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ナショセミが現金で買われる

 大きなニュースが飛び込んできました。ナショナルセミコンダクターがテキサスインスツルメンツに買収され,TIの一部門となる事が決まりました。買収金額は65億ドルで,TIは全て現金で支払うという話です。

 いや,これはびっくりしました。ナショセミといえば名門中の名門,半導体の黎明期から現在に至るまで倒産も買収もなく,連綿とその伝統を受け継いできた老舗です。

 1959年にシリコントランジスタの生産を目的に設立されたナショセミは,1960年代にはもはやオペアンプの創造主と神格化されたボブ・ワイドラーによって,次々と画期的なアナログICを誕生させ,安くて便利で面白いアナログICのメーカーとして,それこそプロからラジオ少年の心にまで深く入り込むことになります。

 オペアンプは,かのワイドラーの手になるLM101,単電源の先駆けLM358,クワッドの定番LM324,バイポーラとFETを混載したBi-FETによる高級オペアンプのLF356,C-MOSでも超高性能なLMC660,新世代の高速オペアンプLM6361,Bi-FET入力オペアンプの新世代品LF411,TO-3パッケージに入ったパワーオペアンプのLM12C,電子楽器で多用されたトランスコンダクタンスアンプの超定番LM13600,そして忘れてはいけないのが超高性能ハイブリッドオペアンプで唯一の生き残りLH0032など,どれも定番,どれも有名,そしてどれもその時々に画期的な最先端技術の結晶でした。

 ワイドラーの偉大な業績は,モノリシックオペアンプの基本設計を編みだしたことに加え,バンドギャップリファレンスを作り出したことでしょう。温度特性を持たない安定した基準電圧は,古くは水銀電池を使うしかなかったのですが,その後ツェナーダイオードが登場,そしてモノリシックICだからこそ可能になったバンドギャップリファレンスへと進化します。より安定し,より低い電を発生させるバンドギャップリファレンスの発明によって,三端子レギュレータやADコンバータが誕生することになるのです。

 シリーズレギュレータの世界では,固定電圧の3端子ならフェアチャイルドの78xxが有名ですが,可変電圧タイプだとフェアチャイルドは4端子だったのに,ナショセミは3端子でやってのけました。それが今でも定番のLM317です。

 かつてビデオ信号と言えばNTSCだった時代,同期信号を分離するにはそれなりに面倒な回路が必要だったのですが,これをワンチップでやってのけるLM1881は登場するやたちまち定番になり,アマチュアにもおなじみになりました。

 アナログのICは本当に面白いものがあって,ラジオ少年たちに一番よく知られた海外メーカーではなかったでしょうか。ちょっとしたスピーカアンプならLM386,5Wくらいまで欲しいならLM380,まだまだオペアンプでは厳しかったHi-Fiのプリアンプ用にはLM381,ダイナミックノイズリダクション用のLM1894というのもありました。

 1.5Vの電池でLEDを光らせるLM3909は生産中止になった現在でも少ない在庫を探し回っている人がいるそうですし,電源同期式の時計用LSIのMM5311も定番でした。そうそう,コンパレータといえばLM311,LM339でした。

 74シリーズとピンコンパチなCMOSロジックを先駆けて投入したのもナショセミで,MM74Cシリーズの開発メーカーです。その後74HCに変わられ,ほとんど知られない存在になりましたが,ある時期のエンジニアにとってはとても懐かしいICなんだそうです。

 Ethernetの10Base-Tで定番化したNE2000というNICは,実はナショセミのDP8390を使って作られていました。AT互換機のシリアルポートで有名な16550もナショセミがオリジナルですし,その源流となったINS8250も,もちろんナショセミがオリジナルです。最近だと,LVDSという伝送方式はナショセミの開発です。

 ADコンバータ,DAコンバータもナショセミが定番でした。ADコンバータはADC0801やADC0809,DAコンバータならDAC08は必ず出てきたものです。

 また,ナショセミはCPUのメーカーとしても大きな足跡を残しています。i8080とMC6800に続く第3の8ビットプロセッサとして期待されたSC/MP,Z80のソフトがそのまま動くC-MOSのCPUとして,電池駆動でZ80マシンを作る唯一の手段だったNSC800,もっとも早く市場に投入された32ビットCPUのNS32032と,アナログとデジタル両面で大変強力なラインナップを誇っていたのです。

