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2006年10月の記事は以下のとおりです。

そういえばTRONっていう映画がありましたよね

 TRONプロジェクトの坂村先生の,日本学士院賞を受賞された記念講演を聞く機会を得ました。昨日行われたのですが,なかなか興味深いものでした。

 私にとって,TRONと坂村先生とは,2つのフェイズがあります。前半はパソコン会の平和と自由を奪う学者,後半は技術に公平な技術者です。正反対ですね。

 前半は,15年ほど前までの話ですね。TRONが「どこでもコンピュータ」をスローガンに掲げて登場してから,インテルとマイクロソフトに(あえていうなら日本政府にも)粉砕されるあたりまでです。

 どんなものにも,どんな場所にもコンピュータが存在する社会を前提とした発送がスタートであったことは素晴らしいと思ったのですが,私の記憶では「国産コンピュータ」であることと,「独自規格であること」が方法論として重要視されており,これが草の根で広まった当時の自由闊達なパーソナルコンピュータの世界に規律と統制をもたらす危機であると,そう考えたのです。

 この懸念は,実はそれがインテルとマイクロソフトによって現実のものとなってしまうわけですが,それでも私は大学の学者が考えた理想論を押しつけられるよりも,ベンチャーから生また製品を消費者が自然に選んで結果的に寡占状態になった現実の方が,ずっと好ましいことのように思います。

 なぜOSをわざわざデスクワーク用,工業用,通信用の3つに区別しなければならなかったのか,なぜわざわざ専用のマイクロプロセッサを作る必要があったのか,なぜわざわざ特殊なヒューマンインターフェースデバイスを作る必要があったのか,私の当時の反発はこの3つに集約できます。

 OSについては,結局工業用のiTronしか生き残っていませんし,専用のマイクロプロセッサは現在そういうものがあったことすら知られていません。技術的にも先進性はなく,失敗であったことは明白です。

 ヒューマンインターフェースデバイスについても,おかしな配列のキーボードをわざわざ用意したり,ライトペンを使っていたりと,現在全くその痕跡を残していません。

 結論から言うと,私が気に入らなかったTRONは,すべて現在否定されて,またなかったことにされているのです。生き残ったわずかな部分だけが今になって評価されているのが現状で,坂村先生自身が過去の失敗と成功を冷静に評価せず,失敗に終わったものはなかったことにされているところが,とても残念でした。

 坂村先生は,おそらくホビー用のパソコンなどに興味はなかったのでしょう。「どこでもコンピュータ」というコンセプトにも関わらず,ゲームマシンに現在に至っても言及されないのはその証拠です。当時のファミコンはTRONの外側にいた,最も数の多いコンピュータの1つだったのです。

 ですから,個人の技術的興味から始まった「パーソナルコンピュータ」に文化も伝統もないと感じたのは無理からぬ事で,QWERTY配列のキーボードやASCIIコードに対する象徴的な憧れや誇りを,彼が学者の理想で無神経に踏みにじったことが,許せなかったのです。

 同じように感じていたホビーストは結構多かったようで,彼を揶揄した文章や4コマ漫画などをたくさん見ました。

 既成の文化や習慣を壊す時には,いつでも大きな反発があるものです。であるから,その必然性を説く義務があるはずなのですが,坂村さんのやったことは,それを「外国製」という理由だけでなんとも思わずに破壊しようとしたことで,慎ましく暮らしていた「未来のエンジニア」の心を,あまりに軽く見ていたのです。

 そう,彼は机上ですべてを知った気になる侵略者であり,自由と平和を奪う独裁者であったのです。そして我々ホビーストは,彼からこの世界を守る,レジスタンスだったのです。

 結果として,彼の野望はついえました。コンピュータだけではなく建築にも口を出した彼をおもしろがった大学も,国産技術でコンピュータを制覇しようとスケベ心を出した政府も問題だし,DRAMで世界を制覇した半導体メーカーが「次はCPUだな」と彼のマイクロプロセッサにホイホイ乗ったことも問題でした。

