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自炊の是非

 スキャン代行業者2社を作家7名が提訴というニュースが入ってきました。7名の作家というのは,まさに日本の文学/マンガ界を代表する方々です。当然ファンも多く,私も大好きな方がいらっしゃいます。

 この方々がスキャン代行業者という「グレー」な存在を違法として提訴した事の意味は,結構重いなあと私は思っています。それは,電子化されていない本を電子書籍として読みたいという欲求から生まれた「自炊」を源流として誕生したものだからです。

 今回の提訴はあくまで業者に対してあり,自炊そのもの,あるいは電子書籍そのものを対象にしたものではありません。しかし,作家の皆さんの記者会見を見ていると,それらを否定する意見が出ていることもまた事実です。

 私は,場所がないという切実な理由で増やすことが叶わなくなった本を,自炊という手段によって買い続けることが出来るようになった人間です。本屋が好きで本が好き,読む本がなくなると不安になり,常に手元に1年分くらいは読む事の出来る本を積んでおくのが常となっている人間として,電子化と自炊というのは,まさに福音でした。

 本を買い続けるためにやむなく自炊を行うに至り,結果として私は,捨てる本,自炊して中身だけは手元に残す本,残す本の3つに分類することになりました。先日も書きましたが,つまらない本は自炊されることもなく捨てられますし,残す価値のある本は紙のまま手元に残ります。

 あくまで私にとって「つまらない」かどうかですので,ここは作家の方や出版社の方には,一個人のふるいにかかっただけの取るに足らない話と笑い飛ばしてくださっても良いし,たった一人の読者からでも末永く愛され手元に残してもらえるような本を作っていこうと考えてくださってもよく,そしてそれはとてもありがたいお話です。

 で,先に書いておきますと,どうも今回の提訴の論旨と,原告団に加わった7名の作家の皆さんの狙いが,かなりバラバラであるなあと感じるのです。なぜそれが提訴の主旨に繋がるのだ,という疑問を持つ方の意見も,私はあるようの思うのです。。

 さらに,原告団に加わった理由に,論理性がないように感じた方もいらっしゃいました。裁判が感情論抜きで行うものではない以上,感情的に提訴されることは問題ではありませんが,裁断された本を見て心が痛むから提訴,というのは,ちょっと短絡的だなあと感じざるを得ません。

 作家の方が本を自分の子供のように思うのと同じように,自動車の設計者には自動車が解体されるのを見るのは辛いだろうし,ミュージシャンが自分のCDの粉砕されるのを直視できるとも思えません。私だって自分の設計した製品が廃棄されるのを見るのは辛いです。

 それら個人的な想いはいずれも尊く,互いに尊敬し合うべきものだと思います。ですが,それらは作り手にとっては唯一無二であっても,一方で大量生産される工業製品でもあります。廃棄や裁断は,唯一無二のものとして行われるのではなく,あくまで工業製品として行われることに,気が付くべきです。

 多くの人の手間をかけ,お金をかけ,時間をかけた製品が廃棄されるのは忍びないものですが,それが廃棄されることや裁断されることを「悪」とする理由には,残念ですがなりません。自動車は工芸品であると同時に移動手段だし,CDは作品であると同時に音楽を入れる器です。同じように,本は作家の紡いだ文章を収める器です。

 器は中身と共に大切なものです。特に日本の本は,編集,印刷,製本に至るまで,本当に美しいものです。頭理のことですが,中身だけが大事だとは思いません。

 ですが,本はもうかさばって,そのままで置いておくわけにはいかないのです。可能であるなら,本が好きな人としてやはり実体にこだわりたいですが,状況がそれを許しません。

 ならお金持ちになればいい,というのも一理あるのですが,現実的な問題として,中身も残さず捨てることになったであろう本が,技術の進歩で中身だけはなんとか残せるようになったと考えると,電子化や自炊が私をどれほど救っているか,分かって頂けるでしょうか。

 ということで,先に私の考えを書いてしまいましたが,少し自炊と電子化,そして代行業者について私なりの結論を書いてみたいと思います。


(1)前提

 まず,前提としてですが,法律に触れてはなりません。これは当たり前のことですので,いちいち細かい事は書きません。


(2)生み出す人に対する尊敬と感謝

 生み出す人,すなわち文学なら作家,マンガなら漫画家,音楽なら作曲家や演奏家,自動車なら設計者,写真ならカメラマンに対する尊敬は,法律の次に大事にされるものだと思います。

 それぞれ,他の人には出来ない事を,その特殊能力によってなし得ているわけで,おかげで我々は自分だけでは決して手に入らないものを手にすることが出来るのです。

 ものを作るというのは,とてもエネルギーがいるものです。しかもエネルギーだけではダメで,その人にしかない能力を使ってもらう必要もあります。同じエネルギーでも,作る人によって結果に大きな差が出るのは,当然のことです。

