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2010年09月の記事は以下のとおりです。

秋は文化祭の季節

 文化祭の季節です。

 遙か昔,私のいた中学校には文化祭がなく,またそれに類する文化的な催し物もない上,そもそも文化系がマイノリティの扱いを受けていたこともあり,特に文化祭の激しさに定評のある高校に入学した私は,3年間その盛り上がり方に心地よさを感じていました。

 第二次ベビーブームの頃の話ですので,13クラスが3学年,しかも一クラスで48人もいましたので,ざっと2000人近い人間が通う大きな公立高校でした。創立が100年を越えるような古い学校ということもあり,私が通っていた頃は某女子高生バンドのアニメに出てくるような,天井が高く床が木で出来た校舎に,この上ない愛着を感じていました。

 みんなそこそこ賢く,しかし勉強のプライオリティは低く,入る時に賢くないとだめだが,入ったらアホになると有名な学校だっただけに,文化祭は3日間行われ,校内の施設だけでは足りずに,近くの公会堂まで借りるような,大きなイベントだったように思います。

 3年生はほとんどのクラスが演劇をクラスの出し物として企画し,うまい脚本を書くこと,お芝居がうまいこと,上手に縫い物をし衣装を仕立てること,木工や塗装のプロ級であること,立て看板やポスターに描く絵が素晴らしいこと,などなど,各々の意外な一面を垣間見る,そんなことも面白さの一端だったように思います。

 そんなわけで,私は文化祭が大好きなわけですが,この春引っ越したところがちょうど高校の真そばということもあってか,学校から案内の手紙を頂戴しました。

 そうなんだよな,高校の文化祭は一般の人間も行ってよいんだよな。

 ということで,先日嫁さんと一緒に,歩いて2分で到着する高校に,文化祭に行ってきました。

 9月になったとはいえまだまだ蒸し暑く,校舎内は特に暑いのですが,最近の高校はあれですね,エアコン完備の部屋も結構あるんですね。美術部などは喧噪とは全く無縁,我関せずと言う文字通り涼しげ様子で,見学者の我々を完全に無視して,くつろいでおられました。

 我々が行った学校は歴史ある学校のようですが,校舎は新しく,しばらく方向感覚が分からずウロウロすることになりましたが,なにぜ1学年で6,7クラスで,私の頃の半分です。そんなに多くの展示があるわけではありません。

 残念だったのは,写真部も科学関係の部もなく,展示系に案外見る物がなかったことでしょうか。今の高校生は写真を楽しむ人も多いと思っていたので,写真部がないというのはちょっと意外だったのですが,まあそんなものかも知れないですね。

 私が文化祭に出かけた最大の目的は,高校生バンドを見ようと思ったことです。高校生バンドは流行廃れのサイクルを繰り返しながらなんとかその脈名を保っている文化系クラブの代表ですが,現在はそれなりに人気のあるクラブのようで,会場となっていた視聴覚室前の出演バンドの数は,2日間でこれだけやんのか,と思うほど充実しています。

 高校生のバンドですから,ジャズやファンクがあるとは思えず,そんなものを期待することはないのですが,キーボーディストとしては高校生がどんな楽器をどんな風に使いこなしているのか,大変興味もあるわけです。

 それと,高校生とはいえ,爆音を鳴らすことには違いなく,上手下手関係なく,爆音に身をゆだねることを久々にしてみたかったことも,大きいです。

 果たして,潜り込んだ結果はどうかというと,これがとても面白かったのですよ。

 何かのコピーだと思いますが,私には分かりません。ですが,ボーカルの男の子はギターもなかなかうまくて,声も良く通っていました。ステージの前には,1年のTシャツを着た学生が陣取っていたので,1年生なのでしょう。大した腕前です。

 ドラムは女の子ですが,なかなかタイトな音を出しています。ちょっとタムの連打でばたつきますが,もっと下手なのがいっぱいいますのでね。男の子のベースもしっかりその役目を果たし,バンドを支えています。

 サイドギターはピンク色の派手なギターを抱えた小柄な女の子ですが,この子が実は下手でした。音作りもしておらず,リズムを無視してガシガシ弾いている感じがします。本人も分かっているのか,音も小さめになっていて,控えめなプレイをしていました。

