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2014年07月13日の記事は以下のとおりです。

健康な私とお医者さん

 先日,人間ドックなるもので,初めて「問題箇所」を指摘されました。肝臓のある値が基準値を大きく超えているということと,便潜血があるという2点です。

 肝臓については,基準値を超えているという話ですから,その基準値の妥当性についても,もっというと検査の数値そのものの誤差や変動をどこまで考慮するかによって,OK/NGが変わってくると思うのですが,便潜血については出てるか出てないかの二択ですので,出ていると言われれば「何かの間違い」という話にはなりません。

 素人があれこれと気に病んでも仕方がないし,かといって放置するのがいいのかどうかもわかりません。ここは専門家である医者に判断してもらうのが得策でしょう。

 6月のある日の午後,予約を取って病院に出向いたところ,肝臓についてはその場で血液検査となりました。結果は問題なし。値は随分改善していましたし,お医者さんによるとそもそもこのくらいの値なら心配ないよ,ということでした。

 まあ,人間ドックは早期発見や予防に大変効果があるのですが,一方で病院にとっては貴重な収入源です。しかもここで「再検査」と出れば,多くはその病院で再検査を受けようとするでしょう。いきおい,基準値は厳しいものに設定されがちです。

 いや,それがいかんというわけではないのです。厳しめにすることで,確実なスクリーニングができます。疑わしいものは確実に引っかける,これが分野を問わず,予防ではとても良い方法なのです。(コストを度外視すれば,ですが)

 まあ,人間ドックの学会が出した基準値が他の学会の基準値と違うという事が先日のニュースでも報道されていたくらいですので,値の大小で一喜一憂することがどれほどバカバカしいか,わかろうというものです。

 しかし,便潜血は前述のように,出ているか出ていないか,です。出ていなければ見落としがあるかも知れませんが,出ているという以上「出ていない」ことには出来ません。

 ということで,私が相談したお医者さんは,速効で「大腸内視鏡,ポリープが見つかったら切除手術,よって1泊2日の入院,ここにサインを」と畳みかけてきます。気が付いたら入院の手続きをして帰宅し,3週間後の検査に怯える毎日を過ごすことになりました。

 結論から言うと,この検査では全く異常は見つからず,従ってポリープの切除も生検用の組織サンプルの採取もなく,なにも処置されずにその日のうちに「帰れ」と言われて夕方には自宅に戻ったのですが,日帰りでも入院という扱いになるので,私は生まれて初めて入院をしたことになるのでした。

 こんな風に,深刻な病気が見つからないのはいつものことなのですが,その度に予期せぬ事件が起きるのが私の面白いところで,今回はちょっと過去の経験を書いてみようと思います。


(1)首が曲がった

 中学生の時ですが,体の大きかった私は,組み体操の人間ピラミッドではいつも一番下の土台を割り当てられていました。それはそれで別にいいんですが,なにがまずいって,中学生ですから,崩れるときに面白がって下の奴を踏んづけたりするわけです。

 これは今にして思うと非常に危険なことで,いってみれば将棋倒しで大事故になるようなものと同じだと思う訳ですが,今から30年ほど前は大らかだったんでしょうね。

 で,いつものように土台をやり,いつものように崩れた時,誰かの膝が私の首を直撃し,私の首は曲がったままになってしまいました。痛くてまっすぐにできないのです。

 母親は心配になって私をかかりつけの病院に連れて行ったのですが,そこの院長がまじまじと私を見つめて,「痛いか」と尋ねます。

 痛いです,と答えたあと,先生はゆっくりと私の頭のてっぺんと顎を掴んだと思ったら,おもむろに反対側にぐいっとひねったのです。

 あまりの痛さに中学生の私は「痛いがなー」と叫んで手を払いのけたのですが,先生はふむふむ,といった面持ちで,「やっぱり痛いか」とつぶやきました。

 何をしたかったのか今でもわからんのですが,医療行為としてはこれで終わりで,検査も無し,湿布がでて終わりました。

 2週間ほどすると,徐々に首もまっすぐになってきましたが,ちょうどその頃撮影した,電話級のアマチュア無線の免許用の写真をみると,無理してまっすぐにしている様子がわかります。

 まあその,後遺症とかなくて幸いでしたが,今ならこでほっとくことはないでしょう。2週間ほど首が痛くてまっすぐにできないなんて,立派なけがですからね。それにしても,痛めた部分を無理にひねるなんて,絶対にやったらだめなことだと思うんですけど・・・ちなみにこの院長,私の尿路結石を「急性腎炎」と誤診し,以後私の生活を数年間不自由にさせた張本人でもあります。