 ここで大切な事は,みんなそうだということです。作家の方だって自動車に乗るし,野菜も食べるし,パソコンだって使うわけですが,言うまでもなく作家の方々が一人で自動車も野菜もパソコンも作る事はできません。

 それぞれの製品,それぞれのサービスに,それを専門とするプロがいるから,社会全体が豊かになります。だから,私は作家を尊敬するのと同時に,農家を尊敬しますし,自動車の設計者にも敬意を持っています。そして,私自身も,きっと誰かから尊敬を受けていると思っています。

 このように,生み出す人に対しての尊敬は,自分には出来ない事をやってもらっているという感謝の気持ちから生まれるのだと思います。そしてもう一歩進めて,自分も他の人が出来ない事をやって誰かの役に立っているのだ,という誇りから,人間らしく尊厳を持って生きることに,繋がって行くのでしょう。

 このように,生み出す人に対する尊敬と感謝は,全ての人が行うもので,かつ全ての人が受けるべきものであるのです。

 この概念は,法律で決まっているものでもないですし,常識やモラルとして一般化したものでもなければ,教育されるものでもありません。しかし,自分の仕事を大事にして欲しい気持ちは誰にでもあるわけで,つまりは作家や漫画家だけの特別な話ではないということを,1つの尺度にしてはどうかと思います。


(3)電子化は?

 電子化というのは,つくづく考えてみると,なかなか難しい概念です。

 本は電子化しても,その本質に変わりはありません。紙で読んでもiPadで読んでも文章は文章であり,面白い文章は面白いし,面白くない文章は面白くありません。

 しかし,彫刻はどうでしょうか。彫刻を電子化する,例えば三次元スキャナで数値化したものに,価値はあるでしょうか。私はないと思います。彫刻は実体そのものに価値があるからです。

 それは,量産品か一品物かによる違いでしょうか。なら,レプリカが大量にある彫刻の数値データには価値があるでしょうか。これも私はないと思います。

 さらに進めて,プラモデルの数値データに価値はあるでしょうか。製造者や設計者には最重要のデータですが,私たち消費者にはあまり価値がありません。

 では,本のうち,実体に価値があるもの,例えば絶版で新品が手に入らないものだったり,美しい写真や手の込んだ装丁を持つものはどうでしょう。これは確かに実体に価値があります。

 一方で,同じ印刷物の極端な例を挙げてみると,新聞はどうでしょうか。新聞は読んだ直後に新聞紙として別の価値が生まれ,ものを包んだり梱包材にしたりします。これは昔々,それこそ戦前から変わらないことですが,新聞の本来の役割である,文章と情報についての価値は,すぐに消失しまうわけです。

 すでに触れましたが,私だって好き好んで電子化をしているわけではなく,場所の確保と新しい本を買うために,やむなく電子化をしています。本という実体を残しておければ,それが一番いいのは言うまでもありません。

 しかし,現実がそれを許してはくれない場合,本の価値のうちどれを最重要と考えるかによって,残すものを選ぶ事が技術の進歩で可能になりました。あくまで所有者である私個人が,電子化することでも価値の本質が維持されると判断出来た場合に,電子化が行われます。

 だから,所有者が私でなければ電子化されずに実体が残るでしょうし,もしかすると電子化されることなく実体も処分されるかもしれません。

 つまり,あくまで,所有者の価値観にのみ依存するという結論になります。こうした主観的な考え方に立脚する場合,法律や社会通念上の問題がなければ,個人の自由が尊重されるべきでしょうし,他の人が価値観を押しつけてとやかく言うべきではありません。仮にその本を生み出した作家であっても,です。

 1つのアプローチとしてですが,同じ書籍であっても,電子化されるかされないかがそれぞれの価値観によるという結論から考えると,電子化してオリジナルを廃棄してしまうことが出来ないくらい,多くの人にとって魅力的な本を作ることで,相対的に電子化された本の価値を下げることは出来ないでしょうか。

 通常のコミックの単行本は廃棄できても,愛蔵版は廃棄しにくいものです。
 

(4)自炊は?