 しかし,コーラスを始めるとこれがすかーんと良く通るいい声をしているんですね。ギターもいいけど,ボーカルをやった方がいいんじゃないかと思いました。

 残念ながら,締め切った視聴覚室の蒸し暑さと匂いに2曲ほど聴いて退散したのですが,私としてはもう十分。久々にザクザクとしたギターを聴いて満足でした。え,キーボーディストですか?いなかったですね。残念ですが,高校生でキーボードというのは,なかなかいないものです。今時はベース以上に地味で,格好の悪い(はっきりいえばヲタクですな)存在ですから,形から入る高校生が「やってみよう」と思う楽器の対極にあるといっていいでしょう。

 私たちのころは,ピアノを習っていたとか,そういう理由で部の備品のしょぼいキーボードを演奏する女の子というのが,キーボードの形だったのですが,どこにでもマニアはいるもので,私の1年先輩にぶっといアナログシンセを弾きこなしていた人がいました。

 ということで,わずか30分ほどで帰ることになったのですが,帰りの階段で買い込んだチョコレートを処分しようと,売り歩いている女の子に声をかけられ,嫁さんの分と2つ買って帰りました。

 嫁さんいわく,

「よかったー,我々不審者にみないんだねー」

 ・・・まあ,本当によかったと思います。

本気のBluetooth,MW600

  • 2010/09/09 14:25
  • カテゴリー:散財

 散財が止まりません。

 今回は,まさに衝動買いをしてしまったBluetoothヘッドセット「MW600」です。

 ソニーエリクソンから今年5月末に発売され,神機としてカテゴリトップの売り上げを誇る人気機種です。お値段は少々お高く実売で11000円ほどです。

 ソニーエリクソンとしては実質この機種くらいしかお店にありませんので,メーカー別シェアを週単位で見てみると,この機種の在庫がなくなるとシェアは最低に落ち,入荷するとダントツのトップに躍り出るという,非常に売れている機種です。

 ヨーロッパで設計され,昔から海外では売られていましたが,Bluetoothヘッドセットがそんなに売れていない日本への導入はないものと思われていたなか,ちゃんとローカライズして発売されたわけで,発売前から随分と注目されていた商品でした。ですが私自身はそれほど興味を持っていませんでした。

 携帯電話をわざわざヘッドセットまで買って使いたいとは思わないこと,ワイアレスヘッドフォンとして使うにしても音質が悪く,遅延も発生するのに1万円の価値はない,すでにiPodもヘッドセットくらいの大きさになっているのにバカじゃないか,など,この商品と言うより,このカテゴリの商品について完全否定の立場でした。

 仕事柄無関係というわけにも行かず,しかしながら大した興味もないまま今までいましたが,ちょっとしたきっかけからMW600に触れる機会があり,その10分後には購入を決定,昨日の帰宅途中に寄り道して,たまったポイントで帰って帰りました。10800円でした。

 なにが突然琴線に触れたかというと,

・小さい・・・私の小指くらいの大きさです
・高音質・・・ノイズも小さく,音質も高いです
・ディスプレイ付き・・・有機ELのディスプレイに日本語表示!
・複数機器の接続・・・通話は携帯で,音楽はiPodでと複数機器に同時接続可能
・複数機器の登録・・・3台の機器までペアリング可能,簡単に切り替えて使える
・FMラジオ搭載・・・音質も良く,感度もよい
・長い電池寿命・・・音楽再生8.5時間,FMラジオなら11時間

 という点で,要するにこれまで私がBluetoothヘッドセットに対して抱いていたネガティブなイメージをすべて払拭したものになっていたからです。

 実際買って帰って使って見ても,この印象は全然変わらず,大変に満足な逸品となっています。

 とりわけ小型でも見やすいディスプレイの搭載は歓迎すべき点で,どんな状態にあるのかがわかりにくい機器のくせにディスプレイを持たず,LEDの点滅速度や回数で無理矢理表現しようとする従来のヘッドセットには反吐が出そうです。なにが悲しくて歩きながらマニュアル片手にじーっとLEDの点滅回数を数えないといかんのかと,私は以前から憤りを感じていました。

 小型機器だからこそディスプレイがいるのですよ,本来は。それをどうしてLEDで済ませるのか,そこまでユーザーの歩み寄りを期待するのは間違いじゃないのかと,そんな風に思うわけです。

 国内メーカーの国内設計品でもディスプレイを持つものはありますし,それはそれでそこそこ良くできているのですが,残念な事に曲名の表示がありません。それがMW600では曲名表示が日本語で可能というのですから恐れ入ります。

 実際に丸ゴシックで曲名が表示されると実に面白いのですが,本当にありがたいのは接続機器の切り替えがディスプレイでわかりやすく出来る事だったりします。いずれにしても,こういうややこしい,かつ他と繋がるもの商品だからこそ,ディスプレイは必須であると思います。