 こんな風に,工業用,軍用から民生品に至るまで,32ビットプロセッサからゲートICまで,高速オペアンプからオモチャ用のICまで,どんなものでも揃っていて,しかも他の会社にはない個性的な,でも入手は難しくなく安価な,そんなメーカーでした。

 ラジオ少年だった私が好きなメーカーも,このナショセミでした。海外製のICは入手が難しいなか,なぜかナショセミのICは部品屋さんで普通に買えることが多かったのです。

 ナショセミのデータブックを見ていると,ICそのものの面白さ以上に応用回路として紹介された回路例がまた面白いのです。こんな使い方をするのか,本来の目的とは全然違うことが出来るんだな,と,ナショセミのデータブックだけは別格でした。

 1987年,名門フェアチャイルドセミコンダクタを買収します。当時富士通が買収すると言われていたのですが,アメリカ政府から待ったがかかりナショセミが買収したわけですが,1997年には株式を手放しています。

 製品に魅力的なものが多い会社ですが,個性あふれる優秀な人材が多くいらっしゃるのも,この会社の伝統でしょう。先程のアナログICの神,ボブ・ワイドラーもそうですし,全半導体関係者のアイドル,ボブ・ピースを先頭に,枠を窮屈に考えず,むしろ積極的に楽しむくらいのゆとりが,この会社の技術者には見て取れます。良い技術,先進的な技術を,普通の製品に生かすのではなく,ちょっと違った角度から応用して非常に面白いものを作り上げる,そのちょっと違った角度を許すか許さないかは,私はその会社の文化や雰囲気によるものだろうと思うのです。

 今回,TIがナショセミを欲しがったのは,TIがよりアナログICのフォーカスするという戦略がまず第一にあり,その魅力的な製品群が競合と言うよりむしろ補完になるという判断があったことは理解出来ます。

 同時に,その優秀な人材とノウハウ,つまり総合的な技術力によって今だけではなく未来においてもアナログICのリーディングカンパニーでいようという強い思いがあったと思います。

 実は,アナログICの分野というのは,CPUやメモリといったデジタルICと違って,それほど大規模な設備投資を必要としません。だからアナログの専業メーカーには小さなメーカーも生き残っていられるわけですが,同時に一人前になるには10年かかると言われるアナログICの設計者を育成するのがとても大変と言われます。

 日本の半導体メーカーもなんとか一部に食らいついている分野ですが,韓国や台湾,中国などのメーカーはもうアナログICについてはまるで存在感がありません。これは,彼らが最先端プロセスの導入という「お金で済む」話を拠り所にしているからで,おのずとメモリやシステムLSIといったデジタルICで勝負することになります。しかしアナログICにはむしろ最先端ではないプロセスを使わねばならないことがが多くて,枯れた技術が適している場合が多いのです。

 現実は買収ですが,別にナショセミはお金に困っていたわけではありません。むしろTIと結婚したくらいの気分でいるんじゃないでしょうか。65億ドルで結婚というと穏やかではありませんが,TIのような大企業には大企業なりのメリットがあります。これを利用出来ることはナショセミにはメリットのはずで,一方でその独立性が(ある時期までだったとしても)約束される買収であるなら,とても良い話だと考えたのではないでしょうか。

 事実,TIはバーブラウンを買収した際にも,その独立性を極力残そうとしました。高性能で高価な半導体を作ってきたバーブラウンは,今や高性能で安価な半導体を安定して供給出来るブランドとなりました。これに倣うなら,ナショセミのブランドを持つ半導体は,ますます面白くなのではないかと,私は思っています。

 TIもアナログに軸足を置くメーカーの1つです。おそらくTIの技術者も,ボブ・ピースに対して尊敬の念を持っていることでしょう。彼が自分達の仲間になると考えれば,おそらくTIのエンジニアも奮い立つことでしょう。

 TIとナショセミ,どちらも集積回路と半導体の分野を,前人未踏の状態から切り開いてきた偉大なパイオニアです。確かに老舗が減ってしまうことは寂しいことですが,消えてなくなるわけではありません。ワクワクするような,楽しく,創造的な半導体を,ますます作ってくれることを心から期待します。

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