(2)尿路結石で体育をサボる

 ある寒い朝,腰に鈍い痛みを感じた中学生の私は,腰をぐいっとひねって,「うおー」と言いながら大げさにその場に倒れ込みました。ところが,その鈍い痛みは弱くなるどころか徐々に痛みが増し,最終的には動く事すら出来ないほどの強い痛みになりました。

 ヒーヒーいってる私を,そばで見ていた弟は「いつまでやってんねん」という感じで私を半分無視していたので,自ら大声を出して母親を呼んだのですが,余りの痛みに腰は伸ばせず,立ち上がることも出来ず,抱えられるようにどうにか病院に到着したのです。

 病院では痛み止めの点滴がまず打たれ,私は次第に消えてゆく痛みの中で意識が薄れていったのですが,検尿の結果,大量の赤血球が検出されたという事でした。お医者さんの診断結果は,急性腎炎とのこと。毎週検査に来いということでした。

 母は,急性腎炎から慢性腎炎に移行し,あげくに人工透析,腎移植という大げさなシナリオを勝手に描いては戦慄していたようですが,本人はと言えば別に問題はなく,至って普通に元気にしていました。

 ただ,検査は毎回僅かずつでも赤血球が出ており,お医者さんは毎度毎度「うむー」とうなっていたのですが,一貫していたのは急性腎炎はここで食い止めなければ,慢性に移行してしまうので,とにかく減塩と運動の制限をしようということでした。

 ということで,体育はそこから基本的に見学。以後軽いものから授業に参加することにしましたが,私はこれを理由に,とにかく嫌で仕方がなかった水泳の授業を中学2年から高校3年まで,ずっと見学することになります。

 確か高校生になったときくらいの話だと思うのですが,ちっとも状況に変化がない私に「慢性になったかも」とお医者さんがいったことでちょっとした騒ぎになりました。

 ですがおしっこに砂粒のようなものが出てきたことから「尿路結石」じゃないのか,と詰め寄ったところ,渋々それを認め,これまでの診断が誤診であったことを認めたのでした。

 しかしですね,こんな美味しい免罪符を誤診ごときで手放す私ではありません。その後も学校には「腎炎」という病気を訂正せず,そのまま水泳の授業を休み続けました。

 腎炎でも出来るだけ頑張って授業は参加します,だけど水泳だけはやめときます,という積極姿勢を見せつつ,ちゃっかり水泳だけはサボるという技で私は高校3年間,一度もプールに入ることなく過ごすことに成功したのでした。

 当時の私としては,とはいえ本当に腎炎の可能性もあるわけだし,仮に誤診であったとするなら,そのことで受けた不自由を考えるとこのくらいのズルはいいよなあ,という気持ちもありました。

 この10年後,再発した私は,空豆のような自分の腎臓のレントゲン写真に,いくつかの石があることを見る事になり,この誤診が本当に誤診であったことを知る事になるのです。


(3)鉛筆がぐさっと足の裏に刺さる

 小学校の4年生の時だと思うのですが,当時通っていた学習塾で机を跨いで先生の所に行こうとしたとき,足を引っかけてしまいました。

 右足を降ろしたところで激痛が走り,私はその場に倒れ込みました。いつものように大げさに「うおー」といっていたのですが,なんだか本当に痛いし,周りの様子もおかしいので,私も心配になってきました。いや,本人は鉛筆の先がちょこんと当たったくらいのことと思っていたのですよ。そこは大阪人らしく「おいしいネタ」になると,大げさに振る舞っていたんです。

 そのうち,どうも鉛筆が足の裏にささっていて,抜こうとしての抜けないという話が聞こえてきました。私は傷みのせいで,目の前にあった机の脚にかじりつく始末。

 先生の自動車で病院につれていかれたのですが,痛みは変わりません。自分では全く見えませんし,どういう状況なのかもわかりません。

 病院に着く頃,仕事先から母親が飛んできてくれたのですが,私はもう何が何だかという状況です。まずレントゲン,そしてベッドに押さえつけられ,ペンチでその鉛筆を引っこ抜くようなのですが,途中で鉛筆は折れていて,足の裏からは少ししか飛び出していないようです。

