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SPUは秘境である

  • 2019/04/22 15:20
  • カテゴリー:散財

 私が物心ついた時には手の届くところにLPレコードがあり,細い溝に音が刻まれていることは直感的に理解していましたが,ここから音を実際に拾い上げることが出来た我が家のシステムステレオは真空管式で,セラミックカートリッジでした。

 私がこのシステムステレオについて,わずかに記憶に残っていることは,33回転と45回転に加えて78回転と16回転が選べたことと,やたら薄暗いところにあったこと,そして電源を入れると湿っぽい臭いがして,子供心に「これは危ないな」と思ったことでした。

 いつ廃棄されたかを記憶しておらず,気が付いたらなくなっていました。ちゃんと動いている記憶もないので,どんなものだったかはわかりませんし,この手のシステムステレオはこの当時,あちこちの家に見られたもので,ひょっとしたらいとこの家にあったものと混同しているかもしれません。

 5歳かそこらのときのことでしょうが,父が私を連れてポータブルレコードプレイヤーを電気屋さんに買いに行きました。友人の家でみたテントウムシの形をしたプレイヤーが欲しいとねだったような記憶がありますが,そうしたファンシーなものを嫌いな父が選んだのは,無難なデザインの青いフタの付いたものでした。

 これもまたセラミックカートリッジで,当然モノラルでした。私もそうでしたが,特に弟がウルトラマンだの仮面ライダーなどのレコードをやたらと買ってもらっていたので,これを再生するものとしても活躍してくれました。

 やがて,私はステレオが立体音響であることを知ります。テレビもテープレコーダもレコードもラジオも,とにかくスピーカが1つだけで,モノラルの世界がすべてであった私は,友人の家やCMでみる,左右に2つスピーカーがついている「ステレオ」が,クルマのヘッドライトのように,デザインの都合でただ左右対称に同じ物を配置しただけと思っていて,格好がいいとは思っていましたが実用性には理解がありませんでした。

 それもそのはず,まともなステレオ再生が出来る再生機器は高価でしたし,音楽ソースの入手も簡単ではありません。

 そんなおり,父が借りてきた,8トラックのラジカセで,私は立体音響の世界に度肝を抜かれます。その8トラックのラジカセは奥行きがあり,今思い出せばなかなか高音質だったのですが,これは8トラックのステレオ再生に加えて,FMラジオのステレオも受信可能だったのです。

 ある日,このラジカセの機能をあれこれいじって確かめようとしていた私は,ある切り替えスイッチの「STEREO」「SOUNDSCOPE」の違いを確かめるべく,耳をスピーカーに近づけていました。

 ちょうどお昼頃,NHK-FMをテストソースに使っていたのですが,森進一の音楽が始まった途端に,目の前にぱーっと音が広がって聞こえたのです。

 気のせいかと思って,何度も試しますが,その音の広がりは間違いありません。SOUNDSCOPEではさらに立体的に聞こえます。

 それまで意識していなかった8トラックテープもこのラジカセでステレオで聞けることを知り,ステレオとオーディオが違うものであることを,ようやく理解したのでした。

 1979年にWalkmanが登場し,小さなカセットプレイヤーとヘッドホンが立体的な音を作り出すことに,私も数年後腰を抜かすことになるのですが,そうなってくると自分でもステレオを扱う事の出来るオーディオが欲しくなってきます。

 そんな高価なものはおいそれと替えるはずものなく,父が次に持ち込んだのは,4チャンネルといえばとりあえず売れた時代のモジュラーステレオの中古品でした。

 4チャンネルとは言え,当然ディスクリートでもなければ,マトリクスでもない,なんちゃってもいいところなイカサマ4チャンネルだったわけですが,FMラジオはもちろん,LPレコードもようやくステレオになりました。

 しかし,カートリッジは相変わらずセラミックです。AMラジオに毛が生えた程度の周波数帯域,歪みも大きいし,セパレーションが絶望的でした。

 これで中学生になるまで過ごしていたというのですから。さみしいものです。

 ビートルズに出会い,真面目にLPレコードを聴きたくなり,またFMラジオで面白い音楽をやっていることを知っては,それを録音したいと思うようになり,ここから渇いた喉を潤すように,私はオーディオの道を走り始めることになります。

 とてもよいシステムを詳しい叔父から譲ってもらっていたある友人が,ゴミ捨て場で拾ったというTEACのA-450を私に譲ってくれましたが,これがその後6年ほど私のシステムの中核となります。

 高校生になると,父がまた古くさいコンポーネントステレオを知人から譲ってもらってきました。この時は私は1万円だか,お金を取られたように思うのですが,今思えば廃棄物処理費用として1万円もらいたいくらいの代物でした。