 しかし,ディスプレイがあるがゆえに甘えている部分もあるといえます。少ないキーに多くの機能を割り当てることが出来るようになったことは,説明書がなくては何をすることもできないという難しさをはらんでいます。MW600を手にした人は,単純にFMラジオを聴きたいなと思っても,説明書無しではまずもって不可能でしょう。

 ユーザーの努力と歩み寄りをここまで求めるヘッドセットですので,この難しさを乗り越えてまで「こいつでなきゃ」と思う人がターゲットユーザーになるということですから,なんでそんなに売れているのかと疑問も感じますが,やっぱり今のところ完全無欠であることは,少々の操作の難しさを覆い隠してしまうものであり,これは裏を返すと,それほどまでに未成熟な商品カテゴリだということなんでしょうね。

 欠点もあります。まず,多くの方が指摘していますが,ボリュームの調整を行うタッチセンサによるスライダの操作感は大変に悪いですし,不意に触ってしまうことも多くあります。普通にボタンにしてくれればそれで済んだことなのにという意見は,まさにその通りだと思います。

 慣れれば一応思い通りの操作もできますし,何ということもないのですが,iPodやiPhoneがあれだけ直感的に操作できるタッチパネルを持つだけに,問題があるなあと感じました。

 操作が難しく,説明書がないとなにも出来ない事も問題でしょうし,相手次第とはいえ,買って試してみないと日本語の曲名表示が出来る可動か不明というのも,消費者としては厳しいものがあります。

 ところで,私がこれを買った理由には,これが魅力的な商品であるということに加えてもう1つ,これくらい尖ったBluetoothヘッドセットはもう市場には出てこないんじゃないかと言う予想がありました。

 少なくとも,ソニーエリクソンからは,こういう個性的なヘッドセットは出てこないと思われます。噂では設計をしていた部隊がいなくなったそうで,この機種の後継も余程のことがないと絶望的でしょうし,この機種だっていつまで販売されるのか分からないように思います。

 この機種が尖っている理由は,そのシステム構成にもあり,多くのヘッドセットが採用しているヘッドセット用ワンチップICをわざわざ使わず,独自の構成で作り上げているのです。この世界標準のワンチップICを使うと,必要十分な性能のヘッドセットがささっと作れる一方で,どれも似たようなものになってしまいます。

 独自の構成で,と簡単にいうものの,Bluetoothは特に自力で作るのが難しいものですから,技術力がなければ本当にどうにもなりません。ソニーエリクソンには,そういう本物の技術力があったから,こうした他にはない面白い商品が作れたんでしょうね。

 まあ,他の会社から独自の構成により,個性的なヘッドセットが登場する可能性は大いにあると思いますので悲観的になることはないのですが,単純な通話だけのモノラルヘッドセットと違って,音楽を楽しむことを可能にするステレオヘッドセットについては,もっといろいろ面白いものが出てきても良いんじゃないかと,そんな風に思います。

 私が現在使っているSH-03Bでは,先程書いたように日本語タイトルが表示されます。通話も本体のみではなかなか面倒なところもあるので,ヘッドセットの導入は案外私の携帯電話との付き合い方を変えてくれるかも,知れません。

東京Jazz2010の生放送

 まだ昼の暑さが去りきらぬ9月は,東京Jazzの季節です。今年は9回目,世界でも珍しいJazzへの理解のある国・日本で,一番大きなJazzイベントとして,東京・有楽町で行われました。

 せっかく東京に住んでいるのに足を運ばない私は実にもったいない人だと思う訳ですが,休日は家でゆっくりしたい(引き籠もりたい),わざわざ人混みに出かけたくはない(人嫌い),という根源的な理由をさらに肯定するのが,毎年のFM放送による生中継です。

 生中継というのは本当に独特の魅力があります。同じ時間を過ごしているという奇妙な一体感もそうですし,プレイヤーの音だけではなくオーディエンスの出す音までも一緒に届く臨場感も素晴らしいと思います。今時珍しくなったアナログ放送であるFM放送は,高音質であること以上にレイテンシが短く,本当の意味で「リアルタイム」に一番近いメディアではないかと思います。ん,まあ気分的なもんですけど。

 アナログ放送であるFMは受信が極めて難しい放送でもあります。なんとなくでよければ,首都圏なら間違いなく受信可能ですし,Walkmanなどの携帯プレイヤーに内蔵されたFMラジオを使えば,外でも歩きながらでもFMを楽しむ事が出来ます。

