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2011年11月の記事は以下のとおりです。

4004から40年

 1971年11月,世界で最初のマイクロプロセッサ「4004」が世に出ました。2011年の今年は,なんと4004が登場して40年という節目の年になります。

 4004はすでに歴史の中の半導体で,電子部品としての詳細を知る人も少なくなりました。コンピュータである以上は機械語もニーモニックもあるし,周辺チップとの接続方法や,もっと根本的に電源電圧や消費電流,クロックなどの電気的スペックも当然存在します。

 これらは,4004を使うために必要な情報であって,理解には専門知識を擁する技術者でなければ難しいわけですが,4004はすでに歴史的役割が語られるだけの存在になっているので,専門家である必要はありません。

 面白いなあと思うのは,4004の果たした役割に対して勝るとも劣らない8080や8086,80386というCPUを語るには,4004のように役割だけではまだまだ足りず,そこに必ず技術的な話が必要になるということです。

 これはつまり,技術的な話が理解出来る人にしか,その功績を理解出来ないということを意味します。だから,4004に比べて8080や8086,80386の凄さというものが,一般の人々の間にまだまだ知られていないのだと思うのです。

 4004は世界初のマイクロプロセッサであり,ここからの説明は文系の人でも「世の中を変えた」だの「コンピュータが家庭に入った」だのと,まあありがちな話を適当に垂れていればそれで様になります。

 また,実際のところ,技術的側面において4004の凄さを語るのはなかなか難しいのも事実です。

 よく知られているように,4004は電卓ごとに作っていた専用の電卓LSIでは埒があかないので,1つのLSIで様々な電卓を作る事が出来るように,汎用性の高い電卓LSIを目指した中で誕生しました。

 キーボードとディスプレイと電源,場合によってはプリンタを繋げば電卓が完成する専用の電卓LSIは,全てハードウェアで電卓の機能を実現しています。それら機能の追加や変更があったら,いちいちLSIを作り直さねばなりません。

 これではとても大変なので,それらの機能をバラバラに分解し,それらをソフトウェアで動かすように考えたのが,当時のビジコンの開発陣です。足し算には足し算の命令を,かけ算にはかけ算の命令を,平方根には平方根の命令を,プリンタ駆動にはプリンタ駆動の命令を用意し,ハードウェアで作られたそれぞれの機能を呼び出すのに使うわけです。こうすれば,1つのLSIで様々な電卓を作る事ができます。

 ここまでの話を考えたのが,かの嶋正利さんです。このアイデアを実現してくれる半導体メーカーを探し回って,ようやく受けてくれたのはインテルだったのですが,当時のインテルにとって,彼らのアイデアを実現するには回路規模が大きすぎて,とても作る事ができませんでした。

 ここからがとても素晴らしいのですが,インテルのテッド・ホフさんは,この汎用電卓LSIの回路をもっと簡略化し,難しい動作や高い機能はソフトウェアで実現するというアイデアを提案します。テッド・ホフさんも嶋正利さんも,ミニコンピュータや汎用機をそれなりに知っている人ですので,それがコンピュータそのものであることを知らないわけはありませんが,発想はコンピュータのダウンサイジングではなく,電卓LSIの汎用化からです。

 0から9までの数字と,その数字の属性を考えると,一桁の表現力としては4ビットもあれば十分です。桁数の多い計算は何度も繰り返せばいいわけで,桁数分の回路を搭載するのは無駄だという話です。

 こうして,4004は4ビットCPUとして誕生しました。

 発注元のビジコンにとって,4004は彼らの要望を満たすための汎用電卓LSIに過ぎませんでしたが,言うまでもなく4004は超小型のコンピュータそのものでした。インテルはこれに気が付き,カスタムLSIであった4004を一般に販売できるように権利をビジコンから買い取り,MicroComputerSystem-4,略してMCS-4と名付けて販売をします。こうして,世界最初のマイクロプロセッサが登場したわけです。

 ところが,8080の素晴らしさというのはわかりにくいのです。8080の前には8008という8ビットCPUがありましたから,世界初とかインテル初という話にはなりません。しかし8008と8080は天と地ほど差があって,8086が8080の直系とするならば,現在のインテルのCPUの起点であると言って良いものです。