 とはいえ,これは私が独占できる初めてのオーディオ機器であり,オーディオに関する本や記事に沿った経験が初めて出来るものでした。

 特に,LPレコードはベルトドライブの安物ではありましたが,J型のトーンアームはユニバーサル型で,シェルに好きなカートリッジを取り付ける事が出来るものでした。

 ここに至って,私は初めて,LPレコードをマグネチックピックアップで再生する環境を手に入れたことになります。

 しかし,V15typeIIIを使っていた叔父の音には全く手が届きません。これはやっぱりカートリッジだろうと,当時1万円でたたき売られていたVMS30mk2を,郵便局で貯金を下ろして買ったことが,私と北欧,そしてオルトフォンとの出会いでした。


 当時は,FMのエアチェックするための番組表が週刊誌になっていましたが,ここにはオーディオの広告もたくさん出ていました。VMS30mk2もここで知ったのですが,光悦やピッカリング,ADCなどメーカーを知ったのもこの頃です。

 一番欲しかったシュアーは高価で手が出ず,1万円で3万円相当のカートリッジを買うチャンスだと飛びついたのですが,確かに音は良くなったとは言うものの,プレイヤーの性能が低すぎてゴロゴロと音がしますし,トラッキングエラーのせいで歪みも大きく,ワウフラッターも回転数の変動も話にならないレベルで,良い結果は全く得られませんでした。

 この時,M44Gなどを分相応に手に入れておけば私のオーディオ人生も真っ当だったと思うのですが,果たして辞書を片手に英語の説明書を読み込み,なんとかしていい音を出したいと悪戦苦闘することになってしまいました。

 その後,20歳頃で6万円くらいのプレイヤーを買おうと思っていたところに,DP-2500をジャンクで手に入れ,カートリッジもV15typeIVは無理でもMe97HEを買ったりしましたが,やはりあの叔父のシステムの音は出てきません。

 社会人になってV15typeVxMRを買って,ようやく欲しい音が出てくるようになって,そうか,カートリッジの個性がが一番大きいんだなあと思い知ったのです。かかった時間は実に10年,それも青春時代の10年です。

 時代はCDに移行し,LPレコードはそのうち生産されなくなるだろうといわれた時代でも,私にはこうしたLPレコードに対する達成感を渇望する気持ちが強く,ずっと興味を持ち続けられたことは幸いだったと思うのですが,しかし,カートリッジの個性を良し悪しではなく楽しみとしてとらえるようになるのは,さらに10年の時間が必要でした。

 DL-103とV15typeVxMRで常用カートリッジが固定化し,あとは2mREDやGRADOのPrestageなどを気分で選ぶ事をやっていましたが,どれも安物ばかりです。

 そんなおり,自分が知るべき世界で,まだまったく手が届いていないものがある事にはっとします。

 それは,オルトフォンのSPUです。

 SPUは1959年だったと思うのですが,ステレオのLPレコードの登場とほぼ同時期に登場した,黎明期のステレオカートリッジです。放送局用で,専用のトーンアームに取り付けるA型と,ユニバーサルタイプのトーンアームに取り付けるG型が存在し,今日まで多くの派生品種を持つ,息の長いシリーズです。

 シェル一体ということもあり,重量は30gもある上に,針圧が4gとこれまた大きい値です。トーンアームがこうした重量級のカートリッジに耐えられないとセッティングも出来ないという難しさもあり,私には関係のない世界だと思っていました。

 ただ,SPUが今のMCカートリッジの原点であり,今も尚多くのファンが絶賛している事実は知識としては知っていて,それでもきっと最新のカートリッジにはかなわないんだろうと思っていました。

 冷静に考えると,私のトーンアームはG-940になっています。MCヘッドアンプも用意出来ています。SPUをお迎えする環境は,なんとか用意出来るのではないかと気が付きました。

 しかし,SPUは高いです。10万円を越えるカートリッジを,おいそれとは買えません。

 そして調べてみると,なにやら安いSPUがひっかかります。

 オリジナルのSPUを復刻したSPU#1というシリーズが,2016年に登場していて,これが安いのです。丸針で実売53000円,楕円針で実売63000円です。

 SPUとしては破格のこのSPU#1ですが,否定的な意見は全く出てこず,コストパフォーマンスは最高という意見も目にします。そう,あのカブトムシのようなシェルが,私のレコードの上をなぞるときが,現実になるのです。

 ここであらためて,SPUを使うための問題点を洗い出します。

 まずヘッドアンプです。これは大丈夫です。DL-103もいい音でなっていますし,インピーダンスも3Ωに対応します。

 トーンアームも大丈夫です。補助のウェイトがないとダメかも知れませんが,それも500円玉を張り付ければどうにかなります。

 問題はオーバーハングです。私のシステムはどういうわけだか,15mmというオーバーハングを出そうとすると,シェルのコネクタから針先まで45mmにしないといけません。

 通常ここは50mmから55mm程度あるものなので,私はシェルをカートリッジに取り付ける時,最もコネクタ側に取り付けざるを得なくなっています。

 SPUのG型は,この長さが52mmなんだそうで,さすがに適正値の45mmに比べると長すぎます。これではトラッキングエラーも大きくなってしまいますし,かといってシェルから取り出して別のシェルに取り付けるというのも,もったいない話です。