 しかし,録音してオーディオソースとして使おうと考えると,途端に難しくなります。元来,ターンテーブル,テープデッキと列ぶ三大ソースであったFMチューナーは,その潜在的な音質の良さで知られていますが,その音の良さを満喫するには,かなり真剣に電波の受信状態を良くしなければなりません。

 FM放送が始まったのは今から50年ほども前の話ですが,その頃と違い,高いビルがあちこちに建ち,至る所に電磁波を出す機器が存在する現在,綺麗な電波を簡単に受ける方法など,もはや絶望的といえる状況でしょう。

 引っ越してきてから,FMのアンテナについていろいろ試行錯誤をしていたのですが,どうしてもマルチパスを回避できません。マルチパスはステレオ放送の時にギュルギュルという音の原因になると考えていましたが,むしろ音が歪むことが深刻になっています。

 最初チューナーが悪いのかと思いましたが,他のラジオでも同じような歪み方をするので,これは受信状態が悪いとあきらめました。

 結局,T型の安いアンテナを買ってきて,これで受信するのがもっとも良い結果になったのですが,それでもノイズは多いですし,大阪の実家にいたときに使っていた5エレ八木には全然かないません。

 さて,気を取り直して,録音の用意です。当日の9月5日は,朝11時から放送開始で,夜の11時まで12時間ぶっ通しのマラソン放送です。現代音楽ファンたちの怒りを買うのではないかとビクビクつつ,変に注目されていないメディア故に出来ることなのかなあと思ったりします。

 レコーダはこの日のために購入した,ZoomのH1です。12時間のあいだ切れ目無しに録音するために,ファイルサイズを2GB以下にせねばなりません。悩みましたが,録音フォーマットは連続録音を重視し,320kbpsのMP3を選びました。これなら13時間近く切れ目なく録音が可能なはずです。

 11時の時報と共に録音開始。以後,めくるめくJazzの世界が私の家まで届きます。毎年毎年思うのですが,世界屈指のJazzが,自宅まで届くこの幸せ。

 特に今年は内容が濃かったと思います。オマー・ハキムは朝から晩までドラムを叩きまくっていましたし,マーカス・ミラーのベースも歌いっぱなしでした。私はJazzヴォーカルにはあまり興味がありませんが,綾戸智恵もよかったと思うし,誰とはいわず,やっぱりピアノという楽器の奥深さを改めて感じました。

 特に夜の部,渡辺香津美の演奏には気分が高揚しましたし,なんといっても30年ぶりのメンバーがそれぞれ超一流になって集い,再開を楽しんでいるようなゆとりのあるなめらかな音に,圧倒されました。

 Jazz Crusadersも強烈でしたね。一緒に聞いていた嫁さんとも話をしていたのですが,やはり管楽器というのは,年齢がそのまま出る楽器だなあと思う訳です。身体能力が表現力に直結する原始的な楽器といえばその通りなのですが,本来なら狭まるはずの年齢であっても,今度は音に深みやツヤが増すというのは,ますますもって「原始的」と言わざるを得ません。そんな管楽器の素晴らしさを味わいながら,今年も無事,TokyoJazzが幕を下ろします。

 ところで気になったのは,今年,かのラリー・カールトンとB'zの松本孝弘が一緒に出したアルバムが契機になったか,この二人がTokyoJazzに出演していました。放送では,生放送の合間に前日と前々日の一部を放送していて,特にこの二人は注目株であったことで,まず間違いなく放送されるだろうと思っていました。

 ところが全然なし。出演していたと言う事実さえ語られませんでした。

 もしや出演しなかったのではと思いましたが,いい演奏だったという感想もチラホラ見かけ,どうやら意図して放送されなかった様子です。

 邪推すると,やっぱり権利関係なんではないかなあと,大人の事情ってやつじゃないかなあと思います。

 以前,ラリー・カールトンが出演したときには放送されましたから,例えば日本サイドがごちゃごちゃ言い出したとか,彼らの演奏だけDVDになるとかCDになるとか,そういう事情でFM放送が出来なくなったとか,なんとなくそんな気もするわけです。

 ひょっとしたら,演奏の内容や観客の対応にご立腹のラリー・カールトンが放送を許可しなかったとか,そういう可能性もあるかも知れませんが,彼がそんなつまらんことで冷や水を浴びせるとは考えにくいものがありますので,少しでも聴ければいいなと思っていた私にとっては,少々残念な結果になりました。

 いや,それでも,今年のTokyoJazzは,歴代で最も素晴らしいものになったと,これは間違いなくいえると思います。来年は10回目。来年くらいは足を運ばねばならないかも知れません。