 16ビットのアドレス持ったこと,スタックをRAMに置いてネスティングレベルを事実上無限にしたこと,自由度の高い割り込みを持ったことなどが,明らかにそれまでの世代のCPUとは一線を画しており,下位のミニコンピュータに列ぶ機能を実現していたのです。8ビットCPUとしては,すでに完成形であったといって良いでしょう。

 8086は現在のIA32の元祖ですが,実はこれもわかりにくい存在です。世界初の16ビットCPUではありませんし,インテルにとって8086は当時主流ではなく,膨大な開発費をかけた別の本命CPUまでのつなぎとして考えられていましたし,主役に抜擢されたのも,その本命CPUが大失敗したからに過ぎません。

 8086が16ビットCPUとして優れていたのは,リニアではないにせよ1Mバイトまでアクセス出来るメモリ空間を持っていたこと,8080との互換性はなかったものの,8080を使った人がすんなり移行できるような継続性のあるアーキテクチャを持っていたこと,そして専用の浮動小数点演算プロセッサ8087が用意され,これと組み合わせれば,あたかも最初から浮動小数点演算命令が備わっていたかのように振る舞ってくれたことでしょうか。

 80386に至ってはさらにわかりにくい存在です。32ビットCPUとしてはいくつも先行した他社製品があり,インテル自身にとってですら初めての32ビットCPUではありません。ですが,80386こそ本当の意味で現在に続くIA32のスタートだと言えるものです。

 アドレス空間も32ビットで完全にリニア,ページング方式の仮想記憶をサポートし,メモリ保護機能とリングプロテクションを持っていました。また32ビットの汎用レジスタは機能に差がなくなっており,近代的なコンピュータとして最低限欲しい機能が全て入った,32ビットのコンピュータとして欠点のない,まさに全部入りのCPUだったのです。

 実は,8086もその後継である80286も,ちゃんとしたコンピュータを知る技術者からは散々な言われようをした,欠点だらけのCPUでした。同時期に出ていたモトローラの6800や68000との比較が常に行われ,「電卓あがり」だの「詰めが甘い」だのと,随分揶揄されたものでした。しかし,80386が登場してからそうした悪口を叩く人はすっかり消え,ライバル達もいつの間にかいなくなってしまったのです。

 機能として完成の域に達した80386はのちにIA32と呼ばれるアーキテクチャの起源とされ,以後登場する80486やPentiumは,基本的の80386の高速版として生まれました。のみならず,後継となるはずだった64ビットCPUのItaniumさえも蹴散らし,64ビット拡張まで行われて,まさに王者として君臨しています。

 インテルのCPUとてコンピュータですから,当然技術的に複雑で,加えてコンピュータ自身が急激に進歩した時期に開発が続いたものですから,その進化の意味や後に与えた影響を考察するには,相応の専門的な知識が必要です。

 問題は,そこまで深く理解して考察するべきかどうかで,現在のPCや家電品の高性能化を,果たして4004にまで遡るべきか,あるいは8080,8086,80386まで遡れば済むと考えるかは,それぞれの立場や理解力にかかってくるように思うのです。

 もしかすると,4004がなければ,コンピュータは小型化しなかった,つまりマイクロコンピュータは誕生しなかったという人がいるかもしれません。しかし,4004から数ヶ月遅れで,当時のNECから4ビットのマイクロプロセッサが発表されています。インテルがやらなくても,どこかの会社がコンピュータを半導体に作り込むことは,そんなに時間を置かずに実現していたことでしょう。

 いろいろ書きましたが,それでも世界最初のマイクロプロセッサが登場して40年。冷蔵庫ほどもある「設備」だったコンピュータ本体がシリコンの板に焼き込まれて,印刷物のように大量生産されたことでやってきた世界は,確実に我々の生活を変えたはずです。

 むしろ,インテルにしてもNECにしても,当初なかなか売れなかったマイクロコンピュータに見切りを付け,さっさと撤退してしまっていたらどうなっていたかを考える方が面白いでしょう。今時はどの会社でも,儲からないとわかればさっさと撤退しますから,もしかすると過去に撤退したものの中には,世の中を大きく変えたものがあったかもしれないですね。

一眼レフと銀塩とPENTAX Q

 無事に子供も生まれて,しばらく離れていたカメラを取り出すことがまた増えてきました。それぞれのカメラの個性は記憶しているのですが,細かい操作や設定内容を忘れていて,ショックを受けることがしばしばです。

