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鉄道データファイルが完結

 長く続いた「鉄道データファイル」がいよいよ最終回を迎えました。

 長かったです。辛かったです。毎週火曜日にやってくる「こなさねばならないもの」を1週間かけて読むことは習慣にこそなりましたが,できればその習慣は,一日も早く断ち切りたいと思う,忌むべきものでした。

 ならさっさとやめればいいじゃないか,と思われるでしょうが,途中で辞めてしまう事への純粋な不安,これまで頑張ってきたことが無駄になることの怖さと,希に面白い記事に巡り会う事への期待があって,もう少しだし頑張って見るかと,買い続けてきました。これが,ディアゴスティーニの本当に怖さでしょう。

 当初200号だか250号だかで終わる予定だったはずなのですが,スイッチバックをやたら詳しく説明したり,私鉄のロマンスカー(いわく,一方方向に向きを揃えたクロスシートを備えた優等列車をロマンスカーというのだそうです)を会社・時代ごとにまとめ直してみたり,ダイヤ改正を地域ごとに詳細に書いてみたりと,はっきりいって冗長な内容に気持ちよくお金が払える状態ではありませんでした。

 開いた口がふさがらないのは,ロープウェイやらケーブルカーが追加されたことです。確かに鉄道には違いないですが,問題は読者がそれらに興味を持ち,それらの情報を求めているかどうか,です。スキー客が激減してロープウェイの存在が薄くなる昨今,スキー場にぶら下がるロープウェイの写真を見せられて「知らんがな」と思った人は私だけではないでしょう。

 280号くらいからでしょうか,途中で辞められないようにするためと思われる,歯抜けにしてあったシートの補完がやっつけ仕事で急激に進められ,計画性のなさにため息が出ました。そうやって膨大な補完を行うため,ページ数が増えても内容は薄く,しかも出てくる記事があちこち飛びまくっているので,読了するのが本当に辛くなっています。

 よく言われているように,誤字脱字などの間違い以上に,著者の知識不足や誤った理解も目に付きますし,作者の趣味を反映した東南アジアの旅行記などをだらだらと作文のように読まされることも苦痛だったりしましたが,そもそもこのあたりの週刊誌に過度な期待をする方がおかしいと,私は思っています。

 悪いことばかりではありません。アメリカやヨーロッパの鉄道に興味を持たせてくれたことはきっかけとしてありがたいものですし,車輌だけ,あるいは駅だけ,というものではなく,全般を一通り取り扱っていることから,システムとしての鉄道に関心が沸いたことも事実です。

 とはいえ,さすがに300号買い支えた私は,本当にバカだと思います。あまりに恥ずかしく,一号も欠かさず買い終えた事は,死んでも黙っているべきです。

 しかし,300号までの道程をしみじみと思い返してみると,まさに私の平坦な人生において,激動期と重なっていたように思います。

 ちょうど創刊号が出た頃,ちょっとした鉄道ブームが起こっていました。理由は分かりませんが,1つには団塊世代の引退があるのではないかと思います。

 私は団塊の世代もなく,まして退職したわけでもないのですが,たまたま立ち寄った家電量販店のオモチャ売り場で,処分のワゴンに入っていたマイクロエースのED17が特価で売られており,私がNゲージで遊んでいた子供の頃とは精密度が全然違うことに驚き,買って帰ったことに端を発します。

 以後,次々と鉄道関係の本が出たり,魅力的で個性的な車輌が模型化されたり,DCCという鉄道模型に革命を起こすシステムが一般化したりと,まるで私を狙い撃ちしたかのような状況になっていきました。

 おそらく,このED17を買うことがなければ,鉄道に興味を示すことはなかっただろうと思うのですが,ひょっとすると,こんなふとしたきっかけで鉄道に回帰した人が多く,それがブームに成長したのだとしたら,私もブームに乗っただけの人だったことになるのでしょうか。