 アメリカが「自由貿易を阻害する」とTRONをやり玉に挙げ,政府もこれを支援できなくなると,TRONは急速に失速します。

 この点についても私は思うのですが,TRONは「仮身と実身」など優れた概念や,仕様だけを取り決めた弱い標準化など評価できる点もある一方で,技術的にも従来技術を否定するだけの理由を説明できないまま,ただ国産のものに置き換えるなど理不尽な点が多く,エンジニアとして公平に見ても失敗するべくして失敗したと思います。

 それに,他のことは別にして,コンピュータとエレクトロニクスは大企業が支配する世界と同時に,ホビーストが技術的興味で推し進めた事の貢献が大きく,ホビーストにとっては「国産であるかどうか」など,それほど重要なことではなかったのです。良いものはどの国のものでもよい,同じホビーストならどの国の人でも仲間,そういった国境を越えた考えが,当時から浸透していたのです。

 ですから,坂村先生が「TRONはアメリカに潰された」とよく言われていますが,それは間違いです。アメリカに潰されたのではなく,自由に潰されたのです。残念ながら,彼にその反省は,今もありません。

 さて,後半はそこから現在に至るまでです。

 エンジニアとして仕事を進める中,高度化する組み込みコンピュータの開発をなんとか楽に出来ないかと模索する過程で,私はμiTronに出会います。

 μiTronを使えば,キーの操作や外部から通信など,突発的に発生する事象について,ソフトウェアを設計する人間は特にそれらを意識しなくて済むようになります。面倒なこれらの処理をすべてOSに任せ,自分は本来マイクロコンピュータにさせたいことに集中できるのです。

 以前はそうはいかなかったのです。キーの読み取りも通信も,全部自分で書いていました。もし定期的に行わないといけない処理があっても,それはソフトウェアを作る人間が保証しないといけませんでした。

 しかし,リアルタイムOSを使えば,定時性は保証されますし,キーの読み取りも特に意識せず設計が出来るようになります。

 問題は,そのリアルタイムOSを動かすために,CPUパワーもメモリも必要になってしまうことです。これは当時のマイクロコンピュータでは致命的でした。

 ただ,μiTronだけは,必要なリソースが極めて小さく,当時は唯一の現実解だったのです。それが国産の,しかもあのTRONの生き残りであると知って,私は驚愕しました。

 とはいうものの,技術的にはそんなに新しいものでも,画期的なものでもありません。また,仕様だけを取り決めて実装はお任せという「弱い標準化」のせいで,結局高価なOSになっていました。(各CPUごとにそのCPUメーカー自身が実装をしていた)

 さらに,評価されている「軽い」という点も,機能としてタスクスケジュールしか持たず,しかも実装上の工夫がそれなりにあったと考えると,なにもiTronが特別優れているからということにはならないと思います。

 ただ,彼の考え方には,ちょっとびっくりしました。

 敗れてなお,同じポリシーを貫いていたからです。

 μiTronの仕様は基本的にはオープンで,無償で誰でも自由に使うことが出来ます。これはTRONの時代から変わらぬ一貫したポリシーで,それをずっと貫いていることは確かに素晴らしいです。(うがった見方をすれば,こうすることでメーカーがお金を取れる仕組みを構築できた,とも言えますね。ある意味では妥協の産物かも知れません。)

 結果として,これが組み込みエンジニアをどれほど救ってきたことか。また,日本が得意とする製品には,必ずと言っていいほどμiTronが使われた来たのですが,それが製品の品質と性能を向上させるのに,どれほど役に立ってきたか,それはもう言うまでもありません。


 講演では,TRONの過去と未来を語るものだったのですが,前述のように過去についてはあまり触れず,さりとて未来に触れることもなく,今やっていることを中心に述べたという感じでした。

 いいなと思ったことが1つあります。

 uCodeという128ビットのユニークなコードを,世の中にあるすべてのものに割り振る,というものです。

 割り振れば,それらはすべて区別されます。肝心なことは,「それ専用」のコード体系や仕組みを持たず,あくまで「どんなものにも使える汎用性」を持っていることなのだそうです。

 彼の説明では,その方が合理的だから,ということだったのですが,そんなことはどうでもよくて,例えば木を見て,それが何の木か調べるときに,「ゴムの木に似ているからゴムの木と打ち込んでみよう」と,調べることができるのに対し,全くその木のことが分からなければ,調べるすべがない,現在の検索の仕組みではここが限界だというのです。