 D2Hは大きくて重くて音が大きいため,子供が怖がるほどですが,やっぱりこいつが一番だなあと思います。しかし,レリーズボタンの半押しでAEロックの設定をOFFにしてあったことに気が付かず(マルチパターン測光をもっと積極的に使おうと挑戦を試みた時に設定を変えたが結局挫折),なにやら白飛びした画像を量産してしまいました。

 また,非CPUレンズ使用時の,焦点距離と開放絞り値の変更をするのを忘れて,50mm/F1.4から28mm/F2.8にレンズを交換し,絞り値が狂ったまま撮影をしたりと,散々でした。

 K10Dはダルなシャッター音が,脳内麻薬の生産をストップさせてしまうのですが,FA43mm/F1.9Limitedの素晴らしさは,出てきた画像を紙に印刷すれば圧倒的と言えるほどの力を持っています。誰に見せても「これは違うカメラ?」と聞いてくるくらいです。

 実はもうK10Dは,FA43mm専用となっています。K-5もK-7も気になるカメラではありましたが,結局見送ることにしたのはFA43mm専用機になってしまう現実で,新しいカメラを買う必要があるのか,と思ったからです。

 そして,銀塩です。

 F100に85mm/F1.8を使って見ましたが,素晴らしい写真を,ただシャッターを切るだけで残してくれることに,驚きました。この組み合わせは,まだまだ銀塩が主役だった時代にすでに存在したものですが,今見てもはっとするような写真を15年も前に残せていたのかと思うと,ちょっと惜しい気がしました。

 F3はやっぱり手に馴染むし,ファインダーを見ているとワクワクするし,シャッターを切ればやっぱりその振動の方向の違いからか,とても心地よいです。なにより親指でのフィルム巻き上げがたまりません。

 最後にCLEです。病院に持ち込んで,生まれた瞬間を記録するという大役を任せたのが,CLEとNoktonClassic40mm/F1.4でした。

 フィルムはISO400のセンチュリアスーパーでしたが,あまりよい写真になっておらず,私自身は結構がっかりしました。フォーカスはともかく,露出が結構失敗していて,やはりPICマイコンで素人が制御機構を作り直したカメラでは,うまくいかないものだなあと思いました。

 露出がアンダー気味になっていたのはなんとく分かっていましたが,ネガなら救えると思って気にせず撮影したところ,色が転んでしまった写真が出るほど外していました。

 レンズも,記録写真としてはちょっと個性が強すぎ,また暗い部屋だったので十分に絞り込むことも出来ず,どうも芯のない眠い写真ばかりになりました。こんなことなら多少無理してでもF3やSuperAを持ち込んだ方が良かったかもしれません。


 ところでPENTAX Qです。

 CLEとPENTAX Qの2台体制で撮影しましたが,PENTAX Qは使い込んでみると,どうも期待はずれなのです。

 CLEも今ひとつだったので,PENTAX Qをバックアップにと考えていましたが,こちらも今ひとつでしたから,貴重な誕生の瞬間の写真は,どうも満足行く結果を得ることが出来ませんでした。

 現時点でPENTAX Qについて思うことは,良く写るコンパクトデジカメに過ぎないという事,そしてこの値段ならよく写って当然だということです。

 まず,今時の機種にもかかわらず,実用感度はISO400までで,それ以上は使い物になりません。ノイズが多いくらいは辛抱しますが,色褪せは許せません。

 画質も良くないです。なんといいますか,無理をしているというか,不自然な処理が強くかかっているというか,階調が浅いというか,奥行き感がないというか。

 とにかく,不自然なのです。確かにレンズの解像度も良いし,撮影そのものは楽しいのですが,出てきた画像が不自然ですので,このままでは印刷しようという気さえ起きません。

 でレタッチを試みますが,なにせ出てきた画像の調整範囲が狭すぎて,ちょっといじるとすぐに破綻してしまうのです。情報量が少ないのでしょうね。

 ただ,RAWではまだ撮影しておらず,JPEGだけでの印象ですから,もしかするとRAWだと懐の深い所を見せてくれるかも知れません。

 でもね,RAWが前提だなんて,DP1sでいいじゃないかと思う訳です。もう10年近く使っているCybershotのU20なんて,JPEGですがそれなりにレタッチする余裕がありますよ。

 ということで,今のところPENTAX Qは,そこそこ綺麗に撮影出来ること,軽量であることを(小型とはあえて書きません。レンズを取り付けると結構大きくなって持ち運びが煩わしい形になりますので),魚眼レンズが面白いということくらいにしか,メリットを感じることが出来ずにいます。