 硬いものがするすると抜けたような感触があって,どうやら鉛筆が抜けたことは分かったのですが,地獄を見たのはここからです。なんだか分からないのですが,とにかく強烈な,過去に体験した事がないような激痛が襲いかかります。病院のベッドの柵に噛みついたり,暴れたりと,尋常ではない傷みを覚えています。

 ようやくこの地獄から解放され,落ち着いた頃に先生から説明を受けました。足の裏から5センチほど鉛筆が刺さっており,足の骨のアーチになっている部分にぶつかって止まっているということでした。

 もうちょっと強い力で刺さっていたり,あるいは骨を避けていたら,おそらく鉛筆は突き抜けていたのでしょうね。おそろしいです。先生も,うまく鉛筆が折れたおかげで大事に至らなかったということでした。

 で,お医者さんからではなく母親に聞いたのですが,私が経験したあの激痛は,鉛筆を抜いたあとに,鉛筆の破片が中に残っていないかを確かめるため,ピンセットを突っ込んでグリグリまさぐったらしいのです。そりゃー痛いわ。

 というかですね,抜いた鉛筆を見れば,残っているかいないか,分かるんとちゃうの?

 
 神経を切っているかも知れず,感覚がなくなるかもと言われたりしましたが,その後順調に傷はふさがり,特に化膿することも後遺症が出ることもなく,いつしか歩けるようになりました。今は傷痕だけが残り,歩くことも走ることも問題なく,痛みもありません。

 それにしても,大人の私があれを思い出すと,もう気を失いそうになるほど恐ろしいわけですが,子供だった当時,痛いことが終わってしまえば後は案外平然として,いつの間にやら治っていました。大きくなるほど臆病になるものなんですね。


(4)胃の内視鏡で死ぬかと思った

 ここで一気に時間が進みます。30歳前半のことですが,胃が重く苦しく,食欲が出ず,困っていました。公私ともにいろいろあって滅入っていたこともあり,これは胃を悪くしたのであろうと,病院にいくことにしました。

 最初は若い女の先生が,大した問診もせず,決まり通りに胃の薬を出して終わりで,これが2ヶ月ほど続いたのですが一向に症状は改善せず。ちなみにこの先生は「処理能力」が高く,他の数人の先生に比べて圧倒的に順番待ちの番号の進みが早いのです。

 ええかげんにせいよ,という空気を感じたのか,内視鏡検査をしましょうという話になりました。最初からそうしてくれれば,と思いつつ予約を取り,検査当日を迎えます。

 私は「おえっ」とえづいてしまう人なので,内視鏡はおそらく苦戦するだろうと思っていました。しかし何事も経験です。それに,内視鏡も年々改良が進み,かなり負担が軽くなっていると聞いていますし,これだけ進歩した医学の世界で,オエオエいうような話もなかろうと,安心していました。

 まず,検査室に通され,ゆったりとした背もたれある椅子に座らされました。そして,えづくのを防ぐ為に,喉の部分に麻酔をするといって,コップに入った麻酔をわたれました。

 これを口に含み,感覚がなくなってきた頃に内視鏡を突っ込もうという話です。

 看護師さんがいうには,ツバを飲み込む部分も麻痺するので,唾液が飲み込めずにそのまま気管に入ってしまうから,口にためておき,もしいっぱいになったら吐き出して下さいということでした。

 次第に喉の感覚が消えていき,唾液が口に溜まってきます。うかうかしていると勝手に流れ込んで盛大にむせてしまいます。

 そうしていると,私を担当するお医者さんがなにやら緊急事態とかで,病棟に走って行きました。私の周辺はなにやら騒がしくなり,私はぽつんと放置されてしまいました。ちらっと私を認めたある看護師は「急患が出たので待ってて下さい」と,満足に話の出来ない私から去っていきました。

 私は,軽いパニックになりました。唾液はどんどん流れ込んできます。その度に私は呼吸困難になり,ゴホゴホをむせて,唾液を吐き出すことになります。もはや唾液が溜まったかどうかも分からなくなっています。

 これは本当に死ぬかも・・・

 30分ほどの孤独な闘いを経て,徐々に感覚が戻ってきました。もう唾液も飲み込めます。やれやれ,助かったと思ったところに,先生が「おまたせー,さあやろうか」とやる気満々で戻ってきました。

 私は,麻酔をやり直してくれると思ったのですが,あっという間に私はベッドに横たわり,なにやらおかしなマウスピースを口に押し込まれて,モガモガいうのが精一杯です。そのうち,黒い細長いものが私の口に入ってきます。もう私は拒むことが出来ません。