 電子化の手段の1つとして自炊を捉えるなら,これは許されるものです。言うまでもありませんが,法律に違反しないこと,そして生み出す人に対する尊敬と感謝を持って行うことが前提です。

 ただ,自炊という行為が持つ意味を,可能な限り考えておくことは必要かも知れません。自炊はディジタルデータへ変換ですし,複製作業でもあります。電子書籍端末で利用するためのフォーマット変換という見方もあれば,非可逆圧縮という見方もあります。

 そしてそれぞれの見方によって,メリットもデメリットも変わって来ます。複製なら違法コピーで一儲けも出来るでしょうし,非可逆圧縮なら膨大な書籍をアーカイブすることが出来るようになります。そもそもディジタルデータへの変換によって,世界中のどこにいてもネットワーク経由で読む事が出来るようになるし,検索という大変な機能が手に入ります。

 それら全てを,十把一絡げにして「良い」「悪い」と論じてしまうのは無理があるし,当然利害関係が複雑になるので,調整など出来ません。

 私個人は,自炊の結果生まれるデータは劣化したコピーであり,オリジナルの紙の本の足下にも及ばないと思っていますので,自炊の結果にどれほどのメリットあろうとも,決して自炊がお得になるような事態は起こらないと考えています。

 だから,あくまで「自炊」,つまり個人で行う限りにおいては,堂々と行ってよいと思います。そして自炊をする人は,自炊によって発生する問題が発生しないように,きちんとした責任を全うせねばならないでしょう。

 これはつまり,毒物を扱う人間が正しく管理を求められることと同じです。社会的な責任を負うのだという自覚が,自炊を行っている人の間にどれほど根付いているかは,私にもちょっとわかりません。


 
(5)自炊代行は?

 前述のように,自炊には大きなメリットがあります。それまでなら,置き場所がないという現実に対する解として,完全に処分するか置き場所を確保するかの二択だったものが,技術の進歩によって中身を残しつつ処分するという第3の手段を選択出来るようになったわけです。

 自炊によって失われる本の価値と,スペースが確保出来るというメリットを比べて,どちらが特かをその所有者が判断するという原則から考えると,自炊という選択肢は否定されるものではありません。

 しかし,自炊には,結構な負担があります。

 最初に裁断という作業ですが,綺麗に大量に裁断するには裁断機が不可欠です。しかし裁断機は大きく重く,加えて高価です。本を数冊処分して出来るスペースに置けるようなものではありません。かなりの数の本を処分出来る人だけが,裁断機を購入出来るのです。

 高価な道具は,共同所有して有効活用しようとなるのが自然なことで,その延長に裁断機を貸し出すことや,裁断を代行することを商売にする人が出ることも,それはごく自然な事です。もちろん,裁断機を扱う時間を軽減すること,裁断機を使うことで発生する危険を回避することも,人によっては大きな価値があるでしょう。

 次にスキャンを考えましょう。スキャナも安くなったとは言え,それでも5万円程度しますし,PCの整備にもお金がかかります。それ以上に,スキャンには時間もかかれば,綺麗にスキャンを行うためのノウハウも必要です。

 それらを代行しましょうという話がでれば,それまで自炊をしたくても出来なかった人が,そのメリットを享受できるようになります。これはこれでとてもよいことです。

 だから,純粋に自炊の代行だけなら,私は問題ないと思います。この,純粋にというのがミソでして,彼らに支払われる対価が,純粋に代行だけであるかどうかが争点でなければならないと思います。

 もちろん,市場原理でその対価は決まるでしょうから,一律いくらという話にはならないと思います。しかし,極端に高い料金であったり,逆に処分すると偽って他に転売したスキャン済みの本の売却益を見込んで料金を引き下げることは許されません。

 そうなると,もはや利益を追求しない,実費のみで引き受けるボランティアのようなケースでしか現実的には成り立たなくなってきます。私はこの結論はとても大事だと思っていて,非営利の場合についてのみ,自炊代行は許されるのではないかと考えるようになりました。

 そんなバカな話はない,そう,その通りです。こんなバカな話はありません。つまり実質的に自炊代行は,存在出来ないと言うことになるのです。


(6)スキャン後の本の扱いは?

 スキャンの後に裁断された本ですが,ここがちょっともめるところのようです。

 複製が合法であるのですから,スキャンを行ってもオリジナルを持つことは許されるので,当然処分する必要などありません。つまりあれです,オリジナルのバックアップをスキャナで取ったということです。CDをリッピングするのと同じことです。

 本がアナログである以上,デジタルコピーに該当しません。スキャンしたデータは,本来本が持つ情報から大幅に欠損しているわけですし,オリジナルとコピーが全く同一だからDRMをかけるというデジタルコピーの議論は,ここでは必要ありません。

 ただし,これも個人の場合に限られます。他人に配ったり販売するなどの行為は明らかに違法ですので,これはもう論外です。

 ですので,スキャンした後の本は,当然所有者が持つべきです。

 なら,所有者は,このオリジナルを売却してよいかどうかです。

 というのは,かつてレコードやCDが,カセットテープやMD,最近だとCD-Rにコピーされた後に中古品として買い取られていたという現実を考えたいからです。カセットやMDは劣化コピーですが,CD-Rについてはほぼ完璧なコピーです。