 それと,気にならないと思っていたAFの性能の低さは,やっぱりものすごく気になるようになりました。コントラストAFですので,一度フォーカスアウトしてからざーっとなめるように焦点を探すという動作はやはりまどろっこしいし,実のところ結構AFが外れるんです。

 他にフォーカスが来ていることも多いし,明るいレンズの割にはフォーカスが外れている事も結構頻繁にあり,油断をしているとどこもボケボケの写真が出来てしまいます。

 小さすぎるのも困りもので,背面の十字ボタンを不用意に押してしまうことは以前にも書きました。なにが面倒って,押したボタンがどれか分からず,すぐに元に戻せないことがあったり,そもそも押してしまったことに気が付かない場合もあるので,もう少し押しにくいボタンにして欲しかったなあと思います。

 ストロークをもう少し深くするとか,押し込みの力を強くするとか,あるいはロックをかけてしまうとか,そういう工夫は欲しいところです。

 そう考えると,レンズ交換が出来ると言ってもズームレンズはそこらへんのコンパクトデジカメのレンズと同じくらいのものといいますし,実質標準レンズ1本だけで交換することもほとんどなく,特に高感度に強いわけでも,画像に粘りがあるわけでもないし,ボケが綺麗なわけでもないので,PENTAX Qの強みっていうのはなんだろうと思う訳です。

 懐の深い,素材として良質な画像を得るためには,一眼レフを使うのが一番なのですが,それと同じような使い方をPENTAX Qに期待したところ,さすがに過度な期待だったという事でしょうか。正直なところ,ちょっと失敗したかなと思うほどです。最新のデジカメをしばらく買わずにいたので,どれくらい進化したのか楽しみでしたが,やっぱデジカメはセンサのサイズですね。

歪率計と低周波発振器の設計ミス

  • 2011/11/11 19:34
  • カテゴリー:make:

 秋も深まり,気温も下がって,日中も20度前後になる毎日,すっかり調整びよりです。

 夏休みに作った歪率計と低歪み低周波発振器は,秋になったらもう一度再調整をしようと考えていましたので,まずは調整が必要かどうか,確認をすることにしました。

 歪率計の完成後に出来上がった周波数カウンタを使って1kHzと10kHzの発振周波数を測定すると,ややずれている感じです。再調整はやっぱり必要だなあと,100Hzを見てみると発振していません。

 あれ,おかしい。波形を見ると,1kHzもクリップしていますし,100Hzも全然発振しません。調整がそんなに狂ったのかとVRをグルグル回しますがほとんど変化無しです。

 出力調整のVRを絞る方向に回すと,少し回しただけで大幅に振幅が小さくなります。もちろん波形はクリップしています。

 壊れたのかなあ・・・こういうときは電源電圧の確認だと,電圧を測定してみました。

 歪率計には±17V,発振器には±15Vが供給されているはずなのですが,今測定するとどちらも±14V付近です。どっかショートしているのかも知れないと確認しますがそういう場所も見つからず,電源回路を確認すればトランスの2次側が16Vrmsまで下がっています。三端子レギュレータを通れば3Vのドロップがありますから,このくらいの電圧は妥当です。

 どうやら,トランスが小さすぎたようです。16V-100mAの小型のトランスを使ったのですが,そんなに大きな電流が流れないアナログ回路ですから,トータル100mAも流れないだろうと高をくくっていました。

 確かに無負荷時の電圧を測定すると,ちゃんと±17Vと±15Vが出ていますが,特にリレーの載っている入出力基板が繋がると,途端に電圧が下がります。トランスの2次側が下がるので,±15Vも引っ張られて下がるのですね。

 こりゃーいかん。

 もう少し電流に余裕のあるトランスか,もう少し2次側の電圧の高いトランスに交換する必要があります。探してみてもそんなものはあるはずがなく,これは買うしかないとあきらめました。

 しかしトランスは現物を見てみないと大きさのイメージもわきませんし,値段もバラバラですので,通販はちょっとこわいです。(とはいえ真空管用のバカでかいトランスを持って帰るのは愚の骨頂なわけですが)