 その頃,すっかり麻酔が切れていた私は,もうとにかくえづいてえづいて,大変でした。生まれてから,あれだけ連発してえづいたこともないと思います。もう涙でぐしゃぐしゃですし,じっとしていられません。

 見かねた看護師さんはまるで子供をあやすように,30歳を超えたオッサンの背中を「くるしいねくるしいね」と優しくさすってくれますが,かえって惨めになって,苦しさ倍増です。

 そんなこんなで,検査のことはちっとも覚えていません。苦しさに始まり,苦しさに終わった検査で,終わってからも私はしばらく放心し,ぐったりと動く事ができませんでした。

 後日結果を聞いたのですが「いやー綺麗なもんですよ」とお医者さんはいいます。ということで,私の胃は健康そのものということになりました。

 なにが幸いするか分からないのはこの後です。この先生は消化器系を専門とする先生で,しかも漢方を処方することに抵抗がない方でした。こういう場合は漢方を使ってみましょうか,ということで,私は漢方薬を飲み始めたのですが,これがまあ抜群に効いて,気分の悪さもなくなり,食欲も戻って,胃の悪さは完治したのです。

 

(5)嗚呼私の純潔

 腎臓に結石がある私ですが,大きくならないうちに出してしまうのがこの病気との上手な付き合い方です。

 20代後半のある夜,強烈な腹痛に身動きが出来ず,当時入っていた独身寮の寮母さんが救急車を呼んでくれました。

 深夜に大学病院にかかり,点滴とレントゲンで様子を見たのですが,やはり結石があります。ちょうどひまわりの種くらいのトゲトゲの石が,3から4ミリくらいのゴムホースに斜めに引っかかっている様子を想像して下さい。

 痛みはしばらく続きましたが,痛い場所が徐々に動くのが分かります。その後痛みが薄れたかと思うと,なにやら違和感があってトイレに行くと,ぽろっと石が出てきました。いやー,なにやら肉片がくっついてますよ・・・痛そうです。

 これを拾い上げて綺麗に洗って,お医者さんに持っていきました。成分を調べるという事だったのですが,その先生はなにやら偉い肩書きの先生のようです。

 もう痛みはないと伝えて,これで思った瞬間,「はい,そこになって」とベッドに寝転ぶよう促されました。

 おかしいな,もう痛みなんかないんだけどなあ,と思っていると,若い学生とおぼしき人達がぞろぞろと数人,入ってきます。

 先生が私を見下ろし,「パンツを脱げ」と言いました。

 は?と聞き返すと,イライラしながら「さっさと脱ぐ!」と私を急かし,気が付いたら私の下半身は大勢の男たちの目の前に晒され,隠すことを許されない私はなにも出来ずにただ横たわるだけでした。

 なにをされるのだろう,と不安に駆られていると,先生の背中に突如黒いオーラが立ち上り,おもむろにゴム手袋をきゅきゅっとしたかと思うと,私の足を広げ,私の「穴」に指を差し込んだのです。

 !

 私を取り囲む男たちの眼は,先生の華麗な指使いに注がれています。私は声を出すことも抵抗することも出来ず,なにをされているのかもわからず,ただただ,されるがままになっていました。

 男たちは,なにやら必死にメモを取っている様子。看護師さんは遠くで私を見ています。

 やがて。長く感じたその時間が終わり,先生の指が私から離れていきました。先生の「よし」という声と,達成感に充ち満ちたその表情が,私を見下ろします。

 事が済み,背中を向けた先生に,男たちが追随し,私はそのままの姿で放置されました。なにがなんだかわからず,何も出来ずに放心している私に,そっとタオルをかけてくれた看護師さんを見ると,彼女は私を哀れむ眼をしていました。

 先生曰く,背中からお腹の痛みは,直腸からの触診で異物感がないかどうかを判断するのだそうで,私の場合もこれで異常なしと判定することが「必要」だったとのことでした。結石だとはっきりしているんですが・・・

 まあその,偉い先生でしたし,学生をぞろぞろ引き連れていましたから,こういう触診を率先してやって見せてその重要性を説く姿は,今思えば立派なもんだと思う訳ですが,それならそれでそういう話を事前にしてくれればよかったと思うし,なにより患者の了解はなくても良かったんかいな,と疑問も感じます。

 かくて,私のバージンは,こうして奪われたのです・・・

 

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