 この行為は,個人での複製を許した著作権法に厳密には違反します。しかし,中古品として売った時に家中の複製を廃棄するというのも,個人レベルではまた非現実であって,黙認されてきたわけです。

 では,本の場合はどうでしょうか。まず,個人レベルでの複製は許されていますから,自炊して電子化することは問題ありません。

 この電子データを販売することは,言うまでもなく違法です。お金儲けを行うという事は,すでに個人レベルの話ではなくなっています。

 では,オリジナルである裁断済みの紙の本を販売することはどうでしょうか。お金儲けを行うのですから,もう個人の話ではなくなっています。よって,アウトでしょう。

 では,裁断済みの本をレンタルするのはどうでしょうか。CDやDVDと同じです。

 この話には2つの問題があります。1つは,CDやDVDのレンタルには,レンタルしても良いという許可を得て行われていて,その対価がレンタル業者から支払われている点です。

 注目すべきはお金の問題と言うより,レンタルを合法化して,かつ関係者がみんなそれなりに潤う仕組みをちゃんと構築したことです。本にはこういう仕組みがありません。

 ではそういう仕組みを作ろうとなるのですが,これが2つ目の点で,レンタルのCDやDVDはコピーだけが目的で行われているわけではなく,買うほどではないがちょっと聴いてみたい,見てみたいという要求にも応えることが出来るのに対し,裁断した本というのはもはやスキャンを行うことにしか,使い道がないものなのです。

 買うほどではないがちょっと読んでみたい,という人は,図書館で本を借りるでしょう。しかし借りた本は裁断するわけにはいきませんので,実質的に電子化することやコピーを取ることは難しいでしょう。本は,その形によって用途が絞り込まれるのです。

 それでも,その本を電子化せずに,本当に裁断しただけであれば,違法性はありません。ですが,ここから先は,生み出す人に対する尊敬と感謝という観点で考える事になるでしょう。

 対価を払って購入し所有権を有する人間が,法律に触れない範囲で裁断したものを売却する行為は,確かに問題ないかもしれませんが,裁断済みの本はスキャンされる,つまり複製されることが明確であり,他の用途には使われません。

 複製が違法になる可能性がある以上,複製しかできない状態の本を販売することは,やはり違法行為を助長するものです。このことと,生み出す人に対する尊敬と感謝とが,およそ両立するとは思えません。

 これには弱点があって,生み出す人に対する尊敬と感謝は義務でも責任でもないので,これを持たない人に対する抑止力にはならないですし,そもそも持たない事を非難できません。

 だから,ルールを作りましょう,良いことと悪いことをはっきりさせましょう,ということで,訴訟という道具を使うことになったのだと,私は考えています。


(7)ということで

 長々と書きましたが,自炊と自炊代行について深く考えるきっかけになりました。

 基本的には個人レベルで行う自炊に問題はありませんが,そこには当然社会的な責任が発生します。もちろん,自炊の結果によってお金儲けを行うなどというのは,すでに個人レベルの話ではなくなっているという点でも,違法であることは明確です。

 当然,自炊をすることで失うものは大きいですから,自炊をして得かどうかは,その人個人の価値観によります。だから,ある人にとっては自炊後廃棄されるものであっても,別の人にとっては何十万円出しても手に入れたい本だったりするのです。だから,自炊や裁断,廃棄という行為そのものを,他の人がとやかくいう事ではありません。

 しかし,自炊があくまで個人的な範囲で行われるべきものである以上,自炊の代行そのものに違法性はないとしても,お金儲けになってしまってはいけませんから,非営利団体の仕事になります。よって営利企業の業務としてはアウトです。

 また,裁断と自炊が個人の範疇で行われる事に限定されたのですから,裁断後の書籍はあくまで個人の管理下にあります。これを販売することは個人の枠を越えますし,違法行為を助長するというモラルの点でも許されません。これは犯罪に使われかねないものを持ってしまった人間が果たすべき義務です。言うまでもなく,スキャンによって発生した電子データを配布,販売することが違法であることは明白です。

 そして,これらの最終的な判断基準には,法律と共に,生み出す人に対する尊敬と感謝があってしかるべきです。そして生み出す人への尊敬と感謝は,自分にも向けられているものであることを忘れてはなりません。


 意見の対立も利害の不一致もあるでしょうが,実は関係者の最終目的は,素晴らしい作品を読みたい,読んでもらいたい,に収れんします。これらを推進できる話には基本的には反対の理由はありませんし,これらを満たさない形では,どんな対策も本末転倒です。

 最終的な目的で食い違うことはなく,ただその方法が違っているだけの話です。最終目的にくいちがいがなければ,必ず良い方法があります。それは,生み出す人への尊敬と感謝と,法律によって許されているかどうかという2つを軸にすることで,生まれてくるものであると確信します。

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