 いろいろ考えましたが,とりあえず買ってから考えることにしました。

 もし,このままでもどういうだかオーバーハングがきちんと出てくれるかもしれず,オーバーハングが不適切でもトラッキングエラーがどういうわけだか小さかったりするかもしれず,トラッキングエラーが大きく出てもどういうわけだか歪みが小さかったりするかもしれません。

 それでもダメなら,それから考えましょう。

 こういう事情もあり,トレース能力の高い楕円針を選ぶ事にしました。本当はクラシックなSPUですので,丸針が欲しかったのですが,丸針でトレース能力が問題なってもあとから交換出来ませんし,丸針ならDL-103もあることだしと,ここは奮発することにしました。

 ということで,あれこれ考えると気が変わるので,もう勢いでポチりました。

 翌日,私の手元には,宝石箱のようなクレイなケースに入った,SPU#1Eが届いたのです。

 いやはや,ここまでとうとう来ました。SPUですよ,SPU。安いとはいえ,新品のSPUです。

 使う人を選び,使うシステムを選ぶ。その音は豊かな中低域を伴い,太く艶やかで,どっしりと構えているのに繊細,しかし派手さはなく,数々の高い壁をわざわざ乗り越える価値があると考えた人だけが持つ事を許される,それがSPUです。

 ロングアームにGシェルのSPUに,どれほど憧れたか。

 それが,手元に来ています。

 SPUのオーナーに,改造だ工夫だは似合いません。最高級のものを手に入れ,ただ音を出しても水準以上,そこからさらに細かくチューニングをし,長い時間でエージングをして,焦らずじっくり,しかし熟成させていくことにこだわりを持ち,豊かな音がこぼれだしてくるのをひたすらに待ち焦がれる,それがSPUとの会話だと,勝手に思っていました。

 私のような,お金のないことを工夫で逃げ切る生活の人は,SPUを持ったらダメなのです。

 SPUのあのごっついシェルが,私の手の中で,そういっています。

 でも,いいんです。そんなSPUを,私が説き伏せてみます。

 まず,なにも工夫も改造もせず,針圧を4gになるようにします。ゼロバランスは無理でしたが,針圧計で4gにすることは出来ました。

 トラッキングエラーを調べてみると,なるほど大きく出ています。これは無視できないレベルでしょう。

 でもかまわず,音を出してみます。

 うーん,トラッキングエラーによる歪みは派手に出ています。

 しかし,澄み切ったMCカートリッジの透明感に,重心の低さと艶やかさがあります。DL-103程の線の細さも,澄んだ空気も感じませんが,MMのような解像度の低さはなく,あくまで音はMCのそれです。

 しかし,針圧の重さからくる安定感と張り出してくる中低域はどうです,SPUを買ったら,V15とDL-103を使い分けることがなくなったという意見を見たことがありますが,まさにその通りです。

 そう,私は,針圧をかけたい人なのです。

 V15でも,針圧をかければ重心が下がり,中低域に艶が出てきます。DL-103も同様です。しかし,これらはもともと軽針圧のカートリッジです。3g以上をかけるわけにはいきません。

 個人的に思うSPUの魅力の1つが,4gという針圧です。軽針圧化を目指して進んで北カートリッジの開発は,標準的な針圧を1.5g程度にする世界をもたらしましたが,SPUは昔のまま,4gとか5gとか,そういう世界のままです。

 レコード盤を傷める可能性は否定しませんが,軽針圧のカートリッジを重い針圧で使うのではなく,重い針圧が適正値として設計されていて,かつそれが長年生き続けているSPUだからこそ,私は大きな顔をして大好きな重針圧を堪能出来るというものです。


 ということで,長くなったので続きは次回。

 とにかく,SPU#1Eは,オーバーハングが不適切で,トラッキングエラーが大きく歪みが出まくっていますが,音の艶やかさ,中低域の太さとMCならでは高解像度に,ロングセラーである理由を垣間見た気がします。

 SPUは言うなれば,人里離れた秘境です。そこに行くには大変な労力が必要で,そこに行きたい,行かねばならないという強い意思がなければ,くじけてしまう厳しさです。

 しかし,秘境にたどり着き,得られたものは,そこを訪れた人にしかわからないものがあります。その味わいは至上のもので,他を選ぶ気が失せてしまいます。

 そして秘境は秘境らしく,長い時間,変わることなく,秘境を目指す変わり者を,じっと待ち続けているのです。

  オーディオを知る人なら,誰でも知っているSPU。しかし,SPUを使っている人は多くはなく,SPUの素晴らしさは知っている人達の間だけで語られる。SPUを聴かずに死ぬ人も多く,しかしSPUを聴くにはどうすればいいのか見当も付かない・・・まさに秘境です。

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