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LA音源30周年

 「世界よ,この音がローランドだ」で世界が衝撃を受けた,ローランド初のデジタルシンセサイザーD-50の発売から,なんと今年で30年になりました。

 今ひとつ盛り上がらないのは,D-50がプロ用の機材であり,1980年代を生きた人の間でも,身近に感じる人が限られているからじゃないかと思います。

 誰もが知るヤマハのFM音源は画期的でしたし,プロ用の機材から8ビットパソコン,果てはゲームマシンや携帯電話にまで入り込んでいたのですから,身近に感じるマニアがたくさんいるのもわかります。

 しかし,LA音源は何かに内蔵されることはなく,MIDIで繋がるものがほとんどでした。パソコンを中心に考えたシステムでは周辺機器として知られたにとどまりましたし,D-50に至っては鍵盤が弾けること,ライブで使うこと,そしてこれが重要なのですが,他にもシンセサイザーを持っていなければ,欲しいとすら思わないシンセサイザーだったと思います。

 ですが,その音は必ずどこかで耳にしたはずです。

 技術的に面白いのは,D-50はローランドで最初のデジタルシンセだったわけですが,同時にMT-32も同じカスタムICで開発されており,心臓部であるLA音源チップ「LA32」はプロ用のシンセサイザーと,ピアノの拡張音源であったMT-32の両方に使われていたのです。

 さらに興味深いのは,同じ音源チップを使っていながらも,D-50とMT-32や後のD-10/20系列とは,音そのものも異なりますし,パラメータも違い,音作りの考え方にもズレがあって,全く別物と考えなくてはならなかったことです。

 理由を考えて見ますと,LA32というチップはPCM片の音出しとサウンドジェネレータを32備えたチップに過ぎず,LA音源の音の個性はLA32の外に置かれたROMに格納されたPCM片によって生まれることから,D-50とMT-32とで異なるPCM片を持たせて異なる個性を与えることは,容易であったということです。

 そのPCM片も,D-50が音色の一部分を作るのに最適化されているのに対し,MT-32系列ではそれ単独で音色になるようなものを中心に用意されています。これはMT-32がマルチティンバー音源であり,できるだけパーシャルを少なく音を作らねばならなかったという事情があります。

 D-50はライブ用のシンセサイザーで,16音ポリなら2パーシャル,8音ポリでも4パーシャルを1つの音色に使っても演奏に支障がないですから,一部分だけをPCMで作るなどの贅沢が許されるのです。

 また,一番大きな音質の差の原因が,エフェクトだったように思います。D-50とMT-32のエフェクタの音質差は大きく,D-50はさすがに高品位でしたし,EQもコーラスも搭載されていました。MT-32ではリバーブとディレイだけで設定の範囲も限られていました。

 こうして考えていくと,あくまで今にしてみれば,と言う話ですが,アナログシンセとFM音源が人工的で自然な楽器にほど遠い音だったのに対し,サンプラーは自然な楽器そのもののリアリティを備えていた中で。D-50のLA音源はちょうどその中間にあり,人工的でも自然でもない,どちらでもありどちらでもないという,つかみ所のない音だったといえるのではないでしょうか。。

 これがD-50の個性であり,LA音源がその時代を代表するシンセサイザーであった理由ではないかと思うのです。

 それは,きっと生い立ちからそうだといえて,FM音源のような既に理論として完成しており,開発はそれを半導体に実装することだったわけでもなく,サンプラーのように技術的に目処が付いていながらもコストが理由で作る事が出来ず,開発はコストを下げることだったわけでもなく,LA音源はどういう音源にするかという根本部分から開発された,完全スクラッチの数少ないものであったことも,影響しているのではないかと思います。

 つまり,開発中はどんな音が出てくるのか不明,そもそも完成するかどうかもわからない状態だったはずで,手探りで進んだ開発は困難だったとは思いますが,何かに似せる必要もなく,どんな音でも許され市場に出る可能性があった,とても恵まれた状況であったとも言えます。

 FM音源の開発のゴールは,FM理論に従ったシンセサイザーが動作することですから,FM理論に従った音が出ることが求められます。サンプラーの開発のゴールは,いってみれば安く作る事がゴールですので,何回作っても音そのもののゴールは変わりません。LA音源はそうではなく,開発者,設計者が思い描いた音がゴールであり,偶然出てきた予想外の音もゴールです。

 当時開発に大きく関わったEric PersingとAdrian Scottの個性や傾向がD-50を支配していたことはその音を聞いても明確で,ここで定まったローランドの音は,しばらくの間不動の個性として君臨することになります。おそらくですが,FM音源でもサンプラーでも彼らの個性を表現する事は難しく,LA音源のようなゼロから作った音源だからこそ,彼らの創造力が具現化されたのではないでしょうか。

 そして筐体のデザイン。それまでの何にも似ていない洗練された新時代のデザインは,これまでのローランドはもちろん,他社のシンセサイザーとも明らかに違う音を期待させました。いやー,格好良かったなあ。

 そして誕生から30年。当時のCDとその後のCDを聞けばいかにD-50が画期的で,その後の音楽の方向を作ったかを思い知らされるわけですが,D-50そのものはなくなっても,音は引き継がれ,時代に関係なく使われていることを考えると,それが単に流行のものではなかったことを思わせます。そんな楽器に,そうそう出会えるものではありません。

 ただ,当時もその個性が万能ではなかったゆえに,好き嫌いがはっきりしたシンセサイザーだったとは思います。使われ方も,流行っているから使っていると言うだけで,その音で新しい音楽を作ろうというアプローチを,あまり目にすることはありませんでした。

 その後出てきたM1となにかと比較されたD-50は,リアルさから評価が低かったこともありますが,それでは30年後の今,M1の音と言われて思い出す音があるかと問うと,案外思い浮かぶものがないことに気が付きます。M1は確かに音楽制作の現場を変えたほどの影響を与えた歴史的名機でしたが,それは現場での即戦力として高次元でバランスしており,それ1台で何でも出来た事が理由で,D-50のように強い個性で記憶に残り,歴史に名を残したものとは,対極にあったと考えて良いでしょう。

 そんなわけで,D-50の30周年,おめでとう。あなたも歳を取りましたが,私も歳を取りました。

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