エントリー

2020年01月22日の記事は以下のとおりです。

私のカメラの原点とオモチャのカメラ

 父親の持ち物だったペンタックスのSPは,当時も普及機ではありましたが,生意気に50mmF1.4がくっついていました。F1.8でもなく,55mmでもないあたりにちょっとした優越感もあったわけですが,小学校に上がったかどうかという年齢の私には,そんなことより大きく重く,金属とガラスのずっしりとした重みと精密感にあふれた,自動車なんかと同じ子供が使ってはいけないものでした。

 露出さえもマニュアルという,現代的には難しいカメラを母親も自然に使いこなして写真を撮影していたわけですが,とにかくうちでは高価なものだったので,私が触ることは強く禁止されていました。

 ごくたまに持ち出されたカメラで,父に頼み込んで1枚だけ撮影させてもらった時など,もう面白くて仕方がありませんでした。

 思い起こせば,当時はフィルムも高価でしたし,現像もプリントも高価で,なかなかお金のかかる物でした。日本でカメラが普及するのに,カメラメーカーの努力をたたえることはありますが,フィルムメーカーの頑張りこそ,写真を庶民に普及させた原動力になったといえるわけで,そこに言及したものを目にすることが少ないのは,残念な事です。

 あるとき,近所のスーパーのオモチャ売り場のショーケースに,カメラが並んでいることに気が付きました。カメラとオモチャが結びつかなかった私は最初理解出来ずにいましたが,値段を見てそれがオモチャであることを理解しました。

 私の知るオモチャのカメラというのは,形だけカメラであり撮影機能を持たないものです。このことを母に話すと,母はそこにあったカメラが本当に撮影できるものであることを私に教えたのでした。そして,オモチャじゃないからあなたにはまだ早いと,欲しい欲しいとオーラを出し続ける私を諭すのです。

 今覚えているのは,一眼レフのような形で巻き上げレバーもある高級機(それでも1万円までだったと思う)と,ニコンSPのような形で巻き上げがダイヤルの廉価版(数千円だった)の2つがあったことです。

 どちらもオモチャとはいえ,当時の私には高価すぎるオモチャですので,自分で買うことは全く考えてなかったのですが,それでもダメモトでおねだりしたのだろうと思います。

 それは,全く予期しない形で,私の目の前にやってきました。

 ある日学校から帰ると,安い方のカメラが置いてありました。人生初の自分のカメラです。青い箱に入っており,ビニルレザーのソフトケースが付いています。

 カメラというハードウェアを手に入れたこともうれしかったのですが,それ以上に感激したのが,誰憚ることなく,写真を撮ることが出来るという自由を手に入れたことです。自分が写真を撮ることが出来る,自分が記録を残すことが出来る,なんだか新しい能力を瞬時に手に入れたような気がしました。

 説明書を読みますが,それまで使ったことのあるSPとは大違いで,絞りは2段階で晴れとくもりだけ,シャッター速度も開閉するものとバルブの2つしかありません。シャッターチャージなんかもありませんから,巻き上げることなく何度でもシャッターを開け閉めできます。

 当時がっかりしたのは,レンズキャップがなかったことです。カメラの象徴は飛び出したレンズですが,これを守るキャップがないことが,このカメラがオモチャに過ぎないことを思い出させるのです。

 このカメラ,フィルムはボルタ版を使います。普通のカメラ屋さんには売っていなくて,おもちゃ屋さんでしか買ったことがありません。調べてみると戦前にちょっとブームになったフォーマットらしく,135フォーマットと同じ幅でコマサイズも同じ,ただ,上下にパーフォレーションはなく,127フィルムと同じく遮光紙と一緒に巻かれています。

 遮光紙には番号が印刷されており,カメラの裏蓋にあいた穴から見ることが出来るのですが,この数字が窓に出てくるまで巻き上げるのです。このフィルムを使うと,カメラの機構がとても簡単になることを簡単に想像出来ますね。

 すでにカラー全盛だった当時,私が入手出来たボルタ版はモノクロ(忘れもしないライトパンSS)でしたので,これを買ってもらい初めての撮影をしました。

 今でも覚えているのは,庭にあった桜が満開になっていたものを,1番最初に撮影したことです。とても綺麗で,とても豪華だったその桜は,被写体としてこれ以上ないものと思って,記念すべき1枚目に撮影したのでした。