 鉄道データファイルの第1号が登場したのは,2004年2月3日でした。それから約6年,毎週毎週出続けたことになります。最終号を手にとって,この6年間の自らの境遇を,ちょっと思い出してしまいました。

 2004年は,自分の希望で慣れた職場を飛び出したはいいが,すっかり行き詰まってしまい,毎日が沈んだ日々を送っていた年でした。その職場の近所の本屋に毎号買いに出かけていました。この職場はやがて解散となってしまうのですが,ここで出会った,一生の宝となる方々には,後日随分と助けて頂くことになります。

 2005年は,結局もとの職場に戻ることになり,自分の居場所を見つけた時でした。自分が思い描いていた仕事をフルパワーでやっていた時期です。毎日が楽しく,難しい事にも果敢に挑み,充実した日々をおくっていました。仲間も出来ましたが,敵も作りました。この頃,毎週出る鉄道データファイルが楽しみで,職場から少し離れた本屋に出向くのが楽しくて仕方がありませんでした。

 2006年は,心血を注いだ仕事が水泡に帰し,その上職場を追われた時でした。別の部署に引き取られましたが,私はここで干されてしまい,ろくな仕事のない時でした。そのうち「ここにはあなたの仕事はないから」と部長に言われて職場を追われました。

 2007年は,次の職場を選んでいた私が,かつての上司に言葉巧みにだまされて,おかしな職場に引っ張り込まれた時でした。当の上司は私が異動した初日にとっとと逃げ出してしまい,私だけが置き去りとなりました。事前に聞いていた話とは全然違い,わずか1ヶ月でプロジェクトから外され,この年の夏には席まで隔離されてしまいました。そういえば「会社に残りたければ雑巾がけをやれ」と人事に言われたのもこの年でした。本当に辛い時期でした。

 2008年は,設定された期日を過ぎても異動先がなく,退職の覚悟をした後に,全く縁もゆかりもなかった職場に本当に偶然拾ってもらった年でした。ここで自分の得意な小型マイコンを使う事があったり,今も友人として親しくしている社外の方とも出会う機会があったりと,朽ちる寸前だった私の心に少しずつ血が通い始めた時でした。

 2009年は,リストラのあおりをうけてその職場も追い出され,今の職場に流れ着いた年でした。会社に対して,あるいは人間に対しての,不信感と言うよりそれらへの虚無感を抵抗なく受け入れて,まあ世の中そんなもんだと割り切って生活するようになった時期です。もっとも,一番よい仕事の出来る時期を成果も無しに過ごしてしまったことは決して取り返すことは出来ず,そのことをふと思い出した時に,ダメ人間というのはこうやって出来上がるんだなと,しみじみ思うのです。

 かくてこの6年,長かったようで短かった時間でした。いろいろあって,生きること以外のすべてを否定されても,それでも生きていかねばならないことの辛さを知った,そんな時だったように思います。

 そんな日々を送っていても,毎週火曜日には必ず鉄道データファイルの号数が1つずつ増えていきました。思い起こすと,どんなに辛いときにも,どんなにうれしいときにも,必ず枕元には鉄道データファイルがありました。無神経とさえ思うことがありました。

 鉄道データファイルが自分を支えたとは全く思いませんが,変わってゆく自分と同じ時間軸にある変わらないものに,もしかしたら,少しはもたれ掛かっていたのかも知れません。

 さてさて,これで終わったと思ったら,来年からはシリーズ第2弾「鉄道データファイル プラス」が始まるそうです。いやー,まさかの続編とは。~プラスって流行ってるんですか,もしかして。

 定期購読をお願いしているいつもの本屋さんに,いつものように火曜日の朝,最終号を取りに行くと,すっかりおなじみになったいつもの店員さんに「今日でおわりなんですよね。ありがとうございました。またきてくださいね」と,言われました。

 私も,「またきますよ」と言って,お店を後にしました。

 変わらぬ事が変わってしまった,瞬間でした。

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