 だから,その木にコードを割り当てておき,調べたいことがあったらそのコードを入力する。すると,その木に関する内容が調べられるというのです。つまり,入力情報が木ではなく,コードになるというわけですね。

 ただ,これはそのコードの実態を正しく管理されておらねばならず,そうでなければ意味のない仕組みとなってしまいます。ですから一元管理する仕組み,偽造を防ぐ仕組みをきちんと考えてあるのだそうです。

 確かにこれは便利かも知れません。

 我々は言語という共通のコードを持ち,見たもの聞いたものをそのコードに置き換えて,相手に伝えたり調べたりしています。それが128ビットのコードになるということに,特別大きな驚きはありません。

 ただ,それが共通であるという事がミソであり,そのことがコンピュータと物事とをつなぐ架け橋になるんだというあたり,漠然とした理想論を超えたなにかを感じさせます。

 講演会の冒頭,半分くらいは知ってる人だと言われていました。そりゃそうですね,記念講演会ですから,私のような面識のない人間がわざわざ出向くなど,普通はあり得ません。何か落ち着かない,疎外感を感じて過ごした2時間でした。

 蛇足ですが,会場だったホテルニューオータニ。ここは現代の迷宮ですね。講演会の行われる宴会場の場所がさっぱり分からず,聞いてみたところ,1階であるここからエレベータで5階まで上がり,200mほど歩いてからそこにあるエレベータで2フロア下りてください,といわれました。

 すったもんだがあったのですが,後援会が終わって帰路につくとき,すっかり来た道が分からず,おそらく帰るのだろうと思った別の人の背中について行くことにしました。

 エスカレータで1フロア上がって,もう1つ上がるのかなと思っていたら,なんとそこには出口が。タクシーが並んでいます・・・

 1階から5階まで上がり,2つ下がって1つ上がると,なぜ1階に出てくるのか・・・

 まさに四次元空間です。

美しい日本

 えと,あまり政治や思想の問題をここに書くことはしないでいたのですが,新しい政権が誕生して,ちょっと思うところがあるので書いておこうと思います。

 艦長日誌は議論の場でも,はたまた啓蒙の場でも,個人的なはけ口でもないので,こうした話題は一方的すぎて不公平だと考えたからなのですが,安倍さんの安易さには一市民として苦言を呈したいと思ったわけです。


 安倍政権が掲げるスローガンは主に3つです。格差の固定化を防ぐ,イノベーションによる成長,そして憲法改正です。

 それぞれの是非について私が意見することは前述の理由で避けますが,注意していただきたい事があります。

 この3つは,彼が掲げるキャッチフレーズ「美しい日本」の具体的施策として出てきたものです。

 美しい日本・・・なんと耽美な響きでしょう。

 川端康成がノーベル文学賞を受賞した際に講演した内容をまとめた「美しい日本の私」を,私はかつて読んだことがありますが,子供だった私にはその内容の半分も理解できずにいました。

 しかし,美しい日本の私,というタイトルと,自然と調和して生きる日本人の文化的側面を美しいと評する内容には,心地よいイメージの一致がありました。それは愛国心やナショナリズムとは全く異なる,日本人の世界観をとても客観的に論じたものでした。

 そこで,

  美しい日本,という言葉が何を示しているか,理解していますか?

  美しい日本,という言葉の甘さにだまされていませんか?

  美しい日本,という言葉をもう少し掘り下げて考えてみませんか?

 を改めて考えてみたいと思ったわけです。

 四季の織りなす自然に調和した日本人の世界観が川端のいう「美しい日本」であるなら,安倍さんのいうこれらの施策は「美しい日本」を説明したものではありません。

 また,すべての人が,安倍さんの著作を読んでいるわけではありません。美しい日本,という口当たりの良い,非常に抽象的な言葉を使って自らを定義し喧伝することを,私はとてもずるいなあと思うのです。

 美しい日本にします,と言う人に,それはおかしいとか,それはけしからんと言う人はいません。

 しかし美しい日本を具体的に,と問われた安倍さんが答えた内容は,例えば上記の3つをとってみても日本を美しくすることに直接貢献しません。なぜそう思うか。

 美しい日本,という言葉でイメージするものが,正しく定義されていないからです。定義されないことも問題ですし,定義しにくい言葉である事も問題です。もっと言えば,定義することが無粋であると感じるほど,心地よい言葉なのです。

 安倍さんが悪意を持って我々を煙に巻こうとしているわけではないと思いますが,結果として「なんかわからんけどよさそうだ」と思っている人,周りにいらっしゃいませんか?