 背に腹は代えられません。まともなメーカーのトランスを800円ちょっとで購入。これは24V-100mAが2回路で,少し大きくなりますが,まあなんとか入るでしょう。

 トランスを注文して届くまでの間,少し状況を整理してみます。

 周波数カウンタを外せば,クリップもなくなるし,出力調整ボリュームも正常に動作します。ということは周波数カウンタに原因があるということです。

 周波数カウンタの入力アンプに問題があるとすれば,これはまた厄介な話です。せっかく上手く動いているのに,また検討しないといけません。

 まさか,と思い,ケーブルを周波数カウンタから外してみたのですが,やっぱり波形はクリップしたまま。ということは,どうもケーブルに問題があるようです。

 調べてみると,ケーブルがどこかでショートしているらしく,テスターであたれば,芯線と網線の間に数百Ωの抵抗が見えます。ケーブルを曲げればその値も変わりますので,間違いないでしょう。

 さすが,古いオシロのプローブの再利用です。ケーブルが内部でショートしているとは思いませんでした。ショートしている部分はケーブルの真ん中当たりのようで,これはもう捨てるしかありません。

 うーん,細身で曲がりやすく,かつ50Ωの同軸ケーブルって手持ちがないのよねえ。

 ということで,発振器の波形のクリップの原因は電圧の低下ではなく,周波数カウンタのケーブルのショートでした・・・

 しかし,電源電圧が正常ではなかったことが発覚した以上,ほっとくわけにはいきません。トランスが届いた翌日,さっさと組み込んで見ました。

 単純に交換しただけですので問題はないと思いますが,それでもAC100Vの部分ですのでやっぱりこわいです。

 恐る恐る電源を入れると,「パンッ」という何が破裂する音がします。なにか青白い火も見えました!

 あわてて電源を切って,ちょっとぼーっとしていたのですが,気を取り直して電源基板を見ても,どの部品も壊れた様子がありません。おかしいなあと思い,今度は電圧計を繋いで電源を入れてみます。電圧は正常値を示すのですが,5秒ほどするとまた「パンッ」という音が・・・

 これは確実にアウトです。でも,基板の上の部品には変化がありません。なにが破裂したのか確認するのに,さらに破裂をさせないといけなくなりました。しかし,以後は破裂音はしなくなりました。

 もしや,と思い基板を裏返すと,やっぱり・・・チップコンデンサが焦げていました。

 最近私は,パスコンなど0.1uF程度のパスコンには積極的にチップセラミックを使っています。取り付けも楽だし,ICの足下に置けますので性能も出ます。

 ところが,この手のチップセラミックって,耐圧が16V程度なわけです。部品に書いていないので記憶をたどるしかありませんが,例えば16Vだったら,今回のトランスの変更で入力電圧が30V近くになるわけですから,耐えきれなくなったんでしょう。

 負電圧側は同じ電圧がかかっていても破裂していなかったので,中途半端に壊れずにあるより,はっきり壊れてくれてむしろ助かりました。

 チップセラミックはせいぜい25V程度ですので,ここは50V耐圧のリード型のセラミックを用意して,これにすべて交換します。

 通電,電圧チェックをしますが,問題なし。回路の動作も問題なく,電圧が上がった分だけこれまで怪しかった動作が改善されているようです。

 しかし,三端子レギュレータに触ってみると,かなりの発熱です。これまでは発熱などほとんどなかったのですが,今回は50度を超えている感じです。

 ざっと計算してみますか。三端子レギュレータ(LM317)での電圧ドロップが10Vあって,電流が100mAとすれば,単純に1Wが熱になります。

 今回のLM317はTO220パッケージですので,仕様書からその熱抵抗を調べてみます。熱抵抗というのは文字通り熱の伝わりにくさを示す数字で,℃/Wという単位になります。1Wあたりの温度上昇を示しているわけですね。

 メーカーによって結構数字が違うのですが,ここではJRCの数字を使って見ます。LM317のオリジナルメーカーであるナショセミの仕様書は,随分緩いんですね。だから厳しいJRCのものを使うのですが,調べてみると,70℃/Wとあります。

 今回の回路では1Wが熱になるわけですから,TO220パッケージでは70℃まで上昇するな,とこんな風に考えるのです。

 では,何度まで上昇していいかを考えてみましょう。シリコンのジャンクション温度の最大値は150℃とされていますが,150℃になると確実に壊れるので,一般的に保存温度の最高値である125℃を限界と考えます。

 そして,周囲温度はどうするかですが,密閉空間ということもあり,50℃くらいまでは動いて欲しいなあと思いますから,ここは50℃とします。すると許容される温度情報は125-50で,75℃となります。