 ところで録音の結果ですが,ACアダプタを使っていたこともあり,事故もなく完璧に12時間の録音に成功しました。19時にニュースのために放送が中断したら,ここで一度録音を停止してファイルを分けようと思ったのですが,なんと今年はニュースもなく,本当にぶっ通しでした。それでも12時間完璧でした。

 320kbpsならMP3でもかなり音質の劣化は少なく,FM放送ならもうこれで十分でしょう。ノイズレベルが受信状態の悪さ故に大きく,音がやんだときには耳障りですし,歪みも多く,大きな音が出ると「ボン」と音が割れてしまうこともあって,到底良い録音が出来たとは思えません。確かに名演だけに惜しいことをしたと思うのですが,十分に会場の雰囲気は録音できていると思います。

 さすがに12時間は長いので,いくつかに分割して残しておこうと思います。

 しかしH1は,手軽なくせに,なかなか音もいいです。例えばレコードの録音などにも十分使えそうな気がします。

カラカラ音にご注意

 Kindle3がしばしば勝手に再起動するようになったのですが,「初期ロットにバグは付きものだからそのうち改善されるだろう」と思って,あまり気にも留めずにいました。

 しかし,先日電源を切ってテーブルの上に置いていただけなのに,何のきっかけも前触れもなく突如リブートを始めたのをみて,さすがに放っておくわけにはいかんなと調査を始めることにしました。

 ちょうど,振るとカラカラという音がすることに気が付いたときでもあり,もしかすると金属片など異物の混入があるんじゃないかと気になったのです。

 某巨大掲示板にはリブートすることは度々書かれていても,カラカラ音がすることについては全然書かれていません。海外の掲示板を見ると,一応カラカラと音がすることは報告されていますが,それが結局なんだったのかについては全く触れられていません。

 振ると言うより,傾けるだけでカラカラカラと何かが長い距離を動いている感じです。例えばキートップなどの部品がカチャカチャと音を立てるのとは明らかに違う感じです。

 また,リブートについても,背中を指先でピンと弾くと,即座にリブートすることも分かりました。電源OFFからのリブートですので,やはりなにか問題があるのではないかと思います。

 ご存じのようにKindleはamazon.comから購入する形を取るので,サポートはamazon.comが担当します。そしてどうやら,そのサポートは電話で行われ,悪いことに日本語は通じないものであるようなのです。

 まあ,それは覚悟の上でしたし,最悪壊れても買い直すくらいの気持ちでいましたから,保証も何も考えずまずはこのカラカラカラという音の正体を調べて見ようと思いました。

 もし,日本でサポートを受けられるなら,自分で分解せずすぐに修理なり交換をお願いしたと思います。このあたりが,まだまだ万人にお勧め出来るガジェットではないということでしょう。

 Kindle3の分解手順をgoogle先生に聞いてみると,案外あちこちで行われているようで,簡単にできそうです。まず四隅にぐっと力を入れて,爪の引っかかりを外します。四隅が外れたら,あとは少しずつ他の場所の爪を外して行くだけです。ネジもありませんし,特殊な勘合もなければ,ケーブルを切ってしまうなどの心配もありません。

 裏蓋を慎重に外します。

ファイル 403-1.jpg

 果たして,カラカラ音の正体は,外れたビスでした。しかも,3本。

 1本は覚悟していましたが,まさか3本とは。驚きました。

ファイル 403-2.jpg

 右上にあるオーディオ用のIC(WM8650)の周辺に2箇所,そこから下側に1箇所,図の赤い矢印のある場所ですが,合計3箇所のネジが外れたものと思われます。

 3つとも基板を筐体に固定するビスのようで,これが中で外れてカラカラと転がっていたのが音の正体でした。ピンセットでつまみ出し,所定の場所と思われる場所に取り付けます。念のためと他のビスも増し締めをしますが,基板を固定するビスはほとんどが緩くなっており,今にも外れてしまいそうでした。

 うーん,これは1980年代のソニーさんのWalkmanですか?(Walkmanはその昔,ビスが外れる事件が多発して,私の友人も鞄の中で分解しているのを見て愕然としていました)

 原因はなんでしょうね,締め付けトルクが足りなかったのか,本来ならネジ止め剤が必要なところを,ネジ止め剤無しで大丈夫と判断した設計ミスでしょうか。どっちにしても,持ち運びを行うモバイルマシンで,これは非常に危険です。