 10月から,年収が一人で380万円以上,夫婦では520万円以上のお年寄りの医療費の自己負担額が3割に引き上げられました。歳を取ってからの病気は,それだけでもとてもつらく,不安になるものですが,そこにさらに経済的な不安も突きつけているケースが散見されるこの現状をして,美しい日本,を目指していると胸を張って言えるでしょうか?どうですか?

 戦前の翼賛体制の日本だって,見方を変えれば十分美しい国だったと言えるでしょう。この言葉,もう一度考えてみませんか?

完全復活!ES2

 ペンタックスES2ですが,ようやく調整も終わり,完全復活となりました。今回はどこにも妥協はしていません。文字通り完全復活,です。

 昨日試し撮りを行った結果ですが,自動露出では1/1000秒から2秒まで,メカシャッターでは1/1000秒から1/60秒まで,X接点も問題なしで,開放測光だけではなく絞り込み測光でも問題なく自動露出が動作しています。

 以上は確認した範囲での話で,本当は4秒や8秒も試してみるべきだったのかも知れませんが,使うことがないだろうということでやめました。そもそもISO200のフィルムで制御範囲かどうか調べる必要もありましたし。

 確認は以下の方法で行っています。

 まず,1/1000秒については,SMC-Takumar50mm/F1.4を使って,1/1000秒を示すように絞りを調整します。自動露出で1枚,続けて同じ条件でメカシャッターでも1枚。この2つを比較すると,自動露出とメカシャッターでのシャッター速度の差がわかります。

 これをメカシャッターが使える1/60秒まで行います。これまでのコマの露出が一定であれば,自動露出も正常だし,メカシャッターも正常であることが一気にわかるのです。ついでに今回は1/30秒も撮影しておきました。

 これがISO200,自動露出,1/1000秒,F1.8です。

ファイル 41-1.jpg

 次にISO200,自動露出,1/30秒,F14です。

ファイル 41-2.jpg

 色合いはちょっとおいといて(おそらくスキャンソフトのカラー調整のせい),どちらも同じような露出になっているのがわかります。

 続けて絞り込み測光を試します。SuperTakumar55mm/F1.8に交換し,自動露出で1/1000秒から1/60秒まで撮影します。メカシャッターは先ほどの撮影で比較できますから,今回は自動露出だけです。ここまでのコマが全部同じ露出であれば,開放測光と絞り込み測光で差がないことになります。

 さらに低速シャッターの試験です。再びSMC-Takumar50mm/F1.4に交換し,室内で1/30秒から2秒まで撮影します。三脚とレリーズは必須です。ここでも一定の露出になれば正しく制御されているとわかります。

 最後にストロボの撮影です。1/60秒のメカシャッターにセットし,ストロボを使って撮影します。ストロボの発光時間に差をつけるため,ストロボのオートモードを使ってF5.6とF11の2つの条件で撮影します。

 上記の試験の結果,どのコマも全く問題なし。心配していた高速側の露光ムラもありませんし,1/60秒でのストロボ同調もうまくいっています。低速側も一定の露出に揃っていますし,自分でもここまでうまくいくとは思っていませんでした。

 そんなわけで,信頼性だけが評価できずに終わっていますが,基本性能としてはすべて正常な状態に戻ったと考えていいと思います。調整のノウハウも蓄積できましたし,今回の修理と調整は,有意義だったと思います。

 しかし,時間がかかりました。次から次に出てくる問題をつぶし,複合的要因で起こる故障を調べ,1つ1つまじめに対処したことが成功の秘訣だったと思います。

 ただ,考えてみると,昨年ES2の修理を最初に終えたときと同じ状態に戻っただけ,とも言えるわけで,なにも新しい機能がついたり,復活したりしたわけではありません。そういう意味では,昨年には問題がないから触らないでおこうと逃げた部分を,一通りすべて確認出来たことになりますから,今後なにか問題が起こっても,きちんと対処できるようになっていることと思います。