 先程,1Wの電力ではTO220パッケージは70℃まで温度が上がるとなっていました。温度上昇は75℃まで許容できるのですから,今回のケースではヒートシンク無しで大丈夫そうです。

 ということはですね,75℃の温度上昇がある時の電力は1.07Wとなります。これは電圧ドロップが10Vの時107mAに相当しますので,ちょっと余裕がなさ過ぎです。

 もしも,温度上昇の最大値を超える発熱があるのであれば,周囲温度を下げる(強制空冷や水冷),ジャンクション温度を上げる(シリコン以外を使う),あるいは発熱を下げる(電流を減らすか入出力電位差を小さくする)ことになります。しかしいずれも出来ない場合がほとんどですので,その場合にはパッケージの熱抵抗を下げて,1Wあたりの温度上昇を小さくするしかありません。ヒートシンクを取り付けるというのは,このことに他なりません。

 今回のケースでは,どうやらヒートシンクなしでもギリギリ大丈夫という結論ですが,かなり熱いのは事実ですし,出来れば少しでも温度を下げた方がいいと考えて,1.0mm厚のアルミ板をL字に曲げて取り付けました。

 これもざっと概算してみます。

 1.0mm厚のアルミ板を今回の40mmx25mmにしたとき,その熱抵抗は,あるデータによると,ざっと40℃/Wだそうです。

 この放熱器を取り付けた場合のトータルの熱抵抗は,ジャンクションとパッケージの接触面までの熱抵抗θjcと,パッケージ接触面から放熱器の表面までの熱抵抗θCHと,放熱器の熱抵抗θHSの和です。

 TO220のθjcは5℃/W,θCHは絶縁シートや締め付けトルクに寄りますが,一般的に0.4℃/Wを使います。故にトータル45.4℃/Wとなります。これが75℃になるのは1.65Wとなりますので,10Vの電圧ドロップ時には165mAとなります。まあ,これくらいなら少しはゆとりもあるでしょうか。

 一方,±15V系を計算して見ます。電圧ドロップが12Vで電流が30mAとすれば0.36Wです。78L15のパッケージであるTO92の熱抵抗はJRCの仕様書にある数字を採用すれば,200℃/Wということですので,温度上昇は72℃となりました。

 そして,許容される最大温度上昇については,先程の計算と同じで75℃です。ギリギリです。

 電圧ドロップが12Vと大きいので,ここを17Vから生成できればわずか2Vとなりますので,相当余裕が生まれます。しかし78L15の最低電位差は1.7Vですので,こちらも結構ギリギリです。難しい所ですが,ここは17V系の消費電力が上がってしまうことも気になりますので,少々危険ですが現状のままとしましょう。

 ところで,このTO92の熱抵抗ですが,ナショセミの数字を見ると,足の長さを基板から10mm程伸ばした場合には180℃/Wとのことで,これを3.2mm程まで近づけると,160℃/Wまで下がるんだそうです。奥が深いですね。

 で,電源電圧が変わったのですから,これはもう再調整しかありません。まず発振器をざっくり調整します。ざっくりといっても,周波数だけは真面目にあわせます。

 そして,歪率計を1kHz,10kHz,100Hzと調整をしていきます。調整箇所から大きく外れていないようですが,トータルゲインだけは少しズレがあったので再調整です。

 歪率計が調整出来たら,再度発振器です。周波数は調整済みですので,今度は帰還率と積分器を調整します。歪率を下げると発振がなかなか安定しないので,そこそこのところで妥協しますが,その結果これまでの値よりも若干悪くなってしまいました。

 発振器の最終結果です。

0.00064%(1kHz)
0.00205%(10kHz)
0.0038%(100Hz)

 これまでの最終値は,

0.0005%(1kHz)
0.0022%(10kHz)
0.0031%(100Hz)

 というわけで,10kHzを除いて若干悪くなっています。まあ誤差みたいなものですし,もともと低い値ですので,これくらいはもう気にしません。

 さて,これで歪率計・低歪み低周波発振器の検討は,本当に終了。あとは実戦配備のみです。しかし,実際に歪み率の測定をやってわかったのですが,結構大変なのです。時間もかかるし,同じ作業を何度も繰り返すので,ついうっかり手順を間違えてそのまま先に進んだり,測定中に条件が変わったりするようなことがあると,どうも値が綺麗に出てこないので,また測定し直しになったりします。

 それでも,温度や経年変化に対する変動の実力が案外小さいことが分かったので,一安心です。これでなにを測定しようか?