 カラカラという音は基板の上を派手に転がって出ていた音ですから,あちこちショートさせては,場所によってはリブートするような事になっていた可能性は高いです。もしも電源ラインをショートすると,煙が出たり発熱したりしていたかも知れません。もしKindleから煙が出て電車が止まったら,私は損害賠償を請求されるのでしょうか。

 ビスをしめた後,電源スイッチを入れますが,電源が入りません。壊れたのか,と焦りましたが,こういう場合は慌てず電池を一度外し,パワーオンリセットです。今度はちゃんと起動します。

 裏蓋をし,電源を切ってから背中をパンパンと叩いてみますが,全くリブートせず。ビスを締めてカラカラ音がしなくなって以降は,一度も不意のリブートは発生していません。やっぱりビスが原因だったんでしょうね。

 とまあ,こんな話を聞けば,やっぱ中国製はあかんな,ということになりそうなものですが,Kindle3の製造はFOXCONNが行っており,この会社はかのiPadやiPhoneの製造でも有名です。iPadもiPhoneも,あれだけの数を製造しているわけですから,低い技術で適当に作ったのではあっという間に赤字になってしまうでしょう。

 ということは,製造よりも設計に問題があったのではないかと考えたくなるのですが,そこは人間のやることだけに,ネジを緩く締めてしまったという製造上の問題の可能性だってなくはないでしょう。しかし,理由はともかくこれが原因でKindle3の信頼性が著しく低下していたことは間違いありません。というか,完全に初期不良ですね。

 初期不良があっても,交換すればそれでいいやと考えるものづくりもあります。完全に不良をゼロにすることは出来ませんし,ある数より不良を減らすには膨大な手間とお金がかかり,それは製品の単価と出荷数に影響を与えてしまいます。

 製造側の勝手な理屈ですが,不良が出ることを前提に交換を速やかに行う仕組みを用意した方が,トータルで安くなる事だってあり得るわけで,問題は現在の不良の数がどれくらいあって,それは不良を減らすように改善すべきところなのか,交換を速やかに行うべきところなのかを,正しく判断することです。

 お客としては,仮に100万個に1つの不良率でも,自分にその不良があたれば100%です。だから不良率はゼロであるべきだという話は,今さら説明の必要もない当然の事とは思いますが,前述のようにそれはあくまで理想であり,現実にはそれでは商売になりません。

 ですので,まあ私としては,割り切りました。むしろ,純正カバーの取り付け穴が変形していることの方が問題です。これ,なにか無理矢理つっこんだでしょ。

 Kindle3は,この事件の翌々日,嫁さんにキャリングポーチを作ってもらうことで,毎日持ち歩くことが出来るようになりました。早速今朝の通勤で取り出して使ってみましたが,ハードカバーの本をこんなに苦もなく読めることに,優越感すら感じました。

 それで,ついつい気になってKindleDXgも振ってみますと,なにやらこちらもカチャカチャと音がします。うーん,製造の時期も同じ頃ですから,やっぱりビスが外れているのかも,と考えて,こちらも分解をしてみます。

 結果,ビスは出てきませんでした。音の原因はボリュームのボタンだったようです。まあ,KindleDXgには全くトラブルがありませんので,当たり前だったかも知れません。

 この件,某巨大掲示板にちょこっと書いてみたのですが,案外食いつきが悪く,こんなトラブルはごく少数なのではないかと思いました。それでも私以外のもう一人の方も,ビスを締め直したと書かれていましたし,twitterで音がするとつぶやいていた人もいましたから,Kindle3のオーナーの方は,そんなもんだろうとか勝手に納得せず,少し気をつけておいた方がよいと思います。

 もし英語に不自由しないなら電話で,英語は不自由でも腕に覚えがあるなら自分で締め直すことを,おすすめします。(とはいえ私としては,少々腕に覚えがあっても,ちゃんと正規のサポートを受けることを強くおすすめしておきます。自分で締め直して失敗しても一切責任を負いません)

 うーん,またKindle3を普通の人にお勧め出来ない理由が増えてしまいました。

本と本屋と電子書籍

 昨日,私は一部で話題になっていた「傷だらけの店長」という本を読了しました。

 本が好きで本屋でアルバイトを始め,そのまま就職した主人公が,やがて店長として本屋を運営するなかで,その現実に傷つき,疲れ果てていきます。やがて大規模店の出店による影響で閉店を余儀なくされ,自らの人生にも大きな影を落とします。本屋を知る人には共感を呼び,知らない人にはそうだったのかと胸が痛む,そんな本だと思います。