 10枚という少ない枚数を撮り切り,写真屋さんに持っていきます。

 カラーのフィルムだと当時でも数日で現像が終わるのに,白黒だと1週間ほどかかると言われて,とてもがっかりしたのですが,今にして思えばボルタ版の白黒ゆえに,ラボに出さないといけないせいで時間がかかったのでしょう。

 子供心にモノクロだから安い,と思っていたのに,後日出来上がった写真を取りに行くと,カラーと同じくらいのお金を取られていました。写真は高く付く趣味だと知った瞬間です。

 果たして1枚目の桜はどうだったかというと,さっぱりでした。ちゃんと写ってはいましたが,遠くから撮影していたので桜の花の美しさはまったくわかりませんし,モノクロですので,桜のあの色も出ていません。なんだか綿を被った枯れ木の様な雑然とした写真でした。

 弟や友人,近所の様子を撮影していたのですが,10枚撮影したはずなのに何枚か足りませんし,中にはボヤーと写っているものも,おかしな光の筋が入っている物も多く,とてもがっかりしたのと同時に,もったいないことをしたと,悲しくなりました。

 これも今にして思えば,枚数が足りないのはプリントできないほどひどいコマだったこと,ボヤーとしているのは手ぶれ(そりゃバルブならぶれるでしょうよ),おかしな光の筋はフレアやゴースト,あるいはフィルム装填時のかぶりだったとわかります。今も私を悩ませる失敗が,すでにこの頃から続いていたことに驚きです。

 フィルムを買うのも自力では無理,現像になると親に泣きつくしかないという状況では,まさに10枚撮りのフィルムは宝物ですし,1枚1枚をとても大切に撮影していました。

 フィルムの入手の問題もあり,モノクロは結局3本ほど,その後入手しやすくなったカラーフィルムも4本ほどしか通していないと思います。

 隣の大きな街のデパートのオモチャ売り場に,カラーのフィルムを見つけたときはうれしくて,ようやくカラー写真デビューを果たしたときに,大人に一歩近づいた気がした物です。

 このカメラで我々親子が知った事は,カメラ本体は安くとも,フィルムはそれほど安くなく,現像に至っては普通のカメラと全く同じで,本物のカメラと同じくらいお金がかかるという事実でした。失敗も多く,画質も悪いオモチャカメラではむしろ損をした気分にさえなったのでした。

 小学校も中学年になると,SPを使えるようになってきます。それまで大人しか許されなかったフィルムの装填を初めてやって,自分で撮影出来るようになってくると,もうトイカメラの出番はありません。

 一度,高校生の時にジャンク箱から引っ張り出し,背中の丸窓を塞いでTRI-Xを詰め,撮影を試みたことがあります。それなりに写っていて驚いた事がありましたが,いかんせん単玉の50mmF8(これは今知った)では良し悪しを議論するほどのこともなく,それっきりどこかになくしてしまいました。

 ふとしたことから思い出したこのオモチャカメラですが,なんという機種だったかわからず,調べてみたのです。

 そうすると,どうもアニーJrというものらしいです。ただ,このアニーシリーズは1950年代の後半から売られている息の長いもので,派生機種も入れるとたくさんの種類があるようです。

 私が手に入れたのは1970年代の中頃から後半ですので,廃番になる寸前だったのではないでしょうか。

 今もアニーJrで検索すると,いくらでも見つかります。2000円か3000円か,それくらいで買える物なのですが,無垢な子供の高揚感に現実という冷や水を浴びせたあのカメラを,今さら懐かしいと言うだけで買い直したいとは思いません。

 でも,ボルタ版というフィルムが存在していたこと,それを1コマ1コマ宝物のように使っていたこと,そしてその時のネガが未だに私の手元に残っているという事が,私のカメラの歴史の始まりに刻み込まれていて,ふとしたことでそのことを,当時の記憶と一緒に思い出すのです。

 

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ
  • ページ
  • 1

ユーティリティ

2020年01月

- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

新着エントリー

過去ログ

Feed