 それにしても,一時はもうだめか,と思ったES2も,なんとかここまで持ってきました。本当によかったと思います。

 そうそう,実家から持ってきたSPも,一応調整を終えて掃除を終えました。SuperTakumar50mm/F1.4も分解掃除を行いましたし,スミ入れも済ませましたので,かなり綺麗になったと思います。

 ショックだったのは,前玉の裏側にカビがあったことです。

 息を吹きかけると2,3箇所カビの発生がわかったのですが,1つは直径が1mm程になっています。拭き掃除をしても曇りが取れませんので,おそらく過去に発生したカビの痕ではないかと思います。

 まあ仕方がありません。これがそれほど画質に影響するとは思えませんので,おおらかに割り切ります。来週にでもテスト撮影を行ってみましょう。

TC-16Aで超望遠の世界

 先日購入した,AFテレコンバータTC-16Aがどれほどのものなのか,少し遊んでみました。

 全体的な話として,画質の劣化は少ないと思います。D2Hで試したのでそれほど気にならずに済んでいるというのが本当のところかも知れませんが,少なくとも私にはボケたり色がおかしくなったりという問題が気になることはありませんでした。

 Planar50mmZFですが,これはZFのキャラクタをきちんと残してくれていますので,問題なし。解像度の劣化も,そりゃ確かにないわけではないでしょうけど,気にならないレベルだと思います。

 と,ZFが実用レベルであることはある程度分かっていたことなので,本当の遊びはこれから。AT-X100というトキナの100-300mm/F4の望遠ズームが手元にあります。

 一応SDレンズやら全域F4やら,それなりのスペックの望遠ズームなのですが,購入時の価格が38000円ほどと処分価格だったことや,マニュアルフォーカスのレンズなので,今なら数千円の価値しかないでしょう。

 しかし,これがTC-16AによってこのゴミレンズがAFになり,しかも480mm相当になる(幸いなことに元がF4ですからF6程度で済んでくれます)というわけですから,きちんと写ってくれれば活用できそうです。

 そんなわけで,試してみます。

 まず,自分の家の窓から見える曼珠沙華。私はこの花はグロテスクなこともあり,あまり好きではありません。

ファイル 40-1.jpg

 おしべにピントを合わせましたが,なかなかのものです。-0.7の露出補正を行っています。絞りは開放,シャッター速度は1/80で,なんと手持ちです。ぶれがあるのはそのせいです。

 D2Hで使うと,480mmのさらに1.5倍ですから,なんとなんと720mm相当。こいつは未体験ゾーンです。被写界深度の浅さもあって,花全体が範囲に収まらず,全体にぼけてしまっています。これはあきらかにやり過ぎですね。

 で,窓から見える近所の家の屋根。

ファイル 40-2.jpg

 これはAF-S18-200mmの広角側いっぱいの18mmです。手ぶれ補正も入れています。洗濯物が入ってしまったのは大失敗です。

ファイル 40-3.jpg

 これがAF-S-200mmの望遠側いっぱいの200mmです。同じく手ぶれ補正も入れています。このくらいだとまあ想像がつきますね。

 ですが,これが一気に480mmになると異次元です。

ファイル 40-4.jpg

 AT-X100にTC-16A,480mm相当です。

 私はあまり望遠を使うことがないので,今更ながらに面白いなあと初心者に戻って楽しんでいました。どうですか,あまり画質の劣化もないでしょう。色もしっかり出ているようですし,私はこの程度でも十分使い物になるんじゃないかと思いました。

 ただ,だからなんだ,という気分になるのも望遠だなと思います。私は,望遠で撮らなければならないものは,近寄れないものだということだから,つまりそれは撮ってはいけないものなんだと考えてきた人なので,720mm相当だろうがなんだろうが,それが便利に使えるときというのは,特殊な状況に限られるんだろうと思います。

 可能性が広がったことは大変結構です。旅先に一つ忍ばせていくと,助かったと思うことが出てくるかも知れません。

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