 本屋さんの業界新聞に連載され,その「耳の痛い内容」に賛否両論あったものが加筆修正の末に,単行本になったものです。

 この本を読んでいると,胸が締め付けられるような悲しさと寂しさにおそわれます。そしてそれを買った日に自炊して,Kindleで読了したという皮肉。なんという矛盾。

 以前にも書きましたが,私の父は教科書の会社で営業をしていました。母は実家のそばのスーパーに入っている本屋さんにパートで入り,25年以上働き続け,今も店長格として現役です。

 私はコテコテの文系の両親から突然変異し誕生した理系ですが,やっぱ文系の血が濃く流れていることを感じることがあります。その1つが,やっぱり本好きと本屋好きだということです。

 いや,本好き,というのは,いわゆる文学作品を多読し,得られる知識を血と肉にして自らの人生を豊かにし,時に人を幸せにする人を言いますので,私のような技術書を中心に散財を繰り返す人を本好きとはいいません。

 ですが,文字を追いかけて読むことがそもそも好きでたまらず,文章を綴ることも(うまいか下手かは置いておいて)苦にならない人で,通勤に開く文庫や新書,寝る前に開く文芸書が心地よく,ついつい夜更かしを続けては,朝なかなか起きられません。

 眠い目を擦りながら本屋で面白そうな本に偶然出会って,一気に眠気も吹っ飛んでしまうと,確かに本好きとはおこがましいが,本が好きな人であることくらいは,胸を張って宣言したって罰は当たらんだろうと思っています。

 本屋さんも大好きです。1時間でも2時間でも過ごせますし,週に一度くらいは足を運ばないと気が済みません。行きつけの本屋さんならどんなジャンルでもまよわず探せるよう棚の特徴と場所を覚えますし,品揃えでその本屋さんの癖を掴み,自分の趣向にあっているかどうかを確かめることも忘れません。本屋さんには失礼かもしれませんが,複数の本屋さんを使い分けます。

 そして,母の話を30年聞いて,傍目には楽そうに見える本屋さんの仕事が,いかに辛く,いかにつまらない仕事であるかを知っていて,しかし本と本屋が大好きという店員さんの情熱によって維持されているという現実に,実に頭が下がる思いがするのです。

 ここ5年くらいの状況はさらに悪く,本屋さんがどんどんつぶれてなくっています。大手が大規模店舗をオープンさせて規模で勝負に出ていること,amazonなどの通販が大変に便利になったことで,本の入手そのものは以前よりも良くなっているように感じますが,一方で中小の本屋さんの減少が起こっています。

 極論すると,店員さんの情熱くらいではすでに維持が不可能な,パワーゲームになっているというわけです。いや,いいか悪いかは別ですよ,それにこうした競争が本屋だけの話でないことも重々承知しているつもりです。

 それでも,本屋さんは,本当に特殊な空間です。

 老若男女,誰でも気兼ねなく出入りできます。せいぜい中学生がエロ本を買うときくらいでしょうか,挙動不審になるのは。

 何も買わなくても全然平気,静かで清潔で,夏は涼しく冬は暖かく,ほぼ全ての商品がお試し可能,店員さんは寄ってこず,しかもちょっとのお金でお買い物ができて,買った商品はそのまま持ち帰り可能,帰りの電車から早速使って楽しむことが出来る,そんなありがたいお店なのです。

 ただし,あくまでお店であって,図書館ではありません。利益が上がらないといけない存在です。一方で店員さんの収入が低いことはよく知られていることですが,それでも成り立っているのは単純な損得勘定を越えた情熱や熱意があるからであり,いわばそうした彼らの心を食いつぶしているといえるかも知れません。

 そうした,経済的観点から見たときの正論と,人の心が加味された現実とが複雑に絡み合って,今のこの一瞬も,本屋さんは維持されているのですね。

 思えば,母の本屋に関する話も,年が経つほど管理職のそれになって来たように思います。ここ10年ほどは,本が好きという言葉より,本屋のマネジメントのしんどさを語ることが多くなりました。変わらねばならない業界への不安と,変わって欲しくない業界の本音が,母の口から出てきます。

 それでも,やっぱり母は本屋が作るのが好きで,本好きのお客さんを迎えるのが好きで,私は私で,そんな本屋に行くのが好きなのです。

 「傷だらけの店長」は,母が私によく言っていた話に重複する部分がたくさんあり,本屋さん特有の自己犠牲について語っています。自己犠牲なんてのは,どんな商売でも大なり小なりあるとは思いますが,本屋さんのそれは,好きでやっている商売ゆえ,弱音や甘えであったり,憚られる不名誉なことだという固定観念が,私自身の根底にあったのではないかと思われました。