実はすでに処分されていたプジョー306

 私が初めて新車で購入したプジョー306(N3)が私の手元を離れ,父の所有になってから約2年が経過した10月30日,その父から突然電話がありました。

 用件は出産予定日を1週間ほど過ぎたことを気にして「どんな感じか」と電話をしてきたわけですが,電話を切る直前の「そうそう」から始まる,ついでの話に,私はちょっと動揺しました。

 プジョー306を処分したというのです。

 処分というのは廃車したという事か?と確認すると,その通りだという返事です。

 処分するぞ,ではなく,すでに処分したということですから,事後に連絡をしてくると言うのはちょっと話が違います。

 この話の父からの申し出というのは,名義の変更を行い,車検や保険などの諸費用は全て父が負担をする,譲渡や廃車などの処分を勝手に行わない,必要に応じて車検が切れても切れたまま持っておく,というものでした。

 もとより,こんな都合のいい条件を100%信じていたわけではなかったし,この車を私が取り戻してまた乗るかと言えば,それはないと思いますので,特に実害があるわけではありません。

 釈然としない気分のせいで,後に続ける言葉が見つからずにいると,父がいらついた口調で言い訳を始めました。いわく,自分ももう乗らないのでもったいない,と。

 ああ,聞かなければよかった,もうこれ以上は聞きたくない,黙っていてくれ,と私はそう心の中でつぶやいていました。

 処分されたものはもう仕方がありません。事前に「処分するぞ」と言われても「お願いします」としか言えなかったはずですから,ここはこらえて,「手続きありがとう」とお礼だけ言って,電話を切りました。その時に私には,これが精一杯でした。

 電話の後,状況を整理してみました。

 まず,父はもともと軽自動車より大きな車をゴルフに行くのに使いたいといっていました。大きさは問題なかったようですが,私のプジョー306はどうもパワー不足で今ひとつ走らず,一度使われただけで,以後はゴルフに使われることはなかったと,母から聞きました。私がこの車にパワー不足を感じたことは一度もなかったのですが・・・

 次に,父は夏頃,肩の手術をして,しばらく入院していたそうです。その後リハビリで,結局9月頃まで身動きできなかったとのことです。

 そして最後に,この8月中旬に,車検が切れていました。

 想像出来るのは,自分が入院しているうちに車検が切れたプジョー306をどうにかせねばならず,当初のあてが外れてお荷物になってしまったこの車を維持する理由もなく,電話一本で取りに来てくれる友人の自動車整備会社にさっさと処分を頼んだという流れです。車検も自分が面倒を見るという行っていた割には,私が通した車検が切れたら処分ですから,呆れたものです。

 父がそういったわけではありません。父は処分した理由を,乗らなくなった,お金がもったいなかった,だけでしたので,私は随分父に都合の良い想像をしていることになります。そう考えてあげないと,プジョー306が不憫に思えるからです。

 いろいろな事情があったことは確かでしょうが,それにしても処分の前に一言欲しかったと思いますし,それは私に対する気遣いというより,約束だったわけですから,随分軽く考えられたものだと情けなくもなります。

 父にとって,自動車は頻繁に乗り換える,いわば大量生産の洋服のようなものなのでしょう。私のように縁あってやってきた個体として愛着を持つことは理解出来ないことのようです。

 思い出すと,父はとても車を大事にしていましたが,その理由は価値を下げないことにありました。古い車をレストアして乗るとか,1台の車を長く乗るとか,そういう事は一度もありませんでした。

 私も自動車は大好きですが,自動車が好きだった父の影響を受けたと,安易に言えない理由がここにあります。同じ好きでも,おそらく正反対の方向を向いています。だから,私が免許を取ってから以降,自動車の話を父とすることは全くなくなりました。もう接点がないわけです。

 さらに思い出してみると,父は幼い私に自動車の話を自慢げにする人ではありましたが,そこで出てくる自動車の評価は,新しいか古いか,高いか安いか,ブランド力があるかないか,人目を引くかどうか,パワーがあるかないか,くらいのものであり,カーブを曲がるときの鼻先の向き方やボディの剛性,サスペンションの追従性といった話は一度もなかったのです。

