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土曜日の午後

 いつも昼まで布団の中で惰眠をむさぼるのが至高の楽しみである土曜日,しかしその日は朝から半蔵門まで出かけることになっていました。

 曇り空のお天気は暑くもなく寒くもなくというほどよい感じで,用事が済んだお昼の12時過ぎには,近くの中学校の学生達が帰宅の途につき,親しい友人達と休日を迎える開放感を楽しんでいました。

 ふと気が付くとおそば屋さんが目に付きます。お昼時ですし,こんな機会はもうないんじゃないかなと,あるおそば屋さんの扉を開いてみることにしました。

 土曜日のオフィス街は,会社の多くが休みになる代わりに,工事や引っ越し作業があちこちで行われています。扉の向こうに見えたのは,たくさんの注文を裁ききらねばならない緊張感に修羅場と化した店内です。お客さんは皆一様に薄い緑か青の作業服を着ています。

 挨拶もなく顎で2階に上がるよう指示された私は,そのまま階段を上っていきました。「どこでもどうぞ」と言われた私が選んだのは座敷で,柱のせいで4人が座るにはちと狭いと敬遠され,ぽつんとあいていたテーブルです。

 11時30分から14時まで禁煙と書いた張り紙をよそに,たいていのテーブルで紫煙が上っています。見ればどのテーブルも食べ物が来ていません。注文してから食べ物が出てくるまでの時間は,貴重な喫煙タイムなのでしょう。

 ちょうど牡蠣のシーズンで,店内のポスターは牡蠣そばに牡蠣鍋に牡蠣フライと,どこをみても牡蠣ばかりです。あいにく牡蠣が大嫌いな私にはまさに地獄絵図といったところです。

 無難に天ザルを頼み,ぼーっとしていると,私の顔の真横にある窓が少しだけ開いていることに気が付きました。外の様子を伺うのが大好きな私としては,そーっと15cmほどにその隙間を広げて,外を眺めていました。

 10人通ればそのうち8人は工事関係者と思わしき人々。一人くらいが学生で,残りはお年寄りという感じの情景を,少し湿った空気にあたりながら眺めていると,そのうちに頼んでいた天ザルが届きました。

 ありがとうとオバチャンに声をかけて,早速食べてみますが,実のところいまいち。そばはあまり香りがせず,かまぼこでも食べているかのようです。

 出汁もそれほどおいしいわけではなく,これならコンビニのざるそばの出汁といい勝負だなあと思う程度のもの。天ぷらはもっと残念で,衣が油で透き通るほど。グニャグニャとした食感で,大阪なら2週間でつぶれるなこの店は,と思いながら店を出ました。

 まだ1時前です。

 来るとき,半蔵門駅の案内板に,「日本カメラ博物館」への案内が出ていました。時間もあるし,話の種に一度いってみるか,と歩き出します。

 ところが下調べもなにもせずにいきなり行動を起こしてうまくいった試しがありません。案の定自分の位置が分からず,また博物館の場所もわからないという最悪の状態で,時間が過ぎていきました。

 不思議と散歩が楽しいので,時間の浪費に焦ることはありません。

 交番で聞いてみようと,先ほど通り過ぎた交番まで戻ってみると,中学生を連れたお母さんがなにやら警察官と話をしています。何かあったのだろうか,と心配になってよく見ると,地図を広げていますので,大した話ではなさそうです。

 お母さんは余程急いでいたのか,警察官にお礼も言わずにそそくさと娘の手を引いて立ち去りました。

 警察官が私に気が付いて,私も「すみません,日本カメラ博物館というのがこのあたりにあると聞いたのですが,おわかりになりますか?」と軽い会釈と同時に話しかけます。

 若い警察官は「えーっと,そういえばきいたことがあるなあ」と言いながら,このあたりの地図を広げます。

 しかし,その指先はどうも要領を得ません。日本カメラ博物館など,知らなくても一度も困ることなどなかったのでしょう。

 一応携帯電話で地図を記録しておいた私は,「土地勘がなくこれを見てもわからないんですよ」といいながら,それを見せます。

 やや間があって地図の上に「日本カメラ博物館」という文字をほぼ同時に見つけた二人は,あぁこれかこれか,と言いながら,ほっとした空気に包まれました。警察官はその場所までの道程を丁寧に説明し,私は「助かりました」とお礼を言って,その場を離れます。

 起伏の激しい街を上ったり下りたりしながら,目的地に到着したのはちょうど1時頃です。

 入り口で300円という安い入館料を払い,中を歩いていきます。

 ここは,世界的にも貴重と言われるダゲレオタイプのカメラをはじめ,その狭く小さな館内に不釣り合いなほど,多くの資料を収蔵していることで知られています。

 それこそ写真でしか見たことがないような歴史的なカメラを目の前にして,私は簡単に満腹になってしまいました。

 開館が1989年ということですので,バブル真っ盛りという感じでしょうか。この頃提供を受けたと思われるメーカー謹製の資料などが「いかにも」という感じを醸し出しています。

 写真が庶民から遠く,一部のお金持ちしか写ることの出来なかった時代の写真に残された当時の女性達の綺麗さにため息をつきつつ,一回りして図録を購入し,帰途につきます。係の人はとても丁寧で,常に笑顔を絶やさず,来館者とのコミュニケーションを楽しむことを厭いません。

 1時間ほどいたようです。相変わらずの曇り空の下を歩き,数時間前に出てきた駅に入っていきます。なぜか足取りは軽く,とてもいい気分で家まで帰り着きました。

 今にして思うのは,それが土曜日のお昼時だったということです。土曜日が半分学校,半分休みという時代を過ごした私は,完全週休二日の社会人になって以降,土曜日独特の開放感の味をすっかり忘れてしまっていました。

 朝は普通通りで緊張感があり,しかしながらそれはお昼まで。午後からはすっかり開放された気分が,「明日も休みだ」というお得感によって増幅されます。加えてきちんと朝から用事を済ませたという実績が,時間を有意義に使ったという満足感を作り出します。

 完全週休二日もいいですが,土曜日の「半ドン」も,なかなか味わい深いものだと思います。

 寒くなると布団から出るのが億劫になる朝。今ならちょっとお得な土曜日を過ごせる時期なのかも知れません。

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