 本が好きで本屋が好きで,本に関わる人が好きで,それらを汚す人を許さないという熱意だけが,この疲弊した店長を支えます。理不尽な客もいますが,著者もタイトルもわからない本を探し当て,喜ぶ客の顔を見るのがうれしくて,この仕事を愛していることが愚直に伝わって来ます。そう,母もそうでした。

 やがて大型店が近所に出店,長く地域の文化的拠点だった主人公のお店は閉店するに至ります。定期購読のお客をどうするのか,自分に負けないくらい本と本屋が大好きなスタッフたちをどうするのかに悶々とし,店長になるとき,そして閉店になるとき,それぞれで床に頬をすり寄せ,本屋さんに対する愛情を表現した主人公には,会社員としての単純な責任感を越えたものがあったはずです。

 日々の入荷と返品の繰り返しは過酷な肉体労働を強います。定価販売ゆえ値引きという特効薬が使えず,本屋さんの成績は店長と店員の能力によるところが多かったのが,近年のランキング重視の傾向と,機械的な発注作業による手堅い店舗運営よって,知的労働の割合は減少し,属人的な要素のウェイトが小さくなっています。

 お客さんは,当たり前の事ですが欲しい本がある本屋さんに足を運びます。以前は自分が欲しい本が高確率であるのは自分にマッチした個性の本屋さんでしたから,規模の大小に関係がなかったのですけれども,近年はランキング重視の傾向がお店にもお客にも強くあるので,どこも似たような本屋になってきます。

 そうすると,規模の大小が集客力の差になります。当然売れ筋の本の配本は,たくさん人が集まる大規模書店が優先で,中小の書店は後回しになるので,ますますお客さんは確実に手に入る大規模書店に足が向くわけです。

 私は本好きとは言えないまでも,どこを探してもなかった本が棚に収まって「ここにいるよ」と光り輝いている姿に小躍りし,本屋を出るときには顔が緩んでいることを何度も味合わせてもらっている,とても幸せな人です。

 でも,最近そんな経験も少なくなりました。

 以前はそれでも,amazonで買った本が手元に届くのに数日かかることが嫌で,買った本はすぐに読みたいからと本屋さんで探すことをしていましたが,やがて探しても見つかることがまれになり,結局amazonに頼むことがほとんどという状況になりました。最近は無駄足をするのが嫌なのと,検索がとても楽という理由で,最初からamazonに頼むことが増えています。

 私が支えなくてどうするのか,昔からMegaDrive,SegaSaturn,Dreamcastとマイナーゲーム機と共に心中し,買い支えという特殊な文化に全く抵抗のなかった私をして,この体たらくです。

 私一人の影響力は些細であるとしても,私のような人間が,あるいはもっと本屋さんに思い入れのない人がたくさんいたら,もう本屋さんは成り立たないのではないかと,心配になります。

 閉店準備に追われる主人公は,閉店までの時間の間に,本屋から去ることを決意します。本好きで,本屋好きな主人公は,本を売る立場から離れても,やっぱり自然に本と共に過ごします。このあたり,なんだか泣けてきます。

 彼は,今吹いている電子出版の流れ,そして業界が初めて経験する海外勢との戦いに,身を置いていません。日本語という壁ゆえ海外との直接戦争を回避できていた本の業界が,とうとう好き嫌いにかかわらず海外勢との競争に晒される時代が来たことを,当事者として相対さずに済んだことは,幸運とも不運だったともいえるような気がします。

 母は,務める書店の内規により,その年齢から,半年ごとの契約で働いています。契約云々以上に,肉体労働である本屋の仕事がきつくなってきたと限界が近いことを口にします。

 そして母は,本屋が衰退する現実を案外冷静に受け入れています。後に続く若い書店員に,母はどんな言葉を残すつもりなのでしょうか。今度母に聞いてみなければなりません。

 本が好きでも,本屋が好きでも,私がワクワクして買って帰った本は,その場で分解,裁断され,スキャンされて電子データになり,Kindleに流し込まれます。バラバラになってもはや「紙」になった本は,縛られて資源ゴミに出されます。そう,私はこの手この指で,ページをめくることすらしなかったのです。

 でも,今の私は,このことに全くといっていいほど,抵抗がありません。もっというなら,なんの感情もわきません。

 おかしいな,どうしてだろう,私は本と本屋の,一体なにが好きだと思っているのか,自問する毎日です。本と本屋が好きという点で共通する母とは,これからも話がかみ合うのだろうか,そんなことを,毎年楽しみにしている秋の夜長の訪れを心待ちにしながら,考えています。

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