 父がこれらに興味を持ってなかったわけではないでしょうが,父が私に話すメカニズムについての話は,エンジンの話が中心であり,サスペンションやシャシーの話は全くありませんでした。要するに,そこが父の自動車好きの「限界」だったのでしょう。

 自ずと,好きな車の趣味も違ってきます。私は国産ならマツダ,海外ならプジョーやシトロエン,アルファロメオやフィアットがとても気になるわけですが,父にとってこれらの車はオモチャ同然であり,国産なら(かつての)日産,海外ならベンツとフォルクスワーゲンとBMWというドイツ勢が興味の対象です。

 ドイツ車の素晴らしさを否定するものではありませんが,ドイツ車にないフランスやイタリアの車の魅力をオモチャと言い切るあたり,お互いに全くわかり合えないだろうと思うのです。書いていてふと思ったのですが,父の自動車観は,まるで中国人のそれと同じですね。

 父は根本的に,自分の事しか考えません。自分の周囲の半径1mから外のことは全く見えないし,興味もなく,ひょっとすると存在すらしないと思っているかも知れません。そんなだから,自動車に対する接し方も人それぞれであるという理解はありません。

 父にとってプジョー306がお荷物なら,私にとってもお荷物であり,父が処分を最善と思えば,それは万人にとっても最善であると思うのに,何の疑いもないのです。

 ただ,今回の話については,「事前に一言欲しかった」とつぶやく私に多少の後ろめたさを感じたのか,声のトーンを半音上げて,なぜ自分が処分したのかという理由を,だーっと機関銃のように一気にまくし立てました。

 でもあいにく,私が聞きたいことは,そんなことではないのです。

 後日,思いつきで行動して周りの人を散々振り回す事は,相変わらず昔とちっとも変わっていない,という,いつもの意見の一致が,母との間でありました。

 長生きされれば,我々の生活を引っかき回すようなことをする可能性も高いと思っていますし,さりとて急に死なれてもきっといろいろ面倒な事が出てくることでしょう。願わくは,このままどこかに消えてなくなってくれればなあと,最近特にそんなことを思うようになってきました。

 親子ですから,それでも子供の頃の父の思い出はいくつもありますし,それらの多くは良い思い出で,懐かしいとも思います。

 しかし,人間同士としてこれだけそりが合わないと,やはり顔を合わせたくないし,話をしたいとも思いません。親子なのにと言う人に対しては,親子だからギリギリ繋がっているのだと言いたいくらいです。
 
 プジョー306が私の目の前を走り去って行くときに残したいくつかの写真は,実はまだ未現像です。あれから2年,今もしその写真をみたら,どんな印象を持つでしょう。

 最後にプジョー306を見たのは,実家でのことでした。プジョー306はもともと高級車ではないので,特に最廉価のstyleには,やや細い純正のタイヤがよく似合います。なのに,不釣り合いなインチアップのアルミホイールに扁平なワイドタイヤを無理に履かされていて,リアフェンダーの内側にタイヤがこすれるほどでした。

 シートにはボワボワのムートンが敷き詰められ,まさに台無しでした。

 やはり,最後は私の手で処分するべきだったのではないかと,安易においしい話に乗ってしまったことを,反省しています。

爆誕

  • 2011/11/02 22:08
  • カテゴリー:make:

 えと,娘が生まれました。もちろん,私にとっての初めての子供です。

 さすがに私たちの子供らしく,まあ大変でした。

 公式には26時間にもおよぶ難産で,陣痛があった総時間は約40時間という壮絶さ。

 長時間にわたる分娩の促進剤投与によるリスク。ギリギリの判断で急遽行われた吸引分娩。

 最新の設備,圧倒的な物量,そして優秀なドクターやスタッフの美しい連携と献身的なサポート。

 なにより,嫁さんの不屈の精神。私も一晩病院に泊まりました。

 何かが一つ間違っていれば,必ず誰かが「後悔」したと思います。それほどの難産でした。

 不思議なもので,生まれた直後の娘を見ても,私は何も感じなかったのです。

 嫁さんも自分の事で精一杯で,なんだか感動が薄いのです。

 でも,私の手の中で,興味深そうに私を見つめる小さな眼を見返すと,勝手に涙がぼろぼろとあふれてくるのです。なぜだかさっぱりわかりません。

 2011年11月2日14時ちょうど。この日は我々にとっての,大事な記念日になります,

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