというのか。どちらか一方だけを高めたところで,その先にあるのは所詮は一歩前に過ぎないことに,ようやく皆が気付いた。

 それでも批判の声は止まない。高画素になればブレが目立つ。

 笑止。

 なぜ,己が技量の低さを顧みない声に,いかなる説得力も存在しないことに気が付かないか!

 レンズの性能が追いつかない。高画素なんて無駄。

 笑止。

 なぜ,これまで捨てざるを得なかった,レンズの個性をも飲み込む「力」であることに気が付かないか!50年前のMicroNikkorは,D800によって往年の切れ味を再び我々の眼前に突きつけたではないか!

 連写速度が足りない。

 三度笑止。

 連写速度というスペックの本質は,高速連写に必要な筋肉とこれに耐えうる骨格を持つことであり,高速なレスポンスを手に入れたかどうか,つまり1秒間に何コマ撮影出来るかではなく,1コマをどれくらい短い時間で撮影出来るかにある。6コマ/秒のD800が持つ体躯は,アスリートのそれである!

 そんなことより,3630万画素を支える,ずば抜けた基本スペックを見よ。

 20万回の寿命を誇るシャッターユニット,D4譲りの51点AF,一昔前のデジカメと同じ91万画素のRGBセンサによる高精度AE,野外での撮影を躊躇しない防塵防滴,プロ機の証ともいえるファインダー視野率約100%。

 作例をみた我々は,さらに驚愕する。拡大をする,拡大をする,さらに拡大をする。

 しかし,拡大をする度に,新しい情報がせり出してくる。鬱蒼とした森を表現した写真が内包する,それを構成するコケの一本一本までを取り込む緻密さに畏怖を抱き,震えが止まらない。

 D800は,過去の何にも似ていない,孤高のカメラとなった。D800が切り開く世界は,まだ人類が到達しない新しい世界であり,あらゆるものとの比較はナンセンスである。

 D800にとって不幸だったのは,それが安価であることだ。孤高のカメラは,いつの時代も常に使い手を選ぶ。こんなカメラが,品薄で入手困難など,あってはならない。

 だが,おそらく我々は後生に胸を張って言えるであろう。我々の日々の営みはそれまでとは比べものにならない情報量をもって,記録されるようになる。それはすなわち,D800があまねく広まることで現実になる,人類の夢であると。

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